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滅びの竜と祈りの唄  作者: 彩月鳴
覚醒 -The Allegro-

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第九話:旅立ち -The Departure-

ヴェルトールは家路を急ぐことなく、村の中をゆっくりと歩いた。


自分の足音だけが響く静寂の中、彼は見慣れた景色を一つひとつ、脳裏に焼き付けるように見渡す。

星空の淡い光と、家々から漏れる温かい灯りが、彼の目に眩しく映る。


「ここを離れる日が来るなんてな……」


ぽつりと零した言葉が、夜風に溶ける。

想像するだけで、心臓を鷲掴みにされたような痛みが走った。


――神官たちが、いつここへ戻ってくるか分からない。


彼は濡れた瞳を拭い、顔を上げた。


――村のみんながくれた覚悟を、無駄にはできない。

――行こう。ぐずぐずしてはいられない。明日だ。


「明日の朝には、この村を発つ!」


ヴェルトールは夜空にそう誓うと、二人の少女が待つ我が家へと、力強く歩き出した。




家の前で一つ、大きく深呼吸をする。

ヴェルトールは覚悟を決め、努めていつも通りの表情を作ってから、静かに扉を開いた。

「ただいま」

「お兄ちゃん!おかえりなさい!」

扉を開けた瞬間、シエナが満面の笑顔で出迎えてくれた。

何も知らないその眩しさに、胸が少しだけ痛む。


「戻ったか…」

一方、テーブルで頬杖をついていたイヴリスは、ヴェルトールと目が合うなり、真紅の瞳をスッと細めた。

「……楽しい話をしてきた、という顔ではないな。……申せ」

彼女は全てを察したように、短く、しかし力強く促した。



「……実は」

ヴェルトールは、覚悟を決めて語り始めた。




全てを話し終えると、部屋には重い沈黙が降りた。


「……というわけなんだ」

ヴェルトールは膝の上で拳を強く握りしめ、深くうなだれる。


「二人……特にシエナは、生まれてから一度もこの村を出たことすらないのに……こんな逃げるような長旅に巻き込んでしまって、本当に申し訳ない……」

合わせる顔がない。罪悪感に押しつぶされそうになりながら、彼は床を見つめ続けた。


「お兄ちゃん……」

シエナは彼を心配そうに見つめていたが、その不安を振り払うように、力強く言った。

「大丈夫!私は平気だよ!」


「シエナ……?」

顔を上げると、そこには不安を微塵も見せない、太陽のような笑顔があった。


「村のみんなと離れるのは、すっごく寂しいけど……。でもね、どんな知らない場所でも、お兄ちゃんさえいれば、きっとなんとかなるよ!」


彼女は胸を張り、隣に座るイヴリスの方を見てニッと悪戯っぽく笑う。

「それに、イヴちゃんも一緒なんでしょ?三人一緒なら、きっと楽しい旅になるよ!」



「シエナ…ありがとう!」

ヴェルトールはシエナの心強い言葉に救われ、胸のつかえが取れたような気がした


ふと視線を向ければ、テーブルの向こうでイヴリスが両手を広げ、呆れたように首を振っているのが見えた。口には出さないが、「やれやれ、仕方ないのぅ」と、聞こえてくるようだった。



「よし、そうと決まれば準備だ!夜明けには発つぞ!」


「おー!」


そうして、ヴェルトールとシエナは旅の準備を始めた。


彼が重そうな荷物をまとめる傍ら、シエナは楽しそうに旅の道中のお菓子を詰めていく。

そしてもう一人。イヴリスは椅子に優雅に腰掛け、忙しなく動く二人を、さも退屈そうに頬杖をついて眺めているだけだった。 言うまでもないが、手伝う気など微塵もないらしい。





旅の準備を終え、やがて太陽が昇り始め、柔らかな光が部屋に差し込んだ。

鳥たちのさえずりが、新しい一日の始まりを告げる。


「お兄ちゃん!また寝坊してるー!」

静かな木の家に、銀鈴を転がしたような声が響き渡る。

勢いよく扉を開け放ち、朝の光と共に飛び込んできたのはシエナだった。


彼女は抱えていた荷物をテーブルに置くと、ドタドタと兄のベッドへ詰め寄る。

「今日から旅が始まるんでしょ!ほら、早く起きて!」


「……んん。あと、少し……」

ヴェルトールは低い唸り声を上げ、現実から逃げるように頭まで布団をかぶる。

だが、シエナにそんな甘えは通用しない。


「だーめっ!」

彼女は容赦なく布団を引ぺがすと、露わになった兄の青みがかった黒髪に手を伸ばし、わしゃわしゃと強引にかき回した。


「わ、わかった!起きた、起きたから!」


「ふふっ、最初からそう言えばいいのに」

降参とばかりに手を上げた兄を見て、シエナは満足げに目を細める。

彼女はくしゃくしゃになった兄の髪を見て悪戯っぽくクスりと笑うと、ゆっくりとその手を放した。


「それじゃあ私は外で待ってるからね!イヴちゃんも待ってるよ!」

そう言ってシエナは、嵐のように元気よく家を飛び出していった。


「ふぁぁ……」

間の抜けたあくびが、朝の空気に溶けていく。

ヴェルトールは強張った筋を伸ばすように、腕を天井へと突き上げて大きく背伸びをした。


「ん、ぐぐ……ぷはっ」


全身の骨がパキポキと小気味よい音を立てるのを確認し、彼はゆっくりとベッドから身を起こす。

窓から差し込む光に目を細めつつ、彼はパンッと両手で自身の頬を軽く叩き、気合を入れ直した。


「よし…いよいよだな…!」




「よい…しょ!」

ヴェルトールは気合を入れて、ずっしりと大きな旅鞄を背中に上げた。

肩に食い込むその重みは、これからの旅の過酷さと、二人を守り抜く責任の重さそのものだ。


彼は靴を履くと、最後にもう一度だけ振り返り、家の中をじっくりと見渡した。


シエナと笑い合った食卓。 昨夜、イヴリスと騒いだ暖炉の前。

今はもう静まり返っているけれど、そこには確かに、かけがえのない幸せな時間が流れていた。


――この家とも、もうお別れか……。


胸の奥がツンと痛む。だが、彼は湿っぽさを振り払うように、小さく、けれどはっきりと告げた。


「……今まで、ありがとう」


そしてヴェルトールは、未練を断ち切るように前を向くと、光溢れる外の世界へと扉を開け放った。




眩しい朝陽に目を細めながら外に出たヴェルトールは、そこで息を呑んだ。


「……え?」


そこには、シエナとイヴリスを囲むようにして、見知った顔がずらりと並んでいたのだ。



「お、やっと出て来たな!この大事な日にも寝坊とは、相変わらずのねぼすけだ!」

ハンスが呆れたように、けれど目元を少し赤くしながら笑いかける。


それを皮切りに、歓声のような呼びかけがどっと沸き起こった。


「ヴェル!シエナちゃん!達者でな!村のことは全部俺たちに任せておけ!」

ブランおじさんが太い腕を振り上げ、一番大きな声で叫ぶ。


「そうだよ!シエナちゃんをしっかり守るんだよ!怪我させたら承知しないからね!」

「ヴェルトールぅ……本当に寂しくなるよぉ……うっ、うっ……」

「ヴェルがいなくなったら、俺、誰と剣の稽古すればいいんだよぉ!」


なんと、村人たちが総出で見送りに集まっていたのだ。

誰もがこの旅の「本当の理由」を察しているはずなのに、誰一人として暗い顔は見せない。

元気よく手を振る者、堪えきれずに涙する者、寂しそうに笑う者……。

皆、口々に温かい別れの言葉を二人に投げかけた。



「みんな……」

視界が急速に滲んでいく。集まった村人たちの笑顔が、涙で揺らいで見えなくなる。

ヴェルトールは溢れ出しそうな嗚咽を必死に噛み殺し、震える声で叫んだ。


「みんな……っ!迷惑かけて、ごめん!今まで、本当にありがとう!こんな形になっちゃったけど……俺、行ってくるよ!!」


言葉にするたび、堪えきれなくなった大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち、地面に吸い込まれていく。

拭っても拭っても止まらない。だけど、最後だけは伝えなければならない。


「……でも、もし……もしもいつか、胸を張って帰って来られた時は……!」


彼は一度言葉を詰まらせ、くしゃくしゃになった顔で、ありったけの願いを込めて叫んだ。


「その時はまた……俺たちを、みんなの『家族』として迎えてやってください!!」


叫ぶように告げると、彼は深く、深く頭を下げた。

それは、育ててくれた故郷への、最大限の感謝と愛の証だった。




ヴェルトールが深く頭を下げたまま、嗚咽で動けずにいると、その震える肩に、ポンと優しく大きな手が置かれた。


「……何を言っておる」

村長が、諭すように静かに告げる。

「お前達がどこにいようとも、わしらは変わらず『家族』じゃ……。そんな寂しいことを言うな」


「村長……」


その言葉を皮切りに、周囲からも温かい怒号が飛んだ。


「そうだぞ、ヴェル!水臭いこと言うな!」

「泣くんじゃない!俺たちはいつだってお前らの味方だ!」

「達者でなー! 絶対帰って来いよー!」


涙ぐみながら口々に叫ぶ、愛すべき家族たち。その声援が、ヴェルトールに前を向く力をくれた。


彼は袖で乱暴に涙を拭うと、真っ赤になった目で顔を上げる。


「みんな……!本当に、ありがとう!行ってきます!!」


彼は叫ぶように告げると、意を決して踵を返し、もう二度と振り返らずに歩き出した。

振り返れば、決意が鈍る気がしたからだ。


「いってきまーす!行ってくるねー!」


その代わりとばかりに、シエナが何度も何度も後ろを振り返り、ちぎれんばかりに手を振っている。


遠ざかる村人たちの優しい声と、力強く振られる無数の手が、いつまでも二人の背中を温かく押し続けていた……。




村人たちの声援を背に受け、ようやく涙を止めたヴェルトール。

彼はふと、隣にいるはずの銀髪の少女の姿がないことに気がついた。


「……そういえば、イヴリスはどうしたんだ?」

涙目のまま周囲を見回しながら問いかける。


「村の外で待ってるって!」

シエナが進行方向を指差し、元気よく答えた。




村を出ると、すぐそこでイヴリスが待っていた。


「……別れは、済んだのか?」

彼女は短く尋ねる。


「うん、待たせたみたいで悪かったな…」

目を赤くしたままのヴェルトールを見て、イヴリスは静かに言った。


「構わぬ。……別れとは、往々にして辛いものだ。時を共にする程に、な……」


彼女の視線が、彼の背中越しに、遠くの森――あるいは、遥か彼方の記憶へと向けられる。

その横顔は、言葉にしがたい寂しさと、深い慈しみに満ちていた。


「……じゃが、これが今生の別れとも限らぬ。今は前を見て進むがよい」




「……なんだ?励ましてくれるのか?」

ヴェルトールは驚きと同時に少し笑った。邪竜の不器用な優しさが、今は何よりも頼もしい。


「たわけ!さっさと行くぞ!」

そう言って、彼女は逃げるようにずんずんと前を歩き出した。その銀髪の隙間から覗く耳は、心なしか赤く染まっているように見える。



「イヴちゃんってね、実はとーっても優しいんだよ。昨日お兄ちゃんがいないときも…」

シエナはヴェルトールにこっそりと耳打ちしようと身を寄せた。


「シエナ!余計な事は言わんでよい!」

前方を歩いていたはずのイヴリスが、振り返りもせずに叫んだ。顔は見えないが、その声から顔が赤くなっているのが想像できる。

シエナは「てへっ」と悪戯っぽく舌を出しておどけてみせる。ヴェルトールも釣られて声を上げて笑った。


「ははは!こりゃあ、退屈しない旅になりそうだな!」


澄み渡る青空の下。騒がしくも温かい三人の笑い声は、どこまでも続く道の彼方へと響いていった。

「滅びの竜と祈りの唄」をお読みいただき、ありがとうございます!


今回の「旅立ち」というタイトルにあるように、いよいよ物語が新しいステージへ向かいます。

村人たちとの別れを経て、これからどんな旅が始まるのか…。

三人で歩み出したこの旅路を、ぜひこれからも楽しんでいただけたら嬉しいです!

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