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滅びの竜と祈りの唄  作者: 彩月鳴
真の貌 -The Variazione-

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第五十七話:不穏な空 -The Ominous Murmur-

――聖都・中央大聖堂。


大陸全土に信徒を持つ『ベガノス教会』の総本山。

白亜の巨石で築き上げられたその都は、神の威光を具現化したかのように、一点の曇りもなく清廉潔白に輝いていた。

高い尖塔の空には、天使の歌声のような賛美歌が響き渡り、巡礼者たちの祈りが絶えない、まさに地上の楽園。


だが。 その煌びやかな大聖堂の、遥か地下深く。

神の光など微塵も届かぬ場所に広がる「審問の間」は、地上の清浄さとは対極にある、冷たく淀んだ死の空気に支配されていた。




「……要約しよう」


闇に沈む広間の最奥。

祭壇のように一段高く設えられた上座から、深紅の法衣を纏った枢機卿が、感情の一切を廃した声で問うた。

その声は静かだが、石造りの壁に反響し、鉛のように重くのしかかる。


「貴様は精鋭たる『聖律騎士』二名を伴いながら、辺境の冒険者風情に後れを取り……あまつさえ、『黒の森の封印が解かれた』などという世迷い言を吐いて、尻尾を巻いて逃げ帰ってきた。……そう申すのだな?」



視線の先。

かつてポルナの街でヴェルトールたちを断罪しようとし、無様に敗走したあの神官が、氷のように冷たい石床に額を擦り付け、ガタガタと小刻みに震えていた。


「ち、違いますッ!め、滅相もございませんッ!世迷い言などでは……決して!!」


神官は顔を上げ、必死に弁明する。

かつての傲慢さは見る影もなく、その顔は死への恐怖で歪み、脂汗で濡れていた。


「あ、あの青年が放ったドス黒い波動……あれは間違いなく、人ならざる邪悪な力でした!あのような怪物が野放しにされているなど……!!」


彼は泡を飛ばして絶叫し、すがるように両手を組んだ。


「私は……私はこの未曾有の危機を、一刻も早く本部に知らせるために……あえて恥を忍んで帰還したのです!!全ては、教会の正義のために!!」


その醜い弁明の声だけが、ガランとした石造りの広間に虚しく反響し、やがて冷たい静寂へと吸い込まれていった。


「…………」


枢機卿は、ピクリとも眉を動かさない。

ただ、ゴミを見るような冷徹な瞳で、必死に許しを請う神官を見下ろしているだけだ。

弁解の余地など、最初から与えられていないかのように。




「……ふん」


枢機卿は、その弁明に興味なさげに鼻を鳴らすと、手元の羊皮紙に視線を落としたまま、羽ペンを走らせながら言った。


「……まぁ、よい。その報告が真実か否か……。それは『異端審問局』が判断することだ」


「え……?」


その単語が出た瞬間、神官の表情が凍りつき、心臓が早鐘を打った。



『異端審問局』。それは教会内部の裏切り者や、教義に反する者を「矯正」するための機関。

表向きは「悔い改める場」とされるが、一度そこへ送られれば、まともな精神で、もしくは二度と戻ってきた者はいないとされる、生きた地獄。



「貴様には、信仰が足りておらぬようだ。聖律騎士を見殺しにし、敵前逃亡を図った大罪……。その魂に刻まれた穢れと怯えを、たっぷりと『再教育』して洗い流してもらう必要がある」


枢機卿がパチンと指を鳴らすと、部屋の闇が揺らぎ、無表情な仮面をつけた数人の男たちが音もなく現れた。

彼らは神官の両脇を抱え上げると、ゴミの詰まった麻袋のように乱暴に引きずり始める。



「ま、待ってください!私は!私は神のためにッ!!あの悪魔どもを断罪するために!!」


「連れていけ。……次に貴様が外の光を見る時は、『真に敬虔な下僕』に生まれ変わった時だ」


「嫌だ……嫌だぁぁぁぁッ!!やめろぉぉぉ!!お許しを!お許しをぉぉぉぉぉッ!!枢機卿猊下ァァァァッ!!!」


断末魔のような絶叫が、奈落へと続く重い鉄扉の向こうへと引きずられていく。

やがて、ゴゥン……という、棺の蓋を閉じるような重い音が響き、広間には再び冷徹な静寂だけが残された。




「……愚か者めが」


静まり返った広間で、枢機卿は深いため息をついた。

神官の悲鳴は、もう聞こえない。


「だが、『封印が解かれた』、か……」


彼は指先で机をコツ、コツと叩き、思考を巡らせる。

その音が広間の静寂に吸い込まれるのを見計らい、彼は背後の深い闇に向かって問いかけた。


「……『閃剣』よ。教会最強の矛――『六華神剣(りっかしんけん)』の一角として、今の報告をどう見る?」



「……ふふっ。あながち、嘘とも思えませんねぇ」


闇の奥から、鈴を転がすような、しかし聞く者の背筋が凍るほど甘ったるい声が響いた。


ゆらりと。

影の中から姿を現したのは、場違いなほど美しい、純白の修道服に身を包んだ優男風の青年だった。

整った顔立ちには、陶器の人形のように完璧で、それゆえに不気味な「穏やかな微笑み」が張り付いている。


その腰には、神の教えを守るための十字架ではなく――人を殺めるための、二振りの細身の剣が()かれていた。



「グリモ村から定期的に来ていた連絡が、ある頃を境に途絶えました。……加えて、かの『黒の森』周辺で奇妙なマナの揺らぎが観測されたという報告もあります」


青年は楽しそうにクスクスと笑い、音もなく――正に、衣擦れの音一つ立てずに枢機卿の側へと滑るように歩み寄る。


「……あの神官の報告通り『封印』が解かれたのであれば、村全体が既に闇に呑まれている可能性もありますね」



枢機卿は苦々しげに舌打ちをし、青年――教会の武力の頂点に君臨する『六華神剣』の一人を見上げた。 彼は冷酷に、そして事務的に命令を下す。


「ならば行け、『閃剣』よ。……異端の芽は、早い内に摘み取らねばならん。神の威光を汚す者が潜んでいるなら、草の根一本残さず焼き尽くしてこい」


「御意。……迷える哀れな子羊たちに、安らかなる()()を」


青年は、白く細い手を胸に当て、恭しく一礼する。



次の瞬間だった。

枢機卿が瞬きをした、その一瞬の闇。


――フッ。


再び瞼が開かれた時、そこにはもう誰もいなかった。

扉が開いた形跡すらない。

まるで陽炎のように、あるいは最初からそこにいなかったかのように、青年の姿は掻き消えていた。


ただ、彼が立っていた場所に、微かな甘い残り香だけが漂っている。



「……フン。相変わらず、気味の悪い男よ」


枢機卿は不快そうに鼻をつまんで顔をしかめると、何事もなかったかのように再び執務へと戻った。






一方、ガラルドルフ王宮・第四訓練場。


ヴェルトールは、ラビとイヴリスの教えを実践するため、彼女たちの稽古場から少し離れた場所で、一人「立ち瞑想」に励んでいた。


「…………」


全身の力を抜き、腕をだらりと下げる。

視覚を遮断するために目を閉じ、ただ皮膚の感覚だけを鋭敏にする。

彼は今、見えない「湯船」に浸かろうと、全神経を研ぎ澄ませていた。



(ヴェルくん、ちゃんと感じ取れてるかな……?)


一方、魔力操作の稽古をしていたラビは、チラチラと横目で彼の様子を窺っていた。


(……難しいって言ってたし、焦ってないといいけど。心配だなぁ……)


自分の課題そっちのけで、親鳥のような心境で見守っていた――その時だった。


ポカッ!


「あいたっ!?」


ラビの脳天に、硬質で容赦のない衝撃が走る。

彼女は涙目で頭を抑え、恐る恐る振り返った。



「……何をよそ見しておる。集中力が散漫になっておるぞ」


そこにはイヴリスが立っていた。

彼女は繰り出した手を引っ込め、呆れたように腕を組んでラビを睨み下ろした。


「他人の心配をする前に、自分の稽古に集中せい。……百年早いわ」



「だってぇ……気になるじゃないですかぁ……」


ラビはジンジンする頭をさすりながら、口を尖らせて抗議する。

ヴェルトールは魔法に関しては完全な素人だ。

置いてけぼりになっていないか、不安になるのは当然だった。


「ふん。……あやつは普段、察しも悪いし抜けておるところもあるが、あれでいて感覚だけは鋭い。一度コツを掴めば、そう時間がかけずともマナの感知は会得できよう」


イヴリスは、石像のように微動だにせず瞑想を続けるヴェルトールの背中に、一瞬だけ鋭く、しかし期待を含んだ視線を流した。


「……故に、そなたが心配する必要なぞない」


彼女はそう締めくくると、「続きじゃ」とばかりにドカッとラビの前に座り直した。



「ふふっ。……褒めてるんだか、けなしてるんだか……」


その素直じゃない態度に、ラビはクスりと笑みをこぼす。

先生も、ちゃんと彼の才能を認めているのだ。


「わかりました!私も負けてられませんね!」

ラビはパンと自分の頬を叩いて気合いを入れ直すと、再び魔導書へと向き合い、繊細な魔力操作の稽古を再開した。




それからしばらくすると、不意にヴェルトールがピクリと動いた。


(っ!これだ……!風が止まっているのに、肌を撫でるようなざわめき。まるで水中にいるような、全身を包み込む微かな「圧力」)


(これが……マナ……)


彼はゆっくりと瞳を開き、そこに「在る」力を確信し、満足げな表情を浮かべる。

確かに今、誰の力も借りずマナの感知を成功させたのだ。



嬉しさのあまり、ヴェルトールが弾かれたように彼女たちに駆け寄る。


「なんとなくだけど、わかったよ!マナの感知!」


彼は興奮で頬を紅潮させ、両手を広げ、喜びを露わにして言った。


「ほぅ……遂に成したか」


イヴリスはニヤリと笑みを浮かべる。


「よかった……!きっとできるって信じてたよ、おめでとう、ヴェルくん!」


ラビは胸を撫でおろし、満面の笑みで祝福した。


「あぁ!二人のアドバイスがあったからこそだ!本当にありがとう!!」


ヴェルトールは勢いよく頭を下げた。

魔法は遠い存在だと思っていた彼にとって、これは人生を大きく変える一歩だった。



「これでもう魔法が使えるかな!?」


彼はワクワクした様子で尋ねる。


「たわけが……当然、無理に決まっておろう」


イヴリスが冷ややかに一蹴する。


「え……なんで!?」


ヴェルトールはその態度に愕然とする。



「はぁ……よいか?結論から言えば、確かに後は魔力の練り方さえ理解すれば魔法は使える。が、おぬしはまだ、意識を集中せねばマナを感知する事ができぬ」


イヴリスはやれやれといった態度で続ける。


「例えば戦闘中、敵が剣を振り上げておる目の前で、のんびり感知をする暇があると思うか? 『マナはどこだ』などと悠長に瞑想しておったら、その瞬間に首が飛んで終わりじゃ」


「うっ……」


自分の首を思わず押さえ、ヴェルトールは言葉を失った。


「つまり、自然体でも瞬時に感知できる様になるまでは、実戦ではまだ使えぬという事じゃ。精進するがよい」




「……おや。何やら騒がしいと思ったら、順調そうだな」


そこへ、別の場所で素振りをしていたレックスが、汗を拭いながら歩いてきた。

全身から立ち昇る湯気が、彼もまた相当な修練を積んでいたことを物語っている。


「あ、レックスさん!ちょうどいいところに!」


ヴェルトールはハッとして振り返ると、救世主を見つけたかのように彼に泣きついた。



「俺もマナの感知を少しできるようになったんですけど……まだ深く集中しないと上手くできなくて……」


彼は言葉を続けながら、チラリとレックスの脚を見やった。

そして、ズズイッと距離を詰める。


「レックスさんはどうやって自然体で感知ができるようになったんですか?何か特別なコツがあるなら教えて下さい!」


「お、おい……顔が近い……」


あまりの勢いと熱量に、レックスがたじろぎ、のけ反るほどだった。




「……残念だが、君が期待するような『コツ』や『裏技』なんてものはないよ」


レックスは、縋るようなヴェルトールの視線を真っ向から受け止め、無慈悲な現実を突きつけた。


「俺たちのような魔法の素養が薄い者は、来る日も来る日も、腐らずに繰り返し体に覚え込ませるしかない。……そうすれば、いつか呼吸をするように、自ずと会得できるようになるものだ」


「う……。やっぱりそういうものなんですね……」


ヴェルトールは顔を引きつらせ、絶望したように天を仰いだ。


魔法という未知の力なら、何か劇的な近道があるのではないかと期待していたのだが、結局は剣の素振りと同じ「反復練習」に行き着くらしい。


「ふん。……たかが数時間の瞑想で達人の域に達せると思うてか?魔法の道を甘く見るなと言う事じゃ」


イヴリスは「甘いわ」とばかりに、呆れたように鼻を鳴らした。



「……まぁ、そう落ち込むな」


レックスは苦笑いしながら、目に見えて打ちひしがれているヴェルトールの肩を、ポンと力強く叩いた。


「君が今やっている地味な訓練は、決して無駄にはならない。……剣と同じさ。焦らず、土台となる基礎を固めることだ。それが一番の近道だよ」



「……そうですね」


ヴェルトールは、置かれた手の温かさと、その言葉の重みを噛み締めるように頷いた。


「近道なんてない。……剣と同じく、地道に頑張ります。いつか必ず、この感覚を俺だけの『武器』にしてみせますよ」


彼はパン!と両頬を強く叩き、気合いを入れ直して訓練を再開しようとした。



――その時だった。



カンカンカンカンカンッ!!!!!


王宮の外、城下町の広場の方角から、空気を引き裂くような、けたたましい金属音が鳴り響いた。


「……っ!?」


その場にいた全員の動きが、凍りついたように止まる。

ただの時報ではない。

呼吸を忘れさせるほどに切迫し、乱れ打たれるその音色は――火急の事態を告げる『警鐘』だ。



「……敵襲の合図だ!」


レックスの表情が一瞬にして険しくなり、鋭い眼光で空を見上げた。


「敵襲!?こんな王都のど真ん中で!?」


ヴェルトールが叫ぶと同時、上空から不快な羽ばたき音と、耳をつんざくような異様な咆哮が降り注いだ。


――ギャアアアアッ!!!

――キシャアアアアッ!!!


見上げれば、王都の青空を黒く塗り潰さんばかりの、無数の影。

太陽の光を遮り、地上に不吉な影を落とすそれらは、断じて鳥の群れなどではない。



「あれは……ガーゴイルか?……チッ、ワイバーンまで混ざっているようだな」


レックスが、上空の影を射抜くように睨みつける。


石のような皮膚に翼を持つ悪魔の尖兵『ガーゴイル』。

そして、鋼鉄の鱗と炎のブレスを吐く竜の眷属『ワイバーン』。

その群れが、雲霞(うんか)のごとく押し寄せていた。


カーツや国境の衛兵が口にしていた「魔物の大量発生」。

辺境で起きていたその災厄の波が、ついにこの堅牢なる王都の空すらも侵食し始めたのだ。



「嘘……!あ、あんなにたくさん……」


ラビが空を見上げ、震える声を漏らした。

美しい白亜の尖塔や城壁に、ガーゴイルの群れが次々と取り付き、鋭い爪で石材を削り取っていく。


ガリガリガリッ!バキキッ!!


不快な破壊音と共に、石礫(いしつぶて)が雨のように降り注ぐ。

遠くから、衛兵たちの怒号と悲鳴が風に乗って聞こえてきた。



「……どうやら、明確にこの王宮を標的にしているようじゃな」


イヴリスが、パニックに陥る周囲とは対照的に、冷静に戦況を分析する。


「――チッ!」


その言葉を聞くよりも早く。

レックスは短く舌打ちを一つ落とすと、疾風のごとく訓練場を後にした。

その背中からは、先ほどまでの温和な指導者の雰囲気は消え失せ、国を守る鬼神のごとき殺気が立ち昇っていた。



「……ッ!悠長に訓練している場合じゃない!……レックスさんに続こう!王都を守るんだッ!!」


ヴェルトールは弾かれたように剣を抜き、駆け出した。


(クソッ……!マナの感知も、まだ不十分だっていうのに……!)


彼は胸の内に一抹の不安と焦燥を抱きながらも、噴き上がる黒煙と悲鳴の渦中へ――修羅場と化した王宮の前庭へと飛び込んでいった。

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