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   [04]半日偽妹・伍


 僕は再びロッカー内の死体を確認し、近くの瓦礫に腰を下ろした。距離を置きたかった。さもないと死体から発せられる何かに冒されそうな気さえした。

「おにい……ちゃん」

 不安げなノンは僕の反応に疑問と衝撃を受けたようだった。

「何で? 嫌いになっちゃったの? アンのこと。……ノンのこと」

「いや……」

 それ以上、掛ける言葉が見つからない。

 僕は顔を埋めるように手で覆った。死体を見るのは初めてだ。乾燥した物体は妙に生々しい形で残り、しかしそこからは微塵も生を感じられなかった。

 正直な所、ノンが人間じゃないだけにアンもそうだと考えていた。幾つか考えていた候補もあったが、所詮それは人形とかの類止まりだった。

 暫くの間、重苦しい沈黙が続いた。ノンは俯いたまま座り込み、ロッカーのアンを見つめ続けている。その空気に耐えかねて僕はやっと訊ねた。

「……その……、離れられないっての詳しく教えてくれない?」

 僕の声に反応してノンは恐る恐る振り返る。

「アンと、ノンのこと?」

 目に涙を浮かべたノンは酷く痛ましい。お目出度い顔が歪むとこちらが何かとんでもない間違いを犯したような気持ちになる。

 そこでノンは今まで僕以外と会話していない事を思い出した。コミュニケーションを取った事がないのは大きな障害として感受性に影響するのかもしれない。

「ノンはね、遠くに行きたいの。でもね、アンが引っ張るの」

「引っ張る?」

「ノンが遠くに行こうとするのね。でも行けなくなるの。アンからは学校より遠くに行けないの」

 縛り。拘束。戒めの抜け殻。

 つまり、ノンはアンに縛りつけられている。否、アンがノンと言うのは強ち間違いではなく、あの木乃伊はノンの生前の躰なのだ。

 ロッカー内に胎児の死体。経緯は定かでないがそこに棄てられたのは確かだ。何らかの方法か、偶然か、神の悪戯か、その胎児は幽霊となった。

 独りぼっちの幽霊は幸いな事に移動出来る範囲に学校が作られ、言葉を知った。独り言のように喋り始めた幽霊は自らをノン、抜け殻にアンと名づけ、一人二役で会話を成立させてきた。

 そして何時か出逢う自身を認めてくれる者――この場合は僕、という事になる――を待ち続けてきた。

 ノンのこれまでというのはそういった所だろう。


 つまり、ノンの感情は学校の生徒らの交流を見様見真似で生じた物である。……そう考えが至った途端、急に目の前のノンが人間の真似をする出来損ないに見えるようになってしまった。何か謀られたようなそんな気分になり、ノンに僅かな嫌悪感を抱いた。もう相手にする事もないじゃないかと思う。

 同時にノンのそんな存在に同情する僕もいて、あり方に嫌悪を抱くのは薄情だとも思う。自我が芽生えた時に独り、と言うのはどんな精神状態なのだろう。そこでもう一人の僕が反論する。他者との交流がない時点で自我など存在するはずがないではないか。

 考えれば考える程、答えが出ない。とにかく、僕は何をどうすれば良いのか全く分からず、途方に暮れていた。


 放心状態の僕が次第に焦点を合わせたのはノンだった。不安げな上目遣いが僕の同情心を煽る。

 ノンの願いを思い出す。

 空や海を見たい、だなんて純朴で健気な願いじゃないか。それは人間でなければ望んじゃいけない願いだろうか。ここで彼女を放り出す事はないじゃないか。何より、既にした約束を反古するのは僕自身が赦せない。

 僕にノンを見捨てる理由なんかない。

 そして僕の性根は一方的に見捨てる程に現実的でシビアな仕組みに作られていなかった。きっと、長年に渡って木偶坊とも呼べる母と過ごしてきたからだろう。後から沢山の後悔が追撃しようと結局僕は同情心から情けを掛けたり、世話を焼いたりするのだ。

「ノン」

「なっ何?」

 僕の呼び掛けに怯えを見せたノンに微笑み掛ける。

「見に行こう。空と太陽と、星に月、海もだっけ」

「……ほんとに」

 力強く頷いて見せる。途端に彼女の涙は溢れ出す。

 初めて、漸く見つけた話し相手であり、願いを叶える希望の存在に棄てられる。一度棄てられたアンから伝わる絶望をノンも知っていたとしたら、それはこの世でどんな事よりも不安にさせる懸念なのかもしれない。

 僕はもう、ボロボロ零れる涙を前にこれが偽りだという考えは浮かばなくなった。


「さて、と。こいつをどうするか……」

 木乃伊を前に腕を組んだ。

 ノンを地上に連れ出すと決まれば、先ず問題は干からびた胎児をどうやって携行するか、である。まさか棒つきキャンディーみたく摘んで持ち歩く訳にもいくまい。答えは単純、既に出ている。何かに入れて行けば良い。

 では何に入れるのか。

 僕は自分の正鞄を開けて、中と木乃伊とを見比べた。

 ……駄目だ。流石に干物を鞄に入れるのは気が引ける。と言うより、生理的に抵抗がある。変な臭いがつきはしないか。染みが出来ないか。更に余計な心配が募るのは僕が潔癖症だからという訳ではなく、後々掃除をするのが面倒臭い、という個人的な理由のせいだ。

「ノン、何か包む物がないか探してくれない?」

「ふぇ? その鞄に入れないの?」

「だってなんか厭だし……」

 はっ! うっかり本音が……。

「ゥエッ……ヒグッ」

 案の定、ノンは目に涙を浮かべて……と言うより既に泣いている。

「じょっ冗談だよ。ほ、ほら。この鞄に入れる入れる」

 慌てて古新聞紙ごと木乃伊を正鞄に突っ込む。小枝が折れたような小気味良い音がしたが、もう気にしない。

 ああぁ……。きっと学生鞄に木乃伊を入れた事のある人なんて僕だけなんだろうな。


 それから僕らは来た道のりを引き返した。ノンは殆どの障害物をすり抜けていくから苦労するのは僕だけだが。パイプの隙間を抜ける際、鞄がつっかえた時は焦った。中身がかさばる分、鞄が膨らんだせいだ。悲鳴を上げるノンを無視しながら強引に通った。お陰で中からまたしても小気味良い音が漏れた。

 腰を摩りながら乾いた排水溝を戻り、学校のある区画からO-5区カプセルポートまで辿り着いた時には午後三時を回る頃だった。とっくに帰宅している時刻である。

 ノンが見たいものを全部一度に見るためには海岸線沿いの防波壁に行くしかない。手首の端末機で調べると、この時間帯にここから海岸方面に向かう交通機関は少ない。帰宅ラッシュの方向と逆だからだ。一番速いルートを採っても日没に間に合うかどうか。

「ノン。今日は一旦、家に帰って今度の休日にでも出直さない?」

「駄目」

 即答。しかも頑とした瞳がそこにあった。

「なんで」

「わかんない。でも、今日じゃなきゃ駄目な気がするの」

「気がする、なら別の日でも良いじゃん」

「じゃあ。今日じゃなきゃ駄目なの!」

 なんだそれは。

「だってさ、このまま行っても間に合うか分かんないし」

「おにいちゃんが間に合わせるの!」

「んな無茶な」


 実は僕が心配する障害がもう一つある。羅府型スモッグだ。今朝の大気汚染注意報はオレンジ。しかも逆転層の発生まで予報されていた。温暖化の影響で気象庁の予報は余り当てに出来ない。

 とは言え、スモッグは発生しないとの予報に反する事はあっても、スモッグが発生する、という場合は大抵高確率そうなる。エアロゾルを含んだ高濃度の羅府型スモッグが上空を覆った場合、晴天でも空は霞み、霧が掛かったようになる。しかも近年の事例は質が悪く、日没後まで滞留する事もある。そうなれば空や星を……なんて無理な話だ。それだけ日本のお天気状況は気紛れなのだ。

 全部お隣の大国の環境を省みない大発展のせいだが、困った事に米国が極東戦争の撤退を境に消極的になったお陰で日本は強く文句も言えない。今の日本は単独で中朝とドンパチやらかす軍事力はない。地下開発の開始と同時に外交に消極的な日本は他国に文句を言わない、言わせないがモットーなようだ。

 そんなこんなで、晴れているとも限らない今日より、日を改めて快晴を選んだ方が確実なのだ。……という事をノンに説明したのだが、対するノンは頭からクエスチョンマークを生やしたポカン顔だ。地上に行った事のないノンに大気汚染がどうとかを理解しろ、と言うのも酷かもしれない。

 家に帰れば母がいる。ノンが幽霊なら恐らく母も会話出来るはずだからきっと楽しい。と、家に一旦引く事の利を唱えたが、やはり今日じゃなきゃ駄目だ、の一点張り。

「だから、何でそんなに今日に拘るの」

「分かんない! 分かんない、けど今日じゃなきゃ駄目なの」

 ノンのお目出度い顔が切なそうに歪む。本日何度目かのお顔だが、僕は自分でも驚く程その表情に動揺した。

 頼むからそんな顔をしないでくれ。こっちの気分が悪くなる。僕まで切なくなるじゃないか。

 不思議な事に僕はノンに笑っていて欲しいと思っていた。可哀想な、同情を買う境遇を知ったせいか? 違う。僕はこの数時間の間にノンの様々に変化する感情に触れて、言い表し難い親しみを感じていたのだ。

「……分かったよ」

 結局、明確な理由などどうでも良くなった。見られなければ帰れば良い。溜め息混じりで承知すると、ノンはパァと笑顔を花開いた。なんだか良いように扱われている気がしないでもない。それでもノンが笑うと不思議と僕も嬉しくなった。

「それじゃ行こうよ! ホームはこっち?」

 ノンはスキップを交えて駆け出す。僕はその後ろ姿を年の離れた妹を見守る兄みたく見た。微笑ましい眺めである。……と、その時我に返った。ノンは僕にしか見えてない!

 辺りを見回して予想通りの状況に赤面する。

 人通りの激しいカプセルポートの構内に僕を中心とした穴がぽっかり出来ている。勿論過ぎ去る通行人は僕に好奇の眼差しを沢山くれる。

 赤面のまま、僕は慌ててノンを追い掛けた。




 リニアカプセルはノンにとって退屈以外の何物でもなかった。リニアカプセルは区画間を繋ぐチューブを移動する。乗っている間に何かあるわけでもなく――僕としてはあった方が困るが――時間が経てば勝手に目的地に到着する。窓といった類のものもなく、変化のないカプセル内は退屈なのだろう。

 直ぐに少ない乗員に悪戯を始めた。押された客は満員でもないのに圧迫を感じて訝しげに辺りを見回す。終始そんな様子を眺めながらツッコミも注意も出来ないとなると歯痒い。

 しかし、他に乗客がいる限り徹するべきは無視だ。ノンの飽くなきポルターガイストはリニアカプセルを降りるまで続いた。

 海岸に近いカプセルポートから今度は地上の電鉄で海岸沿いの駅を目指す。駅はポートと複合しているので直ぐに乗り換えが可能だ。


 ノンは電車という乗り物を大層気に入ったようだ。発車して少しもしないうちに車窓に天日が差し込む。ノンは座席に飛び乗ると膝を突き、顔を車窓に出したり入れたりした。

「うわあーっ!」

 清潔感漂うモノクロの地下世界に対し、地上は鮮やかで色の機微に富んでいる。日の傾く朱色の空に無数の電線が走る。次々に通過する煤けたビル群は既に濃い影を落とし、街路は煌びやかな灯りがつき始めていた。

 見たい、と言っていた空が見えると言うのにノンの興味は初めての景色全てにあるようだ。ノンは移り変わる景色に目を奪われ、流れるビルに合わせて首を右往左往させては感嘆の声を上げた。

「凄い凄い! これが外の世界なんだね!」

「ほら、ノン。空はもう見えてるよ」

 小声で教えると、ノンは更に興奮した。幸いに車内は人がなく、ほぼ独占状態だった。

 夕焼けの空は見事に晴れていた。

 ノンの言う通りにして正解だった。空は雲一つなく――夕焼けの朱色が僅かにグラデーションをなしているので薄い雲はあるのだろうが――、遠くのビルの屋上に見える気象庁の電光掲示板はグリーンだ。

「綺麗……。あっ! おにいちゃん、あれって?」

 ノンの指差す東の空に白い月が昇っていた。

「月だよ」

「うわあっ! お月さま? あれがお月さまなんだね!」


 ノンは目まぐるしく変わる景色に目を回す事なくはしゃぐはしゃぐ。

 その様子を眺めながら僕は騒がしいながらも賑やかな新生活が始まった事に心が躍る。明日から続いていくであろう生活に思いを馳せるのであった。


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