ある少年が夢見た魔法
その日は、夜から大雨の予報だった。今日だけはその予報が外れてほしかった。
太陽はすっかり落ちて、もう辺りは一面の暗闇。雨がブラウスを濡らし、冷たさが肌を襲う。吐く息は白く、体温も徐々に落ちているのが感じられる。
私は今、家から飛び出してきた。いや、飛び出してしまった。
素直に白状すればよかったかもしれない。けれど、あの時、あの瞬間。警察が今まさに飛び込んでこようとした時、それは目に映った。
母の死体、その傍に置かれた凶器。それは鈍器でもナイフでもない、ただの石。小さな小さな青色と黄色の小さな石。私の部屋にある魔法の道具だった。
その時に理解した。ユヅルの言葉を。
「早く逃げた方がいいぜ?」
それはもう私を犯人として仕立て上げたという意味であった。
あの家であの石を使うのは私しかいない。魔力痕跡を辿っても、星の魔法ということしかわからないはずだ。あの家で星の魔法を扱えるのは私しかいない。
それが頭で過った瞬間、私はユヅルが飛び出た窓から同じく飛び出した。
裸足でアスファルトを蹴る。時折、小さな石が足の裏を襲い、痛みが走る。それでも私は走るしかなかった。
行き先も決めず、ただ私は走った。とにかく遠くへ。とにかくバレる危険性が低い場所へと私は走った。
頭の中では常に嫌な考えが支配した。将来のこと。友達のこと。学校のこと。カケルのこと。その全てから見放される未来。
雨は止まない。
「……うっぁ」
石が足に刺さる。
それでも私は走る。
一筋の雨が頬を濡らした気がした。
気づいたら雨は止んでいた。濡れた頭にはタオルが被せられ、周りには複数の警察が私を取り囲んでいた。
当然とも言うべきか、あっという間に捕まった。それも容疑者でもなんでもなく、深夜に靴も履かず走っている女子高生を保護という形で。
そして、すぐに私の家で起こった事情聴取が始まった。
「家に親戚がいたんです」
「ユヅルさんだっけ。君の話が本当なら彼も探さないとだな」
あの不安はなんだったんだろうと思うくらいにあっさりと信じてくれた。それならば、さっさとあの場で言えば良かったと後悔した。
だが、警官の1人が小袋に詰められた小さな石を二つ見せてくる。
「これは君の石で間違いないね?」
青と黄色の石。
「……はい」
紛れもなく私の石だった。
警官は続けた。
まず私の部屋から石を取り出した形跡があるということ。魔力痕跡が私の魔法と似ているということ。そして最後に警官は言った。
「君、お母さんと仲が良くなかったらしいね」
びくりと身体がこわばった。確かに仲は良くないのかもしれない。
「けど、お母さんを殺そうだなんて一度も思ったことありません」
「まあまあ、落ち着いて。ちょっと聞いてみただけだよ」
でも、その言葉はどこか冷たかった。
怖かった。これから私がどうなるのかわからないのが怖かった。
顔は常に俯き、まともに警官の顔が見れない。いや、見ると負けそうな気がした。気持ちが折れ、全てを認め、楽になろうとしてしまいそうだった。
「とりあえず、しばらくは取り調べが続くと思うから」
そう言って警官は部屋から出て行った。
「……ううっ」
1人になった途端、我慢していたものが溢れてきた。悔しさや恐ろしさ、明日の不安。もう戻れないかもしれないという絶望が一挙に押し寄せ、涙が止まらなかった。
膝を抱えて、それを抑えようとする。けれど、押さえつければ押さえつけるほどに頭の中は不安で支配されていった。
「カケル……っ」
考えないようにすればするほど、私は彼のことを考えてしまうのだった。
それからの3日間、ずっと取り調べをされた。
あの日の一日の行動を思い出せる限りのことを話した。私と母との関係を話せる限りのことを話した。私の家のことをわかる範囲で全て答えた。
そうして4日後、警官から言われた言葉は人生で最も安堵したであろう。
「君にかかっていた容疑は晴れた。というか、君にはあの犯行ができないっていうことがわかったって言った方がいいかな」
「そ、それじゃあ」
「うん、もう帰っていいし、学校にも行っていい」
「……っ!」
その言葉を聞いて、私は腰から力が抜けて床に伏した。足に力が入らないが、今はそれでもよかった。嬉しかった。また学校に行けるということがとても。
涙が溢れ続けた。それを拭う力も今はない。
「けどね」
だが、すぐにその希望を打ち破るように警官は続けた。
「君にはもう少し話を聞かなきゃいけない」
「それは、どういう……?」
怪訝そうな警官の顔。まるでここからの話が本番だと言うかのような雰囲気があった。
「君が話していたユヅルって男性。確かに近くの駅で目撃情報があった。けどね、その時間がおかしいんだ。犯行時間から1分もしない内に駅にいたんだ。君の家から最寄り駅まで車で10分はかかる。おかしくないか?」
「……はい」
「それに君の証言によると、家に着いてから母の遺体を発見した。そしてその後ユヅルさんと会話をした。間違いないね」
「間違いないです」
なんだろう。とても嫌な予感がした。
「僕たちが聞きたいのはね」
その後に続く言葉は私の運命を変えるものだと直感できた。多分、逃れられない運命に私は今いるのだ。私が逃げ続け、そして母がこだわり続けた運命に。
「星の魔法って一体どういう魔法なんだい」
お母さんはいつも言った。真面目にやりなさいって。それがあなたの生きる道なんだって。
今、それをようやく少しだけ理解した気がする。私にはこれしかない。いや、これをやるしかないっていう意味だったんだって。
朝、チャイムが鳴らされる音で目が覚めた。目覚まし時計を見ると時刻は午前8時を示していた。普段ならばとっくに学校へ向かっている時間だった。しかし、慣れない場所で過ごしたせいか身体に疲れが溜まっていたらしい。
ポーンとチャイムがもう一度鳴った。そういえば、この音で起きたのだと思い出して、玄関に向かった。
「はいはい……誰です……か?」
そこにいたのは青く染めた髪と裾を出した黒いワイシャツを着た男だった。首にはネックレスをして、指には何個かの指輪をはめていた。
ようは全く知らない、これから先関わることがないであろうチャラさのある男だった。
「あの、えっと。部屋、間違えてませんか?」
「星見さんのお宅っすよね?」
男はそう問うてきた。
「あ、合ってます」
「良かった!自分、夜光リュウジって言います!今日からよろしくお願いしますっす!」
「は、え?」
突然自己紹介されたかと思えば、今日からよろしくと言われた。まるで、今日から関わり合いがあるような言い分。そう思った時だった。
「ったく、あんたは突然すぎるのよ!」
笑う夜光さんの頭を殴る腕が後ろから見えた。夜光さんが倒れたかと思うと、その背後からパンツスタイルのスーツを着た女性が現れた。
「あ、星見ミラさん。よろしくお願いします、雨夜ハルって言います」
そう言って雨夜さんは1つの名刺を取り出して渡してきた。
捜査第一課魔法係、雨夜ハル。と書かれていた。つまりは、彼女たちはどうやら刑事のようであった。
「えっと、星見ミラです。よろしくお願いします」
あまりにも全てが唐突であったため、全ての状況が判断できなかったが、どうやらあの日の話の続きなのだろうというのは理解できた。
「うん、いいね、女子高生。若いっていいね、羨ましい」
そういう雨夜さんもとても若く見えた。見たところ20代。それも前半と遜色ない若さがあった。
「ハルさんも若いじゃないっすか、見た目は」
いつの間にか起き上がっていた夜光さんが私の思ったことをそのまま口に出した。それを聞いた雨夜さんの顔にはありえないくらいの血管が浮き出た。
「うっさい!」
そして、そのまま夜光さんの頭を殴り、気絶させた。
え、本当に気絶した!?
「ああ、気にしない気にしない。多分すぐ起きてくるはずだから」
まるでこれが日常と言わんばかりの様子の雨夜さんだった。そして言葉通り、すぐに夜光さんが起きて「おはようっす」と笑っていた。
「それじゃとりあえず家の前で話すのもあれだし、どこか座れる場所に行こうか」
連れ出されたのは家の近くにあったチェーン店のカフェ。私と雨夜さんはコーヒーを頼み、夜光さんはコーラを頼んでいた。
それぞれが一口飲み、一息ついた所で雨夜さんが口を開いた。
「それじゃあ、いきなり質問するけど」
ごくりと生唾を飲む。私の知っている情報はもう警官に伝えた。というか、あの時の状況と私の状況をありのまま全て伝え、もう話すことはないはずと認識している。それが故に、一体何を聞かれるのかがわからなく、身構えてしまう。
「今の家はどう?住み心地は問題ない?」
「はい……はい?」
「どうしたの?」
とんでもない質問をされるものだと身構えた結果、質問の意味を理解できなかった。いや、言葉はわかるけれど。
「い、いや。今の家についての質問だなんて思ってもなくって」
「ああ、ごめんごめん。まずは軽い雑談からしようと思って。それで、どう?用意した部屋は。少し狭いと思うけど」
「い、いえ。十分です、私にはもったいないくらい」
「そっか。良かった」
今、私はあの17年住んでいた家から出ている。というのも、まだ警察による調査があるのと何より、人が死んだ、母が死んだ家ですぐに住もうなんて思えなかった。それを伝えると、すぐに一部屋を用意してくれた。場所は今まで使っていた最寄り駅から徒歩1分圏内にあるマンション。狭いとは言ったが、6畳半ある1Kの部屋。しかもトイレと風呂場は別。一人暮らしには十分な部屋であった。
「俺もあんな部屋が良かったっす」
そう嘆く夜光さんは、グラスの中にあった氷を食べていた。
「あんたは家賃ケチってるだけでしょうが」
「へへ」
なんというか、刑事を2人前にしているというのに緊張感が無かった。だが、おかげで少し気分が和らいだのも事実だった。
そこからの会話は本当になんでもない雑談だった。これまでの学校生活の話や刑事さん達の仕事の話。本当にこれでいいのだろうかと疑問に思うほど楽しく過ごし、気づけば1時間が経っていた。
お互いに空になったコーヒーを見て、雨夜さんが追加で注文をする。そして数分もしないでおかわりが来ると同時に雨夜さんが、口調を変えた。
「それじゃ、次はあなたの家の話を聞かせて」
その鋭い目はまるで得物を定めた鷹のようだった。ここからが本番、今からする話が本題なのだと否が応でもわかった。
「私の家、ですか?」
「そう、星見家について。色々調べたんだけどさ、よくわからなくって」
「よくわからない?」
「そう」
そう言って、雨夜さんがカバンから1つのホッチキス止めされた資料を取り出した。
「これは星の魔法について調べた資料ね」
資料を私に手渡して、またカバンから同じ資料を2つ取り出す雨夜さん。そのうちの1冊を夜光さんが受け取る。
「3ページ目を見てほしいんだけど」
「はい」
そこに書いてあるのは魔法を扱う者ならば皆知っている常識しか書いていなかった。
「魔法っていうのは何かに作用させる力。例えば炎の魔法は炎を操るし、水の魔法なら水を操る。魔法はその例外なく、作用させる物体が無ければ発揮されない。そうでしょ?」
「はい……」
一体なぜこんなことを話し始めたのだろう。
「次のページ見て」
ページをめくる。そこには星の魔法についての記述が書き込まれていた。
「それで星の魔法っていうくらいだから、星に関係する魔法なんだって思ってた。けど、調べれば調べるほどわからなくなった」
「ああ……」
「あなたも理解はしてるのね」
「まあ、その一応星の魔法使いの端くれなので……」
疑問に思うのも仕方ない。だって、星の魔法というのは少々”特殊な魔法”だから。
「何がわからないんすか?」
資料をペラペラとめくりながら夜光さんが質問をする。
「あんた、この資料ちゃんと読みなさいよ」
「読んだっすよ、でも何がおかしいんすか。星の魔法は別にちょっと例外って話じゃないんすか」
「いいえ、例外なんてものじゃない」
雨夜さんは何も言わず、次のページをめくった。
「星の魔法は”星を作用させない”魔法なんだよ」
それは亡き父の言葉だった。
「いいかい、ミラ。今から教える星の魔法っていうのはすごく難しい魔法なんだ」
「すごくむずかしい…?」
その当時はよくわからなかった。星の魔法の凄さ、難しさ、そして恐ろしさについて。
「ああ、すごく難しい。お父さんでも完成していないんだ」
「それじゃあ、なんでおとうさんはほしのまほうをつかえるの?」
「いい質問だ。いいかいミラ、星の魔法っていうのはね――」
「作用させないんじゃないです。まだ作用できないんです」
1から夜光さんに説明している雨夜さんの会話を遮るように私は言った。
「……それってどういう」
口を止めた雨夜さんが私の方を向く。
「言葉のまんまです。星の魔法はまだ使えないんです」
私は貰った資料の4ページをもう一度開いた。
そこに書いてあるのはどれも星の魔法が”何を作用させて発現しているか”をまとめている。
「例えば、ここに書いてある私の石やビー玉を浮遊させる魔法。これはわかりやすい例です」
「うん」
雨夜さんは夜光さんの口を抑えながら相槌を打つ。
「星の魔法は星を作用できないだから、私たちの魔法は”物体を星に見立てて”魔法を使います」
「そこがわからないの。物体を星に見立て、魔法を使う。確かに魔法ではあるけど、それは星の魔法じゃない」
「言いたいことはわかります。私の石を操る魔法なら岩の魔法。ビー玉ならガラスの魔法。そう言いたいんですよね」
「ええ」
「星の魔法はまだ発展途中の魔法なんです」
「発展途中……?」
「はい、代々親族の間でのみ魔法を継承して完成を目指しているんです」
「模倣以下の魔法を?一体どうして」
「言ってるじゃないですか、星の魔法だって」
「だからその意味が――」
だが、すぐに口を止めて雨夜さんはブツブツと独り言を喋り始めた。そして、何かわかったように顔を上げて私を見る。
「想像通りです」
父の言葉を思い出す。
「星の魔法っていうのは――いつか星を操ることを夢見た少年の魔法なんです」
ガタっと雨夜さんは血相を変えて立ち上がる。
「ちょ、先輩!?」
突然立ち上がった雨夜さんの心配をする夜光さん。だが、雨夜さんは聞く耳を持たない。
「本気なの」
「お父さんやおじいちゃん、親戚のみんなは本気でした」
「何がやばいんすか、先輩」
「わからないの。もし彼女の話が本当なら」
「本当なら?」
首を傾げる夜光さん。それを見て少し呆れながら雨夜さんは言う。
「星の魔法が完成したなら、世界は終わるんだよ」
「色々な方法で、です」
神妙な面持ちのまま雨夜さんは席につく。そして最後の質問と言わんばかりに彼女は聞いてきた。
「ねえ、星見家って一体何?」