第三十六話:前進 -A Step Forward-
「要するに、じゃ。触媒というのは、魔力の『出口』を調節する役割を担っておる。まぁ厳密には少し違うがな」
イヴリスは人差し指を振り、講義をまとめる。
そして、ラビの瞳に希望が灯る。
――それがあれば、私でも……!
「ただし!非常に有用な道具ではあるが、同時に使いこなそうと思えば、繊細な制御が必要となり、扱いも格段に難しくなる」
彼女は浮かれそうになる空気をピシャリと制し、ニヤリと不敵に笑った。
「ま、その辺りの実践的な指南については……また機会があれば、教えてやろう」
今日の授業はここまでと言わんばかりにパンと手を叩き、イヴリスは満足げに講義を締めくくった。
「なるほど……。いや、今の『息』の例え、めちゃくちゃ分かりやすかったよ!触媒ってすごいんだな!」
ヴェルトールが素直に感心して声を上げると、ラビも普段の内気さが嘘のように、首をブンブンと縦に振り、眼鏡の奥の瞳をキラキラと輝かせた。
「はいっ!すごいです!」
一方、シエナはまだ「フゥーッ、スゥーッ」と口をすぼめて息を吐いたり吸ったりして遊んでいる。平和な光景だ。
「確かに、それさえあれば……ラビの魔力不足の問題を一気に解決できるかもしれないな!」
「うむ、そうであろう?何故これほど優れた技術が廃れたのか、我にはほとほと疑問ではあるがな」
イヴリスはふふんと鼻を鳴らし、得意げに胸を張った。
だが直後、彼女はハッと何かに気づいたように眉をひそめ、声を落とした。
「……しかし。ここで大きな問題が一つ、浮かび上がってしまったのぅ」
「……大きな、問題?」
ヴェルトールが怪訝そうに問うと、彼女は重々しく頷いた。
「うむ。先程この娘は申したな。『養父からも、旅の中でも聞いた事がない』と。……それが答えじゃ」
彼女はやれやれとお手上げのポーズで肩をすくめ、両の手のひらを上に向けた。
「つまり……『触媒』という技術そのものが失われ、市場のどこにも流通していない可能性が高い、という事じゃ」
「そ、そんな……」
ラビの口から、か細い声が漏れる。
あと一歩で手が届きそうだった解決策。それが「存在しない」と言われたに等しい。
眼鏡の奥で輝き始めていた瑠璃色の瞳が、再び不安と落胆に揺らぎ、曇っていく。
「そっか……。言われてみれば、確かに」
ヴェルトールも記憶を巡らせ、彼女に同情するように眉を下げた。
「俺たちもこれまでの旅で、いくつか店や冒険者を見てきたけど……『杖』を持ってる奴なんて一人もいなかったし、売ってるのも見たことがない……」
金さえ出せば買えるものではない。それは、この世界から消え去った「幻」なのだ。
その時、ギルドから戻ったレックスが、音もなく談話室へと戻ってきた。
「……どうした?何かあったのか?」
彼は部屋に充満する沈んだ空気を感じ取り、怪訝そうに眉をひそめる。
「あ、お帰りなさい……。あの、レックスさん」
ラビは椅子から立ち上がり、縋るような視線を向けた。
広い世界を知る歴戦の戦士である彼なら、あるいは。
「レックスさんは……『触媒』という魔法の道具について、何かご存じではないでしょうか?」
「触媒……?」
レックスは腕を組み、記憶の引き出しを漁るように一瞬押し黙った。
ラビが固唾をのんで見守る中、彼が出した答えは残酷なものだった。
「……すまない。それは一体、何のことだろうか?武具の一種か?」
「あ……」
期待は、無情にも打ち砕かれた。
「やっぱり……そうなりますよね……」
彼女はガックリと肩を落とし、深いため息をつく。
「??」
事情が呑み込めず、彼はきょとんとして首を傾げ、視線で説明を求めた。
「……流石に、同じ説明をもう一度するのは面倒じゃ。喉も乾くしな」
イヴリスはパタパタと手を振り、あからさまに説明を放棄した。
「おぬしは、シエナにでも『指南』して貰うとよい。今は熱心に復習しておる最中じゃからな」
「え……?彼女に、か……?」
レックスは不安そうな表情を浮かべて振り返る。
視線の先では、シエナがテーブルに向かって、一心不乱に奇妙な行動を繰り返していた。
「スゥーーッ……フゥーーッ!!」 「スゥーーッ……フゥーーッ!!」
「……あれは、何の儀式だ?彼女は大丈夫なのか?」
「あはは……。大丈夫ですよ」
真顔で心配するレックスに、ヴェルトールは苦笑で返した。
しばらくの間、ヴェルトールたちは各々の記憶の引き出しを漁り、「触媒」に繋がる糸口を探していた。
そこへ、シエナによる「特別講義」を終えたレックスが、感心した様子で戻ってくる。
「……驚いたな。とても分かりやすく教えてくれたよ」
彼は戻るなり、得意げに胸を張るシエナに目を細め、大きな手でその頭を優しく撫でた。
「感覚的なものを言葉にするのは難しいが……彼女は聡明だ。よい導き手になれる」
和やかな空気。
だが、彼はラビの方へ向き直ると、その穏やかな表情をスッと引き締めた。
「……だが、すまない」
彼は腕を組み、申し訳なさそうに首を横に振る。
「俺も長く旅をして、様々な武具や道具を見てきたつもりだが……『触媒』などという代物は、見たことも聞いたこともない。力になれなくて残念だ」
「あ……」
頼みの綱だった歴戦の戦士の否定。
その言葉は重くのしかかり、室内に灯りかけた希望の光を、再び無情に吹き消してしまった。
「……魔法に関する道具であれば、『錬金術師』に聞けば何か分かるんじゃないか?」
レックスは重くなった空気を払うように、そう提案した。
専門外の自分たちには分からなくとも、物質と魔力を扱う専門家ならば、あるいは手がかりを持っているかもしれない。
「錬金術師……」
イヴリスは小さくそう呟きながら、俯いて何かを考え込んでいる。 レックスの出した単語が、彼女の記憶の引き出しを刺激したようだった。
イヴリスはハッとして顔を上げ、本日二度目となる名案を閃いた顔で、バチン!と勢いよく手を叩いた。
「……それじゃ!!」
それまで沈んでいた全員の視線が、磁石に吸い寄せられるように一斉にイヴリスへと集まった。
そして、彼女は片手を腰に当て、ふんぞり返るように胸を張り、自信満々の笑みで言い放つ。
「うむ!単純な話じゃ!現物に巡り合えぬのなら、新しく作ってしまえばよい!」
彼女はビシッと指を立てる。
「錬金術師とは、素材を加工し魔力を付与する専門家であろう?なれば、我が必要な『素材』と『製法』さえ教えてやれば……再現する事は可能なはずじゃ!」
「え……作るって、そんなに簡単に作れるものなのか?誰も知らないような道具なのに……」
ヴェルトールは不安そうに尋ねた。
「考えすぎじゃ、たわけ」
イヴリスは鼻で笑い、ヴェルトールの懸念を一蹴した。
「よいか?『触媒』は神が創った神器でもなければ、祈りで生じた奇跡の産物でもない。……そもそもは、太古の人間が知恵を絞り、その手で作り出した『道具』に過ぎぬ。人が作ったものならば、人が再び作れるのは道理であろう?」
彼女はふふんと得意げに顎を上げる。
「そ、そういうもの……なんでしょうか?」
ラビは上目遣いでイヴリスを見上げる。
その表情は、信じたいけれど信じられない、期待と不安が入り混じった迷子のような顔だった。
「やれやれ、疑り深い娘じゃのぅ」
イヴリスは呆れたように肩をすくめるが、その顔には自信が満ちている。
「まぁよい。言葉で言っても分からぬなら、実践して見せるしかあるまい。……論より証拠じゃ」
彼女は話は決まったとばかりにラビから視線を外し、頼れる案内役であるレックスへと向き直った。
「して、レックスよ。その肝心の『錬金術師』は、どこにおるのじゃ?近場におるのか?」
「そうだな……」
彼は腕を組み、吟味するように天井を仰いだ。
「ただの錬金術師なら、ある程度大きな街には大抵いる。このザレンにも店はあるだろう。……だが」
彼は少し間を置き、静かに首を横に振った。
「『未知の道具』を、製法だけを頼りに一から構築する……。そんな芸当ができる熟練者は、そうそういない」
「ふむ。なれば?」
「今、俺に確実だと断言できるのは一箇所だけだ」
レックスは地図にある西の果てを思い浮かべ、断言した。
「俺たちの目的地、『ガラルドルフ』。……その中枢にある『王宮』に行けば、国一番の腕を持つ宮廷錬金術師がいるはずだ」
「だったら、ちょうどいい!俺たちもガラルドルフにある『エルシル』って街を目指してるんだ!」
ヴェルトールはパァッと顔を輝かせ、落ち込む彼女を元気づけるように力強く提案した。
「目的地は同じだ。ついでに王宮へ寄って……ラビの触媒作り、俺たちに手伝わせてくれよ!」
「え……。で、でも……」
ラビは彼の熱意に押されつつも、顔を引きつらせて後ずさる。
「お、王宮……ですか……?」
その響きは、一般市民であり、ましてや自分を「出来損ない」だと思っている彼女にとっては、あまりにも雲の上の存在すぎた。
恐怖で小さくなるラビ。
だが、レックスは彼女の目線に合わせて屈み込み、穏やかに微笑みかけた。
「心配しなくていい」
「レックスさん……?」
「誰でも自由に出入りできる場所ではないが……幸い、今の王宮で働く人物と、少しばかり『縁』があってな。……国王へ謁見し、目的の宮廷錬金術師に会わせてもらうくらいの手配はできるはずだ」
さらりと言ってのけたその言葉は、一介の冒険者が口にするにはあまりにスケールが大きく、そして絶対的な説得力に満ちていた。
「そ、そうなんですね……」
レックスの言葉で少し安心したものの、ラビの表情からはまだ不安が拭いきれない。
彼女は指先をもじもじと弄り、最悪の想像をして身を縮こまらせた。
「でも、私……貴族の方とお話ししたことなんてないので……。もし、礼儀作法を間違えて、失礼な態度で捕まったりしたら……打ち首、獄門……」
「ブッ、考えすぎじゃ!」
深刻すぎる悩みに、イヴリスが噴き出す。
彼女はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、隣にいるヴェルトールをビシッと指差した。
「なに、心配する事はない。マナーという点では、そなたより、こやつの方が余程心配じゃぞ?」
「なっ……!?イヴリスにだけは絶対に言われたくない!!」
「なんじゃと!?我のテーブルマナーは完璧じゃぞ!?」
「口の周りをソースだらけにしてる奴が何を!」
ギャーギャーといつもの熾烈な(?)戦いを始める二人を見て、シエナがケラケラと笑い、つられてラビもクスクスと吹き出した。
二人の茶番劇が、部屋に澱んでいた重い空気を綺麗にさらっていく。
「ふふっ……。大丈夫だ」
レックスは微笑ましそうに目を細め、ラビに向き直った。
「ガラルドルフの王は、形式よりも心を重んじる寛大な方だ。君が心配するようなことは起こらないさ。……俺が保証する」
「……は、はい!」
その確信に満ちた言葉に、ラビはようやく顔を上げる。
まだ声は少し震えていたが、彼女は深く頭を下げ、未来への第一歩を踏み出す覚悟を決めたようだった。
「よろしくお願いします!」
その後、一行はギルドからの報告を待つため、談話室で暇を持て余していた。
窓から差し込む穏やかな月明りが、部屋の中にのんびりとした時間を描く。
「……ふわぁ。俺は少し横になる」
レックスは大きな欠伸を一つ残し、早々に自室へと引き上げていった。
残されたテーブルでは、シエナが頬杖をついたまま、コクリ、コクリと船を漕いでいる。ヴェルトールも釣られるように欠伸を噛み殺し、ぼんやりと窓の外を行き交う人々を眺めていた。
そんな、穏やかな停滞の中。ただ一人、ラビはイヴリスをじっと見つめ、目で追い続けていた。
「……おい。さっきから、人の顔に穴が開くほど見つめておるが」
視線に耐えかねたイヴリスは、本から顔を上げ、ジト目でラビを睨みつけた。
「鬱陶しいぞ。言いたい事があるなら、腹に溜めずにはっきり申せ」
「ひゃ、ひゃいっ!?な、ななな、何もない、ですっ!」
図星を突かれたラビは、ビクンと肩を跳ねさせ、慌てて視線を泳がせて俯く。
「何もないという事はなかろう!」
「ひっ……!」
ヌッ、と影が落ちる。
イヴリスはテーブル越しに身を乗り出し、ラビの目を覗き込むように、鼻先が触れそうな距離までズイッと顔を寄せた。真紅の瞳が、至近距離で瑠璃色の瞳を射抜く。
「……そうやって、言いたい事も言わず、もじもじと自分を押し殺すのは、そなたの悪い癖じゃ」
「あ、うぅ……」
逃げ場のないプレッシャー。
イヴリスはしばらくその圧を保ったままじっと見つめ、彼女が観念したのを見て取ると、ゆっくりと体を離して椅子に座り直した。
「ご、ごめんなさい……」
ラビは消え入りそうな声で謝り、叱られた子供のように小さくなった。
「……はぁ。とって食われる訳でもない。さっさと言いたい事を申せ」
イヴリスはラビの萎縮っぷりに、やれやれと小さく嘆息し、顎をしゃくって促した。
少しの間。ラビは膝の上でギュッと拳を握りしめ、意を決したようにパッと顔を上げる。
「あ、あの……!イヴちゃんさん……!」
「…………は?」
時が止まった。
イヴリスの眉がピクリと引きつり、思考が一瞬停止する。
「な、なんじゃ……その、珍妙極まりない呼び方は……?」
「あ、いえっ!その……!」
指摘され、ラビは耳まで真っ赤にして両手をパタパタと振る。
「シエナちゃんが『イヴちゃん』って呼んでいるのが、その……とっても可愛いなと思って……」
「なれば『ちゃん』でよかろう。何故『さん』を付けた?」
「で、でも!いきなり呼び捨て(?)は失礼かと思って、敬意を表すために『さん』を……!」
親しみを込めたい。でも失礼なのは怖い。
その葛藤が生み出した、親愛と敬語のキメラ。
「……ぷっ」
横で聞いていたヴェルトールが、たまらず吹き出した。
「コホン。……ま、まぁよい。とりあえずその珍妙な呼び方は禁止じゃが……」
イヴリスは照れを隠すようにわざとらしく咳払いをし、ぷいと顔を背けたまま言った。
「呼び方など、そなたのす、好きにするがよい。許可してやろう」
「は、はい……!」
ラビが安堵したのも束の間、イヴリスはハッとして振り返る。
「……待て。よもや、その呼び方を考えるため『だけ』に、あんなに熱心に我を見つめておった訳ではあるまいな!?」
「あ、あぁいえ!ち、違いますっ!!それはついでと言いますか……!」
ラビは顔の前でブンブンと両手を振り、裏返った声で全力否定する。
そのあまりの挙動不審さに、イヴリスはガクリと肩を落とした。
「はぁ~……。何やらドッと疲れてきたわ……」
彼女はテーブルに突っ伏すようにうなだれ、上目遣いでラビを見る。
「で?今度こそ、言いたい事の『本題』は何なんじゃ?」
「あ、あの……」
ラビはもじもじと指先を弄り、深く俯く。
しかし、逃げちゃダメだと言い聞かせるように息を吸うと、震える声で切り出した。
「じ、実は……その、イヴ、ちゃん……に……お願いがありまして……」
「願い、じゃと?……ふん、くだらぬ事なら聞かぬぞ」
イヴリスは頬杖をつき、面倒くさそうに流し目で答えた。
だが、ラビの纏う空気が変わったのを感じ取り、窓の外を見ていたヴェルトールと、船を漕いでいたシエナの視線が、吸い寄せられるように彼女へ向く。
静寂。ラビは大きく深呼吸をして、肺いっぱいに勇気を吸い込むと、震える指の背で眼鏡の縁を押し上げた。
それは小さな覚悟の合図。
彼女はバッと顔を上げ、普段の蚊の鳴くような声からは想像もつかないほどの大声で叫んだ。
「わ、私をっ!!弟子にしてください!!!」
「…………へ?」
イヴリスの口から、邪竜にあるまじき間の抜けた声が漏れた。
時が止まる。全員がポカンと口を開けた、一秒後。
「「「ええええぇぇぇぇぇッ!!!!?」」」
ヴェルトール、シエナ、そしてイヴリス本人の絶叫が、見事な三重奏となって宿屋に轟いた。




