第三十五話:触媒 -The Lost Art-
場が落ち着き、硝煙が晴れかけた頃。
固く閉ざされていたギルドの扉が、重々しい音を立てて開かれた。
「……騒動は、すべて見届けさせてもらった」
現れたのは、屈強な男と数人のギルド職員たち。
男は気絶しているナイン、レオ、レティの三人を冷徹な視線で見下ろし、吐き捨てるように断じた。
「昨日、お前から報告があった通り……。やはり奴らは、救いようのない悪党だったようだな」
「そう言っただろ?」
レックスは肩をすくめ、旧知の友に答えるように口元を緩めた。
男の名は"カーツ"。この港町ザレンのギルドを束ねる、ギルドマスターだ。
実は昨夜、レックスは密かにカーツの元を訪れ、ナイン一味の悪事の全容をすべて報告していたのだ。
公平を期するカーツは、即座に処分を下すのではなく、今日のこの騒動を「審判の場」と定めていた。
そして今、ナインたちの醜悪な本性と暴挙を目の当たりにし、ギルドとしての最終的な「黒」の判定を下したのである。
「まぁ、お前の情報を疑っていたわけではないさ。……だが、俺にもギルドマスターとしての立場があるからな」
カーツは苦々しげに弁明する。
「分かっている」
レックスは静かに応じ、しかし鋭い眼光で釘を刺すように続けた。
「だが……現にこんな腐った連中が、平然とギルドに出入りしていたんだ。もう少し、監視に目を光らせておいた方がいいんじゃないのか?」
「……承知しているさ、そんなことは」
痛いところを突かれ、カーツは腕を組んで呻く。
「だが、ギルドは街の警備隊ではない。魔物の討伐が本分であり、冒険者同士の揉め事すべてに手を回していられんのが実状だ……」
「…………」
「……いや。それは、言い訳でしかないか」
レックスの沈黙に、カーツは自嘲気味に鼻を鳴らした。
彼は友から視線を外し、ギルド員の様子を見ていた小柄な少女――ラビへと向き直る。
「君が先日、ギルド内で暴力を振るわれていたのは……職員も目撃していた」
彼は体を折るように、深々と頭を下げた。
「それを見過ごしていたのは……間違いなく、我々の怠慢だ。すまなかった」
「い、いえ!そんな!あ、頭を上げて下さい……!」
ギルドのトップに深々と頭を下げられ、ラビは恐縮のあまり慌てて両手を小さく振った。
その時、黒焦げになったナインの容態を確認していた職員が、カーツの元へと足早に駆け寄ってきた。
「マスター。……幸い、三人ともまだ息があります」
職員は倒れ伏す彼らを冷ややかな目で見下ろし、事務的に報告する。
「虫の息ですがね。……全員拘束し、ギルド地下へ連行。で、よろしいでしょうか?」
「あぁ、構わん。速やかに実行しろ」
カーツは即座に頷くと、低い声で一つだけ付け加えた。
「……あぁ、それとな」
「ハッ」
「そのまま死なれては、罪を償わせることもできん。……尋問に耐えられるよう、『最低限』の治療だけはしてやれ」
「……すまないな」
カーツは一つ、重いため息を吐き出し、太い腕を組んだ。
視線の先では、職員たちがナインたちを引きずり、ギルドの地下へと連行していくところだった。
「悔しいが、我々は法の番人ではない。奴らを裁くことはできん」
彼は奥歯を噛み締め、低い声で続ける。
「……できることと言えば、地下で少々痛い目を見せて反省を促し……この街のギルドへの出入りを永久に禁ずるぐらいだ」
「いえ。……それだけでも、十分です」
ヴェルトールは静かに首を振る。ラビを救い出すことには成功した。あとは――。
「ただ……」
彼は言い淀み、視線をイヴリスの手元――奪い取った『アルセル』へと落とした。
カーツもその禍々しい玉に目をやり、鋭く頷いた。
「アルセルか…。もちろんそれについては最優先で奴の口を割らせる。……任せておけ」
彼は落ち着いた声でそう約束した。
「何か分かり次第、すぐに君たちの宿へ使いを出そう。……だから今は、ゆっくり休むといい」
「はい!ありがとうございます!!」
ヴェルトールは、食い気味に返事をすると深く頭を下げた。
――これで……何か、呪いを解く手がかりが得られるかもしれない!
その横で、ラビも涙ぐみながら何度も頭を下げている。
過酷な運命の歯車が、ようやく好転し始めたのだ。
「うむ。では、この場は一旦解散だ」
カーツは頷き、部下たちに目配せをして事後処理を任せる。
「申し訳ないが、君たちは結果が出るまで、宿で吉報を待っていてくれ」
彼はそう告げると、踵を返し、重厚なギルドの扉へと戻っていった。
その背中は、この街の秩序を守る長としての威厳に満ちていた。
「……俺は、カーツにもう少し話がある」
続いて、レックスが足を止める。彼はヴェルトールたちを振り返り、安心させるように口元を緩めた。
「昔馴染みとしての積もる話と……今後の『詰め』についてな。俺のことは気にせず、君たちは先に宿へ戻って休むといい」
促すと、彼もまたカーツの後を追い、ギルドの奥へと消えていった。
ギルドでの騒動を終え、宿に戻った一行は、談話室のテーブルを囲んで休息を取っていた。 温かいお茶の湯気が、張り詰めていた神経を解きほぐしていく。
「……なぁ、ラビ。体のほうは大丈夫なのか?ものすごい魔法だったけど……」
ヴェルトールは、向かいに座るラビの顔色を窺いながら、心配そうに身を乗り出した。
彼の脳裏には、息も絶え絶えだったかつての彼女の姿がある。
だが、その心配を吹き飛ばすように、隣でシエナが身を乗り出した。
「うん!ホントにすごかったね!!」
彼女は目をキラキラと輝かせ、身振り手振りを交えて大興奮でまくし立てる。
「お空がピカッて光ったと思ったら……バリバリッ、ドッカーーン!って!!」
「あ、い、いえ……。大丈夫、です……。魔法は、一回しか使っていませんし……」
ラビは弱々しく微笑むが、その顔色は優れない。
全身から滲み出る気怠さを隠そうとする彼女を、イヴリスは探るように口元に手を当て、じっと凝視した。
「……そなたに少し、尋ねたい事がある」
「は、はい……?」
「先程そなたが放った魔法……。あれは、いつもあの様な……『天空から落ちてくる』様な挙動をとるのか?」
「と、言いますと……?」
ラビは質問の意図が理解できず、小さく首を傾げた。
「……いや。少し奇妙な違和感を覚えたものだからな。本人が気にしておらぬのなら、今はそれでよい」
イヴリスは「気にするな」と言わんばかりに手を振り、そこで話を打ち切った。
――本人に自覚はなし。……つまり、無意識にあの様な挙動がとられているという事か。
通常の魔法とは決定的に違う、力の流れ。
それが意味するところはまだ分からないが、この娘が抱える問題が、単なる器の大小ではないことだけは確かだった。
「……ふむ。話は変わるが」
イヴリスはラビの手元を見つめ、不思議そうに問いかけた。
「そういえばそなた、魔力が少ないのであろう?なれば何故、『触媒』を使わぬのだ?」
「……しょく、ばい?……というのは、何のことでしょうか?」
ラビはきょとんとして、聞き慣れない単語をおずおずとオウム返しにする。
「……何?」
予想外の反応に、イヴリスの動きがピタリと止まる。
――まさか。魔導士の端くれが、触媒を知らぬじゃと?
彼女は記憶を急速に辿る。
現代に目覚めてから見てきた人間たち。そして目の前のラビ。
――そういえば……。思い返せば封印が解かれて以来、一度として『触媒』を目にしておらぬ。
彼女の眉間に、深い皺が刻まれる。
――まさか、今の時代の魔導士は……己の肉体から直接魔法を放つのが『常識』なのか?
「……なるほど、そういう事か」
イヴリスは一人納得し、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「ふん、触媒を知らぬとはな……。嘆かわしい事じゃが、無知な者を責めても始まらぬ」
彼女は腕を組み、わざとらしく咳払いをする。
「い、致し方あるまい!暇潰しに、我が特別にし、『指南』してやろうではないか。感謝するがよいぞ?」
なぜか勝ち誇ったような、そして隠しきれないほど得意げな表情だ。
「え、あ、はい!お願いします……!」
ラビはこくこくと素直に頷き、背筋をピッと正して生徒の顔になる。
その様子を見て、シエナがクスクスと笑いながら、ヴェルトールの耳元に手を寄せた。
「ねぇお兄ちゃん。あれって……『教えたくてウズウズしてる顔』だよね?」
「うん、間違いないな。尻尾があったらブンブン振ってるよ、あれは」
彼も声を潜めて同意する。
偉そうにしているが、結局のところ、彼女は頼られるのが大好きなのだ。
微笑ましい即席の魔法教室が、宿屋の一角で幕を開けた。
「……よいか?触媒とは、魔導士にとっての武器とも言えるもの」
イヴリスは人差し指をピンと立て、待ってましたとばかりに講義を始めた。
「ごく簡単に言えば、体内から放出される魔力の流れを整え、『最適化』させるための道具じゃ……。これがあれば、そなたの『魔力の器が小さい』という欠点を補えるやもしれぬ」
「補える……!?」
ラビの瞳が輝く。それは、彼女がずっと求めていた「弱点の克服法」だった。
「うむ。形は様々あるが……『杖』、『本』、あるいは『水晶玉』辺りが一般的じゃったかのぅ」
イヴリスは宙に図を描くように指を動かす。
しかし、そのどれもが、誰も聞いたことのない、幻の道具だった。
「確認するが……。普段、そなたは魔法を放つ際、己の魔力を全身で練り上げ、それを直接『手』に集中させて放っているのであろう?」
イヴリスが、じろりとラビの手元を見て問いかける。
「は、はい。そんな道具があるなんて、お爺ちゃんからも、旅の中でも聞いたことがありませんし……。世の中の魔導士はみんなそうしていますから、それが普通だと……その、思い、ます……」
ラビが自信なさげに語尾を濁した、その瞬間。
「甘いっ!!」
「ひっ……!」
イヴリスの雷鳴のような一喝に、ラビは肩をすくめて震え上がった。
「『みんながそうしているから』?『聞いたことがないから』?……その様に安易に『常識』という檻に囚われるのは、魔導士にとって害にしかならぬ!それは一種の『思考停止』じゃ!」
彼女は憤慨したように鼻を鳴らすと、ふいっとラビから視線を外し、腕を組んで窓の外を見つめた。
その横顔は、先程までの怒りとは違う、真理を探究する賢者の色を帯びていた。
「よいか?心に刻め。魔導士というのは……常に可能性を模索し、疑い、そして探求する心を忘れてはならぬ。常識の向こう側にこそ、魔法の真髄はあるのじゃからな」
その言葉に、ラビはハッと顔を上げた。
萎縮していた思考が霧散し、脳内で何かがカチリと噛み合う音がする。
――常識を疑え……。可能性を模索しろ……。
彼女は震えの止まった指の背を眼鏡の縁に添え、静かに押し上げた。
その瞬間、彼女の纏う空気がガラリと変わる。
「あ、あの……!」
ラビは小さく、けれど真っ直ぐに手を挙げた。
「……な、なんじゃ?急に」
「その『触媒』というのは……具体的に、どういった作用で魔法を最適化するのでしょうか?」
唐突に放たれた質問。
その瑠璃色の瞳からは、さっきまでの怯えは消え失せ、未知の知識を貪欲に求める、力強い知性の光が宿っていた。
「……ほぅ」
その変貌ぶりに、ヴェルトールとシエナが目を丸くする横で、イヴリスは満足げに口角を吊り上げた。 良い質問だ。そうでなくては教え甲斐がない。
「うむ、よい着眼点じゃ!……では、触媒が如何にして魔力とマナを仲介するのか、その構造から紐解いてやろう!」
「……とは言ったものの。触媒の作用を、そなたらにも分かるように噛み砕いて説明するというのは……うぅむ、難儀じゃな……」
イヴリスは再び腕を組み、眉間に深い皺を寄せて唸り声を上げた。
せっかくラビのやる気に火がついたのに、肝心の教師役がまたしても固まってしまう。
「おいおい!これからって雰囲気だったのに、またそれか!?」
ヴェルトールは船上での悪夢を思い出し、ガックリとうなだれて抗議の声を上げた。
「まぁ、待て。早とちりするな」
イヴリスは騒ぐ彼に手のひらを向け、「落ち着け」と制する。
「あの『感知』の時とは違う。触媒はあくまで『道具』じゃ。最悪、理屈が分からんでも、手に持てば正しく作用してくれる故、安心せい」
「あ、そうなのか……?」
「うむ。……とは言え、構造を知っておいた方が、後々応用が利くやもしれぬからのぅ……。どう説明したものか」
彼女は「うぅむ」と唸りながら、宙の一点を睨みつけ、最適な比喩を探し始めた。
しばらく考え込んだ後、イヴリスは何か名案でも閃いたかのように、ポンと手を叩いた。
「そうじゃ!思いついたぞ!息じゃよ、『息』!!」
「「「息?」」」
ヴェルトール、ラビ、シエナの三人が、きょとんとして揃って首を傾げた。
だが、彼女は三人の困惑などどこ吹く風。
「うむ、我ながら実に的確な例えじゃ」
彼女はふふんと鼻を鳴らし、満足げに一人で頷くと、意気揚々と講義を再開した。
「コホン。……ではまず、息を目一杯吸い込んでみよ」
イヴリスは教鞭を振るうように指を立て、三人に促した。
「「「スゥー……」」」
三人は顔を見合わせ、戸惑いつつも素直に大きく息を吸い込む。 胸がいっぱいに膨らんだところで、
―パンッ!
「はい、そこで一旦止めるじゃ」
イヴリスが小気味よく手を叩き、動きを止めさせた。
「今、体内に溜まっておるその空気を『魔力』と仮定する。……それを、口を大きく開けて、ゆっくりと吐き出してみよ」
指示通りに、溜め込んだ空気をゆっくりと吐き出した。
「「「ハァ~……」」」
締まりのない音が重なり、空気がふわりと霧散していく。
まるで風呂上がりのような、気の抜けた光景だ。
「うむ。……それが、『触媒を用いず、手で直接魔法を放っている状態』じゃ」
「では、触媒を用いるとどうなるのか?……それは、『出口の形を変える』と考えればよい」
イヴリスは人差し指を立て、したり顔で解説する。
「次は、口笛を吹くように唇を尖らせ……細く、長く息を吐いてみよ」
三人は再び、肺いっぱいに息を吸い込む。 そして今度は言われた通り、唇をキュッとすぼめ、一点に向かって息を吹き出した。
「「「フゥーーーーッ!!」」」
鋭い風切り音が重なる。
吐き出された息は、さっきのように霧散することなく、一直線に伸びてテーブルの上に飾られた花弁を揺らした。
「どうじゃ?吸い込んだ空気の量は同じはずなのに……先程よりも長く、遠くまで、そして『強く』吐き出せる感覚があるであろう?」
イヴリスは顔を向き合わせる三人の反応を見て、満足そうに頷いた。




