第四十話:交渉 -The Bargain-
「羊皮紙で、本だとぉ!?」
カーツは素っ頓狂な声を上げ、目を剥いてヴェルトールを凝視した。
「おいおい……。一体いくらかかるか分かって言ってるのか?夢みたいなことを言わずに、大人しく紙を使え、紙を!安いぞ!」
「で、ですよね……」
ギルドマスターからの容赦ない「現実」の指摘。
ラビはトドメを刺されたようにガクリとうなだれ、小さく縮こまってしまった。
だが、呆れるカーツとは対照的に、レックスは何となく事情を察したのか、腕を組んで鋭い眼光で思案に沈む。
「……羊皮紙で、本……か」
ヴェルトールたちが絶望的な金額に頭を抱えている中、レックスがふと顔を上げ、射抜くような鋭い視線をカーツに向けた。
「……カーツ。さっき言っていた依頼……報酬は、どれぐらいだ?」
「おい、本気か?」
カーツは腕を組み、信じられないといった様子で片眉を跳ね上げる。
「……まぁ、持ち帰る調査内容や成果物にもよるが。何もめぼしいものがなければ、経費込みで『大銀貨八枚』」
彼は指を立て、続けて最高額を提示する。
「上手くいけば……『小金貨五枚』ぐらいは出せると思うが……」
「そ、そんなに……!?」
ヴェルトールは提示された額に目を丸くし、ゴクリと喉を鳴らした。
小金貨五枚。彼にとっては目が眩むような大金だ。だが――。
「いや。全然足りないな」
レックスは興奮する青年を手で制し、冷ややかに呟いた。
「……『大金貨一枚』。それも、前払いだ」
「はぁ!?」
カーツが素っ頓狂な声を上げるが、レックスは止まらない。
彼は旧知の友の足元を見るような、底意地の悪いニヤリとした笑みを浮かべて条件を突きつけた。
「それを出してくれるなら……『手が空いたら必ず受ける』と約束してやってもいいぞ?」
「ば、馬鹿なことを言うなっ!!話にならん!!」
カーツは顔を真っ赤にして机を叩いた。
「成功報酬ならともかく、前払いだと!?大体、何の成果もなしに帰ってきたらどうするつもりだ!ギルドが破産するわ!!」
「そうか……。なら、他を当たるといい」
レックスは彼の剣幕に臆することなく、涼しい顔で肩をすくめた。
「残念だが、俺たちは急ぎ旅だ。このままザレンを出れば、もう二度とこの街に立ち寄ることもないだろう。……優秀な代役が見つかるといいな?」
彼はチラリと出口に視線を送る。
それは、「俺たちを逃せば後がないぞ」という、強烈な揺さぶりだった。
「……ふん。お、お前たちに依頼せんでも、代わりは他にいくらでもいる」
カーツは椅子を回転させ、わざとらしく背を向けて言い放った。
「金に汚い連中には頼まん。それならそれで構わない、出ていけ」
「なんだ……。残念だな」
レックスは音もなく立ち上がり、芝居がかった調子で肩をすくめる。
「俺はてっきり、実力を知る俺たちだからこそ依頼してきたんじゃないかと、買い被っていたんだがな」
彼は出口へと足を向け、背越しに告げる。
「他がいるなら仕方ない。……それなら俺たちは、心置きなくこの街を発つとしよう」
「ぐぬぬ……っ」
ギシッとカーツの椅子が悲鳴を上げる。
彼はギリギリと奥歯を噛み締め、恐ろしい形相でゆっくりと振り返った。
「まさか、お前……。何か『知っている』な……?」
カーツは気づいたのだ。この要求が単なる強欲ではなく、足元を見切った上でのふっかけであることを。
「なんのことだ?」
レックスはとぼけた顔で首を傾げる。
「……最近、街の近郊で『手つかずの遺跡』が新たに発見されたこと。そこが、並の冒険者では入り口すら突破できないほどの『難関』であり、ギルドが頭を抱えていること……」
彼はカーツの動揺を冷ややかに見下ろし、ニヤリと勝者の笑みを浮かべた。
「……などという情報は、俺は聞いたことがないな?」
「くっ……!小金貨八枚だ!」
カーツは最後の抵抗とばかりに身を乗り出して叫んだ。
だが、レックスの表情は凍りついたように動かない。
「駄目だ。……銅貨一枚たりとも、負けられんな」
彼は冷徹に、そして絶対的な拒絶を突きつけた。
その張り詰めた空気。
ヴェルトールとラビは、いつ激昂したカーツが掴みかかってくるかとヒヤヒヤし、視線を二人の間で忙しなく往復させる。
一方、シエナは「なんだか迫力があって面白い!」と劇でも見ているかのように目を輝かせ、イヴリスに至っては、彼の容赦ない交渉術を「ククッ、やるではないか」と実に愉快そうに眺めていた。
そして――。レックスの断言を最後に、執務室に重く、息詰まるような沈黙が横切った。
「…………はぁ」
数秒後。カーツの口から、魂が抜けるような深く長いため息が漏れた。
「……お前じゃなかったら、そんな大金の前払いなど一蹴して、叩き出していたところだが……。分かった、俺の負けだ」
彼はガックリと肩を落とし、諦めを滲ませて告げた。
「……大金貨一枚。それで、手を打とう」
そのとんでもない交渉成立を合図に、張り詰めていた重い沈黙が嘘のように弾けた。
本来の目的である「ラビの羊皮紙代」のことなど忘れるほど、皆は大喜びでレックスに飛びついた。
「ま、まさか口先一つで、大金貨を勝ち取るなんて……」
「それに、遺跡探索までできるなんて!」
「なかなか愉快な余興じゃったな」
「レックスのお兄ちゃん、すっごくカッコよかったー!」
ヴェルトールは冒険への期待に震え、ラビは安堵に胸を撫で下ろし、シエナは無邪気に抱きつく。
レックスの氷のような交渉術とは裏腹に、仲間たちは春のような暖かさで彼を称えた。
「……ほら、持っていけ」
魂が抜けたような顔のカーツから、報酬の前払い――ズシリと重い『大金貨一枚』を受け取るレックス。
これで全て終わった、と誰もが思った。
だが、この男はそれだけでは満足しなかった。
「……ところで、カーツ」
「ひっ……ま、まだ何かあるのか……?」
怯えるカーツの肩に手を置き、彼は追い打ちをかけるように、ニッコリと悪魔の笑みを浮かべる。
「今回の件、ナインたちの悪事を暴き、ギルドの浄化に貢献したのは誰だ?」
「そ、それは……お前だが……」
「ならば、その『情報提供料』も貰わねば割に合わんな?」
「お、鬼か貴様ぁぁぁッ!!」
結局、レックスは涙目のカーツから、さらに『小銀貨二枚』をキッチリともぎ取り、懐をホクホクにして執務室を後にしたのだった。
レックスが執務室で最後の一搾りをしている間、先に外へ出た四人は、ギルド前の広場で風に当たっていた。
「レックスさん……。容赦なかったな……」
ヴェルトールは、先程まで見ていた『冷徹なる交渉人』の顔を思い出し、遠い目をして呟いた。
紳士的な仮面の下に、あんな一面が隠されていたとは。
「何を甘い事を言うておる!奪えるものは奪える時に奪う!それこそが絶対不変の『世の理』じゃ!」
イヴリスは腰に手を当て、レックスの手腕をこれ以上ないほど愉快そうに絶賛する。
「なんだそれ……。どこの世の理だよ……」
彼が呆れて肩をすくめると、横からラビがクスクスと笑った。
「ふふっ。でも、お陰でしばらく旅の資金の心配はなくなるね。羊皮紙は……まだ無理だけど」
「ラビまで……イヴリスの悪いとこを学んでるんじゃない?」
ヴェルトールは苦笑いする。
だが、彼もまた自分の懐の寂しさを思い出し、ふと真顔に戻って自分に言い聞かせるように頷いた。
「でもまぁ……。確かに、先立つものは大事だからな……。俺も、それぐらい図太い気持ちじゃないといけないのかもな!」
「うむうむ!」
その言葉に、イヴリスは「ついにこやつも『世の理』を理解したか」と満足げに深々と頷き、彼の背中をバンバンと叩いて労った。
すると、ギルドの扉が開き、無慈悲な交渉を終えたレックスが、足早に、しかしどこか足取り軽く戻ってきた。
「すまない。待たせたな」
「あの……。カーツさん、息してますか?レックスさんに、魂ごと搾り取られたような顔してましたけど……」
ヴェルトールが引きつった笑いで安否を気遣うと、レックスはフッと鼻で笑った。
「なに、大丈夫さ。あの程度でくたばりはしない。それに……」
彼は遠い空を見つめ、戦士の哲学のように語る。
「貰えるものは貰える時に貰っておく。……それが――」
その言葉尻を捕まえ、シエナがビシッと指を立てて割り込んだ。
「『よのことわり』だからね!!」
「……ん?」
少女らしからぬ悟りきった単語に、レックスが目を丸くして首を傾げる。
その隙のないきょとんとした顔がおかしくて、ヴェルトール、ラビ、そして元凶であるイヴリスも、堪えきれずに吹き出した。
「あははははっ!」
「くくっ、違いない!」
「??」
理由も分からぬまま、レックスもつられて苦笑する。港町に響く楽しげな笑い声。
そこに割り込むように、背後から大声が響いてきた
「おーい!!お前たち!!」
振り返ると、カーツが転がり出るように駆けつけてくるところだった。
「はぁ、はぁ……!よかった……。まだ、発っていなかったか……」
「……どうした?まだ何か、言い忘れた文句でもあったか?」
レックスが苦笑交じりに問いかける。あれだけふっかけたのだ、文句の一つも言いたくなるだろう。
だが、カーツは乱れた呼吸を整えると、真面目な顔で首を横に振った。
「いや、違う。……文句は山ほどあるが、今はそれどころじゃない。重要なものを、渡し忘れていてな……」
彼は懐をごそごそと探ると、一通の書状を取り出した。
「これは……?」
ヴェルトールは、手渡された書状を受け取り、目を丸くした。表面には、ギルドと国の認可印が押されている。
「ガラルドルフへの『特別通行証』だ」
カーツは呼吸を整え、真剣な眼差しで説明を加える。
「……実は最近、ガラルドルフの内外で魔物が大量発生していてな。混乱や密入国を防ぐため、国境の警備が以前とは比べ物にならないほど厳しくなっているんだ」
「魔物の、大量発生……」
「あぁ。その証がなければ、関所を通るのに何日待たされるか分からんぞ」
言いながら、彼はニッと微笑む。
散々金を巻き上げられた相手に、これほどの配慮。その漢気に、ヴェルトールは胸を打たれた。
「カーツさん……。何から何まで、本当にありがとうございます!!」
ヴェルトールが勢いよく頭を下げると、横にいたラビとシエナも「わっ」と慌てて、釣られるようにペコペコと深々とお辞儀をした。
「なに、恐らくレックスがいれば問題なく通れるだろうが……念のためだ。持っていけ」
カーツはニカッと笑みを浮かべた。
「……悪いな。恩に着る」
レックスは友の目を真っ直ぐに見つめ返す。
「約束は、必ず守る。……それまで、しばらく待っていてくれ」
「フン、それに関しては心配してないさ。お前が約束を破ったことなど一度もないからな」
カーツは信頼を込めて鼻を鳴らし、バシッとレックスの腕を叩いた。
「慌てず、急いで!とっとと用事を済ませて帰ってこい!」
「あぁ。行ってくる」
男たちの短い、けれど熱い別れの儀式。
それを見届けたヴェルトールも、居住まいを正して向き直る。
「じゃあ、俺たちはそろそろ出発します!カーツさん、本当にありがとうございました!」
再び深々と頭を下げるヴェルトール。
カーツは満足げに手を振り、若者たちの背中を送り出した。
こうして――。
新たな仲間である『魔導士ラビ』を加えた一行は、港町ザレンを後にする。
目指すは国境の先。村長に示された目的地、『エルシル』へと向かって、彼らは力強く足を踏み出した。




