[04]半日偽妹・肆
学校の区画から一旦出た僕らは隣の区画に繋がる通路を進んだ。
ノンはきょろきょろと見回しながらゆっくり進む。そして時折、壁に頭を突っ込んだりした。どうやら僕が通れそうな道を探しているらしい。そうなると益々、アンの居場所が想像出来なくなった。
地下都市は地中に穿たれた巨大な空間に、何層かで形成される立体都市がそっくりそのままはめ込まれている。最下層には地熱発電所が設置され、そこから上に向かって、機密区、物資貯蔵区、室内農場、居住区、諸業区で形成されている。学校などの公共施設は諸業区に所属する。ちなみに電力は地熱の他に太陽光、風力、波力を中心に併用供給されている。火力発電はその座を併用型の発電施設に譲りつつあり、原子力に至っては息を潜めた。
そして地下都市はその巨大さ故に自体の支持が重要である。下に向かう程、その加重は大きくなる。そのために自重を分散するために隔壁で多くの区画に分け隔てられており、各区画の空間を有効利用出来ていない。
その区間の移動は幾つものルートがあるとは言え、通路を案内板通りに進めば必ず行きたい区画に辿り着く。
つまり、ノンが壁の向こう側を窺ってまでして道を探す必要はないはずなのだ。
「ここならおにいちゃんでも通れるかな」
ノンが止まったのは整備用の通用扉だ。
区画間には通路に沿ってパイプラインも併設されている。その整備のための物であろう。
この区画は比較的新しく、改修されて間もない。中でもこの通用扉は作られてから一度も使われていないのではないか、と思うくらい傷一つなかった。
「ここ通るの?」
周りに人気がない事を確認しながら訊ねた。前後共に通路の描くカーブまで人影はない。
「うん」
「これ……どこに繋がってるの?」
「アンの場所」
そう言ってノンは扉をすり抜けてしまった。しかし、……。
辺りをもう一度確認して人目がない事を確信すると、目立たないよう壁と同じ白い扉に手を掛けた。案の定、押しても引いてもびくともしない。
大体分かっていた事だ。整備用の扉なら整備士以外が立ち入れないようにするのが当たり前なのだから。
「開かないよ。これ」
「ええー? 力一杯引っ張った?」
「うーん、鍵掛けられてるみたい」
「ちょっと待って……。上は? 上、繋がってるみたいだよ」
上?
見上げると通風口がある。だが、通路の高さは三メートル近い。
「無理だよ」
「もう! おにいちゃん頑張ってよ」
僕に非があるようにノンは責めるが通風口からスルリ、と言うのは映画の中だけだ。左右の壁からも離れているし、掴む所もない。
ノンが文句を垂れている間、通行人が何人か通ったが僕は考え事をしている振りで誤魔化した。通路で考え事は少し変だが仕方がない。
ノンにつき合ってやる事に若干の後悔が生まれ始めた頃、ノンは「あ」と声を出した。
「下があった!」
通路の左右、等間隔に細長い孔が空けられている。排水ポンプが故障した際にのみ水が通る緊急時の排水口だ。
「まさか、ここから中に入れっての?」
「うん! こっちにも繋がってるよ」
ノンは扉から顔だけ出して嬉しそうに笑う。
「……嘘だろ」
結局、学校まで戻って今まで一度も湿った事などなさそうな排水溝に侵入した。校庭の隅にある金網を外し、中に入ると案外広い。それでも膝を突いて進まなくてはならなかったが、通路の小さな孔から連想出来る大きさではない。
頭上の孔から差す光を頼りにただ黙々と進んだ。ノンが排水溝内に顔だけ出して話掛けてきたが、それを無視した。ここからは通路に人が居るかどうかも分からない。もし、うっかり通行人がいる時に排水口から楽しそうなお喋りが聞こえてきたら、それはそれは愉快な事だろう。
ノンは不満そうに膨れっ面を見せるだけで、喚かなかったのは成長の証か。
膝と腰が悲鳴を上げた頃、ようやく先程の通用扉の下に到着した。確かに左手に排水溝の合流点があり、真っ暗で何も見えないが方向から考えて、通用扉の向こうへ行けそうだ。
ここに至って僕は長い溜め息を吐いた。一体何で僕は排水溝の中で座り込んでるんだろう。……それを言っても始まらないのは分かっている。約束は約束だ。しかし、物を通り抜けられるならいざ知らず、普通に行こうとするだけでこうも困難な目的地は一体どこなのか。
インターネットの掲示板で見た事のある噂がふと蘇る。
『地下都市の区画と区画の狭間に迷い込むと還って来れない』
ゲームのバグ技から連想された噂だろうが、少し怖い。確かに今、僕が辿っている道順は普通じゃない。その上、通路で行けない場所に向かっているのだ。
それを思うと動くのが億劫だ。
「おにいちゃん?」
目の前にノンの疑問の瞳があった。
ここから先は暗い。僕は手首の端末に付属するライトを点灯した。
「行こう」
通用扉の向こう側に続く排水溝に入り込んだ。重い腰を上げて暗闇の進む。程なくして頭上が先程と異なり、金網だと気づいた。しかも金網の上にはノンが普通にいる。
「もしかしてこの上って通れる?」
「うん!」
「……早く言ってよ」
幸いに金網を留めている捻子は錆びて脆くなっていたのか、僕の腕力でも外す事が出来た。排水溝から這い出て整備通路に出た。見回しながらライトで照らす。
そんなに広くない。
通路は何のパイプかも分からない配管で犇めき合っていた。床に当たる金網以外は全てパイプとバルブと動いてなさそうなメーターばかりだ。否、頭のつきそうな天井に等間隔で照明がある。ただ、どこをどう操作すれば点灯するのか分からない。
どこからか水が漏れているのか、空気は重く湿りひんやりとしている。そして黴とパイプの継ぎ目の錆が臭う。
「大分古いなあ……」
改修された通路に比べてかなりお粗末な状態だ。恐らく改修事業の手が届いたのは表の通用扉までだったのだろう。
「こっち!」
ノンはか細い足を楽しげに跳ねさせながらパイプの通路を進む。後に続きながら僕はノンが足を床に着けてない事に気づいた。よくよく考えると先に金網越しに下から見上げた時に視線は良からぬ方を向いていたが、その時もノンの両足は接地していなかった。
それでは足の用途をまるで為していないが、要するに彼女は宙に浮いているのだ。
幽霊……なのだろうか、ノンは。
一般にオカルトの幽霊像は足がなかったと記憶するが、浮いてるものだ。俗説に従うとすればノンは幽霊だ。但し、確証がない。
そこまで考えが至ってから僕は不思議に思った。
僕はどうしてこうもノンの正体について固執してるのだろう。こんな事は初めてだ。……もっと気楽に構えるべきじゃないのか?
彼女が幽霊だろうが、そうじゃなかろうと関係ない。僕の前で調子っ外れの鼻歌をする心幼い少女は確かに存在し、今の所僕だけが頼りだ。
それ以上の事実が必要だろうか。
我ながらとんでもない優柔不断だな、と思い自嘲した。面に出してないだけであれこれ考えるのは今日何度目だろう。
願わくばこれ以上、僕を惑わす物が出現しない事を祈った。
なんて祈った端から『惑わす物』は容赦なく現れた。
ノンが途中で急に通路から外れた。それまで一本道、カーブもない真っ直ぐな整備通路だったので戸惑った。これ以上外れた道順を行くと本当に異世界に迷い込むのではないか。
ノンが示した人一人通るか通らないかパイプの隙間に躰を突っ込み、次なる空間に足を入れた途端に僕は目を疑った。
階段。それは作業用の代物ではない。広々と沢山の通行人が利用出来る大きさだ。左右にくすんだステンレスの手摺があり、頭上にはボロボロに死んだ電光掲示板がある。それでここが一昔前の施設だと悟った。
所々、タイルが剥げ落ちた階段を駆け降りながら、僕は興奮していた。
曇り、罅の入るアクリルガラス。左右にストッパーの外れたレールが走る巨大なチューブ。液晶の壊れた改札機は現ICの使えない旧式タイプ。
予想通りそこは廃墟と化した旧カプセルポートだった。
「凄い……! 地図に乗ってないよ、ここ」
感嘆の息が漏れた。それは、そう、考古学者が未踏の遺跡を見つけたような不思議な感動だった。
「一体、何時の何だろう?」
振り返ってノンに訊ねる。しかし、彼女は僕の様子に苦笑いしながら首を振った。
「んー、分かんない。気づいた時からこんなんだったよ」
気づいた時から……。
「そう言えばノンてさ。その『気づいた時』って何年ぐらい前なの?」
見たところ、このカプセルポートは地下で保存され易いにも関わらず、大分荒れている。放置されてから十年以上の歳月は確実だろう。
「良く分かんない」
「本当に?」
「本当だってば!」
困ったようにノンは頬を膨らます。そして少し元気がなくなって肩を落とす。
「本当に……ノン、気づいたらここに居て、最初は喋れなかった。言葉知らなかった。だから、学校で人を見ながら喋るの練習して」
「……ノン」
「だから、だから、……よく分かんない。ノンがみんなと違うのは分かるけど、ノンは何なのかも分かんない」
僕は言葉も選ばず思うよう話すノンを見ながら首を傾げた。
この際ノンを幽霊と仮定しよう。それ以外に候補が見つからないし、その方が考察する点で楽だ。
幽霊とは現世に何か思う所があって、死んでも魂が残留した者を言う。そして、幽霊は生前の記憶を保っているものではなかったか。だからこそ民間伝承に怨霊――即ち生前の怨みと憎しみを晴らすのを目的とした幽霊――が存在するのである。
対してノンはと言うとまるで記憶がない。記憶もなければ言葉も知らない。幽霊として現世に生まれてきたような物言いだ。まるで……。
「――ってば。ねえってば」
「えっ?」
「着いたよ」
ノンの声で我に返る。どうやらぼんやりしたままノンにつき従っていたみたいである。
「……着いたって?」
「もう! アンのとこに連れてけ言ったのおにいちゃんでしょ」
『592』
ノンが示したのは塗料の剥げかかったコインロッカーだった。
「ここ?」
「そ。この中。でも鍵掛かってるし、ノンは開けられないの」
そこまで言ってからノンはロッカーに首を突っ込んだ。
「アン。おにいちゃんが来てくれたよ。これで外に出られるね。ノン、ありがとう。アン嬉しいよ」
僕はロッカーを抉じ開けられる物がないか瓦礫の床を照らして探していた。その背でその会話、もとい独り言を聴いた。
今の言葉はおかしい。アンの応答はノンの声。否、ノンが一人でアンの応答をしていた。ノンがアンに訊ね、ノンが答えた。
拉げたパイプを見つけ、掴むと振り返った。ライトを向けると暗闇にノンのにこにこ輝かせた顔が浮かび上がる。ついさっきまで無邪気に見えたノンの顔が急に不気味に見える。
「ノン……アンは、何者だ」
「アンはノンでノンはアンだよ」
キョトンとしてノンが答える。
「ノンとアンが同一ならそこには何がいる?」
パイプをロッカーナンバー592に突きつける。
「アンだよ?」
くそったれ! 益々混乱する。
僕はパイプをロッカーの扉の隙間に荒々しく突き立てた。怖れよりも中身が知りたいという好奇心が勝っていた。梃子の要領で抉じ開ける。
ロッカー中を手首のライトで照らすと息が止まった。心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。
次に悲鳴を上げそうになった。いっそ叫べたら幾分気持ちが楽になっただろう。しかし、僕の口からは「はあああ」と情けなく息が漏れただけだった。
中には一つの物体が鎮座していた。茶色に変色した新聞紙に半ば包まれて分かり難いが、そこにあったのは形容し難い物体。顔がついており、全体が乾燥している。表面の殆どが激しく劣化しており、所々に弱々しくどこか儚さを感じる乳白色の骨片が食み出している。背中からは無数の背骨が浮き出し、飛び出した尾骨のせいか小猿の化物に見えなくもない。
……それは胎児の木乃伊だった。
「これっ! ……何で」
ノンに振り向くと痛く傷ついたような顔をしていた。どうやら僕は死体を前に思っている以上の反応を示しているらしい。死体なんて見るの初めてなんだから当然じゃないか。ノンは泣きはしないが俯いて黙ってしまった。