第四十六話:王都 -The Capital-
エルシルに到着してから、数日が過ぎた。
アリスは、人数が増えたことによる生活環境を整えるため、馴染みの職人に家具や生活雑貨を大量に注文していた。
そして、その「運び役」に任命されたのは――当然、唯一の男手である彼だった。
「ぜぇ……、はぁ……。ア、アリス……さん……。頼まれてた荷物……全部、受け取って……きたよ……」
玄関先に、ゆらりと巨大な影が現れる。
ヴェルトールだ。彼は自分の背丈よりも高く積み上げられた家具や荷物の山を、ふらつく足取りでドサドサと下ろすと、魂が抜けたようにその場にへたり込んだ。
「あら!おかえりなさい、ヴェル!」
出迎えたアリスは、その惨状を見ても驚くどころか、ポンと手を叩いて嬉しそうに笑う。
「さっすが、男手があると違うわぁ。頼りになるわね!」
「い、いや……。いくら男でも……限界ってものが……」
ヴェルトールが白目を剥いて抗議しようとした、その時。
彼とは対照的に、庭の方からパタパタと軽い足音が近づいてきた。
「アリスちゃん!お洗濯もの、全部干し終わったよ!」
シエナだ。彼女は太陽の匂いをさせながら、元気いっぱいに報告する。
「あらシエナ、もう終わったの?早かったわね!」
アリスは目を細めると、背伸びをするようにつま先立ちになり、自分より少し背の高いシエナの頭を、よしよしと優しく撫でた。
「しっかりお手伝いしてくれて助かるわ。二人とも、ありがとね」
すると、家の奥から、分厚い本を抱え、ラビがよろよろと歩いてきた。
「あはは……。だから、私も手伝うって言ったのに……」
彼女は荷物に埋もれるヴェルトールを見て、申し訳なさそうに苦笑する。
だが直後、奥の部屋から師匠の鋭い声が飛んできた。
「たわけ!それも修行のうちじゃ!」
姿は見えないが、イヴリスの声だ。
「肉体労働はそやつに任せておけ!それよりそなた、『構成理論』の講義の途中じゃぞ!さっさと戻ってこぬか!」
「は、はいっ!ごめんなさい!」
ラビはぺこりと頭を下げ、慌てて奥へと戻っていく。
それぞれが自分の役割を見つけ、この新しい環境に馴染み始めていた。
そこへ。
「……おや」
門の方から、レックスがひょっこりと姿を現した。
彼は玄関前に築かれた「荷物の山」を見上げ、唖然として立ち尽くす。
「す、すごい量だな。……引っ越しでもする気か?」
呆気にとられる彼を、アリスは見逃さなかった。
「あら、レックス!ふふっ、ちょうどいいところに来たわね」
彼女はパァッと花が咲くような、けれど抗い難い圧を含んだ、極上の愛らしい笑みを浮かべる。
「今からこの荷物を中に運ぶところなの。……あなたみたいな力持ちが来てくれて助かるわ。手伝ってちょうだい?」
「……え?」
「ありがとう、レックス!お陰で助かったわ。……はい、どうぞ」
アリスは額の汗を拭うレックスに、淹れたてのハーブティーを差し出した。
「……ふぅ。生き返るな」
レックスは香り高い茶を一口啜り、深く息を吐く。
「……それで?まさか、家具を運びに来たわけじゃないんでしょ?」
「あぁ、そうだった」
アリスの指摘に、レックスはカップを置き、表情を引き締めた。
「さっき、王宮に飛ばしていた使い鳩が戻ってきた。……返事が来たぞ」
「!」
「国王陛下への謁見の許可と……あと、宮廷錬金術師との面会も認められた」
彼は一同を見渡し、告げる。
「王族をあまり待たせるわけにもいかない。……急で悪いが、なるべく早く出立の準備をしてもらおうと思ってな」
「俺は、いつでも出られますよ!」
ヴェルトールはさっきまでの死にそうな疲労など何処へやら、ぴょんと立ち上がって即座に反応した。
「みんなも、いいよな?」
彼が視線を送ると、イヴリスは不敵に、ラビは緊張を滲ませつつも力強く、無言で頷き返した。
準備は万端だ。
「……ただ、問題が一つあってな。手配できた馬車が、御者を除いて四人乗りなんだ」
レックスは、シエナに申し訳なさそうに視線を向けた。
ヴェルトール、イヴリス、ラビ、そして案内役のレックス。これで定員だ。
「すまない。誰かが残らなくては――」
「ん!じゃあ私、アリスちゃんとお留守番してるから大丈夫だよ!」
心配する大人たちをよそに、シエナはあっけらかんと笑顔で即答した。
「あれ?てっきり『お城を見たい!』って駄々をこねると思ったのに……」
ヴェルトールが拍子抜けして尋ねると、シエナはう~ん、と首を傾げ、テテテッとアリスの元へ駆け寄った。
「お城も見たいけど……今は、アリスちゃんと一緒がいい!」
彼女はアリスの腰にギュッと抱き着き、そのエプロンの匂いを胸いっぱいに吸い込む。
アリスはよろけることもなく、小さな体でシエナの抱擁を優しく受け止め、慈しむように背中をトントンと叩いた。
「……シエナちゃん。ずっと甘えたかったんだと思う」
その光景を見て、ラビがそっとヴェルトールの耳元に囁いた。
「アリスさんの……お母さんの温もりに、ずっと飢えてたんじゃないかな、きっと」
「……そっか。そういうこと、か……」
ヴェルトールはハッとして、二人の姿を見つめ直す。
兄として精一杯守ってきたつもりだった。けれど、自分には埋められない「母性」という隙間を、アリスが埋めてくれていたのだ。
「……ありがとう、アリスさん」
彼は誰にも聞こえない声で呟き、妹の幸せそうな横顔に、優しい眼差しを向けた。
「よし!それじゃあシエナ、アリスさんと一緒に留守番を頼めるか?」
ヴェルトールはしゃがみ込み、妹の目線に合わせて笑顔で尋ねた。
「うん!まかせて!」
シエナはアリスのエプロンを握ったまま、元気いっぱいに頷いてみせた。
「……では、急かすようですまないが。明日の朝、街の出口にある門の前で集合しよう」
話がまとまったのを見計らい、レックスが場を締める。
彼はアリスに向き直ると、軽く会釈をしてから去っていった。
その日の夜更け。
エルシルの街が深い眠りについた頃、アリスの家の客室に、透き通るような旋律が流れていた。
「♪Eryvel'thar maluna, saylim fua solu...」
シエナは微睡む意識の淵で、その歌声を聞いた。
夢か現か。心地よい響きに導かれるように、彼女はゆっくりと重い瞼を持ち上げる。
「♪Ante cora, tiqui sira? Duum sadia, nagi elte...」
「……イヴ、ちゃん?」
シエナが呼びかけると、歌声がピタリと止んだ。
窓辺に腰掛け、背後から月明かりを浴びていた小さな影が、ゆっくりとベッドの方へ振り返る。
逆光に輝く銀髪が、息をのむほど幻想的だった。
「……起こしてしまったか。すまぬな」
普段の調子とは違う、静かで優しい声色。
「ううん……。大丈夫だよ」
シエナは枕に頬を埋めたまま、ふにゃりと微笑んだ。
「イヴちゃん……。その唄、よく歌ってるよね。一緒に寝る時は、いつも聞こえた気がする」
「な、なんじゃ……。聞いておったのか」
指摘され、イヴリスはバツが悪そうに視線を逸らす。
月明かりに照らされたその頬は、ほんのりと朱に染まっていた。
「……なんだか、とっても優しい唄だよね。なんていう唄なの?」
シエナは布団から顔だけ出し、うっとりとした声で尋ねた。
「……覚えておらぬ」
イヴリスは窓枠に視線を落とし、首を横に振る。
「名も、歌詞の意味も……何もかも忘れてしもうた。ただ、この旋律を口ずさむと……胸の奥が熱くなるような、何とも言えぬ気持ちになるのじゃ」
月明かりに照らされたその横顔は、普段の不敵さとは無縁の、どこか寂しそうで、触れれば壊れてしまいそうなほど儚げに見えた。
「そっか……。きっと、イヴちゃんにとってすごく大事な唄なんだね」
「……ふん。どうであろうな」
シエナの言葉を肯定も否定もせず、彼女ははぐらかすように窓から身を離した。
「ほれ、夜も更けた。我ももう休む故、シエナも寝るがよい」
そう言って、イヴリスはシエナの隣――自分のベッドへと潜り込む。
「うん……。おやすみ……イヴちゃん……」
安心したのか、シエナはすぐに安らかな寝息を立て始めた。
その無防備な寝顔を、月光が優しく撫でる。
「…………」
彼女が完全に夢の世界へ旅立ったのを見届けてから。
イヴリスはふわりと微笑み、誰にも聞かせないような小さな、けれど限りなく優しい声で囁いた。
「……おやすみ」
翌朝。 爽やかな朝陽が差し込むエルシルの門前には、王都へ向かうための馬車が待機していた。
「それじゃあ……行ってきます!」
ヴェルトールは見送りに来たアリスとシエナに元気よく挨拶をする。
「ええ、気をつけてね。……はい、これ」
アリスは微笑みながら、布で丁寧に包まれたずっしりと重い大きな箱を差し出した。
「王都までは、馬車を飛ばしても丸一日以上はかかるからね。……お腹が空いたら、途中で食べるといいわ」
「やった!ありがとうございます!」
ヴェルトールが受け取ろうとした、その刹那。
「なにっ!?弁当か!!??」
―シュバッ!!
横から伸びた白い手が、残像を残すほどの速さで包みをひったくった。
「当然、肉は入っておるのじゃろうな!?」
この数日間で、すっかりアリスの料理の虜になっていたイヴリスだ。
彼女はヴェルトールを押しのけ、宝箱でも開けるかのように包みに顔を近づけると、くんくんと鼻を鳴らして中身の鑑定を始めた。
「……残念ながら。入ってないわよ」
アリスはにっこりと、悪魔のように慈愛に満ちた笑顔で宣告した。
そのあまりに非情な言葉に、イヴリスは石化し、次いで魂が抜けたようにガクリと膝から崩れ落ちた。
「な、何故じゃ……」
「だって、お肉を入れたら、あなたが独り占めするでしょ?」
アリスは腰に手を当て、やれやれと首を振る。
「楽しみは取っておきなさい。……いい子にして帰ってきたら、その時はお肉料理をたくさん作ってあげるから」
「……本当か?約束ぞ?」
膝から崩れ落ちたまま上目遣いで確認するイヴリスをよそに、ヴェルトールは苦笑いで箱を受け取った。
「はは……。ありがとうございます、アリスさん。途中でみんなでいただきます!」
「ええ、行ってらっしゃい」
「よし!じゃあ出発だ!シエナ、アリスさんの言うことをよく聞いて、いい子にしてるんだぞ!」
「うん!いってらっしゃーい!!」
シエナは元気いっぱいに手を振り、その横ではアリスも、小さな手をぴょこぴょこと振って見送ってくれた。
ゴトゴトと車輪が回り出す。
一行を乗せた馬車はエルシルを後にし、獣人の国ガラルドルフの心臓部――王都「ロルフェン」へ向け、真っ直ぐに街道を進み始めた。
エルシルを出発し、街道をひた走る馬車の中。
ガタゴトと揺れるリズムに合わせるように、ラビは青ざめた顔で何度目か分からないため息を漏らした。
「はぁ……。王宮に行くだけでも心臓が止まりそうなのに……その上、国王陛下と謁見だなんて……」
「気持ちは分かるが、そう気負うな。前にも言った通り、陛下は寛大な方だ。粗相があった程度で首を跳ねたりはしないよ」
縮こまる彼女を、レックスが苦笑しながらなだめる。
「……だったら、いいんですけど……」
彼女は遠い目で天井を仰ぎ、まだ見ぬ王の姿(勝手な妄想)に怯え続けていた。
そんな彼女の杞憂をよそに、馬車は順調に街道を進む。
昼時になり、アリスの持たせてくれた弁当箱を開ければ――。
「……ふん。やはり、一面の緑色か」
宣言通り、中身は野菜たっぷりのサンドイッチやキッシュのみ。
イヴリスは不満げに鼻を鳴らしたが、一口食べると「……悪くない」と呟き、結局誰よりも早く完食していた。
街道沿いの宿場で一泊し、さらに馬車を走らせること半日。
翌日の太陽が天頂を過ぎた頃、御者の張り上げた声が風に乗って届いた。
「みなさーん!お疲れ様でした!まもなく『王都ロルフェン』に到着ですよ!」
~ガラルドルフ・王都ロルフェン~
「へぇ……!エルシルとはまた違った雰囲気だけど、王都ってだけあってここも綺麗な街だな」
ヴェルトールは窓枠に身を乗り出し、感嘆の声を上げた。
自然と調和していたエルシルとは異なり、王都ロルフェンは歴史の重みを感じさせる重厚な石造りの建物が建ち並び、大通りは多くの獣人や商人たちでごった返している。
そしてその街並みの奥、一段高い丘の上に、国の心臓である「王城」が威風堂々とそびえ立っていた。
「では、手はず通り、このまま王宮の方へ向かいますよ」
御者は手綱を操りながら、振り返って告げた。
レックスから事前に指示があったのだろう。迷いなく馬車を城の方角へと進める。
「えっ!?も、もう!?宿で一泊して、心の準備をしてからとかじゃなくて、そのまま向かうんですか!!?」
ラビは顔面蒼白になり、裏返った声を上げた。 心の準備どころか、まだ服の皺も直していない。
「陛下は忙しい方だ。謁見の時間は決まっているからな、遅れるわけにはいかないさ」
レックスは狼狽えるラビをなだめるように、しかし逃げ道は塞ぐように、涼しい顔で言った。
「ひえぇぇぇぇ……」
彼女の情けない叫びを置き去りにするように、馬車は王宮へと颯爽と駆けていった。
王宮の正門前で馬車を降りると、そこにそびえ立っていたのは、想像を絶する巨大な建造物だった。
天を突く尖塔、何重にも巡らされた堅牢な城壁、そして翻るガラルドルフの紋章旗。
その圧倒的な質量と荘厳さは、見る者を無条件にひれ伏させるような無言の圧力を放っていた。
「うわぁ……。近くで見ると、デカイなんてもんじゃないな……」
ヴェルトールはゴクリと生唾を飲み込み、ひきつった笑みを浮かべる。
「な、なんか俺まで急に緊張してきた……」
「あ、あわわわわ……っ!」
ラビに至っては、もはや言葉になっていない。
「こ、こここここんなにすごいお城だったなんて……」
彼女はガタガタと膝を震わせ、今にもその場にへたり込んで泣き出しそうだ。
田舎育ちの魔導士にとって、国の頂点という場所はあまりに空気が重すぎた。
「……はぁ」
そんな二人を見て、イヴリスは心底呆れ果てたように、深く長いため息をつく。
「情けない奴らめ。前にも言うたであろう?城なぞ、権力者が己を大きく見せるために石を積み上げた、ただの『巨大な家』に過ぎぬ」
彼女は腕を組み、堂々と仁王立ちして城を見上げた。
「委縮する必要など微塵もない。胸を張れ、胸を!」
挙動不審なヴェルトールと、今にも卒倒しそうなラビ。
そんな二人を怪しんだ門番の衛兵が、鋭い声を掛けて槍を遮らせた。
「おい、貴様ら!王宮に何か用か?用がないのなら、無闇に近づくんじゃ……っ!?」
衛兵はそこまで言いかけ、最後尾から歩いてきた人物を見て、引き金を引かれたように血相を変えた。
「レ、レックスさん……!?た、大変失礼いたしました!!」
彼は槍を引き、直立不動で敬礼する。
「お話は伺っております!どうぞ、こちらへ!」
「あぁ。手間をかけさせたな」
レックスは短く労うと、当然のように開かれた巨大な正門をくぐる。
慣れた足取りで淡々と先導するレックス。
手と足が一緒に出そうなほどカチコチに緊張した面持ちのヴェルトール。
魂が口から出そうなほど青ざめ、ふらふらと千鳥足のラビ。
そして――王宮の威厳など微塵も気にせず、まるで自分の庭を歩くかのように堂々と胸を張る、ふてぶてしいイヴリス。
チグハグで、けれど確かな絆で結ばれた奇妙な一行は、王と、そして宮廷錬金術師の待つ、ガラルドルフの中枢へと足を踏み入れた。




