第三十四話:凱歌 -The Unbound Soul-
一方、ヴェルトールたちの戦いの傍らでは――。
レックスとレオ、二人の実力者同士が静かに対峙していた。
背後でナインの剣が虚しく空を切る風切り音を聞きながら、巨漢のレオは苛立ちを隠そうともせずに鼻を鳴らす。
「ちっ……。ナインの野郎、ガキ相手に手こずってやがるな」
―ジャキッ……!
彼は両手に装着した鋭利な鉄の爪を威嚇するように擦り合わせ、火花を散らす。
「おい、獣人。さっさと終わらせるぞ」
「……」
「てめぇをミンチにして、遺跡に行かなきゃならねぇんでな!」
殺気迫る挑発。
だが対するレックスは、自然体で立ち、静かな、しかし一分の隙もない構えでそれを受け流した。
「……ふん。急いているなら、かかってくるといい」
翡翠色の瞳が、冷ややかに巨体を見据える。
「その鈍重な爪が、俺にかすればの話だがな」
「オラァッ!!」
裂帛の気合と共に、レオが地面を蹴り間合いを詰める。
唸りを上げて迫る、左右の鉄爪による乱れ打ち。
肉を抉り、骨を砕く凶悪な連撃が、レックスの全身をずたずたに引き裂かんと襲いかかった。
だが――レックスは、上半身を揺らすことすらしない。
――遅い。
翡翠の瞳が、爪の軌道を冷静に見極める。
彼は腕をだらりと下げたまま、高速かつ精緻なステップだけで、死の暴風雨を紙一重で捌いていく。
―ガギィンッ!カァンッ!!
爪が喉元に届く寸前、跳ね上げられたレックスの脚が、鉄の壁のように割り込んだ。
鋼鉄の脚甲と鉄爪が激突し、激しい火花が散る。
「ぐぅっ……!?」
弾かれたのは、レオの方だった。
甲高い金属音が響くたび、鉄の塊を蹴りつけられたような衝撃が手首に走り、武器ごと腕が痺れる。
捌いているのではない。圧倒的な脚力と硬度で、正面からねじ伏せられているのだ。
「くそがぁッ!!」
レオは焦燥と屈辱に顔を醜く歪ませた。
どんなに力を込めても、レックスは涼しい顔でいなすだけ。
手すら使わないその態度は、自分など戦う土俵にすら上がっていないと言わんばかりだ。プライドが軋む音を立てて砕けていく。
「ふざけやがってぇぇッ!!」
獣じみた咆哮。だが、それは力の誇示ではなかった。
―ザッ!!
「……ッ!?」
レオはつま先で地面を強く抉り、大量の砂利と土煙をレックスの顔面めがけて蹴り上げたのだ。
視界を奪い、呼吸を乱す目くらまし。
「死ねやオラァッ!!」
その一瞬の隙。
レオは勝利を確信し、渾身の殺意を乗せた鉄の爪を、ガラ空きになった胸板へと叩きつけた。
一陣の風が巻き起こり、視界を覆っていた砂埃が晴れる。
そこでレオが目にしたのは、勝利の光景ではなく、冷徹な絶望だった。
「な……っ!?」
レックスは顔を横に背けて砂をやり過ごしつつ、襲い来る鉄爪を、脚だけで完璧に受け止めていたのだ。
視界など不要。殺気さえ読めれば、防御は容易い。
「……戦い方まで、反吐が出る」
レックスは侮蔑を込めて言い放つと、防御に回していた筋肉を一気に解放した。
―ドゴォッ!!!
「ご、ふっ……!?」
渾身の力を込めた右の前蹴りが、剛鉄の杭のようにレオの鳩尾へ深々と突き刺さる。
鈍く重い衝撃音が内臓を揺らし、巨漢が「くの字」に折れ曲がって宙に浮いた。
「が、ぁ……」
息もできない。だが、獣の追撃は止まらない。
「寝ていろ」
―バギィッ!!!
レックスは浮いた体に向けて、旋風のような上段回し蹴りを叩き込んだ。
顎を砕く音。苦痛の呻きすら上げる暇もなく、レオの意識は強制的に断ち切られる。
ズシン、と地面を揺らして崩れ落ちる巨体。
その手から零れ落ちた自慢の鉄爪は、無惨に折れ曲がり、主の敗北を物語っていた。
「……」
レックスは埃を払うと、白目を剥いてピクリとも動かない大男を、ただ無関心に見下ろした。
「ま、まさか……。あの二人が、こんなにもあっけなく……?」
レティはガタガタと震え、血の気の引いた顔で後ずさる。
頼みの綱だった男たちが一瞬で打ちのめされた。奇襲をかける暇すらなかった。
「――レティッ!!」
その時、喉元に剣を突きつけられ、身動きの取れないナインが、なりふり構わぬ金切り声を上げた。
「何をしている!どっちでもいい!そこのガキを捕まえろッ!!」
「っ……!」
その怒号に、レティはハッと我に返る。
彼女の視線が、戦場から離れた場所にいる二人の少女――シエナとイヴリスへ向いた。
――あっちの銀髪は生意気そうだけど……こっちの白い方なら!
彼女は短剣を握りしめ、獲物を狙う蛇のような目でシエナを睨みつける。
「あんたの運が悪いのよ……っ!」
レティは地面を蹴り、か弱いシエナめがけて一直線に走り出した。
その先に待つのが、ただの少女ではなく、「邪竜に守られた聖域」であるとも知らずに。
「しまった……っ!!」
ヴェルトールが叫ぶ。だが、それより速く、銀色の影が動いた。
――ちっ、雑魚如きに、余計な魔力を使わせおって……!
イヴリスはシエナの前へ滑り込むように立ちはだかると、振り下ろされたレティの腕を、流れるような動作で柔らかく掴み取った。
「え……?」
レティが違和感に声を漏らす間もなく、イヴリスは突進の勢いをそのまま利用し、小さな背中で彼女を担ぎ上げる。
―ヒュンッ
世界が反転した。
「あ……れ……?」
レティの身体が木の葉のように宙を舞う。
そして、重力に従って背中から石畳へと叩きつけられた。
―ズダァンッ!!!
「がっ、は……!?」
肺の空気が弾き出され、激痛に視界が明滅する。
何が起きたのか理解できないレティの鼻先に、イヴリスの小さな拳が振り下ろされた。
―ドゴォォォォンッ!!!
「ひィッ!?」
爆音。彼女の顔の横、わずか指一本分しか離れていない石畳が、蜘蛛の巣状に砕け散り、深々と陥没していた。
イヴリスは、拳を地面にめり込ませたまま、絶対零度の瞳で見下ろして告げる。
「……下郎が。次はその魂ごと粉々にするぞ」
「あ……あ、あ……」
圧倒的な「死」の感触。
レティは白目を剥き、恐怖のあまり泡を吹いて、そのまま糸が切れたように気絶した。
「……ちっ!」
ヴェルトールの意識が後方のシエナに向けられた、ほんの一瞬の隙。
ナインは即座に立ち上がると、後ろへ飛び退き、大きく距離を取った。
「くそっ……!認めたくはないが、どうやら君たちは、僕たちより『格上』のようだ……!」
彼は屈辱に顔を歪め、手にした装飾過多な剣を高く掲げる。
「まだ続けるつもりか!?無駄な抵抗はやめろ!お前たちはもう負けたんだ!」
ヴェルトールは咄嗟に剣を構え直し、焦りと苛立ちを込めて叫ぶ。
だが、ナインの瞳には、理性を失った狂気の色が宿っていた。
「くくく……。教えてやろう。実はこの剣も、古代のアーティファクト……『アルセル』でねぇ」
剣の刀身が、ドクンドクンと脈打つように赤く発光し始める。
周囲の空気がジリジリと焼け焦げ、陽炎が揺らめいた。
「『命縛』ほど精密なものではないが……ここら一帯を『火の海』にすることぐらいは造作もない!」
「なっ……!?」
その予期せぬ脅迫に、ヴェルトールたちの背筋に激しい戦慄が走る。
「……まぁ、そこに転がっている無様な元・仲間たちも巻き込まれてしまうだろうが……。そんなことは、どうでもいい」
ナインは気絶しているレオとレティを一瞥し、ゴミを見るような目で吐き捨てた。
その言葉に呼応するように、掲げた剣が赤熱し、臨界点を超えた光を放ち始める。
―ゴウウウウウッ!!!
凄まじい熱波を伴った暴風が、爆心地であるナインを中心に吹き荒れる。
「くっ……!あいつ……!仲間を、なんだと思ってるんだ……!」
ヴェルトールは顔を腕で覆い、台風のような風圧に身体を持っていかれそうになるのを、必死に足を踏ん張って耐える。風が強すぎて目が開けられない。
「ぐぅ……っ!ただの風じゃない、高密度の魔力の壁か……!近づけん……!」
レックスも両腕を交差させて身を屈めるが、鋼鉄のような身体がジリジリと後退させられる。
剣の間合いに入れない。このままでは、広場ごと消し炭にされる――!
暴走する魔力が臨界点を超え、ナインの剣からあふれ出す灼熱の光が、ヴェルトールたちの視界を白く染め上げていく。
「ヒャハハハハ!!死ねぇ!塵も残さず!灰になれぇぇぇ!!」
狂乱じみた絶叫が虚空に響いた、その刹那。
暴風を切り裂き、凛とした少女の叫びが轟いた。
「――もう、あなたの思い通りには、絶対にさせないっ!!」
「な、に……?」
ナインがぎょっとして振り返る。その視線の先、後方に控えていたラビが、天に向かって高く手を掲げていた。
彼女の全身から、眩いばかりの魔力が迸る。それは彼女の全ての力を振り絞った、魂の輝きだった。
「ライトニング・アペクス!!」
詠唱と共に、空が割れた。
―ズガアアアアアアアンッ!!!
鼓膜を破壊するほどの轟音。
遥か天空より、神の怒りの如き一柱が、ナインの頭上へと一直線に降り注いだ。
アルセルの熱波ごと、ナインの身体が光に飲み込まれる。
一瞬の閃光。
やがて光が収まると、全身から黒い煙を立ち上らせたナインが、白目を剥いて立ち尽くしていた。
―ドサッ
糸が切れたように膝が折れ、鈍い音を立てて地面に突っ伏す。
手から転がり落ちた剣の輝きは失われ、ただの鉄屑と化していた。
「す、すご……」
目の前で繰り広げられた破壊の光景に、ヴェルトールは驚愕し、言葉を失った。
あの大人しいラビが、これほどの威力の魔法を……。
「はぁ……はぁ……。ま、間に、合った……」
ナインが倒れたのを見届けると、ラビの体から一気に力が抜けた。
彼女はその場にペタリとへたり込み、荒い息を繰り返す。
全身の魔力を絞り出した代償で指先が震えていたが、その顔には、やり遂げた安堵の色が浮かんでいた。
「……お姉ちゃん!すごーい!!」
そこへ、シエナが矢のように駆け寄ってくる。
「わぷっ!?」
勢いよく抱きつかれ、ラビは目を丸くした。
「そ、そう……かな……?」
シエナは目をキラキラと輝かせ、興奮気味にまくし立てる。
今まで「役立たず」と罵られ続けてきたラビにとって、その純粋な称賛は、どんな魔法薬よりも効く特効薬だった。
「えへへ……」
褒められることに慣れていない彼女は、照れくさそうに眼鏡の位置を直し、ほんのりと頬を赤らめた。
「うん!すっごく、かっこよかったよ!」
シエナの満面の笑みが、ラビの凍っていた自己肯定感を溶かしていく。
彼女はもう、誰かの荷物持ちではない。仲間を守った英雄だった。
「あぁ。……見事な魔法だった」
レックスは、気絶しているレオの巨体を無造作に跨ぎ、ゆっくりとラビの元へ歩み寄った。
「どうにも君は自分を卑下する癖があるようだが……。あの威力、タイミング、そして勇気。やはり君は、素晴らしい魔導士だと俺は思うぞ」
彼はラビの目線に合わせるように腰を屈め、瞳に温かさを滲ませて告げる。
「俺も!本当にそう思うよ!」
ヴェルトールも力強く同意し、彼女の震える肩を支えた。
「君は、無力なんかじゃない。……だから頼むよ。もう、自分を責めるような悲しい言葉なんて、使わないでくれ……」
彼は寂しげに、けれど真摯に訴えかける。
二人の真っ直ぐな称賛を受け、ラビは顔を赤らめ、視線を泳がせた。
「い、いえ、そんな……!わ、私なんて……」
染み付いた卑屈さは、そう簡単には抜けないらしい。
彼女がいつもの台詞を口にした、その瞬間。
「あーっ!また言ってるー!」
シエナがビシッと人差し指を突きつけ、鋭いツッコミを入れた。
「禁止って言ったでしょ!もう!」
「あ、うぅ……ご、ごめんなさい……」
「ふふっ」
縮こまるラビと、頬を膨らませるシエナ。
その微笑ましいやり取りに、張り詰めていた戦場の空気が一気に緩む。
「ははは!」
ヴェルトールとレックスも顔を見合わせ、堪えきれずに声を上げて笑った。
硝煙の匂いが残る広場に、温かい笑い声が響き渡る。それは、彼らの勝利を告げる何よりの凱歌だった。
弾けるような笑顔と、温かい笑い声。
勝利の喜びに沸く輪の外で、イヴリスだけは表情を強張らせていた。
――馬鹿な。
彼女の背筋を、凍りつくような悪寒が駆け抜ける。
――今のが……『ライトニング・アペクス』じゃと?
彼女の膨大な知識の蔵を紐解く。
その魔法は本来、対象の頭上――精々、人の背丈の三倍ほどの高さに雷を生成し、落とすだけの魔法のはずだ。
――しかし、あの娘は……遥か天空を介し、稲妻を呼び降ろした。
それはもはや、一個人が放つ攻撃魔法の域を超えている。
――……これは、一体……。
「えへへ……」
照れくさそうに笑う、気弱そうな少女。
だが、イヴリスはその小さな背中に、底知れぬ「何か」の片鱗を見てしまい、額に冷たい汗が伝うのを止めることができなかった。




