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第參話[05]潜ム者達・壹


 常人に扱えないはずの大剣が唸る。車をも大破しかねない斬撃が襲い掛かる。僕は痩身を駆使し、その風を肌に感じながら避けた。剣はコンクリートの床に縦に長い亀裂を穿つ。

 おおよそ十キログラムはあろうかという金属の塊を易々と構え直した島地は、やはり余裕の笑みを湛えたまま若干の成長を見せた僕を褒める。

「やるようになったじゃねーか、八角」

 当然だ。あれだけ痛い目に遭えば躰が回避を覚えてしまう。痛覚の設定を無効にしてなかったらショック死しているレベルだぞ。この男は容赦ってものを知らないのか?

「やっぱりもう少し手加減して貰いたいんだけど……」

「そう言われても玄さんから頼まれてるからなあ」

 弁解しながら島地は構えたままに突撃する。ごく一般的な長剣を使ってそれを去なす。島地は躱された大剣を遠心力を使って無造作に薙ぐ。加速するその鉄塊を避ける反応が出来ない。顔面に堪え難い衝撃が伝わる。気づけば僕は五、六メートルの距離を移動していた――。

 ――途端に表示されていたヒットポイントが瞬く間に消えていく。見せつけるようにLOSEの文字が浮かび上がった。

 衝撃で呼吸が儘ならない僕に手が差し伸べられる。

「休憩入れるか?」

「まだいい」

「そう言うと分かってたけど、無理するなって。このゴールデンウィークの間に結構上達したと思うぞ」

「だから少し手加減してくれれば良いんだってば」

 憮然と掴みながら立ち上がる。

 VRS――ヴァーチャルリアリティシステム。現在の日本においてシミュレーションや娯楽の一手段として生活に浸透している。

 ここはヴァーチャルゲームセンター、通称バーセンの一人一部屋割り当てられる一室。五感、体性感覚を間接的に刺激し、動作を入力する事で仮想空間内において様々なエンターテイメントを楽しむ事が出来る。しかし、開発当初、軍事目的で使用されたこれはむしろこのような戦闘訓練に適しているのかも知れない。


 玄が島地に僕の訓練を依託したのは、二人が互いを知ってから殆ど間もない時だった。玄が直接僕に指導すれば良いものの、全く、職務怠慢もいいところだ。

 事情は良く把握出来てないが、玄としては自らが教授するよりも同じ人間の島地――しかも知っての通り怪力に任せた馬鹿げた戦闘力持ち――に訓練を称して任す方が効率が良いと判断したらしい。

 対する島地も乗り気で、しかし大して何かを指導される事もなく、本当に叩き上げの鍛え方を享受している。

 この理不尽な『訓練』と言う名のサンドバッグ係は先月の体育倉庫で乱闘事件の翌週から当然の如く始まった。以来、部活動は入部届の提出どころか見学すらろくに行けない。

 更にこのゴールデンウィークと言う名の魔連休。宿題の文字が浮かばないのか島地は最終日まで律儀に訓練を行いやがったのだ。

 確かに先日の乱闘で僕は自分の非力さを思い知った。玄としてもこの弱さは対処せざるを得ないと判断したのだろう。そこまでは分かる。

 しかし、何故島地に任せる。

 先日まで中学生をやっていたとは思えない体躯。垣間見せる我流は無駄が多いにも関わらず確かな強さを持つ。強さは認めよう。そう、こいつは本当に強いのだ。が、まるで指導能力が皆無だ。

 恐らく島地の戦闘スタイル自体が誰かに教授されたものではないからだろう。我流を理解出来るのは普通、当人だけだ。島地を言い訳にするつもりはない。しかし、自然と避けて反撃する事だけを考えてこの数週間を過ごしたせいか、僕の挙動はすっかり姿勢の崩れたものとなっている。流麗さの欠片もない。

「いくぞ」

 大剣の唸りを聞きながら僕は身構えた。

 ・

 ・

 ・

「今日はこれくらいにするか」

 一日当たり六時間に及ぶ訓練がやっと終わる。

 島地はへばっている僕を片手で軽く持ち上げて立たせる。

「お疲れ」

「……疲れ」

 疲労。特に肉体よりも顕著な気疲れが僕にしがみつく。対する島地は息一つ乱さない。

 一体どのくらいの体力が秘められているんだ? 日頃から寝てばかりなのは充電しているのか?

「大丈夫か?」

「お気遣いが少し遅いかな」

「だけど、トレーニングってのは常にきついものじゃないと成果が出辛いからな。先に出とくぞ」

 そう言って島地の姿は微かなノイズと共に消えた。

 それを認めてから僕はもう一度、凸凹になったコンクリート床に脱力した。別にログアウトしなくても、現実世界でヘッドギアを外せば済むのだが、敢えてそうしなかった。倦怠感に身を任す。

「宿題、どうしよう」

 こうして僕のゴールデンウィークは呆気なく消え去った。




「えーっ、せせ席替えをししましょう」

 担任・新留の一言で教室が沸いたのは連休明けテストの翌日だった。

 抽籤の結果、僕は窓際の席となった。勿論、島地と言う大っきなオマケつきで。

「へへっ、また近くだな」

 珍しく爆睡体勢に移行しなかった島地は椅子ごとこちらを向いた。そして声を潜める。

「おい、お前の席。かなり当たりなんじゃないか?」

「そうだね。前にでっかい壁が出来たせいで先生が何を書いてるのか見えないよ」

「それなら安心しろ。俺は寝てるからな、壁は時間と共に下降していくぜ。で、そうじゃねーよ。俺が言ってんのはお前の隣だよ、隣」

 隣? 僕は言われるままに窓と反対の席を見た。

 誰も座っていない。教室内はまだ雑然としている。そんな中、互いに自分の席番号を言い合っている女生徒集団から一人、こちらに寄ってきた。

 勝ち気そうな瞳。緩やかに曲がる眉。拗ねたように軽く上向く小鼻。触れば押し返してくるだろう頬。華奢な四肢に細く締まった腰。

 特に目が行くのは後頭部で結わえられ、冠状になった髪型だ。そして高校一年生にあるまじき巨乳!

 ヴァーチャルの世界からこんにちわしてきたみたいな容姿のその生徒は僕の右隣に座った。

「あっ居眠り島地君じゃん。それに、はちくま伝説の三角君。宜しくね」

「おう」

「へ……あ、うん」

「それにしても二人はほんと仲が良いねー。クジ運まで結ばれてるし」

「だろー?」

 軽く首を傾けながら微笑み掛けてくる女神に僕は見惚れる。絶大な誤解を全生徒に招いた島地の噂――まだ現在形――に感謝した。こんな噂でも流れない限り僕を知って貰える機会なんてなさそうだからだ。

 澁川春海。

 我がクラスの誇りであり、我が学年のアイドルである。

 我が校の……がないのは、そこまでの境地に達していないからだ。だが、それには訳がある。何でも澁川がこの学校に編入してから、たった五ヶ月程しか経過していないのだ。そんな短時間で学年の話題を恣にする澁川は本来、学校を代表する器――主にルックスだが――の持ち主である事は疑いようもなく、恐らく夏を迎える頃には校外にその名を轟かせているに違いない。

 澁川との初対面は最悪だった。

 僕がまだ幽霊が何たるかを知らず、教室でノンに出会った時。幽霊の手足が僕を貫通する事に驚き、見えていない周囲にそれを訴え掛けた時。

 僕の反応にドン引きの同級生の中、彼女一人がどうどうと僕に対する感想を述べたのである。たった一言、「君、面白いね」ではあるが。

 その時の僕は全く面白くなかったはずなのだが。以来、澁川から僕は面白い奴として認識されているらしく度々話し掛けられるに至っている。嬉しいような困ったような。しかし、幽霊なんてのはそんな頻繁に出現するものじゃないらしい。ノンの一件以来、僕が幽霊と出会ったのは自宅ぐらいだ。

 澁川は男女問わず人気がある。廊下で擦れ違う生徒はその美しさに振り返る、のではない。立ち竦み、見惚れるのだ。丁度、僕のように。

 家庭事情は全く不明。人当たりの良い澁川だが自分の事に関しては中々喋らない。どうやら中等部の卒業式に保護者は参加しなかったらしい。式場は勿論、VRSでのログインも確認されてない。

 学業の方は中の上と言ったところだ。意外と奮っていない――とは言え底辺レベルの僕に比べれば遙かにましだが――。本人は成績向上のために腐心しているらしく、そんな努力を重ねる澁川に心打たれるファンも多い。見兼ねた成績上位者が勉強につき合おうとしたが、その悉くを断ったと言う話まであり、その健気さに心打たれ更に信者が増えたと言う。


 と、ここまでソースは島地。

 情けない話、否、やるせない話。先月島地によって巻き込まれた乱闘騒ぎの噂のせいで、僕は高校生活のスタートを切り損ねた。

 詰まるところ、はちくま最強説が出回った事で僕=怖っと言う構図が出来てしまい、話し掛けるどころか目も合わせて貰えないような状況なのだ。

 対する島地は収まるべきでないところに収まり、広範囲に渡るコミュニティを形成して様々な情報を仕入れてくる。入学時のインパクトはどこへ行ったのやら。

 全く、癪に障る。島地が戦闘凶と知っているだけに尚更だ。

 しかし、時、既に遅し。僕が誤解を解こうにも皆は頷きながら信じてくれないだろうし、島地を非難しようにもスポーツ刈り――島地の話だと椎原と言う、学校でも名のある人らしい――らを倒したのは誰なのかと言う考察に至られると非常に不味い。ちなみに誰か、と言えば勿論、我が家の非常識天狗だ。

 だから僕は現状に甘んじ、日常から誤解を解くしかないのである。まあ、先日の体力テストで悲惨な結果を残したのでそんなに時間も掛からないはずだ。


 さて、前、横、と来たらやはり後ろだ。

 僕は上体を捻り――無論、澁川に失礼のないよう背を向けないで――後ろの女生徒に振り返った。

 透き通った、それこそ中身が透けて見えそうな程の肌。否、むしろ血色を感じさせない白磁。完璧な均整を見せる全身からはどこか無機質な印象を受ける。その顔面を覆う程に前髪を伸ばした髪型を除いて。

 黒シャッターこと芳沢絢女。

 どのクラスにも必ず一人はいる地味な生徒。それも溢れ者同士で集まるタイプでもない。完全な独立タイプ。

 その地味さ、と言うより負のイメージは折り紙つきで、『芳沢の居るところが隅っこになる』なんて言われている。確かにその通りで、先月は席がど真ん中にも関わらず上手い具合に誰からも話し掛けられていなかった。まるで置物だ。

 他生徒からまともに目も合わせて貰えない僕にとって、一番会話をしている女生徒が実は芳沢である。

 言葉数は多くない。と、言うより話したい事は沢山あるのに声として発したくないらしい。彼女曰く幼い頃に声音をからかわれてから人前で喋るのが怖い、と。確かに芳沢の声は風が通るだけのような掠れたものだ。

 なら、どうして僕とは話せるのか? と問い掛けたところ、返答は「私の声を聞いても何も反応しなかったから」だった。……これまで話す人全てから声音を指摘されていたのだろうか。中々、趣のある良い声だと思うのだけれども。

 知識を蓄えるのが好きなようでいつも辞書を読んでいる。地味だけど。学業もかなり良い。学年でトップテンを保っている。地味だけど。その上スポーツも万能。地味だけど。しかし、完璧超人という訳でもない。特に国語と応用問題が苦手と。勿論地味だけど。

 普段、僕と芳沢の会話は特に意味のない雑談で構成されていた。それでも僕にとって数少ない話し相手であり、貴重な存在だ。


「宜しく、芳沢さん」

「……うん、八角」

 ちなみに芳沢は基本、誰でも呼び捨てする。敬称とかそんな概念がないのか、新留を直接『新留』と呼ぶ問題生徒でもある。

 僕に短い返事を残して手元への没頭に戻った芳沢を澁川が観察し始めた。芳沢の前髪シャッターが軽く揺れる。

「なに」

「何読んでるの、芳沢さん?」

「……」

 もう一度シャッターが揺れたが芳沢は何も発さずに手元の分厚い辞書を上げて見せた。

「どうしてそんなもの読んでるの?」

「……」

「えーっと。確か、言葉を知らないと気持ちを表現出来ないから、だったよね?」

 透かさず僕はお節介を焼く。芳沢は小さく頷いた。

 正直、僕が言えた事ではないが芳沢が他の生徒と仲良くしているところなんて見た事ない。それどころか会話ですら。だから内心、勝手な心配をしている。

 是非ともこの機会に我らがアイドル澁川春海嬢と交友を深めて戴きたい。そしてオマケで良いから僕も澁川と仲良く――なるんだっ!

「ふーん。芳沢さんも三角君も面白いね」

「えっ、お、面白いの? 僕……」

 やっぱり僕はそんな位置づけですか、そうですか。

「うん、面白いよ。三角君はみんなに見えない女の子が見えるし、可愛いのに喧嘩が強くて、でもこんなに人当たりのいい人でしょ。十分面白いじゃない?」

「う……」

 反論し辛い。と言うよりも出来ない。

「島地君もそう思わない?」

 話を振られた島地は返事をせずに、芳沢の黒いシャッターを凝視していた。否、舐めるように眺めていた。

「何度見ても思うのだ。あの下には絶世の美貌が隠されているに違いない。見たら余りの美しさに男子諸君が失神するから、敢えて封印しているのだ。あれはメデゥサか? そう、まるでメデゥサ。成る程成る程、実力と知恵を示さねばその美貌を独り占めする事も出来んと。否、しかし、俺の眼力を以てすれば透視出来るはず……嗚呼、しっかしそれをしてしまえば俺は失神して、きっと顔を拝む事なんて出来ないのだ。一体どうすれば――」

 一人でぶつぶつ言う島地を前に澁川はニコニコして「島地君も面白ーい」と笑う。なんて優しいお方だろう。普通そこはドン引きするとこなんですよ?

 芳沢は完全無視。僕は苦笑した。

「島地を見てると本当に飽きないなあ」

 スタート地点で盛大に転けた僕の高校生活だったが、何だかんだ僕のペースで楽しみが歩み寄ってきていた。


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