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   [05]潜ム者達・玖

《……この型番、私よりも前の――》

 滅多に聞けない焦りと混乱を含んだ芳沢の声。

 未だ四肢の戒めは緩む気配はないが、暗黒の巨霊は攻撃の手を止めた。

 目の動きだけで判断した。こいつ、上を見上げてやがる。

 何を見ているのか、何者がこの閉鎖された空間に介入してきたのか。自然と僕らの視線も上へと移る。

「アバター……か?」

「た、多分。でも、どうやって」

 疑念の声が上がる。

 視線の先。現在の僕らと同じマネキン状態のアバター。距離感の掴めないこの空間で位置をを定めるのは難しいが、メデゥサの遙か頭上にそれは静止していた。

 メデゥサの血走った眼が細くなる。口がないのににやけているようだ。邪悪な薄ら笑い。

「やって来た、やって来た。リーク通りにノコノコと。運良く今度は二人目もやって来た」

 再び背筋が粟立つ、凍り付く。一言一言が脳を貫く。この世の悲鳴を全てかき集めたような声を発したのは紛れもなくメデゥサだった。

 しゃ、喋れたのか……。

「匂う、匂うぞ。あああああ、あああああ。あの匂いだ。神通力の匂いだ。鬼の匂いだ」

 匂い? 匂いだと? 

 耳を塞ぎたい。だが塞ぎようにも両手は動かせない。僕は眉を歪めながら見上げる。アバターは身動ぎしない。

「早う来い。来い。直ぐ来い。お前も私の一部となるがいい。なるのだ」

 メデゥサが告げる。慢心の声だった。

「随分探したのよ。でもあなたにくれてやる情けはもうないわ」

 応じる声は音声変換されている。メデゥサはせせら笑った。

「情けなどいらない。私が欲しいのはその神通力だ。寄越せ。力を寄越せ」

「そんなに欲しいもの? こんな力、集めてどうするの?」

 裸のアバターは首を傾げて問う。その仕草に見覚えがある気がした。

「塵も積もれば山となる。更に力を。怒り、憎しみ、嫉み妬み、苦しむ。それが私だ。寄越せ。だから寄越せ。私を寄越せ」

 アバターの反応は薄い。僕と島地は固唾を呑んで見守った。

「……無駄な自己紹介。僅かでも情けを掛けたのが間違いだったようね」

 浮遊するアバターがその指先に口付けする。

かい

 唱えられる力の解放。異形の変現。肘から指先が高温の金属のようにだらりと溶け下がる。しかし、直後には鈍色の鉄刃が現れた。

 同時に、僕は震えた。全身が、手足が、指の先まで。そして丹田が兢々と震えた。震え上がった。逃げ出したくなる程に。

 アバターが神通力を持っている事はまるで分からなかった。幽霊相手だからといって専門の救援が来るはずもない。幽霊の存在が社会的に認知されていないのだから当然だ。だから、メデゥサが口を利いた事よりその内容――突然現れた介入者が丹田を所持している――の方に驚いた。

 その上、この神人と思しきアバターは途轍もない力の持ち主だ。それ位は分かる。物質的にではなく、超常的に潰されそうだ。

「この力。これ程の力。私になる力。これ程とは、罠か。罠だ」

「受け止められるのかしら?」

 威圧を感じた。狙われている訳でもないのに、この空間に存在するだけで圧倒された。僕だけではない。メデゥサも同様で、明らかに萎縮している。

「寄越せ。寄越せ。罠ごと呑み込む」

 先に動いたのはメデゥサだった。黒の矛が襲い掛かる。一本、二本……十七本数えたところで諦めたが、とにかく無数に、一直線にアバターを目指す。

 アバターも動いた。消えた。少なくとも僕にはそう見えた。しかし消えた訳ではない。ただ『慣性』を無視した速度で落下していたのだ。否、最初に浮遊していた時点で慣性も糞もない。ここは仮想空間。常識だって歪められる世界だ。普段の感覚のままである僕があのアバターの動きに追いつけないのだ。

 瞬く間に降りてくるアバター。目線がほぼ同じ高さになる。

 焦ったようにメデゥサは動いた。上昇していった黒の矛は消滅し、至近まで迫るアバターに向けて更に矛を量産する。それも遅れていた。

 射出され、意思があるかのように伸びる頃にはもう擦れ違っている。

 速い。速すぎる。黒の矛はまるで意味がなかった。アバターはたちどころに距離を詰め、触れるように舞うように接敵する。

 解体が始まった。

 刃先で触れたように見えれば直後に長大な切れ間が放たれる。刃を打ちつけたかと思えば衝撃でメデゥサの一部が剥離する。

 攻撃を繰り出しながらもアバターの速さが劣る事はない。攻撃はあくまで軽く、穏やかに、撫でるように。それでもその破壊力は計り知れず。挙げ句の果てにメデゥサはアバターに向けて放った黒の矛を自身に突き立てる始末。

「あの動き――」

 島地が眉間に浅い皺を寄せつつ一言吐く。そこには圧倒的な力を前にした畏怖も羨望もない。ただ疑惑のみがあった。芳沢といえばメデゥサが喋りだしてから一言も発さない。

 そして僕は当然のように繰り広げられる奇異な力を前に驚愕し、恐れ、納得した。

 そう、神通力とはこうあるべきなのだ。超常的な存在を前に怯む事なく、むしろ圧倒する力。それは秘められた非日常を飛び出し、日常でも豊かな生活の糧とする。そして日常を守るため、敵を撃滅する。否、そもそも前提条件として敵も出来ない程の圧倒的な示威力を持つ、日常を非日常から守る非日常。それが神に通じる力なのだ。

 欲しい。僕も欲しい。力が欲しい。圧倒する力。特別な力。せめて周りの足を引っ張らないような力が欲しい。


 アバターとメデゥサの力量の差は歴然だった。既にメデゥサは原形を留めていない。初めから原型と言える確固たる形容はなかったが、目に見えて『小さく』なった。正に切って切って切り刻んだ結果と言えよう。

 恐怖、嫉妬、怒り、あらゆる負の感情を名乗ったメデゥサの眼が今、恐怖に凍り付いていた。

「嫌だ。いやだいやだいやだいやだいやだい――」

 壊れたようなメデゥサの声が仮想空間を支配する。メデゥサは二つの眼と一抱えの闇だけとなっていた。抵抗すら叶わない。そんなメデゥサにアバターは歩を進めた。 

「消えなさい」

「――まだだ。まだ素懐は全う出来ていない。助けてくれ。遡界したい、消さないで。消さないで下さい」

 低く低く伏せる闇。震える目。哀願する人のそれとまるで変わりがない。

 と、そこで僕の中に恐怖は既になかった。むしろその生々しく人間らしいメデゥサに情けの感情すら覚えていた。

 ひれ伏すメデゥサと僕ら、一体何が違うというのだ? メデゥサは幽霊だ。そう。根本となっている人格は、つまり生前は人間だったのだ。遡界する事が幸せであり、素懐の全うを目指すものなのだ。殺人は罪だが、逆に考えれば殺しもやむを得ない素懐だっておかしくない。そして、電脳世界は幽霊にとって永遠の楽園だ。第三の選択肢を勧める事だって出来る。無理に消す必要だってないのではないか? 死んでもなお、しょうめつを恐れる時間とはどれ程の恐怖を伴うのか。

 それを考えていたら、勝手に口が開いた。

「そこら辺で、止めて下さい!」

 振り上げられた刃が止まる。

「助けて貰ってる身でこんな事言うのはおかしいって分かってます。こいつが悪いのも分かってます。でも、こいつを消す事だけが解決の方法ではないんじゃないですか?」

 刃が下ろされた。アバターがこちらを振り向く。

 何を思いこちらを見たのか分からない。ただ、メデゥサを消す事に関しては思い留まってくれたのだと受け取った。

 その時、だった。

「バぁ――」

 メデゥサが動いた。黒の矛を構える。そしてアバターはその場で一回転した。

「――カ、かはっ」

 そしてメデゥサの抵抗は叶わなかった。僕の情けも叶わなかった。アバターが止めを下したのだ。やはり見えなかった。

「消えるってのか、消えるのか。消えたくな――」

 メデゥサが崩壊していく。人格の消えた仮想空間の幽霊なんてただのデータだ。意味のない文字列となって消えていく。何もない空間へと消えていく。

 同時に視界の果てから色彩豊かな景色が戻ってくる。メッセージ欄にサーバ側の形式謝罪文が流れ始める。ゲームのステータスが表示される。システムが再起動したのだ。

 アバターがまた振り返った。

「幽霊にだってどうしようもない程に狂ったのがいる。覚えておきなさい」

 VRSが 完全に立ち上がった頃には、近くに微動だにしないマネキンだけが残った。




 その後、僕らは間もなく到着したハッカー部隊に保護された。

 サーバ管理の企業側からしてみれば、この件は内密にしておきたかったらしい。病院に搬送される事もなく、精神汚染の簡易チェックを受けただけで精神的なケアは終わった。

 また、「この案件に関し一切言外しない」との誓約書を書かされた。勿論、初めは拒んだが、島地から言う通りにするよう諭された。海外に基盤を広げる企業は最早、小国家権力に匹敵する力を持っていた。

 見返りとしてこの企業が管理する全てのバーセンの無料利用証一年分を貰ったのでまあ、いいとしよう。


 ようやく解放されてから、何時の間にか芳沢の姿が消えていた事に気づいた。念のために生徒証で確認すると、ハッカー部隊の到着を見届けた後、直ぐにその場を離れたとの事。救出されてから二時間以上拘束されていたのは確かだが少し冷たい。

 賢明と言えば賢明だが。

「それにしてもあのアバター何だったのかな……?」

「神人なんだよな?」

 先程から眉間に皺を寄せて難しそうな顔を崩さない島地。

「多分ね。てか、確実だと思う」

 僕らを助けてくれたあのアバターについては何の説明も為されなかった。企業秘密として当然と言えば当然の対応だ。

 ただ、偶然聞いた、現場部長らしき人物の「これでは契約の延長を見当しなくては……」との言葉から推測するに雇われクラッカーなのかも知れない。

「神人の八角に一つ聞きたい」

「なに」

「神人ってのは普通にあんな動きが出来るのか?」

「まさか。あんなの改竄能力チートつけても無理でしょ。って言っても僕は母さん以外に神人を知らないけど」

「そうか、そうだよな」

 思い出すだけでも僕の心は高揚感に満たされる。圧倒的な力。どうしたら僕もああなれるのだろう。

 しかし難しい顔しながら、やっぱり島地もあの強さを見せつけられて気になっていたのか。

「じゃあやっぱあれは――、直接なんかな」

「え?」

 直、接だと?

「直接接続だよ。裏じゃ実験段階なんだろ?」

 電脳世界への直接接続。簡潔に言えば神経とコンピュータを直接プラグでぶち込んでしまえ、という方法だ。BCI――ブレインコンピュータインターフェース――換電換波を行う機器を用いる事によって、伝導伝達の速度で情報を脳と電脳世界を行き交わせる事が出来る。しかし、それは大きなリスクが伴い、安全性の面で間接接続が至高とされる。そもそも実用の域に至っていないとの話だし、脳への負担や逆に脳の活動にコンピュータが処理しきれないといった問題が挙げられる。

「まあ、所詮は噂、かぁ」

「そうだよ。もし成功しているんだったら国際ニュースものでしょ」

 まさか、な……。僕の無知はそこまで酷くないはずだ。

《ストックが溜まるまで当分放置します》


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