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滅びの竜と祈りの唄  作者: 彩月鳴
真の貌 -The Variazione-

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第五十八話:穿つ銀光、届かぬ刃 -Silver Bloom, Iron Rust-

訓練場を飛び出し、王宮の前庭へと続く広大な中庭に駆けつけたヴェルトールたちが目にしたのは――既に地獄の様相を呈し始めた、乱戦の渦中だった。


「うおぉぉっ!撃ち落とせ!絶対にここを越えさせるな!!」

「上だ!ワイバーンのブレスが来るぞ!大盾を構えろッ!!」


怒号と絶叫、そして炎の爆ぜる音が入り乱れる。


かつて一点の曇りもなかった美しい白亜の城壁は、飛来する魔物の群れによって黒く汚され、無残に削り取られていた。



空を見上げれば、国境の門でも見た『鷹の獣人』たちを始めとする有翼の近衛兵たちが、空を埋め尽くすガーゴイルの群れと激しい空中戦を繰り広げている。

だが、多勢に無勢だ。


「キシャアアアアッ!!」


ガーゴイルが石の重みを持った鋭い鉤爪を振りかざし、衛兵に襲い掛かる。

衛兵の槍がガーゴイルの翼を貫くが――致命傷には至らない。

怯んだ隙を突き、別の個体が死角から衛兵の背中へと容赦なく食らいついた。


「ぐあぁぁぁッ!?」


肉を裂く不快な音と共に、鮮血の飛沫が空に舞う。

槍を手放した戦士の体が、抗う力も失い、重力に引かれて力なく石畳の地上へと墜落していく。


ドサァッ!!


鈍い落下の音が、ヴェルトールの鼓膜を容赦なく打ち据えた。



「……っ!クソッ、数が多すぎる……!」


彼はギリッと奥歯を噛み締めた。


地上では、屈強な熊や狼の獣人兵たちが強固な防衛線を敷いているが、敵の主力が「空を飛ぶ魔物」である以上、どうしても防戦一方にならざるを得ない。


ゴォォォォォッ!!


さらに追い打ちをかけるように、上空を悠然と旋回する巨大なワイバーンが、容赦なく灼熱の炎を吐き出した。

爆発的な熱波が衛兵たちの頭上を薙ぎ払い、前庭の美しい石畳をまたたく間に焦熱の火の海へと変えていく。



「……前衛の陣形が崩れかけている。このままでは城内への侵入を許すぞ」


レックスは一瞬で戦況を把握すると、前線へと飛び出していった。


「俺は地上の防衛網を立て直す!ヴェルトール、君も来てくれ!」


「はいっ!!」


返事と同時に地を蹴る。

ヴェルトールは剣を構え、レックスの頼もしい背中を追って、燃え盛る修羅場へと飛び込んでいった。





前庭の乱戦へと飛び込んでいった二人の背中を見送り、イヴリスは悠然と腕を組んで上空を見上げた。


「……ふむ。前線の雑兵どもはあやつらに任せておくとして」


彼女は傍らで魔導書を胸に抱きしめるラビへ、ニヤリと不敵な笑みを向けた。


「では、ここの『空』はそなたが受け持つとしようか。完成したばかりのその魔導書の力……増長した羽虫どもにとくと味わせてやるがよい」


「……は、はいっ!」


ラビは力強く頷くと、胸に抱いていた『ディグナ・ヴェラ』を、決意と共に開いた。

スゥッと深く息を吸い込み、意識を集中させる。

そして、己の内に眠る膨大な魔力を引き出した。



――その瞬間。

濡羽色の表紙が微かに脈打ち、羊皮紙に刻まれた群青の術式が眩い白銀の光を放ち始めた。


いつもなら暴走し、過剰に溢れ出す制御不能な魔力の奔流。

しかし今、白銀の糸で綴じられたその魔導書は、彼女の荒れ狂う力を優しく、そして強靭な器として受け止め、淀みなく『最適な形』へと編み上げていく。



「いきます……!」


ラビは空を舞う無数のガーゴイルを見据え、凛とした声で詠唱を紡いだ。


「スチール・ネクス!!」


刹那、魔導書から放たれた光が、空中に無数の鈍く光る「鉄の糸」を現出させた。


それは、かつての彼女が放っていたような、力任せで大雑把な破壊ではない。

空中に展開された強靭な糸は、ラビの指先に連動し、まるで意思を持った蛇のごとく縦横無尽に宙を駆け巡る。


「キシャァッ!?」


上空で近衛兵に襲い掛かろうとしていたガーゴイルたちが、突如現れた鉄の網に絡め取られる。

もがけばもがくほど、強靭な鉄糸は硬い石の皮膚に食い込み、あるいは鋭利な刃となってその翼を容赦なく斬り裂いた。

悲鳴を上げ、制空権を奪われた魔物たちが、羽をもがれた虫のように次々と地上へと墜落していく。



(すごい……!本当に、魔法が指先みたいに動く……!)


ラビは、これまでにない確かな手応えに胸を震わせた。

これほどの規模の魔法を展開し、なおかつ空中で複雑な操作を維持し続けているというのに、かつて彼女を苦しめていたあの絶望的な疲労感が、微塵もないのだ。


『ディグナ・ヴェラ』が完璧な「弁」となり、無駄な魔力の垂れ流しを完全に防いでいる。

身体は羽のように軽く、内なる泉から湧き出る魔力は、底を尽きるどころか消耗した気配すら見せなかった。



「油断するな、大物が来るぞ」


イヴリスの警告と同時だった。

上空で悠然と旋回していた一際巨大なワイバーンが、眼下のラビを最大の脅威と認識し、狙いを定めて一直線に急降下してきた。


その顎の奥では、全てを灰塵に帰す灼熱の炎が、チロチロと赤黒く漏れ出している。

鋼鉄の鱗を持つあの巨竜の突進力に対し、絡め取る鉄糸や、生半可な魔法は通じない。



「硬い鱗なら……一点集中で撃ち抜くっ!」


迫り来る死の威圧感にも、ラビはもう恐れなかった。

迷いなく新たな術式へと莫大な魔力を練り始めると、彼女の意思に呼応するように、魔導書の頁が凄まじい勢いで捲れていく。


「メタル・ペネトレイト!!」


魔導書の輝きが一極に収束し、彼女の頭上に巨大な「鋼鉄の杭」が生成された。

圧倒的な質量と魔力を帯びたそれは、さながら天を穿つための対空砲台。



ズドォォォォンッ!!!


大気が震え、空気を切り裂く轟音と共に、巨大な鋼鉄の杭が超高速で上空へと射出された。


「グオァッ!?」


放たれた絶対的な質量は、吐き出されたワイバーンのブレスを真っ向から粉砕し、そのまま自慢の鋼鉄の鱗を紙切れの如く易々と穿った。


悲鳴を上げる間すらない。

凄まじい衝撃波に巨体は空の彼方へと吹き飛ばされ、血の雨を降らせながら、城壁の遥か外へと墜落していく。



「……ふん。まぁまぁの威力じゃな」


イヴリスは上空の惨状を見上げ、満足げに鼻を鳴らした。


「さぁ、まだまだおるぞ!存分に暴れ回るがよい!」


「はいっ!!」


かつて魔力の少なさに苦しみ、「出来損ない」と罵られていた不器用な魔導士は、もうここにはいない。

濡羽色の魔導書を携え、空を見据えるその少女は今――王宮の空をたった一人で支配する、無敵の防衛砲台と化していた。






一方、空を支配し始めたラビたちとは対照的に。

血で血を洗う乱戦と化した王宮の前庭で、地上部隊の防衛線を死守するレックスとヴェルトールは、見えない壁――『絶対的な高度の差』という、近接戦闘者における最大の弱点に苦しめられていた。


「はぁッ!!」


鋭い呼気と共に、レックスの体が爆発的な力で宙を舞う。

魔力による『身体強化』を脚部に極限まで集中させ、ひび割れた石畳を粉々に蹴り砕いての強引な対空迎撃。

砲弾の如く跳ち上がった彼の両脚――そこに装備された鋼の脚甲が、重い唸りを上げて空気を裂いた。



ゴォッ!!


下段からすくい上げるような強烈な飛び蹴りが、滑空してきたガーゴイルの顎を的確に捉え、硬質な石の皮膚を頭蓋ごと易々と粉砕する。


「ギャアアッ!?」


頭部を砕かれ、回転しながら墜落していく魔物を尻目に、レックスは軽やかに着地し、すぐさま油断なく構えを取り直した。

だが、その息は既に少し荒い。


いつもなら瞬く間に敵陣を蹂躙する彼だが、今回ばかりは勝手が違った。

地上にいながら空中の敵を蹴り落とすには、今のように自らも跳躍するか、あるいは敵が降下してくる一瞬の隙を突くしかない。

一度空へ逃げられれば追撃は不可能であり、何より――渾身の跳躍による「着地の瞬間」は、どうしても致命的な隙を生んでしまうのだ。



「チッ……やはり、空を飛ぶ相手に立ち回るのは骨が折れるな……!」


額に汗を滲ませながら、レックスは鋭い眼光で上空の群れを睨みつけた。

いかに彼が超人的な身体能力と達人の技を持っていようと、空を飛べない以上、この対空戦で「無双」することは不可能なのだ。




そして、歴戦のレックスでさえ手を焼くこの状況下において、実戦経験で劣るヴェルトールは、さらに過酷な状況に立たされていた。


「うおおおぉぉッ!」


急降下してくるガーゴイルの鉤爪を紙一重で躱し、ヴェルトールは渾身の力で下から剣を振り上げた。


ガギィィンッ!!


「クソッ……!硬いッ!」


手首が痺れるほどの硬質な衝撃。

刃は確かにガーゴイルの石のような皮膚を捉えたものの、浅い傷を刻み、火花を散らすに留まっている。

致命傷には程遠い。空中にいる相手には、どうしても踏み込みの体重が乗らず、威力が半減してしまうのだ。



「キシャアアアッ!」

「くっ!」


反動で体勢を崩したヴェルトールへ、怒り狂ったガーゴイルが間髪入れずに追撃の爪を振り下ろす。

彼は地面を転がるようにして回避するが、息をつく暇さえ与えられない。


(届かない……!間合いに入ってきた一瞬しか攻撃のチャンスがないのに、それじゃ威力が足りない!)


ヴェルトールは砂埃に塗れ、荒い息を吐きながらギリッと奥歯を噛み締めた。


上空を見上げれば、ラビの放つ鉄糸や鋼の杭が、次々と魔物を撃ち落としているのが見えた。

彼女の目覚ましい活躍に安堵する一方で、自らの手札の少なさが、ひどくもどかしく、そして情けなかった。


自分には、あの硬い装甲を強引に叩き割るレックスのような「規格外の脚力」も、遥か遠くの敵を射抜くラビのような「魔法」もない。



(このままじゃ、ジリ貧だ……!)


焦燥感が募る中、不意に彼の頭上をすっぽりと覆い隠すように、一際巨大な影が落ちた。


「グルルルァァァッ!!」


大気をビリビリと震わせる、獰猛な咆哮。

上空でのラビの苛烈な対空砲火を運良くすり抜けた一体の巨大な『ワイバーン』が、地上でガーゴイルに手こずっているヴェルトールを「手頃な獲物」と定め、殺意を剥き出しにして急降下してきたのだ。


「なっ……!?」



(躱せない……!)


圧倒的な質量と重力を伴って迫る、鋼鉄の鉤爪と灼熱の牙。

逃げ場はない。ヴェルトールがせめて相打ちにと、腹を括って剣を構え直した――その瞬間だった。


「――邪魔だ、人間の小僧ッ!!」


地鳴りのような怒声と共に、ヴェルトールの横から小山のような巨体が飛び出してきた。


「ガァアアアアアアッ!!」


獣の咆哮。

それは、謁見の間でフェリシア女王の側近として控えていた、あの『熊の獣人』の近衛兵だった。

彼はヴェルトールを庇うように前に割り込むと、太い両腕で構えた身の丈ほどもある巨大な戦斧を握りしめ――落下してくるワイバーンに向けて、渾身の力で下からカチ上げた。



ズガァァァァァンッ!!!


「ギィギャアアアアッ!?」


鋼の鱗と分厚い戦斧が激突し、爆発のような轟音が前庭に響き渡る。

ワイバーンの急降下を真っ向から受け止め、あろうことか『純粋な筋力だけ』で力負けせずに弾き返したのだ。


完全に体勢を崩された飛竜は、無様な悲鳴を上げて後方の石畳へと墜落し、ズザザザッと無残に地面を削りながら転がっていった。



「す、ごい……」


尻餅をついたヴェルトールは、目の前で振るわれた『圧倒的な暴力』と呼ぶべきパワーに息を呑むしかなかった。

鋼鉄のようなワイバーンの鱗。それが、今の戦斧の一撃で見事にひしゃげ、無残にひび割れているのだ。


「……おい、いつまでぼさっとしてやがる!」


熊の獣人が、肩を怒らせて息を吐きながら、ヴェルトールを鋭く睨み下ろした。

その顔には、明らかな『足手まとい』に対する苛立ちが浮かんでいた。


「あのトカゲの突進を正面から受け止める『力』もねぇなら、前線にしゃしゃり出てくんな!邪魔になるだけだ!」


「うっ……!」


図星を突かれ、ヴェルトールは言葉に詰まる。



彼の言う通りだった。

空を飛ぶ敵に届かず、大型の魔物の装甲を砕くこともできない、今の自分の中途半端な攻撃力。

これでは決定打を与えられないどころか、防衛の陣形を乱し、味方を危険に晒す致命的な要因にしかならない。


「まともに戦えねぇなら、後ろにすっこんで怪我人の手当てでもしてなッ!」


熊の獣人は吐き捨てるように怒鳴ると、再び血濡れた戦斧を肩に担ぎ直し、墜落してなお暴れ狂うワイバーンにトドメを刺すべく、ドスドスと地響きを立てて突進していった。


「オラァッ!大人しくくたばれ、トカゲ野郎ッ!」


鼓膜を揺らす猛将の怒号と、硬い鱗を叩き割る激しい金属音が、再び戦場に響き始める。




「…………ッ」


ヴェルトールは強く唇を噛み締め、悔しさに震える足で立ち上がった。

何も言い返せない。事実、自分は足手まといだった。

その決定的な無力さが、何よりも己自身に対して腹立たしかった。


視線を上げれば、ラビが圧倒的な魔法で空を制圧し、前線ではレックスが超人的な体術で防衛線を死守しているというのに。

自分は彼らと肩を並べるどころか、その背中を追うことすらできていない。



「……クソッ……!」


剣を握る手に、力が込もる。

イヴリスの力がなければ、自分はこれほどまでに何もできないのか。



だが――つまらない意地を張って突撃し、さらに味方の足を引っ張るほど、彼は子供ではなかった。

あの熊の獣人が吐き捨てた通り、今の自分にできる「最善」を尽くすしかない。


ヴェルトールは冷静さを取り戻し、周囲を見渡した。

怒号と悲鳴が飛び交う前庭のあちこちには、ガーゴイルの鋭い爪に引き裂かれ、あるいはワイバーンの灼熱のブレスに焼かれ、血を流して倒れ伏している衛兵たちの姿があった。



「……手当て、か」


彼は一度きつく目を閉じ、そして――意を決したように、己の半身とも言える剣を鞘に納めた。


それは決して戦いを放棄したわけではない。次の一手へ繋ぐための、戦士としての退伏だ。

彼はすぐさま踵を返し、一番近くで脇腹を押さえてうずくまっている若い兵士の元へと駆け出した。


「しっかりしてください!肩を貸します、立てますか!?」


「あ、あぁ……すまない、助かる……っ」


今はまだ、自分が前に出る時ではない。

必ず来るはずのその「時」まで、この地獄のような惨状の中で必死に泥を啜り、仲間たちを支え抜くのだと、ヴェルトールは己の心に強く言い聞かせた。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。


活動報告の通り、本作品の執筆はしばらくお休みいたします。

ですが、この作品は私の処女作であり、非常に思い入れの強い作品です。

必ずヴェルトールたちの冒険を描き切り、完結させたいと思っていますので、再開の際は、ぜひお読みいただけると嬉しいです。

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