第三十九話:二つの鍵 -The Intersection-
~ザレン・冒険者ギルド~
重厚な扉をくぐると、そこには外の静けさとは打って変わった、独特の熱気が渦巻いていた。
「へぇ……。この前は中まで入れなかったけど、こうなっているのか……」
ヴェルトールは感心したように周囲を見渡す。
市場や食堂の無秩序な騒ぎとは違う。ここにあるのは、命を賭して仕事をする者たちが放つ、ピリッとした緊張感と規律ある活気だ。
「うわぁ、ひっろーい!」
シエナは天井の高い広々としたホールに目を輝かせ、今にも走り出しそうな足を必死に止めて、その場でくるくると見回している。
ホールの壁面には、大小様々な依頼書がびっしりと貼り出された巨大な掲示板が鎮座していた。
その前では、武骨な装備に身を包んだ冒険者たちが、腕を組んで唸ったり、仲間と小声で議論を交わしたりと、真剣な眼差しで紙片と睨み合っている。
「あれが、依頼書か……」
フロアには打ち合わせ用のテーブルが整然と並び、地図を広げるパーティや、報酬の分配をする者たち。
そして最奥には、横に長い受付カウンターがあり、数人の職員がテキパキと荒くれ者たちの対応に追われている。
まさに、冒険の拠点。
話でしか知らなかった世界が、本物の息遣いを持って彼らを迎えていた。
「えーっと……なになに……?」
ヴェルトールは掲示板の一枚――赤字で『至急』と書かれた紙に目を凝らす。
「『湾岸に出没する大蟹の討伐』……。ほ、報酬が……小金貨一枚!!?」
彼は目を剥き、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「小金貨一枚って……!グリモ村なら、一体何ヶ月遊んで暮らせる額だ……!?」
「ははは。気持ちは分かるが、目がくらむなよ?」
レックスは彼の背中を軽く叩き、諭すように笑う。
「高額な報酬が出るということは、それだけ誰もやりたがらない……即ち『命に関わる危険な仕事』だということだ。その金貨は、言わば命の値段さ。気軽に受けるんじゃないぞ?」
「うぐ……。肝に銘じます」
ヴェルトールが現実を知って縮こまる横で、イヴリスが大きな欠伸を一つ。
「ふぁ……。紙切れ一枚で一喜一憂するとは、忙しい生き物よな」
彼女は興味なさげに視線を外し、レックスを見上げる。
「で?肝心の報告とやらは何処で聞けばよいのじゃ?立ち話も飽きたぞ」
「あぁ、こっちだ」
レックスはホールの奥、二階へと続く、ゆったりと弧を描いた階段を指差した。
「カーツの執務室はあの上だ。……行こう」
彼に背を押され、ヴェルトールたちは喧騒を離れて階段を上る。
一段上るごとに、階下の熱気が遠ざかり、代わりに張り詰めた静寂が近づいてくるようだった。
警備のギルド員に案内され、重厚な扉をくぐる。執務室は、階下の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「……よく来てくれた。わざわざ足を運ばせてすまないな」
部屋の奥、書類の山に埋もれた机の向こうで、カーツが一行を出迎える。
彼はペンを置き、革張りの上等なソファを手で示した。
「まぁ、掛けてくれ」
促されるまま、ヴェルトールたちはソファに腰を下ろす。
そこへ、女性の職員が淡々と一行に紅茶を提供した。
全員が席についたのを確認すると、カーツも自らの椅子へと深く腰掛け、組んだ両手の上に顎を乗せた。
鋭い眼光が、ラビ、そしてヴェルトールへと向けられる。
「さて……。早速だが報告といこう。昨夜の尋問でナインから吐かせた、『呪い』に関する情報についてだ」
ヴェルトールとラビが同時に喉を鳴らす音が、静寂に響く。
マールスの命がかかった審判の時。張り詰める緊張感。
だが、その横で――。
―カチャ。
優雅な陶器の音がした。
「ふむ。……渋みが効いておる。悪くない茶葉じゃな」
イヴリスだけはふんぞり返って足を組み、出された紅茶を優雅にすすって感想を漏らしていた。
その姿は、報告を聞く冒険者というより、下々の報告を待つ女王のそれだった。
「……結論から言おう」
カーツは組んだ手の上で、重々しく告げた。
「残念ながら、君たちが奪取した『アルセル』……それ単体では、マールス殿に刻まれた呪いを解くことは不可能だ」
「そ、そんな……」
ラビの顔から血の気が引いていく。
唯一の希望が断たれた。目の前が真っ暗になるような絶望に、彼女の体がぐらりと揺れる。
「ラビッ!」
ヴェルトールが慌てて支えようとした、その時。
「早まるな。……私は『それ単体では』と言ったはずだ」
カーツの声に、力が戻る。
ハッとして顔を上げた二人を、イヴリスがソーサーにカップを戻す乾いた音で制した。
「ふむ……」
彼女は優雅に口元を拭い、試すような視線をカーツに向ける。
「毒を消すには解毒剤が必要なように……呪いを解くための、『浄化の媒体』が必要。……もしくは」
イヴリスは目を細め、かつてナインがラビを騙すために使った言葉を引用した。
「あの下郎が口から出まかせに言っていた……『対となるもう一つのアルセル』。……あれが、あながち完全なデタラメではなかった、という事か?」
「あぁ、その通りだ」
カーツは重々しく頷いた。
「……だが、勘違いしないでくれ。これは確実な情報ではない」
彼は前置きをし、渋い顔で説明を続ける。
「この情報は、あのナインという小悪党から得られたものではない。奴は使い方は知っていても、解き方は知らなかった……。だから俺が、ギルドの『禁書庫』にある過去の資料をひっくり返して、類似の事例を見つけ出したのだ」
「過去の、事例……?」
「あぁ。その時は別の種類の呪法ではあったが……『別のアルセル』を用いることで、解呪に成功している」
カーツは眉間を揉み、祈るように告げた。
「眉唾な情報で心苦しいが……恐らく今回も、同じケースである可能性が高いだろう」
「待て……」
その時、ずっと黙って聞いていたレックスが、ハッとして顔を上げた。
「過去……類似の事例……」
彼の翡翠色の瞳が、揺れる。
「まさか、カーツ。……お前が言っているのは、あの"フェリシア"様の……!?」
「……そうだ」
カーツは静かに頷いた。
「なるほど……。あの事件の裏では、そんなことが……」
レックスは額に手を当て、すべての辻褄が合ったかのように呟いた。
「……おい。おぬしらだけで納得して話を進めるでない」
イヴリスは不機嫌そうにテーブルを指先で叩き、二人の男を睨みつけた。
「我らにも分かる様に、最初から説明せい。……その『フェリシア』とは何者じゃ?」
「あ、あぁすまない……」
レックスは我に返り、苦い過去を噛み締めるように重く口を開いた。
「……数年前、ガラルドルフの王宮で起きた、ある未解決事件の話だ」
彼は遠い目をして、記憶の糸を紡ぐ。
「ある夜、王宮に賊が忍び込んだ。狙いは国王……ではなく、当時はまだ即位前だった『フェリシア王女殿下』だ。 賊は近衛騎士によって撃退され、王女は無事だったかに思われたが……直後から高熱にうなされ、原因不明の『奇病』を患ってしまった」
「奇病……」
「あぁ。その後、国民に詳細は伏せられたが……彼女は数ヶ月の闘病の末、なんらかの方法で回復し、一命を取り留めたと発表された」
レックスが言葉を切ると、引き継ぐようにカーツが口を開いた。
「その『なんらかの方法』の真相こそが……さっき説明した『別のアルセル』による解呪だ」
カーツは机の引き出しから、古びた一冊の資料を取り出した。
「俺も当時は知らなかったんだがな。……ここにある、先代のギルドマスターが極秘裏に残した資料に、その顛末が記されていたんだよ」
「なるほど……」
ヴェルトールは腕を組み、数秒の沈黙の後、パッと顔を輝かせた。
「……となると!俺たちが王宮に行く理由は、これで二つになったってことだな!」
彼は指を立てて確認する。
ラビの魔力問題を解決する『触媒』の作成。 そして、マールスを救うための『解呪』の手がかり。
「本来なら世界中に散らばっていてもおかしくない重要な情報が、二つとも同じ場所にあるなんて……これって、めちゃくちゃラッキーじゃないか?」
「え……?」
「運は俺たちに向いてる!迷う必要もない!」
彼はニッと白い歯を見せ、不安げに俯いていたラビに向かって、ドンと力強く拳を突き出してみせた。
「くよくよしてる暇はない!早いとこエルシルに行って、すぐに王宮を目指そう!全部解決して、マールスさんを助けるんだ!」
「ヴェルくん……」
その力強い言葉に彼女の目頭が熱くなる。
「なれば、こんなところでぐずぐずしておる暇はないな」
イヴリスがカップをソーサーに返した。
「なに?お前たち……もうこの街を出るのか?」
帰り支度を始めようとした一行を、カーツが残念そうに、そして少し引き留めるような顔で見つめた。
「あぁ、その予定だが……。まだ何かあるのか?」
「いや……実はな」
カーツは頭をかき、言いにくそうに切り出した。
「あの連中に依頼していた『地下遺跡の探索』……。代わりにお前たちに依頼しようと思っていたんだが……」
――地下遺跡の、探索!!?
その単語が鼓膜を震わせた瞬間、ヴェルトールの顔が輝いた。
未知の古代文明、眠る財宝、ロマンあふれる大冒険!
――なにそれ、絶対行きたい……!めちゃくちゃ行きたい!!
彼の瞳が、期待と興奮で星のようにキラキラと輝き出す。
口を開き、「やります!」と言おうとした、その時。
「悪いが、それは無理だ」
レックスが間髪入れず、氷のような即答で切り捨てた。
「我々は急いでいる身だからな。寄り道をしている暇はない」
「…………」
ヴェルトールの輝いていた顔が、みるみるうちに「とほほ……」という情けない表情へと萎んでいく。
夢の大冒険が、開始前に終了してしまった瞬間だった。
「……そうか、急いでいるなら仕方ない。幸い、こちらは急ぐ依頼ではない。手が空いた時にでも、また顔を出してくれ」
カーツはレックスの即答を受け入れ、苦笑いで肩をすくめた。
「はいっ!!ぜひ!!必ず戻ってきます!!」
ヴェルトールはカーツの手をガシッと両手で握りしめ、腕が抜けるほどの勢いでブンブンと縦に振った。
レックスに断られた直後の、そのあまりの食いつきよう。
「お、おう……?ずいぶんと熱心だな……」
百戦錬磨のカーツでさえ、その熱量に少し戸惑って身を引く。
「……あっ!じゃなかった!」
我に返ったヴェルトールは、慌ててバッと手を離した。
いけない。今は冒険よりも、ラビの触媒と、マールスさんの救出が先決だ。
「コホン!……えーっと、カーツさん。あとレックスさんにも相談があるんですけど」
彼はわざとらしく咳払いをし、先程の興奮を必死に隠して真面目な顔を作る。
「実は今、『羊皮紙』で本を作りたいと思ってるんです。……どうにかして手に入れる方法はないでしょうか?」
ヴェルトールのその言葉に、二人の顔が強張る。
ラビとシエナは祈るように二人を見つめ、一方、イヴリスは静かに茶をすすっていた。




