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滅びの竜と祈りの唄  作者: 彩月鳴
覚醒 -The Allegro-

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22/53

第二十二話:平穏 -A Moment of Rest-

いつも「滅びの竜と祈りの唄」をお読みいただき、ありがとうございます!


今回は久しぶりに、一挙二話の公開となります!

神殿騎士との戦いが終わり、この後ヴェルトールたちがどのように旅を再開させるのか、ぜひお楽しみ下さい!

「……ちゃん……おに……ん」

泥のような闇の底で、途切れ途切れの声が鼓膜を叩く。遠い。暗い。


「お兄ちゃんッ!!」


引き裂くような悲痛な叫びが、ヴェルトールの意識を強制的に呼び起こした。


「……っ、は……」


彼は浅い呼吸と共に、重い瞼をこじ開ける。

ぼやけた視界が徐々に焦点を結び――そこに映ったのは、涙でぐしゃぐしゃになった、最愛の妹の顔だった。


「……シエナ、か……?」

掠れた声で名を呼ぶ。


「お兄ちゃんっ!!」

彼の瞳に光が戻ったのを見て、シエナは堰を切ったように泣き叫び、ヴェルトールの胸に飛び込んだ。




「俺は……神殿騎士と戦って……それで……」

ヴェルトールは混乱する頭を押さえ、霧のかかった記憶を手繰り寄せる。

脳裏に蘇る、鮮血と、崩れ落ちる恩人の背中。


「そうだっ!バデロンさんは!?」

彼は弾かれたように顔を上げ、バデロンが倒れていたはずの場所へ視線を走らせた。

だが――そこには、黒く乾いた血だまりが残るだけで、彼の姿はなかった。


「いない……!?まさか……!」

最悪の想像に血の気が引く彼の肩に、大きく温かい手が置かれた。


「落ち着け」

振り向くと、レックスが静かな、けれど力強い眼差しで彼を見下ろしていた。


「彼は、街の人々の手で大至急、医者の元へ運ばれた」


「……!」


「かなり危険な状態だったが、処置は間に合ったそうだ。……恐らく、もう大丈夫だろう」

レックスは安心させるように、ヴェルトールの肩をポンと叩く。

その言葉は、どんな魔法よりも深く、彼の張り詰めた心を溶かしていった。



「そうですか……。よかった……」

彼は心の底から安堵の息を吐き出した。

バデロンが助かった。シエナも無事だ。その事実だけで、胸につかえていたものが溶けていくようだ。


「街の住人や、巻き込まれた旅人たちにも被害はないそうだ」

レックスは労うように優しく語りかける。

「だから、もう心配はいらない。今は何も考えず、ゆっくり休むといい」


「はい……。そう、ですね……」

ヴェルトールは力なく微笑んだ。

緊張の糸が切れた瞬間、抑え込んでいた冥の力の代償――圧倒的な倦怠感が、津波のように押し寄せる。


「俺も……少し、疲れ……」

言葉は最後まで続かなかった。

彼の身体は再びシエナの膝へと崩れ落ち、深い、深い泥のような眠りへと落ちていった。




それから、数日後。

荒ぶ荒波亭の食堂には、平和とは程遠い、けたたましい怒号が響き渡っていた。


「ええい、離せ!それは我の肉じゃ!!」

イヴリスは皿に盛られた分厚いステーキ肉を、フォークで突き刺したまま自分の陣地(手元)へグイグイと引き寄せる。

「おぬしは病み上がりの怪我人なんじゃから、少しは自重せい!!ほれ、あっちのスープを飲んでおれ!」


「怪我ならもう全快したよ!ピンピンしてる!」

ヴェルトールも負けじとフォークを突き立て、肉の端をガッチリと確保して引き戻す。

「それに、それを言うならイヴリスこそ、最近ちょっと食べすぎなんじゃないのか!?この数日で、この街の食料庫を空にする気か!?」

「た、たわけ!これは魔力回復に必要な儀式じゃ!」


―カチャカチャカチャッ!!


皿の上で交差する二本のフォーク。

二人の間には、先日の神殿騎士との死闘にも劣らぬ、バチバチとした不可視の火花が散っていた。



「ほらほら!おかわりならまだあるから、みっともないケンカするんじゃないよ!」

リエッタが湯気の立つ大皿をドンと追加で置きながら、呆れたように、けれど目尻を下げて笑った。

その表情には、騒がしい日常が戻ってきたことへの喜びが滲んでいる。


「ガッハッハッハ!!」

ダンゲルは腹を抱えて、宿が揺れるほどの豪快な笑い声を上げた。

「違ぇねぇ!そんだけ食欲がありゃあ、もう心配いらねぇな!死にかけてたのが嘘みてぇだ!」


レックスはやれやれといった表情で優雅に食後の茶をすすっている。

そして、一足先に完食したシエナは、テーブルに肘をつき、両手で頬杖をつきながら、目の前で繰り広げられる「肉の争奪戦」を、特等席のショーでも見るかのようにニコニコと交互に眺めていた。



その時。賑やかな笑い声に包まれていた宿の扉が、遠慮がちに、ゆっくりと開かれた。


「あの……。お取込み中、すみません」

現れたのは、先日訪れた診療所の女性だった。

彼女は店内のあまりの騒がしさに一瞬戸惑ったようだが、ヴェルトールたちの顔を見つけると、優しく微笑んだ。


「つい先程……バデロンさんの意識が、戻りました」

その言葉が落ちた瞬間。魔法をかけられたように、宿の喧騒がピタリと止んだ。


「「「「え……?」」」」


誰かが手から滑らせたフォークが、カチャン、と乾いた音を立てて皿に落ちる。

「本当、ですか……?」


「はい。峠は越えました」


「――っ!!」

次の瞬間、弾かれたように全員が席を蹴った。


「急げッ!!」

誰が号令をかけたわけでもない。

彼らは食べかけの食事も放り出し、転がるようにして一目散に扉へ殺到し、診療所の方角へと全力で駆け出して行った。





「バデロンさんッ!!」

ヴェルトールは勢いよく病室の扉を開け放ち、大声を張り上げた。


「シッ!診療所内はお静かに願います!」

すかさず、職員の女性が眉を吊り上げ、人差し指を唇に当てて鋭く注意する。

「大声を出しては、患者さんのお体に障りますよ!」


「あ……。ご、ごめんなさい……」

ヴェルトールは縮こまり、申し訳なさそうに頭を下げる。

そして、恐る恐る室内に視線を向けた。


消毒液の匂いが漂う、清潔な白い部屋。

そのベッドの上、厚い包帯にぐるぐる巻きにされた姿で、彼は横たわっていた。


「……やぁ。お騒がせ、しましたな」


顔色はシーツのように蒼白で、頬も少しこけて見える。けれど、こちらに向けられた眼差しは、あの時と変わらず、優しく微笑んでいた。




「バデロンさん……。よかった……本当に……」

ヴェルトールの瞳から、堪えきれない涙がポロポロとこぼれ落ちる。

生きている。その事実だけで、胸がいっぱいだった。



そこへ、ドカドカと足音を立てて、遅れてきた一行が雪崩れ込んでくる。


「ふん。あの深手から生還するとは……見かけによらず、頑丈な男じゃのぅ」

イヴリスは腕を組み、憎まれ口を叩きながらも、その真紅の瞳は優しく細められている。


「おじさん、大丈夫……?」

シエナはベッドの縁に小さな手をかけ、心配そうに覗き込んだ。


「……驚いたな。あの致命傷から、よくぞ持ち直した」

レックスは戦士として、その生命力の強さ――あるいは生への執念に、感嘆の息を漏らす。


そして、最後の一人がすべてをさらっていった。


「旦那ぁぁぁああああああッ!!!!」


「うおっ!?」


全員を押しのけ、一番デカイ男が、一番デカイ声で泣き叫びながらベッドに飛びついた。ダンゲルだ。

厳つい顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにし、子供のように泣きじゃくっている。


「心配させやがってぇぇぇ!!死んじまったかと思ったじゃねぇかぁぁぁ畜生ぉぉぉ!!」




騒がしくも温かい見舞客たちに、バデロンは一瞬だけ目を丸くし――やがて、包帯だらけの顔をくしゃりと歪めて、穏やかな笑みを浮かべた。


「皆様……。ご心配をおかけして、本当に申し訳ありません」

彼は弱々しく手を僅かに上げ、感謝を伝える。


「ですが……お陰様で、こうしてしぶとく生き永らえることができました」

その言葉に、皆が安堵の息を漏らし、静かな笑顔を返す。

だが、バデロンの表情がふと曇った。


「ただ……」

彼は視線を自分の動かない体――厚い包帯に巻かれた胴体へと落とし、悔しそうに言葉を詰まらせた。


「本当ならば、みなさんの旅に同行し……できる限りの支援をさせていただきたかったのですが……」

ギリ、とシーツを弱々しく握りしめる。

「……無念です。この深手では、私が旅を続けることは……しばらく、叶いそうにありません」




「……旦那の回復を待つわけにゃあ、いかねぇのか?」

ダンゲルは腕を組み、苦渋の表情で唸った。


「……そうしたいのは山々だが」

レックスは静かに、しかし冷厳な事実を突きつけた。


「俺たちは既に、教会と一戦交えてしまった。顔も割れている。……いつ、更なる追手が来るとも限らん」

「ここに長居すれば、この診療所や街全体を巻き込むことになる。……なるべく早いうちに、ここを離れた方がいい」



「えぇ……。レックスさんの仰る通りです」

バデロンは、包帯だらけの体を少し起こし、真剣な眼差しでヴェルトールたちを見つめた。

「私の回復を待っていては、みすみす逃げる機会を失うことになります。……私のために、皆様をこれ以上危険に晒すわけにはまいりません」


彼は痛みを堪えて微笑み、諭すように告げる。

「どうか、私のことはお気になさらず。……一刻も早く出立し、ガラルドルフへ向かってください」



「そっか……。ま、それが一番かもしれねぇな」

ダンゲルは腕を組み、納得したように深く頷いた。

決まれば行動は早い。彼は表情を引き締め、ニカッと不敵に笑った。

「よし!てぇことは、まずは対岸の『ザレン』に向かうってこったな?」


―ドンッ!!


彼は丸太のような腕で、自らの胸板を力強く叩く。

「船の手配なら任せておけ!俺のツテを使って、ザレン行きの船を探して交渉しといてやる。出発の日が決まるまでは、ウチでゆっくり旅の準備でもしてな!」


「ダンゲルさん……、バデロンさん……」

命懸けで守ってくれた二人。そして最後まで背中を押してくれる二人。

ヴェルトールは感極まり、勢いよく頭を下げた。


「二人とも……!本当に、本当にありがとうございま――」


「だ・か・ら!お静かにと言ってるでしょうッ!!!」


「「「す、すみません……ッ!!」」」


職員の女性から本日二度目の雷が落ち、ヴェルトールたちは肩をすくめて苦笑いを交わす。


「……では、また」

バデロンに目配せで別れを告げ、一行は抜き足差し足で、静かに診療所を後にした。




診療所を出て、潮風が吹き抜ける通りを歩きながら、シエナが弾んだ声で言った。

「おじさん、元気そうでよかったね!」


「あぁ。……ま、だいぶ無理をして笑ってたんだろうけどな」

ヴェルトールは苦笑しながら、張り詰めていた肩の力を抜く。


「それでも、ひとまずは……大丈夫そうでよかったよ」

最悪の事態は回避できた。その事実だけで、今の彼には十分だった。

すると、ふいに隣を歩いていたイヴリスが、何かを思案するように呟いた。


「……して、ダンゲルよ」

彼女は眉をひそめ、鋭い視線を巨漢の店主に向ける。

「船が出せるまで、具体的にはどれぐらいかかりそうなのじゃ?」



「んん?まぁそいつぁ聞いてみなけりゃ分からねぇが……早くて二、三日ってとこか?」

ダンゲルは後頭部をガリガリと掻きながら答える。


「まぁ、追われてる身で急ぐのは分かるけどよ!こればっかりは波と風次第だ。焦っても仕方ねぇぞ?」


「……あと、二、三日……」

イヴリスは腕を組み、眉間に深い皺を刻んで呻いた。

その表情は、世界の命運を左右する決断を迫られているかのように深刻で、重苦しい。


「……ダンゲル殿の言う通りだ。焦っても船は進まない」

レックスは彼女の様子をじっと見つめ、静かに問う。


「それとも……教会以外に、何か先を急ぐ理由でもあるのか?」

鋭い指摘。イヴリスは言葉を詰まらせ、視線を泳がせる。

その顔には、プライドと本能の狭間で揺れる、激しい葛藤の色が浮かんでいた。




「……あ、あと……何回……るのじゃ……」

彼女は蚊の鳴くような声で、指折り数えながら呟く。


「?」


何を言っているのか聞き取れず、一行は不思議そうに顔を見合わせ、彼女の口元に耳を寄せた。

その沈黙に耐えきれなくなったのか。


「ええい!!」


イヴリスは顔を真っ赤にして、皆に食って掛かった。


「じゃから!!出発までにあと何回、リエッタの飯が食えるのかと聞いておるのじゃ!!」


魂の叫びが、路地裏にこだました。




その言葉に、全員がポカンと口を開け、時が止まったような静寂が場を支配した。


誰もが耳を疑った。

今後の旅路や、教会の脅威を憂いていたのではなく……まさか、この食いしん坊は「あと何回美味しいものが食べられるか」を計算していたとは。


「ぷっ……!」


凍りついた空気に、小さな亀裂を入れたのはシエナだった。

彼女は口元を両手で押さえ、堪えきれずに肩を震わせる。


「あははははっ!」


それが合図だった。堰を切ったように、レックスが、ダンゲルが、そしてヴェルトールが一斉に吹き出した。


「ガッハッハッハ!!違げぇねぇ!食い物の恨みは一番怖ぇからな!!」


「くくっ……。参ったな、一本取られた」


「ははは!最高だよ、イヴリス!」


「む、むぅ……!何がおかしい!笑うでない!我は至って真剣なんじゃぞ!?」


顔を真っ赤にして抗議するイヴリスの声も、温かい笑い声にかき消されていく。


「分かった分かった!今日は俺が奢ってやるから、好きなだけ食っていいぞ!」


「本当か!?……ふん、なれば許してやろう」


穏やかな夜風が吹き抜ける港町の通り。

楽しげな笑い声に包まれた一行は、美味しい匂いの待つ宿へ向けて、並んで歩き出した。

その背中は、出会った頃よりもずっと強く、確かな絆で結ばれていた。

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