プロローグ
亡くなった祖父に捧げる物語。
「おじいちゃん、99歳おめでとう」
この日、わしは99歳を迎えた。
家族は、99歳になってくれた事に嬉しそうにしているけれど……。
わしは、別に嬉しくもなかった。
愛するかの子が、10年前に他界し、それからはみるみる体が弱り。
この10年間は、入退院を繰り返していた。
しんどくて辛い体を引きずりながら、まだ生きなくてはいけないのかと思いながら、今まで生きてきた。
朝、目が覚める度、《《ガッカリ》》するようになったのは90歳を越えてからだ。
体力は、80代の頃と比べ物にならないぐらい、一気に落ちた。
疲れた……。
もう、息をするだけでも大変だ。
かの子が、いつ迎えに来てもいいように毎日髪は整えている。
かの子にあげたつげぐしの刃はところどころ欠けているが、わしの短い髪をとぐにはちょうどいいもんだ。
「おじいちゃん、ケーキ食べようよ」
「ああ」
ああとかうんしか言葉を出せないわけではない。
話す行為に疲れたのだ。
99歳で、饒舌に話している人はあんまりいない。
話すだけで、息切れするのだから当然だ。
食べる以外の楽しみはないけれど。
嚥下能力が乏しくなったからと言って、こんなぐちゃぐちゃなケーキを差し出されても嬉しくはないものだな。
「おじいちゃんは、よくむせるし、誤嚥性肺炎が怖いから、スポンジは控えましょうね」
「はい、おじいちゃん」
「ああ」
ありがとう。
たった五文字が疲れる。
はあーー。
明日には、お迎えがきてくれるだろうか?
病室でケーキをいただいて、家族は嬉しそうに帰って行く。
そして、わしは明日もまた目が覚めてガッカリするのだ。
体が重くて、《《ありがとう》》さえしんどくて言えないなんて、情けないものだ。
『そうですか、そうですか。もう、充分生きましたか』
「はぁーー」
誰だ?と言いたいのに、息が切れる。
『すみません。話すのを少しだけ楽にしましょうね』
男が肩をパンパンと叩くと喉の奥の重りが取れたように感じる。
『どうぞ、話してください』
「あんたは、誰だ?」
絞り出したようなかすれ具合の声。
だけど、軽くて……。
久々に嬉しかった。
『わーたーしは、神です。あなたをお迎えにあがりました』
「そんなに大きな声で言わなくても聞こえるわ」
『あーー、そうでした、そうでした。軽くしたんでしたね。私は、神です。名前は、コアハヌーシ・デ・マラエトルアリュナと申します』
「コアハヌー??えっと、何だって?」
『すみません。長いですね。私は、死神です』
「死神……なんじゃ。それならそうとすぐに言えばいい。長い長い名前を言い寄って。息切れするわ」
『すみません。一応、自己紹介は、大切ですからね』
真っ黒なスーツに今時の若者を思わせるスラリとした手足は、テレビでモデルって呼ばれている人達に似ている。
「長かったのーー。やっと迎えに来てくれたか」
『何かやり残した事はありませんか?』
「やり残した事……?そんなものはない。さっさとかの子の元に連れてってくれ」
死神は、綺麗な横顔をしている。
『中林大六さん』
「何じゃ?」
『本当に、最後に何かしたい事はありませんか?』
死神の問いかけに必死で考えるけれど、99歳まで生きて何もしたい事など……。
「あっ……」
『何か見つかりましたか?』
「孫のはるくのように何も考えない日々を送りたかったの」
『何も考えない日々ですか?』
「ああ。はるくと同じ16歳の時のわしは生きる事や家族の事を考えて毎日生活していた。あんな小さな機械に現を抜かすような事もなかっだくたし。明日食べる物をどうするかを考えなきゃいけなかった。それは、みんなそうだったから。わしだけじゃなかったから……。だけど、わしもはるくみたいにハンバーガーを食べたりしてみたかったな」
『その願い叶えてあげよう』
「本当か?」
『ただし、三日間だけだ』
「三日間……少ないもんだな」
『それなら、やめるか?』
「いやいや、贅沢は言えんからな。三日間で構わない」
『それじゃあ、中林大六。今から三日間、魂を別の形に召還する』
「わしの肉体は?」
『心配しなくて大丈夫だ。三日間、ボッーとするだけだ』
「魂を別の形で召還するとは?」
『三日間だけ、中林大六の魂に新しい器を用意した』
「器?」
『何も心配しなくていい。行けばわかるから』
死神は、わしの手を握りしめる。
「三日間の青春を楽しんでください」
手の甲にそっと唇が当てられた瞬間だった。
ビリッと電気が走る。
静電気の何倍、嫌、何十倍ものビリビリが体の中を走る。
本当に大丈夫なのか?
本当に……。