第五十話:知識の対価 -The Value of Lore-
「あっはっはっは!!お腹痛い……!一日に二度も同じ光景を見るなんて!」
フェリシアは玉座の上で腹を抱え、涙を拭いながら笑い転げた。
「あなたたち、本当に最高ね!退屈しなくていいわ!」
「……いや。悪気はなかったんだ」
レックスは眉を下げ、バツが悪そうに頭を掻く。
「ただ……彼女が『王族』だと知れば、君たちが萎縮してしまうんじゃないかと思ってな。……特にラビ、君は気絶しかねないだろう?」
「そ、それはそうですけどぉ……!」
図星を突かれ、ラビは涙目で抗議する。
だがすぐに、アリスに対する数々の「無礼」を思い出し、顔を青くした。
「はぁ……。どうしよう……。帰ったら、アリスさんに謝らなきゃ……」
「あはは。大丈夫、大丈夫よ!」
落ち込むラビに、フェリシアは笑いかけ、優しく諭す。
「姉さんは、窮屈な王宮を出て、一人の『アリス』として生きることを選んだの。……だから、王族だからなんて理由で変に畏まったり謝られたりしたら、逆に姉さんが困ってしまうわ」
彼女は遠く離れた姉を想い、目を細める。
「今のまま……『家族』として接してあげて。それが、姉さんの一番の望みだから」
「……だったら、いいんですけど」
ラビは納得したようでいて、まだ疑念を捨てきれない。
彼女は眼鏡の奥から、ジト~っと湿度の高い疑いの眼差しをレックスに向けた。
「……レックスさん。もう、隠してることはないですよね……?」
「あ、あぁ。……もうないはずだ。……恐らく、多分、な」
視線を泳がせ、語尾を濁すレックス。
――まだ何かあるな……。
全員の心が一つになった瞬間だった。
「コ、コホン!あ、あぁそうだ!それより陛下に、『羊皮紙』のことも相談してみたらどうだ?」
そのいたたまれない空気から逃げるように、レックスは露骨に話題を変えた。
「羊皮紙?」
あまりに唐突な単語に、フェリシアがきょとんと首を傾げる。
「……確かに、そうですね。様々な事情をご存知の陛下なら、あるいは……」
ラビは気を取り直し、真剣な表情で向き直った。
「陛下。……少し、相談があります」
彼女はイヴリスと相談して決めた「魔導書」の計画と、その素材として高品質な羊皮紙が必要であること、しかし市場にはなく、あっても高価すぎて手が出ないことを、包み隠さず説明した。
「……ということで。羊皮紙を工面するための知恵を、お借りしたいんです」
「……ふむ。触媒……魔導書、ねぇ……」
全てを聞き終えたフェリシアは、興味深そうに頷き、顎に手を当てて考え込むように俯いた。
「それで羊皮紙、か……」
少しの沈黙の後。
フェリシアは伏せていた瞳を上げ、静かな、けれど温度のない声で告げた。
「……正直に言うわ。上質な羊皮紙を安価で、それも『確実』に手に入れる方法は、私の頭にも思い浮かばない」
「なれば、この王宮にある在庫を手配する事はできぬのか?」
イヴリスは食い下がる。
「国の中枢ならば、腐るほど余っておるはずじゃ。それを回せば済む話ではないのか?」
「……ええ。ストリウスの言う通り、王宮中の在庫をかき集めれば……一冊どころか、十冊は作れるだけの量は確保できるでしょうね」
フェリシアは淡々と肯定する。だが、次の瞬間。
彼女の双眸から親愛の情が消え失せ、冷徹な『女王』の光が宿った。
「……ただ。だからと言って、それをあなたたちに無償で提供する理由は、どこにもないわ」
「っ……」
突き放すような断言。場の空気が、ピリッと張り詰める。
「仮に十冊作ったところで、この国の財政が傾くわけじゃない。……でも、たとえ一冊分であったとしても、それは市井で暮らす人々が一生かかっても払えないほどの『巨額』よ。……分かるわね?」
「……はい。……分かります」
ラビは、その正論の重みに押しつぶされそうになりながら、声を絞り出して俯いた。
「そんな重いものを……単に『レックスの大事な客人だから』とか、『いい人たちそうだから』なんて私情で、簡単にくれてやることはできない」
フェリシアは玉座から身を乗り出し、イヴリスとラビを真っ直ぐに見据える。
その瞳には、国を背負う者だけが持つ、凄まじい覇気が満ちていた。
「この王宮にある財産は、石ころ一つに至るまで……すべて、民から預かった大切な『血税』で賄われているのだから」
「…………」
完璧な理屈。そして、王としての矜持。
その圧倒的な説得力の前に、ラビはおろか、あのイヴリスでさえも、反論の言葉を失い、ただ沈黙することしかできなかった。
「……分かってもらえたようで、良かったわ」
フェリシアは、ラビたちの沈黙を肯定と受け取り、ふっと表情を和らげた。
「勘違いしないでね。……私だって、力になってあげたいのは山々なのよ。けれど、私はこれでも一国の王。何の対価もなく、私情だけで願いを聞き入れ――」
――バァンッ!!!
彼女が言葉を言い切る前に、謁見の間の巨大な扉が、悲鳴を上げるほどの勢いで押し開かれた。
「へ、陛下っ!!お待ちください!!」
裂くような大声と共に飛び込んできたのは、白衣を乱し、肩で息をするストリウスだった。
普段の冷静沈着な姿はどこにもない。その顔は紅潮し、目は血走っている。
「……あら」
フェリシアは眉をひそめ、冷ややかな視線を彼に流した。
「あなたが研究室から出てくるなんて、珍しいこともあるものね、ストリウス」
瞬間。彼女の声から、温度が消える。
「だが……。今、余は客人とこうして語らっている最中だ。そこに土足で横槍を入れるとは……いささか、無礼が過ぎるぞ」
ゾクリ。その豹変ぶりに、広間の空気が瞬く間に凍り付く。
ほんの数秒前まで笑っていた女性と同一人物とは思えない、圧倒的な「王」の覇気。
「も、申し訳ございません!!」
ストリウスは勢いよくその場に跪いた。
「処罰は如何様にも!し、しかし!私には今……一刻も早く陛下にお伝えせねばならぬ、『大切な儀』がございます!!」
「…………」
偏屈な賢者が、ここまで必死になる事態。
フェリシアは彼のただならぬ様子を察し、凍てつく瞳をわずかに緩めた。
「……よかろう。申してみよ」
「はッ!恐れながら……。先程陛下は、この者たちに羊皮紙譲渡の条件として『対価』を求められました」
「相違ない。……そなたが遮ってしまったがな」
フェリシアは氷のような声で返す。
だが、ストリウスは怯まない。彼は跪いたまま、バッと顔を上げ、傍らで佇むイヴリスを指し示した。
「しかし!申し上げます!我々はこの娘……いや!イヴリス殿から、既に莫大な……それこそ、返しきれぬほどの対価をいただいております!!」
「……返しきれぬほどの、対価だと?」
フェリシアが片眉を跳ね上げる。ヴェルトールたちは訳が分からず顔を見合わせた。
「はい。……先程、彼女の知識をお借りして、例の『触媒』とやらに用いる特殊なインクを試験的に錬成いたしました」
「ほう……。して、結果は?」
女王の問いに、ストリウスはゴクリと喉を鳴らし、震える声で報告する。
「……驚愕致しました。完成したインクは、王宮のいかなる文献にも記されていない、現代の常識を覆す未知の魔力伝導率を持っていたのです!」
彼は興奮で頬を紅潮させ、必死の形相で訴える。
「その製法を知れただけでも、国宝級の価値があります。ましてや……これを用いて彼らの言う『魔導書』なるものが真に完成すれば、それは歴史的な大発見……いえ!」
彼は拳を握りしめ、断言した。
「これまでの魔法技術を根底から覆す、『人智を超えた革命』となりましょう!」
「……『真に完成すれば』、か」
フェリシアは玉座の肘掛けを指で叩き、冷ややかに言葉尻を捉えた。
「裏を返せば……まだ完成の確証が持てているわけではない。あくまで『可能性』の話ということだろう?」
「……っ!それは……」
痛いところを突かれ、ストリウスは言葉に詰まる。
だが、彼は奥歯を噛み締め、引かなかった。ここで引けば、研究者としての未来が閉ざされる気がしたのだ。
「どうか!!魔導書一冊分の羊皮紙を……彼らに『投資』していただけないでしょうか!!」
彼はなりふり構わず叫び、床に額を叩きつけた。
――ダンッ!!
「私の首を賭けても構いません!必ずやイヴリス殿と共に魔導書を完成させ、陛下にご満足いただける結果を……我らガラルドルフの未来を変える『革命』をご覧に入れてみせましょう!!」
老いた賢者が、プライドも何もかもを捨てて乞うた、魂の叫び。
その言葉を最後に、広大など謁見の間を、針の落ちる音さえ聞こえそうな静寂が支配した。
「……そ?」
フェリシアはパチリと瞬きをすると、重厚な『女王の仮面』をポイッと脱ぎ捨て、いつもの人懐っこい笑顔を咲かせた。
「ん、分かった!じゃあ用意するから、絶対に完成させて私に見せてちょうだい?」
「…………は?」
ストリウスが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、間の抜けた声を漏らす。
ヴェルトールたちも同様に、あまりの落差に顎が外れそうだ。
「じゃ、私は用事を思い出したから一旦席を外すわね。羊皮紙はすぐに研究室へ運ぶよう伝えておくわ!」
彼女はドレスの裾を翻し、ルンルンと鼻歌でも歌いだしそうなほど機嫌良さそうに、軽い足取りで広間を去っていった。
「……あ!あとで感想聞かせてねー!」
フェリシアの姿が完全に見えなくなるのを確認してから。
ストリウスは膝に手をつき、よろよろと、しかし安堵の息を漏らして立ち上がった。
「ふぅ……。寿命が十年は縮んだわ……」
彼は額の冷や汗を拭い、心底疲れた表情で天井を仰ぐ。
「……ストリウスさんっ!!」
そこへ、ラビが涙をいっぱいに溜めて飛びついた。
「ありがとうございます!私のために……あんな……っ!」
「よせよせ。礼には及ばんよ」
ストリウスは苦笑し、泣きじゃくるラビの頭にそっと手を置いた。
「なぁに、ワシが錬金術師としての好奇心を抑えられなかっただけの話じゃ。……それに、完成するまで涙はとっておきなさい」
「……はいっ!」
「ふん。王に対し、よくもあの様な啖呵を切ったものじゃ。見直したぞ」
イヴリスが歩み寄り、ストリウスの背中をバシバシと遠慮なく叩く。
その顔は、勇敢な戦友を讃えるように晴れやかだ。
すると、ストリウスは居住まいを正し、イヴリスに向き直って深々と頭を下げた。
「……改めて。これまでの非礼を詫びさせてくれ、イヴリス殿」
「む?」
「この世界には、ワシの知らぬ知識、届かぬ深淵がまだまだあるのだと……深く考えさせられた。……どうか引き続き、貴殿の知識をこの老骨に教授してはもらえぬだろうか?」
それは、宮廷錬金術師という肩書きを捨てた、一人の探求者としての願い。
イヴリスはニヤリと不敵に笑うと、頭を下げる彼の肩にそっと、しかし力強く手を置いた。
「ふん、無論じゃ……!使い潰してやる故、覚悟せよ!」
「……それにしても。女王様のあの豹変ぶりには、心臓が止まるかと思ったよ」
ヴェルトールは、さっきまでの胃がキリキリするような光景を思い出し、大きく息を吐き出して苦笑いした。
「ニコニコしてたかと思えば、次の瞬間には氷みたいに冷たくなるんだもん……。正直、ひやひやしたよ」
「ふっ。あれは気まぐれで態度を変えているわけじゃないさ」
レックスは、彼女が去っていった扉の方角を懐かしむように見つめ、静かに語る。
「彼女は若い。古狸のような重臣たちを従え、国を束ねるには……ここぞという時に『王の顔』で締めないと、示しがつかないんだよ。あれは彼女なりの、戦うための鎧なのさ」
「なるほど……。王様にも、色々と事情があるんですね」
ヴェルトールが感心して見上げると、レックスは「そういうことだ」と優しく微笑んで頷いた。
「さて、無駄話はそこまでにしよう」
ストリウスが手を叩き、研究者の顔に戻って一行を促す。
「急ぎ、研究室へ戻ろう。……あの陛下の事だ。我々が戻る頃には、既に最高級の羊皮紙が山と積まれているはずじゃからな!」
「はい!」
一行は力強く頷き、希望の待つ研究室へと足早に向かった。
ガチャ。期待と不安を胸に研究室の扉を開けると――そこの作業台には既に、うず高く積まれた羊皮紙の束が鎮座していた。
「はっや!?さっき別れたばかりなのに、本当にもう用意してくれたのか!?」
ヴェルトールは目を丸くして叫ぶ。
まだ十分も経っていないはずだ。魔法で転送でもしたのかと思うほどの早業である。
「ホッホッホ!陛下はこうと決められたら、矢よりも行動が早いからのぅ」
ストリウスは「いつものこと」と笑い、嬉しそうに羊皮紙を撫でる。
「これが、羊皮紙……。俺、実物を見るのは初めてだ……」
ヴェルトールが恐る恐る近づくと、イヴリスが無造作に束から一枚を手に取り、灯りに透かして指先で表面をなぞった。
「…………」
鑑定の沈黙。
ラビが固唾を飲んで見守る中、イヴリスの口元がニヤリと吊り上がった。
「……ふむ。雪の様にきめ細やかな表面、ひんやりとした絹の様な滑らかさ。そして、ムラのない均一の厚み……」
彼女はパチンと指で紙を弾き、高らかに告げる。
「合格じゃ!これは、最高級と言っても差支えのない逸品じゃ!」
「やった……!!」
その言葉に、ラビとヴェルトールの表情がパッと明るくなり、二人は手を取り合って喜びを分かち合う。
その無邪気な様子を、レックスとストリウスも温かい目で見守っていた。
「素材は揃った!」
イヴリスは白衣(ストリウスの予備)をバサリと羽織り、高らかに宣言する。
「では、早速『魔導書』の作成に取り掛かるぞ!気合を入れろ!!」
「「「おーーっ!!!」」」
工房に、熱い掛け声が響き渡った。




