第六話:代償 -The Depletion-
戦いの熱が引き、森に静寂が戻った頃……。
イヴリスは石碑の上で足をぶらつかせながら、ふと思い出したように口を開いた。
「さて、これでおぬしは我の力を得た訳じゃが……」
彼女は言葉を切り、小首を傾けてヴェルトールを見つめる。
真紅の瞳には、純粋な疑問が浮かんでいた。
「……して、おぬし。そもそもこんな辺鄙な地に、何をしに来たのじゃったか?」
「……は?」
ヴェルトールはカクンと膝を折った。
「……そうだ!感動してる場合じゃない!こんなところでのんびりしてられないんだよ!村を何とかしなきゃいけないんだ!」
力の余韻もそこそこに、彼は慌てて本題を喚き散らす。
シエナの顔が脳裏をよぎり、焦りが再燃した。
「おぉ、そういえば先程、泣きつきながらそんな事を言うておったな」
イヴリスはやれやれと肩をすくめ、他人事のように頷く。
「しかし『大変な事』では要領を得ぬ。具体的に申せ」
ヴェルトールは身振り手振りを交え、村で起きている惨状を早口でまくし立てた。
井戸から汚泥が溢れ出したこと、動物たちが狂ったように暴れていること、そして不気味な地鳴りが止まないこと……。
「ふむ、なるほど……。『マナの暴走』か」
イヴリスは顎に華奢な手を当て、さも納得したように頷いた。
「俺が強くなったからって、勝手に井戸が直ったり、マナの暴走が止まるわけじゃないんだ!」
ヴェルトールは焦燥に駆られ、彼女の元へ詰め寄ろうと勢いよく地面を蹴った。
「お前なら、この状況をなんとかできるの――」
ガクンッ。
「――え?」
一歩踏み出した瞬間、唐突に膝の力が抜けた。
視界がぐらりと傾き、世界が回る。
「う、わっ……!?」
手足に力が入らない。鉛のように重い。
「な、なんだ……?」
「くっ、体に力が……入らない!」
立ち上がろうとしたヴェルトールの膝が、ガクガクと笑う。
そのまま体を支えきれずに、彼はドサリと地面へ無様に転がってしまった。
「当然じゃ。我の力を、何の『代償』もなく使えるとでも思うておったのか?」
彼を見下ろし、イヴリスは心外だと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「代償って……そんなの聞いてないぞ!」
逸る気持ちとは裏腹に、鉛のように動かない体。
ヴェルトールの語気が焦りで荒くなる。
だが、イヴリスは涼しい顔で、さらりと言ってのけた。
「言っておらぬからな」
「……っ」
まったく悪びれる様子がない。「聞かれなかったから言わなかっただけだ」という、あまりに堂々とした態度。
「そ、そういうのは普通、先に言うもんだろ!?……で、代償ってなんなんだよ?」
少し冷静さを取り戻し、そう問いかけるヴェルトールに彼女はため息をついて答えた。
「はぁ……いいか、よく聞け?」
イヴリスが細い人差し指をピンと立てた。
どこか、これから始まる講釈を楽しんでいるような空気が漂う。
「我の操る力は『冥』と呼ばれるもの。一応魔法の一部に属するが、その実"似て非なる"ものじゃ」
「似て非なる……?」
ヴェルトールが首を傾げると、彼女は目を輝かせ、饒舌に言葉を紡ぐ。
「契約により、我を通して、おぬしにもこの力が備わった。"似て非なる"と言うのは、冥の力は魔力ではなく生命力を使ってマナに呼応させるからじゃ。そして、生命力というのは魔力とは比べ物にならぬくらい濃く、重く、密度のある力じゃ」
イヴリスは彼の胸元――心臓のあたりを指差し、得意げに胸を張った。
「故に、おぬしの様なひよっこでも、先程の戦いで見せた力が生まれるのじゃ」
「な、なるほど……?」
「じゃが……ッ!」
「うおっ!?」
突然、イヴリスが顔をずいっと近づけてきた。
鼻先が触れそうな距離。真紅の瞳が目の前で輝き、ヴェルトールは思わずのけぞってタジタジになる。
「生命力も魔力と同じで、無尽蔵という訳にはいかぬ」
彼女は人差し指を立ててチッチッ、と振ると、得意げに講義を続けた。
「先に言った通り、『冥』の力は生命力を使う……つまり消費するという事じゃ。魔導士が魔力を消費して魔法を放つのと原理は似ておる」
「せ、生命力を消費する……?」
その不吉な響きに、彼の顔が引きつる。
生徒の不安がる様子を見て満足したのか、イヴリスはニッと笑ってフォローを入れた。
「まぁ、そう青ざめるでない。生命力を消費すると言っても、別に魂や寿命を食らう『禁呪』という訳ではないからの」
「ほ、本当か……?」
「うむ。詳細な理屈を話すと長くなる故省くが……簡単に言えば、『魔力の何倍もの力があるが、魔力の何倍も疲れる』というだけの話じゃ」
一通りの講義が終わり、彼女はスッと身を引くと、ふふんと鼻を鳴らして胸を張った。
「なるほど……。つまり、あの力を使えば使うほど、後でデカい反動が来るってことだな?」
ヴェルトールは自分の中で噛み砕いた内容を、確認するように伝えた。
「うむ。なかなか飲み込みが早くて助かる」
イヴリスは感心したように頷くが、すぐにその表情をスッと引き締めた。
「しかし、ゆめゆめ油断はするな。『冥』の力そのものが呪いのように生命を喰らう事はないと言ったが……魔力と同じく、限界を超えて行使すれば、当然ながら生命の保証はないぞ」
彼女はヴェルトールの胸元を指差し、釘を刺すように付け足した。
「水瓶の水が尽きれば人は乾いて死ぬ。それと同じ事。力の源である生命力を使い果たせば、待っているのは『死』のみじゃ」
「……っ」
「……先程のおぬしは、その一歩手前じゃったという事。心するがよい」
「あ、あぁ……気をつけるよ……」
さらりと言われた恐ろしい事実に、ヴェルトールはゴクリと唾を飲み込み、引きつった笑いで頷くしかなかった。
「おぉ、そうじゃ……あとな」
自分の手のひらを見つめ、力の代償について反芻していたヴェルトールに、彼女が声をかけた。
「え、まだ何かあるのか?」
「うむ」
イヴリスは短く答えると、不意に視線を彼から外し、虚空を――あるいはこの森に充満する見えない『何か』を観察するように、ゆっくりと辺りを見回した。
先ほどまでの得意げな色は消え、その横顔は冷徹な「竜」のものに戻っている。
「おぬしの言うておった、村の異変とやらについてじゃが……」
重々しい声音。
ゴクリ。
張り詰めた空気に、ヴェルトールは思わず生唾を飲み込んだ。
嫌な予感がする。
彼女のその真剣な眼差しは、事態がそう単純ではないことを物語っていた。
「……もう、大丈夫じゃ!」
深刻な表情から一転。
イヴリスはパァッと花が咲いたような、弾ける笑顔で言い放った。
「……は?」
あまりの落差に、ヴェルトールの思考が停止する。
「だ、大丈夫って……どういうことだ?」
「うむ。まぁ、アレじゃ。何故かは知らぬが、ここ数日で我の封印に些細な『綻び』が生じておった様でな。そこから我の力が漏れ出し、周囲のマナを刺激して暴走させておった……というのが事の真相じゃな」
「…………」
イヴリスは「てへっ」とでも言い出しそうな軽い口調で、とんでもない事実を告げる。
「で、今しがた周辺のマナを観察してみたが、既に急速に安定し始めておる。元凶である『漏れ』がなくなったからじゃな」
「つまり……?」
「つまり!封印を解いたことで原因がなくなった訳じゃ。実質、おぬしがマナを鎮めた様なものじゃな!あっぱれあっぱれ!」
「ぐふっ、痛っ、え……?」
イヴリスは「はっはっは!」と豪快に笑いながら、ヴェルトールの背中をバシバシと力強く叩く。
彼の脳内で、全ての点と点が繋がった。
封印の綻び。漏れ出た力。マナの暴走。 つまり、全ての原因は――。
一瞬の沈黙が、その場を支配する。
「…………」「…………」
チチチ、と小鳥のさえずりだけが空しく響いた。
「――って、じゃあ全部お前のせいじゃないかぁぁぁぁ!!!」
ヴェルトールは頭を抱え、安堵と驚き、そして脱力感が入り混じったなんとも言えない表情で絶叫した。
「人聞きの悪い事を言うでない。これは我だけの問題ではないぞ?」
「はぁ?……どういう意味だよ?」
「よいか?我は数千年もの間、この地に封じられておった。その永劫とも言える時の間、封印に綻びが生じた事など一度たりともなかったのじゃ」
彼女は空を見上げ、遠い何かを見るように目を細める。
「綻びが生じた理由は、我にも皆目見当がつかぬ。じゃが……『何もしていないのに封印が緩んだ』という事実が意味する事は一つ」
「……?」
「この世界全体に、何やらよからぬ歪み……何かが起きようとしているのやもしれぬな」
そう呟く彼女の横顔に、一瞬だけ影が差した。
それはどこか深く、悲しげな表情に見えた。
「…………」
ヴェルトールは気づいていた。
彼女の横顔に一瞬だけよぎった、数千年の時を超える深い憂いに。
だが、彼はあえてそこには触れなかった。今はまだ、聞くべき時ではないと思ったからだ。
彼は努めて明るい声で、話題を「今」へと引き戻す。
「そっか………。じゃあシエナは、村はもう大丈夫ってことでいいんだな?」
「うむ。そういう事になるな」
「だったら、今はそれでよしとするよ!」
その言葉と共に、張り詰めていた糸がプツリと切れた。
ヴェルトールは、朝露に濡れた草むらの上に大の字になって寝転がった。
「あー、よかったぁ!」
彼は空に向かってニッと白い歯を見せ、心底からの安堵を吐き出した。
そのあまりに屈託のない笑顔は、彼女が抱いた微かな憂いすらも吹き飛ばしてしまったようだ。
「ふん、お気楽な奴じゃ……」
イヴリスは呆れたように悪態をつく。
だが、その瞳は優しく細められ、口元からは隠しきれない笑みがこぼれていた。
「……それにしても、不思議だよな」
流れる雲を目で追いながら、ヴェルトールがぽつりと口を開いた。
「イヴリスって、世界を滅ぼす『邪竜』なんだろ?なんであの時……俺なんかを助けてくれたんだ?」
寝転がったまま首だけ動かし、隣の少女に視線を向ける。
邪悪な竜ならば、人間など見殺しにするか、あるいは利用するだけのはずだ。
「それは……」
イヴリスは言葉に詰まり、視線を泳がせた。
だが、すぐに何かを振り払うように早口でまくし立てる。
「た、単なる気まぐれじゃ!おぬしがあまりにボロボロで、見るに堪えぬほど哀れじゃったから、ついつい情けをかけてやったに過ぎん!」
そう言い捨てると、彼女はふいっと顔を背け、ヴェルトールとは反対の方向へバタリと背中を向けて寝転がってしまった。
(……嘘ではない。じゃが――)
背を向けたまま、イヴリスは真紅の瞳を細める。
(確かに……あの時こやつが現れた瞬間、何故か『助けねばならぬ』と……魂の奥底から何かが我を突き動かした)
それは理屈ではない、強烈な本能だった。
(何故あのような気持ちになったのか、我にも分からぬ……。永き封印の影響で、思考までおかしくなってしもうたのか?未だ記憶もはっきりとはせぬし……)
彼女は自分の手のひらをじっと見つめ、握りしめる。
(じゃが……こやつを利用し、力を完全に取り戻した暁には、何か思い出せるはずじゃ。……今はそれでよい)
風が止み、しばらくの心地よい沈黙が二人を包んだ。
「♪Eryvel'thar maluna...」
不意に、イヴリスが小さな声で口ずさんだ。
その透き通るような旋律は、風に乗って優しく、そしてどこか哀愁を帯びて森に溶けていく。
「その歌……」
ヴェルトールはハッとして横を見る。
間違いない。それは泥の中で死にかけていた自分の意識を繋ぎ止めてくれた、あの不思議な歌声そのものだった。
「……遥か昔。まだ神々が地上を歩いていた程の太古の時代に、ある『人間の幼き娘』に教わった歌じゃ」
イヴリスは歌うのを止め、空に手を伸ばして何かを掴もうとする仕草を見せる。
けれど、その指は空しく空を切った。
「……まぁ、肝心の娘の顔も、声すらも、もう覚えてはおらぬがな」
彼女は自嘲気味に笑う。
その横顔は、滅びの竜とは思えないほど儚く、寂しげだった。
「そっか……。そんなに大昔にも、人と交流することがあったんだな」
ヴェルトールは頭の後ろで手を組み、意外そうに呟いた。
破壊と恐怖の象徴である彼女が、誰かと歌を歌う姿。
それは想像がつかないようで、妙にしっくりくる光景にも思えた。
「勘違いするな。四六時中暴れ回っておったわけではない。……それくらいの気まぐれも、たまにはある」
イヴリスは少し不機嫌そうに、しかしどこか懐かしむように鼻を鳴らす。
「へぇ。でも、なんか良いよな、その歌。初めて聞いたはずなのに、どこか懐かしくて……こう、心がポカポカするっていうか」
ヴェルトールは素直な感想を口にした。
その言葉に、イヴリスの耳がわずかに赤らむ。
「ふん、もう終いじゃ!」
彼女は照れ隠しのように話を断ち切ると、ふぁぁ、と大きなあくびをした。
「……我は封印が解かれたばかりで疲れておる。おぬしも大概であろう。……とにかく、今は休め」
そう言い捨てると、彼女は強引に目を閉じてしまう。
「はは、そうだな。少し休んで……起きたら急いで村に帰って、みんなの無事を確かめないと!……じゃあ、おやすみ」
ヴェルトールも、隣で丸くなった小さな背中を穏やかな目で見守り、ゆっくりと瞼を閉じた。
「あぁ……」
昇り始めた朝日が、木々の隙間から二人を優しく照らし出す。
戦いの硝煙は消え、柔らかな土と草の匂いに包まれながら、二人は静かな眠りについた。




