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第壹話[04]半日偽妹・壹


 朝。

 けたたましい電子音が家中に響く。頭を揺さぶらん程の騒音は短い惰眠から引きずり上げた。

「ったく。……目覚まし時計とか時代遅れだっての」

 欠伸を混じらせながら毒づく。

 最新の目覚まし機器は自然な覚醒を誘発する微細な電波発信機だったか。世の中、便利な物で溢れているのに、母はあくまで旧式を好む。お蔭で自分が時代遅れの思考だと気づくまでかなり時間が掛かったものだ。そんな事を考えながら騒音の根源に今朝の勤めが終わった事を叩いて知らせる。

 体中に気怠い感覚がまとわりついていた。昨日の荷物整理は意外と堪えたようだ。のっそりと簡易ベッドから体を起こすと洗面所へ向かうと今や珍しい、水しか出ない蛇口を捻り、冷水で寝ぼけた顔を引き締める。


 清潔なタオルで拭くと鏡の向こうと目が合った。

 誰譲りかも判らない蒼色の大きな瞳に水の光る睫毛。少しふっくらとした唇は何か南国の果実のよう。こぢんまりと整った顔立ちは伸ばした長めの髪と相まって透き通った肌は女の子と言われても不思議じゃない。そんな異国の少女を思わせる愛らしい顔が見つめ返す。

 思わず目を逸らした。

 僕は男だ。正直、この童顔はコンプレックス以外の何物でもない。幼い頃から男子からは女々しいとからかわれ、女子からも可愛い、羨ましいと言われてきた。

 それが苦痛か? と問われれば確かにそうでもない。しかし、気分の良いものではない。幸いにも見た目の特徴よりも人間性を大切にしてくれた友人もいた。

 問題は今の僕は長らく住み慣れた祖母の家から引っ越し、つまりそれは理解者のいない状況下にある事だ。新生活の中、新たに友人を作る上でこの顔は多少なりとも弊害になる事は明らかだった。


 その時、キッチンから大きな音がした。「きゃあ」と一声、直後に物の落ちる音。昨日この家に引っ越したと言うのに何ら変わらない朝。普段通り仰々しく溜め息を吐いた。


「何やってんの」

「あっ……おはよう、ハッ君」

 様子を見てみればキッチンの床にはペタンと座り込んだ女が一人。切り揃えられた前髪の下からバツの悪そうに漆黒の瞳が見上げる。まるで、触るなと言われたのに物を壊してしまった子供のようだ。

 その容姿は三十路も半ばを過ぎたと言うのに変態的性質を行使しているのか、未だに二十代を詐称しても差し支えない。

 何を隠そう、これが僕の母である。

 床に突き刺さっていた包丁を抜くと咎めるように言い含める。

「何度言ったら解んの? 料理出来ないんだから自動調理機使いなさいって」

 それを聞いた母から反論が返ってきた。

「だって今日はハッ君の入学式なんだから、こんな日くらい手作りだって良いじゃないの。ねえ?」

 そう言って母は流し台の辺りに漂う白い靄に同意を求める。靄は何らかの反応を示した気がするが定かではない。

 そんな年甲斐もなく頬を膨らます母を僕は変人として認識していた。

 常識が通じない訳ではない。単にどこかズレているのだ。十五年共に過ごしていても話の噛み合わない事なんて山ほどある。その上、不器用でトロい。しかも根が真面目な性格の為に何かと実践したがり、そしてその度に尻拭いをするのは僕なのである。

 そういった母特有の教育の下、僕は色んな意味で鍛え上げられた。母と対照的に家事全般、小細工その他、雑用は難なくこなせる。偶に母から吹き込まれる思想に染められる事もあるが、今のところ母のような変人にはならないで済んでいた。


 ふ、と時計を見ると既に八時を過ぎていた。

「げっ、時間ヤバいじゃん。とにかく今朝は僕が作るから」

「わぁい、ハッ君の手料理だ」

 母は何事もなかったかのように立ち上がると靄と共にダイニングへ行ってしまった。多分実はきっと母は計算高い。

 結局、こんな感じで毎朝飯を作るのは僕なのである。


 先程から違和感なく存在する『靄』。これはこの家、と言うより母が居る場所ならどこでも見られるものだ。

 母を変態たらしむ一番の要因、幽霊である。

 母はこのただの靄にしか見えない存在の真の姿を可視し、更に会話といったコミュニケーションまで出来る。

 ここまで物心ついた時から側に居るのに、彼らに対し永らく疑問を持たなかった僕も不思議なものだ。勿論、世間的に生活の一部に『幽霊』の存在があるはずなく、その事実に気づいたのは小学五年生の時にやっとだった。

 正直なところ僕は幽霊が何たるかを全く知らない。何故か母は幽霊について多くを語らなかった。幼心に沸き起こる興味関心に応えているようで応えない。何時も母の返答は僕にとっての幽霊に等しく、見えるのに解らない、そこに存在するのに掴めない、あってなきに等しい答えだった。

 今では僕の幽霊への対処はほぼ空気に等しい。何せ見えても母のようにコミュニケーションがとれる訳ではないのだ。特に危害を加えられる事もなく、正直なところ居ても居なくても良い存在なのである。

 だから母が多くを語らないように、その存在を知りつつも積極的には関わっていなかった。

 これからもそのつもりだ。……しかし、やはりそれが見えていると言う事はつまり僕も変態に近い、のだろうか?

 ふと、そう思う事が多々ある。


 手早く簡単な朝飯を済ます。トーストにスクランブルエッグ、インスタントのスープ。毎度の事だが母はどうしてこんな簡単な事に苦戦するのだろう。先程、手料理だと喜んでいた母はバリバリインスタントのスープを毎日僕が作っているとでも思っているのだろうか。今まで母が生きてきたのは奇跡としか言いようがない。

 直ぐに自室へ戻ると真新しい制服を取り出す。伝統的な『学ラン』。それを羽織ると正鞄を掴んで部屋を飛び出しそうになったところで立ち止まる。

 忘れ物をするところだった。机のICパスと昨夜ダウンロードを済ませた生徒証を手に取る。どちらも大切な、特にICパスはこれがなければ登校自体ままならない。

 今度こそ忘れ物がない事を確認すると玄関に急ぐ。靴の後ろを踵で踏み履くと、これまた旧式のドアノブとやらに手を掛けた。

「行ってきます」

「はいはい、後でねー!」

 一瞬にして逸る気持ちが停止する。

「まさか、入学式来るの?」

「当然じゃない。暇だし」

 耳を疑った。嘘だろ。何をしでかすか想像もつかない。

「時間、良いのー?」

 腕の端末を見た途端、僕は玄関を飛び出した。


 朝日が眩しい。都市部は朝に染まっていた。引っ越したばかりの新居は小さな崖に面していて、眼下には少し寂れて煤けた集合住宅、更に奥に霞んで巨大なビル群が見える。

 重厚な巨柱は互いを競うかのように高い。そんな鉄筋コンクリートの林が一つ二つと遠目に見え、日の光で反射する無数の電線に繋がれた都市部は無機質の要塞が幾つも絡み合っているようでもある。

 そんな眺めの良い景色に別れを告げると、正反対の山の方へ向かう。

 山腹から山頂にかけて長大な巨壁が連なっている。紺の建造物が規律正しく向いているのは太陽。巨大な発電パネルの集合体に送電線が見当たらないのはその送電先が地上ではないからだ。

 パネル群に向かって山の小道を登る。額に汗が滲む。やはり四月に学ランは暑い。学ランを脱ぐと小脇に抱えた。


 温暖化の進んだ現在、日本は異常気象に見舞われていた。三月から十一月まで平均気温は二五℃を優に越える。それに対し十二月から二月にかけては五℃を切ってしまう。

 母が子供の頃は、まだ春夏秋冬という季節が存在したらしい。日本の良き文化の一つだったけれども季節の変化が少なくなると次第に人の意識からも薄れていった。今ではその名残として長期休暇の名称に残されていたり、十二月から二月の寒期を冬と呼ぶくらいである。


 山頂近くの木々の中。浮かび上がるように人工物が現れた。

 雨晒しの非常口。

 緑の中に塗装の剥げた金属製のドアはポツンと浮いていた。施錠はされてない。

 それを荒々しく開けると下へと階段が続く。予想外の暗さに一瞬戸惑うも、滑るように降りる。思いの外、長い。

 昨夜、VRS(Virtual-Realty-System)で登校過程を下見したけれども、やはり仮想と現実は違う。急いでいるとこうも長く感じるものなのだろうか。何段の階段を踏んだだろう。ようやく下の扉に辿り着く。『カプセルポート非常口』と書かれたドアをひっ掴みながら端末を確認する。

 八時半をとうに過ぎていた。入学式はまだ先だ。しかし、最初のホームルームに間に合うだろうか?

 裏口らしい配線が剥き出しの通路を駆け抜ける。錆が目立つこの区間はここらで最古老だ。洩れた水分が壁に結露して湿っぽい。

 ようやく自動ドアのある区画に入った。後はドアノブを回すという煩わしさはない。センサーが勝手に認識して道を作ってくれる。

 すれ違う人が増えていく。『ホームC-3』の自動ドアを抜けるとそこは大勢の人と作業中の無機質な動きを見せるロボットがちらほら見受けられた。


《間もなくホームC-3よりあいちO-5区行きのカプセルが発進します》

 アナウンスがホームに流れる。

「うわっ! 遅刻する!」

 僕が乗るべきカプセル。これが遅刻ギリギリの時刻だ。ICパスを改札に通すとカプセルまで全力疾走する。カプセル内はもう人で一杯だ。それでもお構いなしにドアが閉まろうとするカプセルに飛び込んだ。非難の眼差しが集中する。

「すっすいません」

 何とか一瞥されるだけで済んだ。

 形式的な音声が発進を告げる。扉が閉まった事で中へ中へと働いていた乗客達の力が緩み、僕は壁に押しつけられた。下へと降下するのを感じても、振動は皆無。


 リニアカプセル。

 これが地上と地下都市を結ぶ唯一の公共交通機関だ。各区画と結ばれたチューブ内を磁力によって浮遊、移動する。新型はかなりの速さで地下都市まで行けるようだが庶民の使う区画では運行していないらしい。

 また、都市内ならどことでも通じているが、都市間となると話は別だ。地震大国である日本は地下に都市を建造する技術を手に入れても、それを放射状に連結するまでには発展していなかった。

 背中を押しつける力が増した。息が出来ない。O-5まで所要時間二十分、定員四十名と一応は定められているが誰もが無視している。VRSでもこのラッシュは再現仕切れなかったようだ。

 軽く感じた体に再び重力がのしかかる。どうやらO区まで降下し終えたようだ。この後はO-5のポートまで平行移動。慣性で一瞬、横向きの力が加わる。程なくしてポートに到着した。

《またのご利用をお待ちしております》

 アナウンスが途絶えた途端、卵嚢から孵る蜘蛛のようにカプセルからぞろぞろと人が出て行く。そして思い思いの方向の通路に消えていった。

 圧迫地獄から解放された僕もまた、昨夜のVRSの光景を思い出しながら通路を進む。記憶が正しければもう少しで明るい所に出る。

 思った通りの自動ドアを抜けると光が体を包んだ。


 青い空。薄い雲。造られた空に太陽はない。壁に埋め込まれた白く輝く校舎。

 僕は人工芝を踏みしめた。一瞬、自然には有り得ない蛍光の白さに目が眩む。穢れを知らない白さ。地上の建造物にはない白さ。

 見とれていた自分に気づいて慌てて校門に向かう。

 『あいち都立第三高等學校』

 校舎の廊下は土足で入るには躊躇ってしまう程に清潔だ。さすが地下都市の都立校。恐らく毎日毎晩、清掃ロボットが稼働しているのだろう。

 生徒証をもう一度確認する。僕のクラスは一年三組。二階の西口側だ。ホームルームが始まっているクラスもあるようだ。急ぎ足で教室に向かった。


 辿り着くと中の様子を窺いながら引き戸を開ける。

 学ランといい、引き戸といい、この学校は世間的に時代遅れと呼ばれる『伝統』が多く採り入れられている。

 実は母からアナログ思想を植えつけられた僕にとって居心地が良さそうだから、というのもこの学校の志望理由だったりする。

 覗いて見ると幸運な事に担任はまだ来ていないらしい。

「わっ?」

 気が抜けていたのか。安易に入ろうとした時、何か小さな物を蹴飛ばしてしまった。微かだが耳に残る高い音を発てて『何か』は転がって行った。誰かの落とし物か、と気になって足下を探してみたが遂に見つからなかった。

 まあ、良い。こんな所に物を置いている人が悪いし、放っておけば清掃ロボットが回収するはずだ。

 気にしない事にして誰に気づかれる事なく自分の席に辿り着くと、やっと一息吐けた。


「ねえねえ。担任誰だと思う?」

「佐藤とかだったら嫌だな、私」

「そいつ知ってる知ってる。先輩から聞いた事あるよ」

「何? ユキちゃん達生徒証見てないの? 確か新任の――」


「おい、式が終わったら遊び行かね?」

「あ。俺、新しく出来たバーセン知ってる」

「いいな。そこ行こうぜ」

「先田はどうすんの?」

「俺、パス。今日から部活行く」

「さすが、全国レベルの実績は――」


 ……。まあ、何とも騒がしいクラスである。そこら中の生徒大半が楽しそうにお喋りしている。どう考えても溶け込むのに苦労しそうな雰囲気だ。

 それには地下都市の教育方針に理由がある。進学がエスカレーター式なのだ。よって生徒の八割は友達や顔見知りとなる。彼らは地下で生まれ、地下で育ち、地上には片手で数えられる位しか訪れていない者もいるらしい。


 既に地下に都市建設が開始されてから三十年程。地上と地下では文化の齟齬をきたし始めていた。

 そうは言ってもクラスで孤立する訳にはいかない。しかし、周りは互いのお喋りに夢中で入る隙間もない。教室は新生活に対する興奮に包まれていた。

 すっかり蚊帳の外だ。見回してみるとちらほら孤立している生徒もいる。

 彼らも僕のような上の生徒なのだろうか?


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