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   [04]半日偽妹・陸


 異変が発生したのは私鉄に乗り換え、知多半島を目指してからだった。


 名古屋方面から走るこの路線はさっきまでの鉄道とは事情が異なるようで乗客がドッと増えた。この私鉄の終点が太平洋を臨む内海と言う所なのだが、どうやらそこに着くまでの間に居住地が多数存在するようだ。

 僕は帰宅ラッシュに巻き込まれ、揉みくちゃにされた。勿論、ノンにとっては全く関係のない些事で苦労するのは僕だけである。

 あろう事か、人が増え始めた際に乗り合わせた御老人に席を譲ってしまったため、僕はこの混雑と真っ向勝負する羽目になっていた。人の群れに半ば溺れる僕は必死に吊革にぶら下がる。

 こんな事なら要らぬ親切心を晒すのではなかった、と今更ながら後悔する。席を譲った御老人は二駅で降りてしまい、僕の座っていた座席は日々の通勤に疲れ切ったサラリーマンに蹂躙された。そして今、僕も人の波にされるがまま。

 一方、ノンはと言うとこのさほど大きくもない鋼鉄の箱に人がすし詰めにされている様が面白可笑しいらしく、ケラケラ一人で笑っている。

 暢気なものだ。僕は圧迫死寸前で胎児の干物が入った鞄を抱えていると言うのに。乗客が少ない時は気にならなかったが、こうも増えると鞄の中身が知られてしまわないか不安である。

 心で愚痴を零しながら視線を手元に移して一気に血の気が引いた。干からびた棒切れみたいな手……が鞄の隙間から飛び出ている。蹂躙されたのは鞄も例外ではなかったらしい。

 不味い。これは絶対バレる……!

 不思議と気持ち、というものは周囲に発せられるものなのか。誰も気づくな! との僕の願いは悉く無視され、不幸なことに近くにいる女性が木乃伊の手に気づいた。

 女性はそれが何なのか判らないようだ。そのまま視線を移してその胸に躰を押しつけている禿げおやじを睨みつければ良いものを、興味深く観察し続けている。木乃伊をきちんと仕舞いたいのも山々だが、注視されている以上、下手に動くことも出来ない。

 次第に彼女の表情が固くなる。まさかね、と言わんばかりに持ち主である僕と視線が合う。

 いつも通りさ。僕は何も不審な物品は所持してない。

 そう心中で唱えながら愛想良く微笑みで応える。しかし逆効果だったのか彼女の返した笑みは引き攣っていた。

 そして最悪のタイミングで人の群れが僕と鞄をもう一押しする。

「げっ」

 手の次は頭が食み出す。からっからに乾き、亀裂の入った皮膚に被われたそれが車両の揺れに合わせてブラブラ動く。慌てて吊革を離し木乃伊を鞄に突っ込む。

 それでもその女性が劣化した髑髏を確認するには十分だった。

 女性の無駄に大きい悲鳴で車内は騒然となった。「あの高校生が子供の死体を隠し持っている」との報せは車内に次々と伝播し、既に周囲の大人たちは確保態勢に入っている。

「おにいちゃんどしたの?」

 状況を呑み込めてないノンの抜けた声で僕は停止しそうな思考をなんとか保った。

 証拠は十分。ここで捕まれば最後、言い逃れは出来ない。「みんなに見えないものが見えて、それの願いを叶えようと手助けしてました」と言ったところで誰が信じると言うのだろう。黙すればあらぬ疑いを掛けられ、真実を話せば精神異常者と判定される事間違いない。


 次に僕が採る行動、否、採るべき行動はこの場から遠ざかる事である。不幸中の幸いか、今は駅に停車中。逃走。そう遁走だ。それしかない。

「ノン! ついて来い!」

 誰ともなく叫んだ僕を見て、周囲は瞬間身を引く。その隙を突いて僕は手近な車窓の鍵を外すと車外に転がり出た。

「なになに? おにいちゃん鬼ごっこするの?」

「いいから、絶対離れないで」

 直ぐ後にノンがいる事を確認すると線路上を走り出す。バラストを蹴り飛ばす乾いた音。次に向かう駅を示す電光掲示板。ホームから目を丸くして見下ろす通行人。何かを叫ぶ駅員。しかしどれも遠くに感じた。

 今まで世間で言う『悪いこと』はしたことはない。何時でも僕はいい子で、法を犯した事なんて当然ない。電車の窓から飛び降り線路を走る、なんて非日常は今までの僕にはあり得なかった。

 しかし、それら全てをたった今、吹っ飛ばした。

 何故だか無性に清々しい気分だ。新たな境地に達したかのような錯覚を覚え、何か自分が普通とは異なる特別に変換した気がする。


 根源不明の高揚感と爽快感を胸に僕は線路沿いから逸れて車道に入り込んだ。ここらはベッドタウンらしく、整然と似たような邸宅の合間を縫いながら走った。

 追っ手の気配がなくなるまで。そうすればタクシーでも拾って防波壁を目指せば良い。それにしても僕が追っ手と称するこの駅員はどうもしつこい。……追っ手?

 僕は自問した。果たして駅員が駅構内を飛び出してまで不審者を追いかけるだろうか。

 不思議に思い、後方を振り向く。ノンの他に動く者はいない。しかし、何者かの気配がする。気配は何かが地中を這うような、そんな動きで僕とノンを追跡していた。

 そこで僕は再び自問する。

 僕は何時の間に『気配』なんて仰々しいものを感じられるようになったのだ?!

 無意識の内に行っていた『気配を読む』という行為に僕は大いに驚いた。勿論、そんな事今までした事ないし、試した事もない。そんなものを養う訓練を受けた事も、それに連なりそうな心当たりもない。

 思わず僕は立ち止まってしまった。

 ノンを見つめる。判る。飛び跳ねるような活気に溢れている。ノンの気配が感じられた。これがノンだ、と躰が応えている。

「ふぃー、鬼ごっこはお終いなの?」

 ノンは息を乱れさせる事がなかった。幽霊だったら疲れを見せないのも当たり前か。僕の息は荒い。これ以上駆け続けるのも限界が近い。

 執拗なる気配は遂に僕らの足下にまで迫った。離れなきゃいけない。そう本能が訴えるのに躰が思うように動かない。

「なに? この感じ……下?」

 身を竦めてノンが訊ねる。

「わかる……の? この……感じ」

 息が上手く調わない。先程まで走っていた事だけが原因ではない。近づく脅威に心臓が高鳴っているのだ。

「怖い。ノン怖いよ。早く行こうよ、おにいちゃん」

「わかっ……てる。けど……からだが」

 全身に異様な倦怠感。筋肉が弛緩を繰り返し、躰が揺れる。蛇に睨まれる蛙とはこの事か。肝心の蛇が見当たらないが、元凶が追ってくる気配だという事は分かる。

 僕らが止まった事を悟ったのか、気配が一気に間合いを詰めたのを感じた。

 闇。全てを呑み込む漆黒。そして、水の音。泡の弾ける音。それらが伝わり、躰中が粟立つ。

 ノンは四肢を捩って距離を取る。僕は動けなかった。

「来るっ! 逃げて、おにいちゃん!」

 恐怖に上擦った声でノンが告げる。


 鼓動が頂点に達し、必死に唾を飲み込もうとした時。爆音と共に気配の達したマンホールが空高く吹き飛んだ。

 僕の躰が感じたのは滾々と溢れ出す水。しかし、実際は水で湿った笠を被った人のような物体が三人這い上がってきた。それは奇妙な出で立ちで日本史の資料集に載っている足軽のような軽装備の兵士である。但し人じゃない。

 先ず目を引くのは光沢を放つ湿った暗緑色の皮膚である。無毛でツルリととした躰は刺激に弱そうで両生類を連想させる。その皮膚と無骨な足軽具足が対照的で精巧な模型に見えた。

 首から上は化け物そのものである。赤く光る小さい両眼。皺の寄る目元。そして鷺の如く長い嘴。呼吸の度に喉が鳴り、軽く開く嘴からは鋭利な牙が覗く。手足は華奢で長く、指には水掻きのような膜も見受けられる。猫背なためにその両腕は更に長く見えた。

 妖怪、と呼称すれば良いのだろうか。称するなら……河童。そう河童である。

 しかしこの河童は僕が知っている河童のどれよりも邪悪で禍々しく、可愛げが微塵も感じられない。『気配』から抱いた恐怖を具現化した物と考えると妙に納得した。

 河童は一匹が太刀を佩び、一匹は短弓を携え、一匹は環の小さな鎖を所持している。徐に河童が太刀を抜いて肩に担ぐ。口元を歪ませるのが見て取れた。

「これは運が良い。贄を境様に献上するだけでなく、残肴にありつけるとは」

 嗄れた鈍い声。知性を感じられないが粗暴さは感じられる。

 僕は耳を疑った。驚いた事にその声は河童が発した。そして河童は『ニエ』と言う時に僕を、『ザンコウ』と言う時にノンを見た。それが何を意味するのか僕には全く理解出来ない。

 ノンが悲鳴を上げるが動く様子はない。ノンはこの異様な三匹を知っているのだろうか。正確に言えばこの三匹は僕らにとって無害なのか、否か。


 僕の直感だけを頼りとするならば、この河童は危険極まりない。しかしこの場合も『無知』というものが判断力を邪魔する。ノンが幽霊かどうなのか未だに確信が持てないように、僕は目の前の三匹について余りにも知らな過ぎる。危険だとしてその対処法すら想像つかないのだ。

 この状況下、ほんの二、三秒の間にこれだけ思考を回転させた僕に誰か賞賛の言葉を贈って欲しい。しかしそれも冥土の土産だ。河童が太刀を振り上げるのが見えたが、僕は足を動かせなかった。

 こんな形で死を迎えるなんて誰が予想しただろう。僕は普通に生活し、普通に衰え、普通に死ぬはずだったのだ。そう、僕はこんな見知らぬ住宅街の片隅で幽霊と妖怪に囲まれて、太刀で斬り殺される要素なんてない普通の少年だったのに。

 違う、と言う声が聞こえた。ああ、そうか。そうだな。納得した。

 普通の少年は幽霊と話せる母親なんていない。幽霊を靄として存在に気づいたりしない。そもそもこんな状況下に陥る事すらあり得ない。

 僕って本当に普通じゃないや。


 僕は夕日に染まる刃が振り下ろされるのを他人事のように見ていた。

 生の終焉。苦痛の開幕。飛び込む黒い影。僕と太刀の間に何かが割り込んだのはその刹那。僕は尻餅を突かされ、太刀は獲物に届かず黒い影から伸びた腕に阻まれた。引き締まり、筋の張った剛腕は素手で刃を握り締めている。肘まで伝った赤黒い液体は滴り落ち、僕の頬を朱に染めた。

 突然の乱入者に驚いたのは河童も同様。太刀を手放し、跳び退る。赤い眼球が忙しなく蠢いた。

「きっ貴様は! どうしてここにいる!?」

 河童の叫びは金属音の如く耳に響く。そして両者はまるで見知った関係であるかのような口振りだ。乱入者は僅かに答えた。

「この子は我が主の子息である」

「なにぃ?!」

 僕もその言葉に驚き見上げた。『子息』が僕を指すならば、『我が主』は母という事になる。


 黒い影は長身の男だった。顔が見えないが、先ず目が行くのは髪を剃り落とした頭。揉上げだけを長く伸ばし三つ編みにした独特の髪型だ。兜巾を被り、黒い法衣に身を包んだ姿は時代劇でありそうで、違和感の拭えない奇妙な服装である。

 山伏、と言うには黒の法衣がおかしい。他にも杖のような物を持っていた気がする。

 御坊、と言うには余りに漂わせる雰囲気が暴力的過ぎる。確かに香を焚き付けたと思しき芳しい法衣は寺院を連想させるが少し違う。


 黒坊主の言葉に一瞬たじろいだ河童は持ち直そうと言い返す。

「ふんっ。寝言は寝て言え、くそ狐。青眼の息子が鬼ではない事など誰だって承知の事ではないか」

「真実である」

「黙れ。如何に貴様であろうと三人相手では分がなかろう。我ら境水族を舐めてもらっては困る。さあ、境様に献上する贄だけでも渡して貰おうか。納得行かぬならその、滓はくれてやるよ」

 今の河童の言葉、理解出来た部分は殆どない。但し河童が強気に話す割に、黒坊主が優勢だとは感じた。なんと言っても残り二匹の河童が既にマンホールへ逃げ込み、そして太刀を手放した河童はそれにも気づかずに虚勢を掲げているのだ。

「おい! もう退こう」

 マンホールからの仲間の声で河童は一気に慌てふためいた。ようやく自分の状況に気づいたようだ。

「お、お前ら。儂が一人で頑張っていたというに何をしておる。出世の好機ではないか」

「無理だ。儂らじゃ奴に敵わん。あいつは噂に聞く『はぐれ狗』だろう? それに奴が関わったせいでどちらにしろこの件は境様と青眼の問題だ。沙汰は境様にお任せせれば良い」

「しかし、」

「儂は死にとうない」

 そこでマンホールから気配が消えた。仲間が去った事で更に焦る河童は地団駄踏みながら小さい赤目をぎょろりぎょり動かし、僕、ノン、黒坊主と見回した。「覚えてろよ」とくぐもった声を残し、河童はマンホールに消えてしまった。


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