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滅びの竜と祈りの唄  作者: 彩月鳴
序曲 -Overture-

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第四話:封印 -The Seal-

朦朧とする意識の底。

闇に溶けて消えそうな自我を繋ぎ止めたのは、あの不思議な歌声だった。


(誰かが、呼んでる……)


ヴェルトールは最後の力を振り絞り、動かないはずの指を泥に突き立てた。


ズル……ズル……。


地面を這う音だけが、静寂に響く。

泥と血にまみれた体を執念にも似た感情でくねらせ、彼は歌の聞こえる方へと滲み進む。

全身を苛む激痛も、鉛のような倦怠感も、今の彼にはどこか遠い出来事のようだった。


ただ、その旋律の元へ行かなければならない。

理由などない。それだけが、壊れかけた肉体を突き動かしていた。



這い進むにつれ、頼りなかった旋律は徐々に輪郭を帯び、鮮明になっていく。

それはまるで、迷子を導く母の子守唄のように優しく、そしてどこか哀しく響いていた。



道を抜けた先、視界がふわりと開けた。



そこは巨木たちが互いの枝葉を広げ、巨大な緑の天蓋を作り出している小さな円形の空き地だった。

天井の隙間からは柔らかな光が降り注ぎ、傷つき泥にまみれたヴェルトールの体を、慈しむように優しく照らし出している。


「なんだ……ここは……?」


痛みを忘れ、彼は呆然と目を奪われた。


空き地の中央には、苔むした古びた石碑が鎮座している。

表面には見たこともない、複雑で幾何学的な文字がびっしりと刻まれ、その中心には一際目を引く『星』のような輝きを象った紋章が描かれていた。


ヴェルトールは吸い寄せられるように、石碑の方へと這い進む。

彼が近づくのに呼応するかのように、紋章が淡い青白い光を放ち始めた。


「……これが、例の『封印』……なのか?」


その光は美しく、そしてどこか哀しい。

触れてはいけないと本能が警告する一方で、魂の奥底がそれを求めているような、不思議な感覚。


彼は抗うことができなかった。

魅入られたように、震える手がゆっくりと、その紋章へと伸びていく。



震える指先が、淡く光る紋章に触れた、その瞬間。



ドクンッ!


ヴェルトールの心臓が、石碑の光と重なるように大きく跳ねた。

魂の奥底に眠っていた「何か」が、外の光と激しく共鳴して脈打ち始める。


直後、指先から奔流となって溢れ出した温かな光が、彼の全身を優しく包み込んだ。



骨が軋むほどの激痛は嘘のように溶け去り、傷つき疲れ果てた体が、瞬く間に再生し、満たされていった。


痛みも、疲労も、恐怖さえも消えていく。

彼がその奇跡のような感覚に呆然としていた、その時だった。



『――貴様、ここで何をしておる?』



不意に、頭の中を震わせるような威厳ある声が響いた。


「だ、誰だ!?」


ヴェルトールは弾かれたように顔を上げ、周囲を見回す。

だが、静まり返った森に人影はない。

あるのは鬱蒼とした木々と、目の前の古びた石碑だけだ。


(気のせいか?いや、確かに今、誰かの声が聞こえたような……)


彼がキョロキョロと視線を彷徨わせていると、再びその声が脳内に割り込んできた。


『ほぅ……我の声が聞こえるのか』


感心したような、それでいて値踏みをするような響き。

だが、ヴェルトールがまだ明後日の方向を探しているのを見て、声の主は苛立ったように語気を強めた。


『……しかし、どこを見ておる!我は貴様の目に映っておる、その石ころじゃ!』


彼が目をやると、言葉と共に、紋章が自己主張するように強く脈動していた。



『まぁよい……。して、脆弱なる人間の貴様が、この様な異形蔓延る地に、何をしに来た?』


再び声が尋ねてくる。


「俺は……村の異変の原因を探しに来たんだ!」


ヴェルトールは石碑に縋りつくように叫んだ。


「今、俺たちの村で大変なことが起きてる。井戸が腐って、動物たちが狂って……それに、この森のほうから『黒い光』が立つのを見たんだ!」


彼は必死に言葉を紡ぐ。

目の前の「これ」が何なのかはわからない。

だが、常識を超えた存在であることは、癒やされた自分の体が証明している。


(間違いない。この石碑が、村長たちの言っていた『封印』そのものなんだ!だったら、何か知っているはずだ!)


「お前、ずっとここにいたんだろ!?あの光が何なのか、何が起きてるのか、わかるんじゃないのか!?」


彼は焦燥の色を濃く滲ませ、祈るように問いかけた。



『ふむ……』


ヴェルトールの必死の訴えに対し、石碑は意味深に唸ると、ふっつりと黙り込んだ。



永遠にも感じる沈黙がその場を支配する。



やがて、何らかの結論に達したのか。

石碑の主は、先ほどまでの威圧感とは違う、どこか楽しげな響きで告げた。


『――おい、貴様。我と一つ、取引をせぬか?』


「……え?」


唐突な提案に、ヴェルトールは呆気にとられて声を漏らす。

村の危機、黒い光、封印……話の脈絡が繋がらない。

その間抜けな反応が気に入らなかったのか、声の主は不機嫌そうに畳み掛けた。


『……二度目じゃ。三度は言わぬぞ』


ゴゴゴ……。


言葉と共に大気が震え、ピリッとした重圧が肌を刺す。


『我と取引をせぬかと言っておる』



「い、いきなり取引って言われてもっ!……その取引をすれば村を救ってくれるのか?」


ヴェルトールは混乱しながらも、最も重要なことを問いかけた。

だが、返ってきたのは重苦しい沈黙だけだった。


『…………』



(無視、か。本当に「三度目」はないってことか)



余計な質問は許さないという無言の圧力。

彼はゴクリと喉を鳴らし、覚悟を決めて口を開いた。


「……わかった。話を聞くよ。でも先に言っておくけど、代わりに魂を寄越せとか言われても、それには乗れないぞ」


彼なりの精一杯の牽制。

すると、脳内に響く声が呆れたように鼻を鳴らした。


『ふん、何を言うかと思えば…。貴様如きの魂を喰ろうたところで、何の足しにもならぬわ』


あまりの言い草にヴェルトールは言葉を失うが、同時に少しだけ安堵した。

少なくとも、魂を奪われる心配はないらしい。



「……そ、それじゃあ、取引って何をするんだよ」


気を取り直し、彼は核心を尋ねる。

石碑の主は、待ってましたとばかりに、その条件を告げた。



『……取引というのは他でもない。この忌々しい封印を解け。という話じゃ』


声の主は吐き捨てる。


『その見返りとして、貴様には()()()の一端を貸してやろうではないか」


「……力?」


『そうじゃ。貴様が欲している、理不尽をねじ伏せる為の力じゃ』


『……まぁ既に傷を癒してはやったが……それは特別に無償としておいてやろう。我の慈悲深さに感謝するがよい』


恩着せがましく、だが絶対的な自信に満ちた言葉が脳内を揺らす。


『どうじゃ?命を救われた上に、さらに力まで手に入る。……決して、悪い話ではあるまい?』




「力……か。それじゃあ、村長が言ってた『大きな力』ってのは、やっぱりお前のことなのか?」


ヴェルトールは確信を求めて問いかけた。


すると、石碑は呆れたように、だが、絶対的な自負を込めて即答した。


『ふん、人間どもが何を語り継いでおるかは知らぬが……』



『ここらで"大きな力"と言えば、我を措いて他にあるまい』


その言葉に迷いは一切ない。

「太陽が輝くのは当たり前」とでも言うように、己が力ある存在であることを疑いもしない口ぶりだった。



(こんな危険な森の奥深くで、しかも『神』に封印されているなんて、絶対に『危ない存在』だよな……。封印を解けば、今の村の異変なんかよりも、もっと恐ろしい災厄を撒き散らすことになるかもしれない……)



理性はそう警鐘を鳴らしている。

だが、ヴェルトールの脳裏に浮かぶのは、涙を堪えて待つシエナの顔と、崩壊していく村の光景だった。



(……でも。それでも……っ!)



「……その力があれば、村をなんとかできるんだな!?だとしたらお願いだ!俺を、俺たちを助けてくれ!」


彼は迷いを振り切り、真剣な眼差しで石碑を睨みつけた。


『……それは、「取引成立」という解釈で相違ないな?』


確認のような、あるいは悪魔の誘いのような問いかけ。

けれど、ヴェルトールは一瞬たりとも躊躇わなかった。


「あぁ、構わない!シエナを、みんなを助けてくれるって言うなら、相手がなんだろうが関係ない!俺の力になってくれ!」


彼は叫び、魂からの同意を叩きつける。



『……よかろう。なれば我と貴様、ここに契りを結ぶ事とする』



『……では、早速じゃが封印を解いてもらおうか。ここから出ぬことには、力を貸してやる事も叶わぬからな』


「あぁ!……ん?でも、封印ってどうやって解くんだ?呪文とか儀式とかが必要なのか?」


ヴェルトールが素朴な疑問を口にすると、石碑の主はさも退屈そうに答えた。



『なに、至極簡単なことよ……。恐らくじゃが、この目の前の石ころを叩き割ればよい』


「は?」


『出来ぬなら、話はここまでじゃ』


「え、そんなことでいいのか?叩き割るって……そんなに簡単なら、なんで今まで無事だったんだよ」


拍子抜けするヴェルトール。

だが、声の主は真面目そのものだった。


『勘違いするな。この石ころは神の加護があり、並大抵の攻撃では傷一つつかぬ代物じゃ。……が』


『理由は我にも解せぬが……貴様なら割れるはずじゃと、本能が告げておる。先程の共鳴がその証左じゃ。故に、その腰に下げた鉄クズを、思い切りここへ振り下ろすがよい!』



「……ほ、本当に大丈夫なのか、それ。剣が折れたりしないか?」


彼は半信半疑で剣を構える。

だが、すぐに頭を振ってニカッと笑った。


「……でもまぁ、難しい理屈を言われてもわかんないしな!ぶっ壊せばいいっていうなら、それは俺の得意分野だ!任せてくれ!」



迷いは消えた。

彼は剣を両手で強く握りしめ、大きく天へと振りかぶる。


「いっくぞおおおお!!」


全身のバネを使い、筋肉を唸らせて、彼は全力で石碑目掛けて剣を振り下ろした。



「はあああああッ!!」



ガキィンッ!!


剣先が石碑に触れた瞬間、硬い岩を叩いた感触とは違う、奇妙な手応えが返ってきた。

身体の奥底で何かが繋がり、熱い奔流が駆け抜ける不思議な感覚。

直後、絶対に砕けないはずの神の石碑に、無数の亀裂が走った。



パリーンッ!!



澄んだ音と共に石碑が弾け飛び、その中心から、視界を塗りつぶすほどの凄まじい漆黒の光が噴き出した。


「うわっ!?」


解き放たれた力の余波だけで、暴風のような衝撃が生まれる。

ヴェルトールは成す術もなく後方へと吹き飛ばされ、尻もちをつきながらその光景を見上げた。



天をも焦がすような闇色の光柱。

その中心から、先ほどの尊大な声が降り注ぐ。



『ふむ……。やはり永き封印の影響か、力がかなり弱まっておるな……』


声の主は、自身の状態を確認するように不満げに呟く。


『これでは、本来の姿で顕現する事は叶わぬか……』


渦巻く黒い光が、意思を持ったように収束を始める。


『どれ、不本意だが当座の器……人の形でも取るとしようか。……おい貴様、何でもよい。誰ぞ適当に人間の姿を思い浮かべよ』



「え……?」


突然の指示に、ヴェルトールは戸惑う。

だが、「人間の姿」と言われて真っ先に脳裏をよぎったのは、やはり家に残してきた最愛の妹――シエナの笑顔だった。



『ほぅ……なるほど。では、その者を参考に構築するとしよう』


黒い光はより一層強烈に輝くと、みるみるうちに圧縮され、小さな人影を形成していく。




「……ふむ。想定より少し体が小さい気もするが……まぁ、これなら維持にかかる魔力の消費も抑えられよう……」


光の中で、少女の声が満足げに独りごちる。

だが、ヴェルトールはそれどころではなかった。

逆光で見えにくいとはいえ、彼女は間違いなく一糸纏わぬ姿だったからだ。


「お、おいっ!服!服を着てくれぇぇ!!」


彼は顔を真っ赤にして叫ぶと、慌ててバッと背を向け、両手で目元を覆った。



「なんじゃ?騒がしい奴め」


少女は呆れたようにため息をつく。


「幼子の裸体なぞ、見ても面白くもなんともなかろう?人間の羞恥心とは難儀なものよのぅ」


「そういう問題じゃないんだよ!頼むから何か着てくれ!」



「……ふむ。しかしまぁ、子供とはいえ女子(おなご)は女子じゃ。確かにこのままでは、我の品位に関わるか」


少女は納得したように頷くと、スッと目を閉じた。


「よかろう」


彼女が意識を集中させると、周囲に溢れていた黒い光が渦を巻き、彼女の体へと収束していく

それはまるで、闇そのものが糸となり、布となって彼女の体を包み込んでいくようだった。




やがて、光が完全に消え去った頃。

そこには、世にも不思議な意匠の服を纏った少女が立っていた。


「……もうよいぞ。目を開けるがよい」


ヴェルトールは恐る恐る指の隙間から目を開けた。

そして、息を呑んだ。


そこにいたのは、先ほどまでの「神々しい光」とは対照的な、「闇」そのものを纏ったような少女だった。



闇夜に映える、美しい白銀の長髪。だが、その顔立ちはシエナに似て非なるものだ。

鮮烈な真紅の瞳。その奥には、明確に人外であることを示す縦長の瞳孔が鋭く輝いている。


そして何より異質なのは、その装いだ。


漆黒のフリルが幾重にも重なった膝丈のスカートは、彼女が動くたびに優雅な陰影を生み出す。

袖口を彩る繊細なレースは、芸術品のように細い手首を包み込み、胸元では深紫のリボンが妖艶に揺れていた。


華奢な腰を締め上げるベルベットのコルセット。

銀髪に飾られた黒いレースの頭飾り。足元は、重厚な底の厚い黒ブーツで固められている。



ヴェルトールはそんな服を見たことがない。

この辺境の村はおろか、王都の貴族でさえ、これほど複雑で、退廃的な美しさを秘めた衣服は知らないだろう。


少女らしい甘さと、背筋が凍るような妖艶さの同居。

闇の中にありながら、その存在感は決して埋没しない。


まるで、夜の底から掘り出された『黒い宝石』のような佇まいだった。



「なんか……すごい服、だな。ドレス……なのか、それ?」


ヴェルトールは目を丸くし、あまりに浮世離れしたその姿に圧倒されて呟いた。

だが、少女はその反応を「称賛」と受け取ったようだ。


「ふふん、よいであろう?」


彼女は不敵に微笑むと、見せつけるようにその場でくるりと軽やかに体を回転させた。


遠心力で漆黒のスカートが夜に咲く花のように大きく広がり、重なったフリルとレースが優雅に宙を舞う。


「……ふっ、我の美意識に狂いはないようじゃな!」


少女は膨らんだスカートの裾を両手で押さえ、ビシッとポーズを決めると、満足そうに胸を張った。




「よし貴様、我の思惑通り、封印の解除には成功した」


少女は満足げに頷くと、ヴェルトールに向き直り、その白く華奢な手をすっとかざした。


「では、契約の続きへと移ろうか。その身に我が力を刻み込んで……」

「ちょっと待ってくれ」


ヴェルトールは手のひらを彼女に向けて制止した。


「なんじゃ……」


少女は不機嫌そうな表情を浮かべ、問いかける。



「えーっと、その『貴様』っての、やめてくれないか?……俺にはちゃんと、ヴェルトールって名前があるんだ」


彼が頬を掻きながら申し出ると、少女は拍子抜けしたように瞬きをした。


「……なんじゃ、そんな事か」


「そんなことって……大事だろ」


「そうか。なれば、ヴェルトールよ。我の力の一端をそなたに貸し与えよう」


少女は納得したように頷くと、再び手をかざした。



「待って待って待って!」


彼は慌てて両手を振り、身を乗り出して制止した。


「君の名前も教えてくれよ!名前も知らない相手と契約なんてできないって!」


「ぬぅ、いちいち面倒な奴め……」


さすがに堪忍袋の緒が切れかけたのか、少女は眉をピクピクと引きつらせ、恨めしそうにヴェルトールを睨む。



だが、すぐに諦めたように一つ大きくため息をつくと、その口元に不敵かつ妖艶な笑みを浮かべた。

闇夜に輝く真紅の瞳が、射抜くように彼を見据える。


「ふむ、なれば心して聞け……」


彼女は夜空に向かって胸を張り、世界に轟かせるように高らかに宣言した。



「我が名は『イヴリス』!――邪竜イヴリスである!」

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