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   [05]潜ム者達・伍

 囁くような小声が聞こえる。同時に気配が散開したのを感じた。時折、かちゃりかちゃりと甲冑同士がぶつかり合う金属音が響く。

 今日はどうやら本物の水族を動員したらしい。即ち河童である。普段なら精々聴覚や精神に働きかける幻覚が主だが、最近は河童が動員される事が増加した。この様子だと封の会得に一歩前進しているのかもしれない。

 しかし、幾ら河童が水族の中で地位が低いとは言え、斥候を専門とする精鋭に僕のかくれんぼが通用するはずがない。そこで境様は大幅なハンデをつけた。この世に出現したばかりの河童、雛の新卒を目隠し状態で使うのだ。妖も誕生の様相は生物と違えども、初めからその能力が開花した状態ではない。つまり互いにとっての訓練である。

 妖の価値観は厳しく、当然如く失敗した方には罰則が適応される。

 河童の練兵が捜索に失敗した場合、彼らは出世の道が閉ざされる。境川の下っ端兵卒として有事に尖兵として消えていくのである。その際に手柄を立てようとそれは彼らの上官のものとなり、彼らに賞賛の声が向けられる事はない。

 そして僕が発覚された場合、その晩は水溜りの中で過ごす事なる。その他、献上の加増が発生する。河童の練兵に対し僕の方は優しいように見えるがそうとも言い切れない。献上に用いられる肉に問題がある。

 やんもいで手に入れるこの塩漬けの肉。まじまじと見つめた事はないが、僕は人肉ではないかと読んでいる。どこかの部位をぶつ切りにした肉塊は黒々とした赤身を黄褐色の脂肪が包み、薄青紫に変色した皮に目立った毛穴は見当たらない。鶏は勿論、普通の豚や牛の肉には見えない、気がする。確信を持てないのは僕が加工前の肉というものを見た事がないからだ。

 否、僕だけじゃない。今時の日本人に屠殺現場を知る人間なんてそういないのだ。地上では地方で細々と畜産を継続する農家、地下では滅菌処理の為された屋内農園に従事する職員、しかも実際に処理するのはロボットであり、やはり肉塊を知る日本人は希少だろう。

 勝手なイメージで人肉とするこの塩漬けの肉は異常の値が付加されている。中を見るな、と言われ手渡される茶封筒は何時だってずっしりと重い。見るなと言われて見たくなるのが人間ってもので、今回中身を拝見すると総額二十万円もの金額だった。

 この額は我が家における首吊り級の出費である。何故なら我が家に明確な働き手などいないからである。いないはずなのに昔からぽんぽん金が口座にある不可思議家庭ではあったが毎月この額が出費されるのは、家計の逼迫どころか異常事態である。そしてその額が更に増えるという事は我が家の生活自体が成り立たなくなる可能性が浮上する訳で、このかくれんぼは互いに自分の未来を毎日のように賭けているだ。

 ちなみに先日を含めこのかくれんぼは三戦中一勝二敗。

 僕は最悪の親不孝者である。


 そうこうしている内に茂みを掻き分ける音が接近しつつある。

 目隠しされている河童は主に聴覚、嗅覚、触角、そして一番に厄介な神通力を用いて僕を探す。現段階の僕では河童が一人でも水に触ればピンチである。水と戯れ、水と同化し、水と共に生きる水族にとって、そこから神通力を感じ取る事など造作もないのである。

 ひたひたと湿った水掻きのある脚が落ち葉を踏む音がそこら中からする。あっちでひたひた、こっちでがさがさ、そこでちゃちゃら。四方八方から聞こえる雑音に包囲されたように錯覚する。或いは既にされているのかもしれない。動悸が激しくなる自分に気がつき、僕は平静を取り戻そうと努める。

 精神状態と丹田はリンクし易い。

 閉丸丹で封がされているとは言え、僕が平静を失えば失う程、神通力は漏れていく。漏れた神通力は周囲の力場に影響し、気の流れを変える。河童の湿った薄気味悪く光る皮膚はそんな機微を目聡く察知してしまう。

 しかし、僕はつい先月まで普通の生活を送る少年なのだ。普段の生活に昂る心を鎮める事なんてなかったし、己を無にするなんて御伽話のような荒業を簡単に習得出来る程、器用でもない。

 だが――。

 音という音を耳に受け付けず、冷え切った四肢は死んだように震えを止め、呼気で波紋を立てぬよう慎重に肺を収縮させると、少しずつではあるが僕一人だけの世界が感じられてきた。隠すのではない。妖と同じ、如何に周囲――大地の神通力――と同調出来るか、だ。世界に僕は一人で、僕は世界になる。

 この世界に自分一人しか感じられなくなった時。前々回にその感覚を掴んだ時、僕は最も己を無にし、定められた時間内に見つかる事はなかった。

 勝った――。

 僕は勝利を確信した。

 しかしその時、不意にかちかちと小気味良い音が林内に駆け巡った。嘴の音、河童の警戒音だ。よっぽど僕は己の確信に油断していたのだろうか、想定外の音に戸惑った。

「捜索対象の着物を発見」

 冷え切ったはずの体温が一度上がった気がした。

 途端に周囲の雑音が戻って来る。一所に河童は集合したようだ。僕の正鞄を弄っているのかノートが散乱する音が聞こえた。

「着衣を捨てたのか?」

「肉体変化を操るのでは……森で木の葉を見つけるのは骨が折れる」

「まさか、報告では対象はろくに力も使えない出来損ないだぞ」

「報告が偽りとは考えんのか? そもそもこの任務自体が仕組まれているのだぞ。境様が嘘を申しているかも知れん」

「不遜な物言い、見逃す訳にはいかぬが確かに一理ある。対象が神通力を使えぬ確証は何処にもない」

「どちらにしろ周囲にいるに相違ない。さっさと見つけ出して縛り上げよう。儂は清水の中で用便を我慢して悶える奴を見下ろすのが楽しみなのだ」

「まあ待て、近くにいるのなら無駄な労費を費やす必要もあるまい。ここはお頭を使うのが得策ではないか」

「おつむだと? ふん、我々はそもそもちっこい脳漿しか詰まっとらん。そんな無きに等しい策などをひり出したところで何の変わりもないと思うがな」

「それではどうやら儂はぬしよりもちいとばかし賢いのかも知れぬ。人間とはどのようなものか、知る限りの知識を使ってみよ」

 金属音のような嗄れ声の中、聡い声音が異様を醸し出している。僕はその声に圧倒され、自信が流れ出すように委縮していった。

「着衣を脱ぐ、人間はそれを羞恥の行動と心得る。しかしそれを公然と行う事があるではないか」

 寸の間、静寂が訪れる。

「沐浴か」

 何故だろうか、一斉に河童が僕の方へ首を向ける光景が浮かんだ。

「如何にも。人間は着衣が濡れ、躰につく事を嫌う。即ち、対象は水に浸かって気配を消している。さあ、探せ」

 微かな音を残して散開するのが分かった。

 話がスムーズ過ぎる。河童の中でも偉才を輩出する事があるのか?

 今までこんな聡い河童などと遭遇した事はない。河童はもっと獰猛で貪欲で低能で残忍だ。低能過ぎる故、何者も殺しかねないのだ。未知との遭遇に僕は戦慄し、河童の性格を再確認した事で落胆した。

 ちゃぷちゃぷと水の跳ねる音。河童が一匹水溜りに入った。

 しかし深みまでは進入しない。代わりに水を立てていた。無数の波紋が僕に襲い掛かる。襲撃する細波は僕の躰を嘗め回した後、周囲へ帰っていく。

「ぬしの言う通りだ。波が素直に帰って来ぬ。何か水中にあるぞ」

 喜々とする声が跳ね回る。

 いよいよ僕の動悸は水溜りを揺るがす程になった。

 じゃぽん、と今度は繰り返し何かが水溜りに突っ込まれる。底や石にぶつかって鈍い振動を水伝いに感じ、それが何なのか必死に考えぬよう努める。

 まだ間に合う。河童は目視した訳じゃない。今、気配も神通力も消せれば潜む好機は幾らでもある。落ち着け、落ち着くんだ。

 意思に反して動悸は収まらない。平静を取り戻そうとすれば尚、雑念が混じる。脱力していた肉体は強張る。束の間訪れていた無の世界は跡形もなくなり、敗北の旗が僕を覆い始めた。

 そして遂に河童が僕を捉えた。

「かはっ」

 呼気が乱れる。

 勢いよく棒状の物体が腹に突き込まれた。鈍痛が腹部に走った。

 形状で何となく想像出来たのは鞘か石突である。武装した河童に居場所が知られたのだ。

 瞑想終了、訓練不成立、僕の敗退、ゲームセットだ。

 僕は胸を詰まらせていた重たい空気をゆっくり諦めと共に吐き出した。

「これで、終わりだと思ったのか?」

 不意に気配なき背後から声が囁く。

「な、なんだよ。早く縛れよ」

 気丈に振る舞っても緊張が途切れた途端、凍える冷たさが戻って来る。

 首筋に何かが触れた。

 冷え切った僕の躰には妙に生温かいそれが僕の喉仏を撫で回す。

「なあ、鬼の子。流石に分かってるよなあ。俺達はお前達が大っ嫌いなんだよ」

「そりゃもう殺して皮剥いで肉食んで吐き戻して踏みにじっても飽き足らないくらいにな」

「境様は神だ。時に敵ですら手を貸さねばならぬ。神の命令は絶対だ。それも我が主ときた」

 何が、言いたいんだ。

「それなら、命令通り、僕の負けなんだから早く掟通りの罰則を与えればいいだろう」

「境様は絶対の存在だ。それに比べて我々は小粒中の小粒だ。失敗や誤りというものがある。否々、勿論任務を全うするのが最善。だが、我々にも『過失』ってものがある。そうだ、例えばうっかり抜けた刀が対象の頸部に当たってしまったり、なあ」

 感覚の鈍っている躰が更に一度、体温が低下した。

「ちょっ、まっ――」

 河童の行動は僕に抵抗の表明すら許さなかった。

 ぐっと首に当てられた後にそこの物体は消失する。

 一拍置いた後、亀裂から熱が噴出した。こんなに体温はまだ保たれていたのかと言わんばかりに熱を帯びた血液が噴出した。

 首から、僕の首から血が、熱が、神通力が、生命が、流れ出していく。代わりに僕の中に絶望が流入していく。

「……か……ぶはっ」


 何で? どうしてこんななってるんだ? 死ぬのか? 厭だ、まだ、死にたくない。僕何か間違えたのかよ――。


 目を、開けてしまった。

 途端に何もかもが消えた。河童は一匹残らず消え、視界には闇夜に沈む林と僕が波を立てる水溜りとぼんやり浮かび上がる祠だけだった。

 飛沫を上げて首筋を撫で回す。噴き出す血どころか、切創すらない。

「幻覚にも打ち克てぬようでは話にならん」

 肩で息をする僕に祠から冷たく呆れた老人の声が聞こえた。

「今宵はもうよい、帰れ餓鬼」

 温い外気が拍子抜けた躰を解し溶かした。


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