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滅びの竜と祈りの唄  作者: 彩月鳴
魔の胎動 -The Andante-

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第三十八話:対価 -The Trade-Off-

宿を出て、街の中心部へ向かってぶらぶらと歩いていると、一行の鼻先を強烈な香りがくすぐった。


「む……?」


そこは、露店が軒を連ねる小さな通りだった。

ポルナのような祭り騒ぎの喧騒はない。だが、落ち着いた風情のザレンの中でも、そこだけは威勢のいい呼び込みの声と、タレや香辛料が焦げる香ばしい煙が立ち込め、一際活気に溢れている。


「ふむ。……実に、よい匂いがしておるのぅ」

イヴリスはくんくんと鼻を鳴らし、その食欲をそそる香りに、すっかり心を奪われたようだった。

「素通りするのは無粋というもの。……少し、寄って行かぬか?」


「さんせー!!私、お腹すいたー!」

待ってましたとばかりに、シエナが元気よく手を挙げて賛成する。

意気揚々と踏み出そうとする二人に対し、ラビだけが及び腰で後ずさった。


「え……。あ、あの……こ、こんなに人がいるところに、この格好で入るんですか……?」

彼女は純白のワンピースのフリルを両手で押さえ、不安そうに周囲を見回す。

漁師町の素朴な通りで、このお姫様のような衣装はあまりに目立ちすぎる。


「何をたわけた事を言っておる!」

だが、イヴリスは心底理解できないという顔で、呆れ果てたように言い放った。

「だからこそ、人前に出しても恥ずかしくない様に、我が丹精込めて仕立てたのじゃろうが!堂々と胸を張れ、堂々と!」



しかし、ラビはまだ踏ん切りがつかないのか、人混みを前にして最初の一歩を出しあぐね、もじもじとその場で足踏みをしていた。


「……はぁ。まったく、世話の焼ける」

見かねたイヴリスは、少し諦めたかのように深くため息をつき、ポンとラビの肩を叩いた。

「まだ慣れぬのであれば、そのケープについておる『フード』でも被っておればよかろう。顔さえ隠せば、多少はマシであろう?」


「あ……!」


「そういえば、そのケープ……前のローブにちょっと似てるよな」

ヴェルトールが、ラビの肩を覆う黒茶色のケープを指差して気づく。白いドレスの中で、そこだけが以前の彼女の雰囲気を残していたからだ。

すると、イヴリスは再び呆れた様子で、けれどどこか誇らしげに鼻を鳴らした。

「……着替えさせる時、こやつが『恥ずかしい』と泣きついて、あの薄汚いローブをなかなか手放さなかった故な……。致し方なく、似た様なものをおまけで追加してやったのじゃ。……全く、手間をかけさせおって」


「えへへ……」

言われているそばから、ラビはせっせとフードを目深に被り、頭を包み込んでいた。視界が狭まり、自分の世界が戻ってくる。

ようやく顔を隠せて安心したのか、影の中で彼女の表情がふにゃりと和らいだ。

「ありがとうございます……。これなら、歩けそうです」




四人が、屋台で買ったばかりの新鮮な海の幸を堪能していると、不意にラビがイヴリスに声をかけた。


「あの、イヴ先生」

「……んぐッ」


巨大なイカの串焼きを頬張っていたイヴリスは、喉を鳴らしてそれを飲み込むと、怪訝そうな顔で眉をひそめた。


「……なんじゃ。また妙な呼び方をしおって」

彼女は不満げに言うが、その口の端には、甘辛いタレがべっとりと付いている。全く締まらない。


「だって、『好きに呼んでいい』って先生が……」

ラビは少し口を尖らせ、不満そうに上目遣いで見る。

以前の彼女ならすぐに謝っていた場面だが、今は少しだけ「弟子としての主張」ができるようになっていた。


「あー、分かった分かった!許可した!許可したからその恨めしそうな目をやめい!」

痛いところを突かれ、イヴリスは面倒くさそうに手を振ってあしらう。

「……で?改まって何じゃ?飯ならやらぬぞ?」


「違いますよ……」

ラビはジト目で返した。



「……その、触媒を一から作るときは……形はどうなるんですか?」

ラビは不安そうな眼差しで、串焼きを頬張るイヴリスに問いかけた。


「ん?形か。……一から作るのであれば、基本的にはそなたの好きな形にできるぞ」

彼女はもぐもぐと口を動かしながら、当然の知識として答える。

「……と言うても、あまり巨大なものや、複雑怪奇な構造のものは錬金術師の腕次第じゃがな」


「す、好きな形……ですか」


「うむ。何か希望はあるか?形状によって必要となる『材料』の配合も変わる故、決まっておるなら申すがよい」


「えぇ……」

選択の自由を与えられ、ラビは逆に眉を下げて困り果ててしまった。


「き、決まっているならそれに従うんですけど……。自由に選べるとなると……」

彼女は視線を宙に泳がせ、頭の中で無数の選択肢に埋もれて、石のように固まってしまった。


「はぁ……。優柔不断な、そなたらしい発想じゃのぅ」

イヴリスは呆れるのを通り越し、もはや感心したような眼差しでため息をついた。


「じゃが、丁度よい。どうせ後でウジウジと悩むのじゃろう?ならば、材料の件もある。今の内に決めてしまうがよい」

彼女は口の端についたタレを、ペロリと舐めた。



「え……い、今決めるんですか……?」

あまりの無茶振りに、ラビは目を白黒させて困惑する。

一生モノの相棒になるかもしれない道具を、こんな屋台の立ち食い中に即決しろと言うのか。


「無論じゃ。善は急げと言うぞ?」

イヴリスは串焼きの串を指揮棒のように振り、ラビの困り顔を楽しむようにニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「うぅ……」

逃げられない。ラビはがっくりとうなだれるが、すぐにパッと顔を上げ、起死回生の「時間稼ぎ」に出た。

「あ!ち、ちなみに……触媒の形って、この前聞いた杖や本のほかに、どんなものがあるんでしょうか!?」


「む?種類か?」


「は、はい!選択肢は多い方がいいと思いまして!詳しく知りたいです!」

必死の食いつきに、イヴリスは「やれやれ、勉強熱心なことじゃ」と満更でもなさそうに頷く。


「そうじゃな……。身につける物なら指輪、腕輪、ペンダント等の装飾品。或いは……細剣や短剣等の武器の形をとるものもあるかのぅ」

彼女は記憶の底を探りながら、律儀に指を折って数え上げる。

「あとは、(べる)や楽器……特殊な例だとランタンなんかもあった気がするが……」


――……よし!先生が考えてる間に、次の質問を……!

ラビはイヴリスの話にふむふむと頷きつつ、頭の中では高速で「決定を先送りにするための作戦」を練り上げていた。




「……とまぁ、そんなところじゃ。細かく数えればキリがない故、これぐらいにしておこう」

イヴリスは記憶の引き出しを閉め、満足げに言い切った。

そして、獲物を追い詰める捕食者のような笑みで、ラビに問いかける。

「で?どれにするか決まったのか?」


「ひゃいっ!!」

思考の迷宮を彷徨っていたラビは、不意を突かれて背筋をピンと伸ばし、裏返った悲鳴のような返事をした。

「なんじゃその反応は……。まさか、まだ決まっておらぬとは言うまいな?」


「あ、うぅ……」

イヴリスはじりじりと距離を詰め、彼女の困り顔を楽しむように圧をかける。


「そ、それは……その……」

逃げ場がない。ラビの目尻にうっすらと涙が浮かび、圧に押し潰されそうになった、その時だった。



「――ちなみにさ。イヴリスだったら、どれを選ぶんだ?」



横から、能天気な声が降ってきた。ヴェルトールだ。

彼はその場の緊張感など全く意に介さず、串焼きをかじりながら、ただ純粋に浮かんだ疑問を口にしただけだった。


――……っ!!

ラビがバッと顔を上げる。

その空気の読めない一言は、今の彼女にとっては絶望の淵から垂らされた、輝ける希望の光そのものだった。



「我か?……愚問じゃな」

イヴリスは、ラビを追い詰めていた表情を瞬時に引っ込め、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。

「我なら断然、『本』を選ぶ。それ以外の選択肢などあり得ぬわ」


「え、本?なんでだよ?」

ヴェルトールは、ラビが胸を撫で下ろしていることになど気づかず、素朴な疑問をぶつける。

「本なんて片手が塞がるし、咄嗟の防御にも使えないだろ?なんか扱いにくそうだけど……」


「たわけた事を言うでない。……よいか?触媒として作られた本は『魔導書』と呼ばれ、極めて実用的な道具となる」

自分の得意分野に話が及び、イヴリスの思考が完全に切り替わった。

彼女は串焼きを指揮棒のように振り回し、熱っぽく講義を始める。


「そもそも触媒とは、作成する際に術式を刻み込むのじゃが……杖や指輪では、刻める面積に限りがある。じゃが、魔導書はどうじゃ?」


「あ……」


「そう、本であるが故、書き込める『面』が無数にある!つまり、他の触媒とは比較にならぬほど複雑で高度な術式を刻み込む事ができるのじゃ!」

彼女は目を輝かせ、畳み掛ける。


「魔法毎に(ページ)を分け、それぞれの魔法をさらに最適化させる事も可能。しかも、後から頁を綴じ足せるという『拡張性』まで備えておる!」

彼女はビシッと結論づけた。

「言わば、携帯できる『武器庫』よ。……これ以上の触媒など、考えられまい?」



「……なるほどな。その話を聞くと、確かに一番理に適っている気がするな」

ヴェルトールは腕を組み、イヴリスの熱弁に深く納得した。


すると。


「は、はいっ!!」


突然、ラビが猛烈な勢いで、ビシッと手を挙げた。


「わ、私も!ほ、本がいいんじゃないかなぁって、ずっと思ってました!!ぐ、偶然ですね!!」



「…………」



そのあまりに分かりやすい便乗ぶりに、場に一瞬の静寂が落ちる。


――……こやつ、思考を放棄して便乗しおったな。

――……あ、今考えるのやめて乗っかったな……。

――……お姉ちゃん!がんばれ!!


イヴリスはジト目で呆れ果て、ヴェルトールは苦笑いを浮かべ、そしてシエナだけは事情を理解せずキラキラした瞳で拳を握りしめる。

三者三様の生温かい視線が、冷や汗をダラダラと流すラビに突き刺さっていた。




「……はぁ。まあよい、では『魔導書()』で決まりじゃな」

イヴリスは小さなため息をつくと、すぐに思考を切り替えて指を振った。

「しかし、そうなると材料が問題じゃ。ある程度は容易に揃うじゃろうが……一番の要となる中身、『羊皮紙』の確保が課題になるな」


「よ、羊皮紙!?」

その単語を聞いた瞬間、ラビは先程までの悩みとは質の違う、悲鳴のような声を漏らした。

「そ、そんな高価なもので本を作るんですか!?……そ、その辺の雑貨屋で売ってる紙じゃ、ダメなんでしょうか?」


「当然じゃろうが、たわけ」

イヴリスはラビの庶民的な発想に、心底呆れ返って鼻を鳴らす。

「魔力を付与するとはいえ、術式を定着させるのじゃぞ?そこらの紙切れ程度で、耐えられる訳があるまい。文字を刻み込むそばから、灰になって燃え尽きおるわ」


「羊皮紙って……俺、実物は見たことないけど。そんなに高いものなのか?」

ヴェルトールが恐る恐る尋ねると、ラビは絶望的に首を縦に振った。

「うん……。高品質な羊皮紙で一冊分の本を作ろうと思ったら……安く見積もっても、『白金貨一枚』は下らないと思う……」


「はぁっ!?は、白金貨ぁーーッ!!!?」

ヴェルトールの口から、魂が抜けるような絶叫が迸った。

路銀どころの話ではない。家が数軒建つぐらいの、とんでもない金額だ。

瞬く間に、希望の光が「金欠」という厚い雲に覆われていく。



「さ、さすがに……『本』は諦めた方がいいかな……」

ラビは力ない笑みを浮かべ、肩をすくめた。

自分の全財産をはたいても、表紙の革一枚買えるかどうか。身の丈に合わなすぎる。


「何を言うておる」

イヴリスは呆れたように鼻を鳴らした。

「いくら便()()()()とはいえ、一度やると決めた事をそう簡単に曲げるでないわ」

ついでにラビの便乗をチクリと刺す。


「うぅ……。そ、それはそうですけど……」


「それに、相手は一国の王宮に仕える錬金術師なのじゃろう?我らが現物を用意できずとも、何かよい代替案を提示してくるやもしれん」

彼女は「まだ詰んではいない」と断言する。


「あぁ、確かにそうだな!レックスさんやカーツさんにも相談してみよう!大人の知恵なら、何か抜け道があるかもしれない!」

ヴェルトールは落ち込むラビの背中をポンと叩き、元気づけるように力強く頷いた。

「まだお昼の約束までは時間があるし、それまで『羊皮紙以外』の材料をゆっくり探しながら、ギルドに向かおう!」


「あ……。うんっ!」

その前向きな言葉に、ラビの顔にも少しだけ色が戻る。


「よし、出発だ!」

四人は活気づくザレンの商店街へと繰り出す。

難題は山積みだが、仲間と歩く市場は、それだけで宝探しのような輝きに満ちていた。






一通り商店街を冷やかし、約束の時間より少し早めにギルドへ到着すると、重厚な扉の前で、腕を組んだレックスが立っていた。


「……思ったより早かったな」

彼は一行の顔を見ると、すぐに視線をヴェルトールの後ろ――真っ白なワンピースに身を包んだ少女へと落とし、翡翠色の瞳を丸くした。


「ほう……。服を新調したのか?」

彼はいつもの冷静な調子で、けれど温かく目を細めた。

「とてもよく似合っているじゃないか。前のローブよりも、ずっと君らしい」


「あ、うぅ……!」

不意打ちの称賛。

ナインたちから罵倒され続けてきた彼女にとって、大人の男性からのストレートな褒め言葉は、刺激が強すぎたらしい。


「あ、ありがとう、ございます……」

ラビは顔を真っ赤に染めると、恥ずかしさに耐えきれず、逃げるように深く俯いてもじもじとフリルを弄った。



「向こうの準備は整っているようだ。……少し早いが、中に入ろうか」

レックスは親指で背後の建物を指し示し、一行を促した。

皆が頷くのを確認すると、彼は先導するように歩き出し、ギルドの重厚な扉に手をかける。


――ギィィィ……


蝶番が低い唸りを上げ、扉が開く。中から漂ってくるのは、冒険者たちの熱気と、微かな緊張感。


その背中を追うように、ヴェルトールは覚悟を決めたように真っ直ぐ前を見据えて。

イヴリスは「ふぁぁ」と可愛らしい欠伸を噛み殺し、どこか退屈そうに。

ラビは慣れない白いフリルの裾を気にしながら、おずおずと。

そしてシエナだけは、大人の世界への好奇心に目をキラキラと輝かせながら。


四者四様の想いを抱き、一行は「真実」が待つギルドの奥へと足を踏み入れた。

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