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第一章 遭遇──いや、邂逅①

目を覚ました瞬間、はじめに感じたのは静寂だった。

耳を打つ悲鳴も、焼けつく熱も、弾ける痛みもすでになかった。

ただ、見慣れた白い天井が広がっているだけだった。

朝の陽の光がカーテンの隙間からこぼれ落ちて、左目を照らしている。


「──夢、か。」

乾いた口から出た一言だった。


「んん…」

軽く目を擦り、枕の横に置いてある携帯を覗くと時刻は6:59。いつもの起床時刻まで残り1分あった。

もう二度寝する猶予もなく、重い腰をあげてベッドに腰をかける。

あまりにリアルな夢だった。

夢だと思ったはずなのに、胸の奥に残る違和感は完全には消しきれなかった。

再度、右の手に目をやると手を伸ばした感触だけが、妙に生々しく残っていた。


たまに見る夢だ。

誰だか分からない少女がただ悲しい顔を覗かせるのだ。

記憶の中を探し回ってもやはり、その顔の出立ちを深掘りすることはできず、何かモヤがかった様子しか再生されない。

忘れた頃に必ず見る奇妙な夢だ。

よく夢はその者の心理的要因から夢の形を形成すると聞いたことはあるが、この感情は一体なんなのか名状しうる言葉は見つからなかった。

時刻は7時を回り、奥村冬夜(おくむら とうや)の平凡な朝が幕を開けた。


少しぼけっとしたあと、顔を洗いに洗面所へ向かった。

その時、朝食の香ばしい香りが鼻を刺激する。

吹き抜けになっている廊下からリビングを眺めると、そこには見知った顔の女性がいた。


「冬夜、起きてる?朝ごはんちょうど出来たよー、顔洗って歯磨きなー」


聞き馴染みのある声。

大葉千香(おおばせんか)

保護者もいないこの家の家事や面倒を見る役に勝って出てくれる近所のアパートに住む社会人女性だ。

近所の付き合いでお節介を焼いてくれているのだ。

この家には住んでいるものは冬夜ただ一人。2階建ての戸建ては男子高校生だけが住むには大きすぎる。


「おはよう、千香。」

顔を洗い、歯磨きを済ました後、リビングに続く階段を降り、彼女に挨拶をかわす。

「千香“さん“。な。こう見えて社会人今年で5年目になるのよ。敬いなさい」

相変わらず小うるさい様子は健在だ。

テーブルに並んだ朝ご飯はやはりどれも美味しそうだ。料理は全くといっていいほど冬夜は作れない。彼はこれほど凝ったご飯を作る人間がいることに心の中で感謝する。

千香は自身と冬夜の分のお弁当まで用意を済ませると、冬夜の横に弁当を置いて自分の席に座る。

そして一呼吸おくと、今度はテレビを眺めながらサクサクの食パンを頬張る。


「んー、最近は物騒な事件多いから気を付けなよ」


朝食を食べる冬夜も横目にニュースを眺める。

女子高生が遺体となって見つかったらしい。あまりニュースは疎い方だが、よく取り沙汰されており冬夜もこればかりは反応する

味噌汁を啜りながら、千香は言葉を返す。

「帰り遅くなるなら、ちゃんと連絡してよね?」

その言葉になぜか胸がざわついた。

最近やたらと連絡をするタイミングが遅くなることを指摘される。

両親もいない冬夜を守らないといけない、そんな使命感を千香たらしめるのである。

朝ご飯も食べ終わり、冬夜は制服のジャケットを羽織り、弁当をつめたカバンを背負い玄関へと向かう。


靴を履くとリビングドアから千香が顔を覗かせる

「今日も梓ちゃんとご登校ですかぁ〜?」

少し舐めたような口調で冬夜に投げかける。その表情は自慢げでどこか目障りにも思えた

「うるせえ」

「思春期だねー、かっわいー」

「いいからもう出るぞ」

そう言って玄関ドアに手をかける。

「うん、いってらっしゃい」

「いってきます」

ガチャリを重い音とともに冬夜は外の空気を一息吸う。


家を出て、最寄りの駅までは10分といったところだろうか。

商店街の方面に足を進めると、交差点の付近で同じ制服をきた少女が立っていた。


「あ、おはよう。冬夜」こちらに目を向けて挨拶を交わす。


肩まである栗色に透き通る髪、古見梓(こみあずさ)

冬夜の幼馴染の同級生である。

腐れ縁で幼稚園から小学校、中学校、高校と進路の際には必ずといっていいほど一緒になる。

「おっす、春休みは秒で過ぎてったな」

「だね、私もどこか遠出することもなく休みが終わりましたよ。とほほ」

落胆する梓を横目に冬夜たちは駅に向かい足を動かす。

今日から新学期が始まり、冬夜たちは今日から高校2年生となる。

高校生活は順調に進み、一番花のあるタイミングである。冬夜もあまり学年が変わるだけでは何とも思わない性格だが、やはり桜の似合う季節は心が少し高揚する。


商店街をすぎるとすぐに駅が見えてくる。

複数の路線が経由するこの駅は、朝の時間は人混みが約束される。

新しいシーズンの幕開けだが、周囲のサラリーマンは浮かない顔ばかりである。冬夜たちとは違い普段と変わらない情景だからだろうか、しかし冬夜にとってはあくまでも他人ごとである。

改札を抜けても人混みはあまり動かず、周囲の風景がゆっくりと進んでいく。

渋々人混みに揉まれながら、銀色の車両に乗り込む。

「ふぅ、ここ数日平和ボケしてたから、満員電車は悲惨だね」

「こっちは上り方面だしな。仕方ない」

吊り革に手をかけ、ほっと一息をつく。

人混みのせいでじんわりとした生温かさが車両内に蔓延する。少し体を動かしたからか体が火照る。

電車が動き出すと、窓の外に街の輪郭が広がっていく。

高層ビル群と再開発された商業施設、その合間に残る古い住宅地。

東京都『新都ニュータウン』──ここは、今の東京都内で最も勢いのある街だ。


かつての区分けは廃され、この街は台東・荒川から浦安湾岸部までをひとつにまとめた巨大都市として整備された。

人口は五百万人を超え、再開発は今も止まる気配がない。

国からの援助も手厚く、交通網は整い、生活に困ることはほとんどない。

治安も良好で、住みやすい街として常に名前が挙がる。

両親もそれが理由でこの街に移り住んだと聞いている。

平和の象徴とまでは言わないが、やはりこの街は穏やかな顔を見せ、住人たちも身を委ねている。

安心できる街、それが新都ニュータウンなのである。

──少なくとも、表向きは。


流れていく街並みを眺めながら、冬夜は今朝のニュースを思い出す。

女子高生ばかりを狙った、連続殺人事件。

こんな街で起きることは衝撃だとキャスターは言っていた。

それは住んでいる自分も感じているし、きっとこの街に住む人々が実感している。

ニュースで取り沙汰されることなど、自分の知らない誰かが知らない場所で行われることの方が多い。

あまり重く受け止めることはないが、今回ばかりは少しばかり居心地の悪い気持ちになる。

電車はそんな街の様子も気にすることなく、何事もなかったかのように次の駅へと滑り込む。

新都ニュータウンは今日も繁栄と平穏を疑いなく装っていた。


最寄り駅からは二駅ほど進んだところが、冬夜たちの通う高校前の駅になる。

この駅でどさっと学生たちが降り、サラリーマンたちは空いた席目掛けて椅子取りゲームを始める。

駅を抜けると綺麗な桜並木が学生たちを向かい入れ、花びらが床一面に敷き詰められている。


「わあ、綺麗。」

三月にも見たはずなのだが、やはり桜は何度見ても綺麗だ。

これがあと数日で緑葉に姿を変えていくのだと思うと、しっかりと目に焼き付けておいた方がいい。

「あ、頭に花びらついてるよ」

梓はそう言うと、軽く背伸びして冬夜の髪の毛に軽く触れる。

「なんかこの季節の醍醐味って感じ」冬夜の頭につく花びらを取り、微笑みかける。

どこかむず痒くなる感覚が体を駆け巡る。

ふん、と鼻を鳴らし冬夜は足を少しばかり早めるのだった。

しかし、こんな平穏な生活があると今朝のニュースの現実味が薄れていく。

一般人である彼らからしたら、それが一番幸せなのかもしれない。


足早に高校に向かうと、正面玄関に各学年のクラス表が掲げられている。

靴箱から上履きを取り出し、そそくさとクラス表を見上げる。

「2-B、か」そう呟くと梓は横でクラス表を指差しながら続ける。

「今年も一緒だ!」

どこか嬉しそうにする彼女を見て、少し頬が緩む。

「また一緒か、本当に腐れ縁だな」

「いいじゃん別に減るもんでもないし、それにクラス替えで少しでも知り合いがいるといいでしょ」

間違いないな、と腕を組む。

そして2人はそのまま、本校舎の階段を上り新しいクラスに入るのだった。


◇◆◇


始業式も何事もなく終わり、新しいクラスでのホームルームが終わると冬夜の机に人影が入る。

「冬夜〜帰ろうよ」

梓がそう言って顔を覗かせる。

多少、前のクラスで同じだった生徒はいたが特に話す仲でもなく、冬夜はカバンを取り出し帰る準備を進めた。

すると後ろからさらに声が響く。

「もしかして2人って付き合ってる?」

突然声をかけられ、振り向くとそこに立っていたのはショートカットの少女だ。

(さっきの自己紹介で確か───)

「つ、付き合ってはないよ!けして!」そう切り出したのは梓だった。

両手を横にぶんぶん振りながら全力で否定していた。

「なあんだ」前のめりになっていた姿勢は元の形に戻っていく

「あぁ。ただの腐れ縁だ。君は確か、和泉(いずみ)ミキ、さんだったっけ」

「そう!覚えててくれたんだ、初日で名前を覚えてくれるなんて、奥村くんも好印象だ」

照れくさそうに続けた彼女の後方からもう2人ほどクラスメイトが顔を出す。

「やっほー!私は、チヨ!こっちはトモエ!」

チヨという生徒はやや小柄で自信たっぷりな表情を浮かべている。少しダボっとした袖を見る限り、その幼さが垣間見える。

そして袖を引っ張られついてきたトモエという少女も恥ずかしそうにしながら軽くお辞儀をする。

「私たち、前のクラスで一緒でね。話好きも相まって、学校のありとあらゆる情報は知っている3人娘となったのです!仲良くしておいて損はさせないよ!」

チヨがえっへんと言わんばかりに誇らしげに胸を張り、彼女の頭をぽんぽんと撫でながらミキは続ける。

「と、いうことなのです、不束者ですがどうぞ1年間よろしくね。古見さんと奥村くん」

「も、もちろん!よろしくね」戸惑いながらも一礼する梓。

「あぁ、よろしくな」

新学期の序盤としては良好な出だしであることに安堵し、冬夜たちはクラスを後にした。


軽く談義しながら校門まで3人娘と歩いていると、ミキが唐突に口を開く。

「そう言えば2人は、今朝のニュース見た?」

「ニュース?」

梓が首を傾げるよりも早く、チヨが身を乗り出す。


「うん、女子高生のやつ!また被害者が増えたんだって!」

小柄な体躯を大きく使い、必要以上に声を張り上げている。

それだけ、この話題が怖くて、同時に誰かと共有せずにはいられないのだろう。

「……見た」

視線を彼女らから外し、冬夜も応答する。

「確か、3人目だったんだよ。場所も学校もバラバラなのに」

トモエが続けると隣にいる梓は彼女らを見つめ、ごくりと息を飲む音が冬夜にまで伝わってくる。

悲惨な事件だと思う。この街での生活が一気に息苦しい状況へと変わろうとしている。

「今回、被害に遭った子、隣町の高校の子らしいよ。その子の親戚が隣のクラスにいるんだって」

ぴくりと冬夜と梓は反応する。どこで起きて、どこの誰が狙われたかも分からない事件の距離がぐっと近づいた、そんな気がしたのだ。

「あー何でも下校中の1人になったタイミングで〜って聞いたよ」トモエが口元に指をあて、空を見上げる。

「時間帯も夕方から夜にかけて。流石におかしくない?」

「通り魔とかそんな感じなのかな…」チヨの発言に被せるように梓は問う。

「……通り魔にしては、条件が揃いすぎている」

トモエの発言を機に、一瞬、会話が止まる。


「え、トモエまでそう思うの?」

チヨが驚いたように目を丸くする。

「い、いや。同じ時間、若い女の子でシュチュエーションも近いとなるとそうなのかなって。本の読みすぎかな」

今にも腰を抜かしそうな梓をしっかりと支える。

「明らかに狙った犯行か」

ぽつりと漏れた言葉にチヨがビクッと肩を跳ねさせる。

「ちょ!言い方!そこグルにならないで怖いから!」

「すまん。ただ、今朝の映像、変じゃなかったか」

「変?」ミキが聞き返す。

「あぁ、争った形跡とか、血痕のあともあまりないって。」

冬夜の言葉にトモエも考え込みながら推測する。

「もしかして突発的な犯行じゃなくて、計画的に練られた犯行。もうすでに次の人間も決まってたりして」


「や、やめよ!?もう十分だから!」

チヨが両手で耳を塞ぐ。

そして同時に梓も完全に腰を抜かしていた。

「物騒だから、なるべく1人で帰るってのも気をつけた方がいいかもね。」

ミキの言う通り、例の事件は平和な生活に忍び込む闇でもある。

「それでいいと思う。」冬夜は静かに賛同した。

理由はうまく説明できない。

ただ、胸の奥に残るこの違和感が、見過ごしてはいけないものだと──そんな気がしてならなかった。


駅にたどり着くと3人娘は冬夜と梓とは反対方向の電車だった。

知り合って当日にディープな話をしてしまったと少し後悔する。

少しの沈黙の後、開口したのはへろへろの足取りでおぼつかない様子の梓だった。

「冬夜は怖くないの、まぁ女の子がターゲットだからそうでもないの?」不安そうな目で冬夜を見つめていた。

「怖くはないが、すごく居心地の悪いニュースだとは思っている。」

「そう…だよね」

「あんな話を聞いたら、身近に感じるのも無理ないか。今日は家まで送るよ」

冬夜も下校途中の梓の様子から、怯えている様子は感じていた。まだ全然明るいが、冬夜にできることは安全に家まで送り届けることだった。

「べ、別に大丈夫…」震えた声色を聞き届けると、冬夜はいつも曲がる道を曲がらず、梓の自宅方面に足を進めた。

「ほら、帰るぞ」

呆れながらも梓の住むマンションの前まで送ることにした。

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