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間幕 [04]主ト下僕ノ談話


「ええ、そうです。本当にお騒がせしました。……いえ、力を貸せる機会には全力を尽くします。ええ、では」

 八角の母・真由美は電話を切った。椅子に腰掛けると手足を放り出し、眉間を押さえる。

これで少なくとも彼女は警察に謝罪するという屈辱は避けられる。しかし、現在のクライアントに貸しを作ってしまった。約束の報酬は減額されるだろう。

 滞りなく進んだ会話の一部始終を眺めていた玄は「お見事」と呟いた。幾度と誰が見ても変幻自在の彼女には感嘆させられる。

 その玄を真由美は睨みつける。ついさっきまで息子と話していた『母親』からは想像も出来ない程の焦燥が顕れていた。

「その手は?」

 真由美が顎で示した玄の掌は夕刻の河童との対峙の際に負った切創で朱に濡れていた。

「川の神が彼に気づいたようで、やむなく」

「傷を見せなさい」

 ふんぞり返って座る真由美に玄はそっと腕を差し出した。傷は骨まで達している。が、彼女はこの程度の傷の治療に慣れている。

「哀れな狗っころに癒やしを」

 真由美の椀を象った掌から澄んだ清水が染み出る。溢れ伝って垂れた水は傷に注がれ、次第に塞いでいく。見る見るうちに傷は塞がり、瞬く間に完治した。

そんな奇跡を目の当たりにしても二人は全く動じる事がない。二人にとってこの治療法は出会ってから当然のように行われてきたからだ。

「忝ない」

「情けないわね。それで護衛のつもり?」

「下手に力を行使すれば敵対と受け取られかねん」

「川の一つや二つ、干してやればいいのよ」

 真由美の言葉に玄は片眉を上げる。この発言は普段の彼女に比べ、余りに過激だ。

「哀弔の青眼とも呼ばれる者も子が関われば母親か。情けを掛けるどころか滅ぼそうとは」

「黙りなさい。親が子を思って何が悪いと言うの? あの子に手を出すのが悪いのよ」

「まだ挨拶周りもしていない。獲物と思われても致し方ないだろう」

「分かってる。……明日、木曽様にはご挨拶に行く。この辺りは拮抗していて神は少ないみたいだし。玄はいざこざのあった境様を任せるわ。『肴』でも持って行けば陳謝として成立するでしょ」

「彼はどうする」

 玄はバスルームの方を見た。人外の彼は壁の向こうを察知する事も可能だ。八角が湯船に浸かって既に十五分を回っている。

「今まで通り、関わらせないで」


 真由美は八角に自分と同じ世界で生きる事を望まなかった。

母親は息子が可愛いものである。女手一つ育て、見守ってきたなら尚更だ。危険な要素は全て取り除かなくてはならない。真由美の考える八角にとってのそれは幽霊や妖といった人外の類である。それが彼女のやり方だった。

「それはさすがに無理というもの。既に彼は覚醒している」

「だから、……その件は任せる」

「神の協力と庇護を受けるなら彼を連れて行かざるを得まい。穏便に事を進めるなら謁見させるべき。神は縋る者なら疎かにしない」

「それはただの人間だったら、の話でしょう」

 玄は立ち上がろうとする真由美を押さえた。

「あなたは幼少期を神の居ない土地で育った。否、あなたより弱い小物しか居なかったと言うべき。だから根本的に『我々』の流儀が欠落している。どうか今回は彼の同行を許されるよう」

 反抗的な下僕を睨み、しかしそれが最も無難で有利に話が進む事を知っている真由美はやむなく同意した。

「……分かった。今回だけよ。あの子に何かあったら、ただじゃ済まないわよ」

「承知」


 歯軋りと共に真由美は拳を卓に叩きつけた。

「大体、何でハチの神通力が覚醒すんのよ?! あなたが封をして私とヒメコで印をしたじゃない。ヒメコの鬼道を織り交ぜた封印を解ける奴が存在するなんて聞いてない」

「高々私は二百余歳の若輩者。彼の方が博識だというのに彼以上の者の存在を知る由もない」

「そういう事を言ってるんじゃないの。どうしてハチが丹田を持っている、と解除した奴に知られたのかって事よ」

「それは、――」


 八角が神通力の源である『丹田』を所持している、と真由美が知ったのは彼を出産した直後であった。

 本来、丹田を持った人間は『封』と呼ばれる、溢れる神通力を抑制した状態で産まれる。しかし、八角は封がなされてなかった。言わば蛇口が開きっぱなしの水道のように神通力を放出していたのだ。

 真由美は直ぐに対処した。玄が封を施し、幼少からの友人である姫御子の協力の下、その丹田に印を捺したのである。

 破られるはずも、八角の丹田が知れ渡る事もないはずだった。

 しかし今の八角はそれが解除されている。何者かの手が加わっている事は明らかだ。手が加わるという事は、当然、丹田所持の事実が漏れたのである。


「朝は何も問題なかった。それなのに入学式の入場の時にはもう覚醒していた。これが何を意味するか分かる?」

 既に真由美は事態を予想していた。確認するように玄を見据える。

「工作した者が生徒に含まれると申すか?」

「あなたはどう見るの? そのためにハチを追わせたんじゃない。教室にも行ったんでしょ」

「特に怪しい者も力もない。普通の生徒達でした」

「『組織』の線は?」

「分かりかねる。外部者が関わっている可能性もある中、学校内だけに絞るのは性急過ぎやしまいか」

「分かってる。そのくらい分かってるってば」

 髪を掻き上げて眉間に皺を寄せる真由美を見て、玄は一抹の不安を抱く。普段抜かりない彼女は息子が関わると本当に危なっかしい。全てが盲目となる。任務に措いて信頼の置ける主ではあるが、やはり脆い。

 息子という宝を手に入れた代償としてそれが弱点となっているのだ。


「とにかく今はこの地域での地盤確保を優先。あなたはハチを絶対に封の仕方を習得させなさい。そうならないと安心出来ない。いいこと、余計な事は教えるんじゃないわよ」

「余計、とは」

「私の本職、組織、あなたと私の契約。他にも沢山あるわ。大体の事は誤魔化すか、嘘をち上げなさい。詳細まで話して良いのは神通力と幽霊と妖の基本的な事だけ」

「身を守る術は」

「そんなの以ての外よ。ハチが身を守らざるを得ない状況にしないために封を習得させるの」

「習得前に襲撃があるかも知れん」

「そのためのあなたよ」

「常につけられる訳でもあるまい。その方法が最善と申すか」

 玄は少し声に響きを利かせて訊ねた。金色の眼は真由美だけを捉える。その様子を見て、真由美は眉間の皺を緩めた。

「あなた、そんなにハチが心配なの?」

「否……」

 むしろあなたが心配だ、という言葉を玄は発さずに沈黙した。暫く真由美の茶を啜る音だけが室内を支配する。


「組織の動向は? 噂でも聴こえてこない?」

 沈黙を破ったのは真由美だった。話題を変える。

「年始の頃に角端が死んだ、とか」

「あら、最近動かないと思ったらそういう事だったのね」

「いえ、動きがない理由がそれならば、かえって怪しいかと。彼らは勢力内の拮抗を重要視していますから本来なら何か大事があるはず。しかし粛清や分配の再編成は特にない」

「五行思想、か。じゃあ今、五大祖は空席を放置している訳ね」

「しかも保守派の巨人が死んだとなれば過激派が主導するはず。なのに目立った動きはなし」

「確かに怪しいと言えば怪しいわね。今度、電脳世界からスニークしてみるか」


 真由美は卓上の胎児の乾燥死体を見下ろす。それを包むように持ち上げた。悪臭の殆どがしない。それが放置された年月を感じさせる。玄は口を開いた。

「その子供、純朴な霊であった。遡界も容易く進行して、幸福そうに」

「ハチは優しい子だからね。やらせたくない事だったけど初体験の割には上々だったみたいね」

 真由美は死体の顔を覗き込んだ。

「でもこれは死体。物。抜け殻。何の意味もないわ。木曽様への貢ぎ物として最適ね」

 脱衣所から物音が聞こえてくる。八角が風呂から上がった。

 真由美はハンドバックから茶封筒を取り出した。彼女が入学式の帰りに下ろした金だ。相当の厚みがあるそれをぞんざいに玄に渡す。

「入り用に使いなさい」

「頂戴いたす」

「じゃ、明日は任せたわ」

「承知」

「……」

「……」

 玄は身動ぎしない。

「まだ聞いてない事があったかしら」

「さあ」

 真由美は凶悪な一重の目つきを真っ向から受けた。

「私が聞いていない情報を言いなさい」

「よかろう。……土が」

「土?」

「生徒の靴底に付着した分かも知れぬ。が、あの教室は微かだが土の匂いがした」

「土、――ね。分かった。覚えておきましょう」

 ニヤリと犬歯を覗かせた玄を前に真由美は溜め息を吐いた。

「分かってる。熱くならない。常に全てに注目して怠らない。見聞が全てではない。これで良い?」

 玄は満足げに微笑んだ。

「それでこそ青眼の名に相応しい。尤も、そうでなければ私を使いこなせん」

 もう一度、真由美は溜め息を吐いた。


「天狗と契約すると面倒だわ。本当に」


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