第十話:静寂 -Omen-
ヴェルトールとレックスが自己紹介をしていると、
「もうよいのか?」
イヴリスが待ちくたびれた様子で、不機嫌そうに歩いてきた。
「あぁ、心配かけて悪かったな。ところでシエナはどうしたんだ?」
辺りを見渡しながら、ヴェルトールが尋ねると、
「ふん、それはもうよい!……シエナならあそこの岩陰に隠れておる。呼んでやるがよい」
少し離れた大きな岩を指差しながら彼女が言った。
「おーい!シエナー!もう大丈夫だから出てこーい!」
ヴェルトールがそう声を上げると、岩陰からシエナがひょこっと顔を出した。
そして彼の姿が見えると、安堵と喜びの表情で元気いっぱいに走り出した。
駆けつけてきたシエナは、ヴェルトールの傷を見つけるとハッと息をのんだ。
「お兄ちゃんっ!血が出てるよ!」
泣き出しそうな顔で、彼の傷を指差し声を上げた。
「早く手当しないと!」
「…そうだな。おっと、でも先に紹介させてくれ」
そう言って、ヴェルトールはレックスに手のひらを向けた。
「この人はレックスさん。兄ちゃんが危ないところを助けてくれたんだ」
そう紹介され、レックスは優しく微笑んで軽くシエナにお辞儀した。
「………」
シエナはレックスの翡翠色の瞳と、ふさふさとした尾をじっと見つめ、突然言葉を失った。
「どうしたんだ?」
ヴェルトールが尋ねると、
「すごーい!キツネさんだー!」
彼女は目をキラキラと輝かせながら、満面の笑みで大きな声を上げた。
初めて見る獣人に興奮し、レックスの周りをくるくると回るシエナ。
「確かに…そう言われると俺も獣人を見たのは初めてだ…」
ヴェルトールはそう言ってすぐにハッとすると、慌てた様子で頭を下げた。
「あ、すみません!珍しいものを見るみたいに!」
「いや、構わないさ」
レックスが優しげな眼差しで、シエナを目で追いながら言う。
「この辺りで獣人は確かに珍しいからな。生まれて初めて見るのなら尚更だろう」
そう言って、少し照れくさそうに鼻をポリポリと掻いた。
その時、別の岩陰からバデロンが安堵した様子で姿を現した。
「みなさん!ご無事でしたか!」
バデロンはヴェルトールたちの無事を確認すると、安堵した表情で言う。
「この度は本当に助かりました!感謝の言葉もない!」
そう言って、彼は深々と頭を下げた。
「いえ、バデロンさんも無事で何よりです」
ヴェルトールも安堵したように笑顔で答えた。
すると、バデロンはヴェルトールの傷に気づき、顔を真っ青にしながら声を上げる。
「ややっ!お怪我をされているではないですか!!」
シエナもその言葉で傷の事を思い出し、また泣き出しそうな顔になっていく。
「はぁ、大きな声で余計な事を…」
イヴリスが額に手を当て、呆れたように小声で呟く。
「このままではいけません!そちらに川があります、その近くで手当てをしましょう!」
バデロンが川のある方向を指差し、そう言った。
その後レックスが軽々と馬車の荷台を起こし、一行は川の近くの木陰へと移動する。
辺りは夕暮れに染まり始め、闇がゆっくりと辺りを包み込んでいた。
「先に綺麗な水で傷を洗った方がいいな」
そう言って立ち上がるレックス。
「俺が汲んでこよう」
すると、シエナがヴェルトールの傷を心配そうに見つめながら、
「私が汲んでくる!」
そう言ってバデロンから桶を素早く受け取り、川に向かった。
「では私は先に夜営の準備をいたしますね!」
そう言ってバデロンはテキパキと動き出す。
一方、イヴリスは退屈そうに膝を抱えて、みんなの様子を見ていた。
レックスは、ヴェルトールの傷を慎重に診ながら言った。
「……ふむ、肩の傷は深くない。この程度なら、手当てをすればすぐに回復するだろう」
しかし、脚の傷を見ると、
「少し深いな…」
と、表情を曇らせて呟いた。
「早く街で医者に診せた方がいいだろう」
レックスがそう言うと、
「あと一日で着きますし、なんとかなりますよ!」
ヴェルトールが痛みを堪え、力強く答えた。
するとバデロンが火を起こしながら、
「申し訳ありません…。私がポーションを持っていれば良かったのですが、生憎…街で売ってきたばかりでして…」
そう言って、彼は心底すまなそうに頭を下げた。
「ですが!」
バデロンは顔を上げ、強い決意を込めて続けた。
「せめて街までお送りし、治療代は私にお支払いさせて下さい!」
「いえ、そんな!怪我をしたのは俺の力不足で…」
ヴェルトールの言葉を遮るように、バデロンがこう続ける。
「そうは参りません!恩人になんのお礼もしないなど、我がロスタルト家、末代までの恥!」
そう声を上げ、ヴェルトールに顔を近づけて、
「…縛ってでも連れて行きますよぉ?」
おどけた表情で彼は言った。
「バデロンさん…ありがとうございます!」
ヴェルトールは頭を下げる。
パチパチと音を立てながら揺れる焚火の灯りが、彼の優しい笑顔を温かく照らしていた。
その時、イヴリスが突然立ち上がり、険しい表情で声を上げた。
「おい、シエナが戻らぬ!何かあったのではないか!?」
その言葉に、それまで温かかった場の空気が一瞬にして凍り付いた…。
少し時は遡る……
「お兄ちゃん、すごく痛そうだった!早くお水持って行ってあげなきゃ!」
シエナはヴェルトールの傷を思い浮かべながら、桶を抱えるようにして川に急いでいた。
その時、草むらからヌッと一人の男が現れた。
「おっとお嬢ちゃ~ん。そんなに慌ててどこへ行くんだい?」
男は下品な笑みを浮かべていた。
「おじさん…誰?私、お水を汲まなきゃいけなくて急いでるの、だから行くね!」
シエナが走り出そうとしたその時、
「おっとぉ~。そんな風に言われたら、おじさん悲しいなぁ~」
そう言うと男はゆっくりとシエナの前に立ち、彼女の行く手を完全に遮った。
「どいて!お兄ちゃんが大…」
男はシエナの言葉を遮るように、怒鳴り声を上げた。
「うるせぇ!!!」
ーバシィッ!
男に思い切り頬を叩かれ、痛みと衝撃にシエナの視界が歪んでいく。
「お兄…ちゃ…」
彼女の身体は宙を舞うように地面に倒れた。
「おい、テメェら」
倒れたシエナを、冷たい眼で見ながら男が言った。
すると、草むらの影から先程の盗賊たちがぞろぞろと姿を現した。
「頭ぁ、そんなガキどうするんで?」
そう盗賊が問いかけると、
「縛って連れてこい、盗賊が手ぶらで帰っちゃあ笑い話にもならねぇ」
彼らは、抵抗する力もなく気を失ったシエナを担ぎ、夜の暗闇へと消えて行った…。