新たな悲劇
「いいか、今日は絶対にミスするなよ!」
木村浩一 の怒鳴り声がスタジオに響いた。
「追悼企画なんだから、演出にケチがついたら洒落にならねえぞ!」
森下彩乃は、いつものように機材を抱えながら先輩ディレクターの後を追った。
追悼特番――相田翔太 の死から1週間が経ち、番組スタッフたちは「事件の影響を吹き飛ばす」と意気込んでいた。
「大丈夫ですよ、木村さん。熱湯風呂なんて昔からの鉄板企画ですし、片山さんも慣れてるでしょう。」
小道具係の 山口 が軽く笑う。
「ちゃんとぬるま湯に調整してますから。ほら、触ってみます?」
彩乃はその言葉に違和感を覚えた。
先週の事件を受けた後で、こんなに軽口を叩けるものだろうか。
舞台中央には、大きな湯船が設置されていた。
「リアクション・キング」の定番企画「熱湯風呂チャレンジ」。
観客席には翔太を悼む雰囲気と、普段どおりの笑いを期待する空気が入り混じっていた。
片山恭介 が湯船の横に立っていた。
彼の顔色は冴えず、目の下にはクマが浮かんでいる。
収録前のリハーサルで彩乃は、恭介が山口にこっそり問いかけるのを耳にしていた。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫ですって。ちゃんとぬるま湯ですよ。」
山口は笑いながら答えたが、湯船から立ち上る湯気がいつもより濃いのが気になった。
「恭介、頼むぞ。翔太の分もリアクション取れ!」
舞台袖から、司会の 近藤達也 が声をかける。
「……はい。」
恭介の声は震えていた。
「カメラ、スタンバイ!行くぞ!」
木村の声で収録が始まる。
観客の拍手が響き、近藤がテンション高く番組を進行した。
「さぁ、翔太を偲んで特別企画!熱湯風呂チャレンジだ!」
近藤の煽りで、観客が笑い声を上げる。
恭介が一歩湯船に近づいた。
彩乃は思わず息を呑む。
「行くぞ……うおおおおお!」
恭介が湯船に飛び込む。
その瞬間――
「ぎゃああああああああ!」
悲鳴がスタジオ中に響き渡った。
湯船の中で恭介が暴れ、肌が真っ赤に変色していく。
観客席がざわめき、スタッフたちが凍りつく。
「恭介!?おい、出ろ!」
近藤が叫ぶが、恭介は湯船から出られない。
必死に湯の中で身をよじらせ、やがて動かなくなった。
湯船から引き上げられた恭介の体は、全身が火傷で覆われていた。
医師が駆けつけるも、その場で死亡が確認された。
スタジオは混乱に包まれ、彩乃は震える手で機材を片付けながら現場を見つめていた。
「……ぬるま湯じゃなかったんですか?」
彩乃は山口に問いかけた。
彼は顔面蒼白で首を振る。
「俺が設定したときは、間違いなくぬるま湯だったんだ……何で、こんな……」
その後、警察が到着し、湯船を調査した。
刑事たちが湯の中から容器を引き上げる。
彩乃は遠目にそれを見て、疑問を抱いた。
「これ、塩?それとも……」
若い刑事が呟く声が聞こえた。
もう一人の刑事が湯温計を手にして眉をひそめる。
「……湯温が100℃を超えてた。普通じゃありえない。」
その日の夜、スタジオ内での会話が彩乃の耳に残っていた。
「湯温が上がってた?どういうことだよ?」
近藤が怒ったように刑事に詰め寄る。
「湯に塩とグリセリンが混ざってた形跡があります。その影響で水の沸点が上がり……」
刑事の説明に、近藤は呆然と立ち尽くした。
木村も苛立ったように口を挟む。
「待て待て、それじゃあ誰かが意図的に仕組んだってことか?」
刑事は答えない。
その沈黙が、何よりの肯定に思えた。
彩乃は胸の中で問いが膨らんでいく。
誰が、何のためにこんなことを?
相次ぐ死。それは、単なる不幸な事故では済まされないものだと、彩乃は確信し始めていた。