挨拶の続き
あの入学式から1年という時間が過ぎた。今日から僕は高校2年となるわけだが、僕はとても緊張している。それもそのはずで、2年になるということはクラスも変わるということ。つまりは、誰と同じクラスになるかが決まるということだ。
「はぁ……」
気が重い。この日で一年が決まるというのはおかしいと思う。理不尽だと思う。なぜ生徒にこのクラス決めの発言権が無いのかを学校側に問いただしたい。
まあ、学校側の意見もわかる。同じ人間とだけの関係を続けることは教育上間違いだとは思う。だが、もし万が一クラスで馴染め無ければその一年を通して孤立してしまうわけだ。それこそ教育上おかしいのではないだろうか。
うん、おかしい。やはり学校は間違っている。僕はそう結論付けた。
「カケルくーん?一体何を考えていたのかな?」
バスに揺られながら1人うんうんと頷く僕の顔を彼は覗いて聞いてきた。
「いや、学校は間違っているっていう結論をした所だ」
「はぁ、こいつはまた無駄な考えを……」
そう言って、彼は金色に染めた長い髪の頭に手を当て、やれやれと肩を落とした。
「それじゃあ、タイヨウはどう思うんだよ、このクラス替えってシステムをさ」
「いいんじゃねーの?」
「いいって、また楽観的な」
「別にそこで新しく友達作ればいいだけだろ?」
「それが簡単にできる人間だったらな」
「簡単だろ?」
「それはお前だけだよ……」
タイヨウと呼ばれたこの男は非常に距離感がおかしい人間だった。一度目が合えば、今日からはそいつは友達と認定するような男で、数分後には長年の付き合いのある友人かのように振舞う。おかげで友達は数知れず、そして何故か女子人気も高いという男だった。
僕はそんな彼の被害者もとい友達の第一号であり、何故か彼曰く、最も親しい友人となっている。
「まあでもあれだろ?」
「なんだよ」
タイヨウは何か確信めいた顔つきでニヤつき始める。この顔をする時は決まっている。誰かをからかう時の顔だ。
「どうせミラちゃんと同じクラスになりたいだけだろ?」
「はぁ、何を言うかと思ったら……」
あれは去年の入学式の後の事だった。もしかしたら同じクラスだと期待して、教室に入ると当然とも言うべきか、彼女の姿は無かった。そして、すぐに教室内で隣のクラスに可愛い子がいるという噂が耳に入り、確認に行くと件の美少女が彼女だとわかった。
あの時は確かに残念だった。同じクラスになれたら一年きっと楽しいんだろうなという確信があった。だが現実は違った。離れ離れになってしまったのは悔しい。けれど、僕にはアドバンテージがあった。それが入学式前の出会いだ。だから、謎の優位性を感じて、廊下ですれ違うことがあれば、軽い挨拶くらいはできた。
「人気だよなー、あの子」
「そうだね」
「彼氏の1人や2人いるんかな」
「どうだろうね」
「そういえば、俺春休み前にミラちゃんと話したけど…」
「はいはい」
「はぁ……」
こいつはいつもこうだ。自慢話を自慢せず、さも当たり前のように話すのだ。
星見さんと話したくらいなんだ。僕だって、ほぼ毎日挨拶していた。
「お前さあ、まだ挨拶どまりなわけ?」
「うっ……」
「バレバレなんだよ、お前。隠す気なさすぎだろ」
「う、うるさいなぁ」
「ま、入学式の日からずっと一筋なのは尊敬してるよ」
そう言ってタイヨウは立ち上がった。
「さ、お待ちかねのクラス発表だ」
バスを降りて、ものの3分で学校の校門前に辿り着く。私立星辰高等学校、それが僕らの通う学校。地元ではそこそこ有名な学校で、偏差値、進学率共にある程度の信頼がある高校。校則がやや厳しく、課題も多いことで生徒からは自称進学校なんて揶揄される。
「それにしても、ミラちゃんはなんでこんな学校に来てるんだろうな?」
ふと、タイヨウがそんな疑問を零した。
「どうして…?」
「いや、だってさ。彼女、片道一時間半かけてここまで通ってるらしいぜ?あの子の地元じゃ、ここよりも良い学校があっただろうにさ」
「そういえば、確かに」
その噂は、よく知っていた。というのも、星見ミラはこの学校では常に上位10人に入る成績の持ち主であり、運動神経も抜群。こんな中の上みたいな高校よりも、他に選択はあったはずだ。
「何か知ってるか?」
「僕に聞かないでよ、タイヨウの方が詳しそうじゃん」
「その俺がわからないから聞いたんだけどな」
それもそうだ。まあ、わからないのならわからないでいい。大事なのは、彼女と出会えたことなのだから。経緯はどうあれ、結果が良ければそれでいいのだ。
僕らは玄関へと歩を進める。学校の入口に近づくにつれて、人がごった返していく。どうやら、クラス発表で盛り上がっているのか、その場で騒いでいる人達が多いようだった。
いよいよ、クラス発表の時だ。そう思うと、手に汗が溢れ、頭が痛くなってきた気がする。人混みの前で僕は立ち止まった。この先に答えが待っている。
「よし…!」
緊張は消えない。けれど、そのままでもいけない。人は踏み出さなければ歩けないのだ。覚悟を決めろ、そして結果がどうあれ全てを受け入れろ。望む未来でなくても。そう決意して歩こうとした時だった。
「おい、カケル!俺と同じクラスだったぞ!」
その男が全てをぶち壊した。
「やったぜ」
人混みをかき分けながらタイヨウが戻ってきた。その顔は文字通り満面の笑みであり、嬉しさのあまりに勝手に肩を組んできた。
「お前なあ……」
「なんだよ、嬉しくないのか」
「それはあまり」
「え、ひでぇ」
「それよりも他のクラスメイトも見たいから離してほしいんだけど」
「あー、それは……」
あの太陽と見紛う満面の笑みから一変、タイヨウの顔はどこか影が落ちて見えた。まるで、全てのメンバーを知ったような。
「うん、お楽しみとしよう。さっさとクラスに行こう。お前は見るべきじゃない」
そう言って、タイヨウは肩を組んだまま僕を玄関へと連行していく。その勢いは有無を言わせないという気迫を感じさせる。
「もしかしてさ、違った?」
この行為はそれしか考えられない。星見さんと同じクラスじゃない。その事実を紙面で見せないようにするというタイヨウなりの配慮なのかもしれない。だけど、それでも僕自身の目で確認したかった。
「……さっさと教室に行こうぜ」
タイヨウは答えない。だが、その表情はやはりどこか影のある表情だった。
靴を履き替えて、僕らは階段へと向かう。1年の教室が3階にあり、2年の教室が2階にある。1階分の上り下りが減ったのはとても大きい。だが、そんなことは関係なく今はとにかく足が重かった。2階に昇るだけで、こんなに疲れただろうか。
だが、着実に足は進む。一段、一段、僕は足を進めた。そうして昇りきり、右に曲がると教室の立札が見えてきた。手前から1組、2組と続き、一番奥に4組がある。
「タイヨウ、そもそもクラスはどこなの」
「4組」
「うわ、最悪じゃん」
よりにもよって、一番奥だった。階段から最も遠く、ついでに食堂からも一番遠いクラス。星見さんとクラスが違うのならせめて、階段に一番近いクラスが良かった。
僕らは4組に向かって歩く。その間に通る教室では、クラスメイト同士がワイワイと談笑をしているのが聞こえた。時折、入口から見える顔はみな笑い合っていた。
「ほら、お前も笑えって」
またタイヨウが肩を組んできた。
「なんでタイヨウとは同じクラスなんだよ……」
「だから、そこは素直に喜べよ!」
「はいはい」
僕は気持ちの入っていない相槌を返す。それに対して、タイヨウは不服そうに口を尖らせ、僕は笑った。
でも、正直助かった。タイヨウがいてくれて、最初から教室で孤立しないで済む。別に友達が少ないわけではないが、特別多いわけでもない。だから、見知った人がいるのは素直に嬉しかった。
「着いたぞ、教室」
そう言ってタイヨウは組んだ肩を解き、先に教室へと入っていった。僕はそれに続いて教室に入った。
その教室は、これまで通ってきた教室と大差なかった。同じ作りで、同じ机の数。違いがあるとすれば、そこにいる人達。周りを見回すと、知らない顔が1人2人と、ほとんどが知らない顔で埋め尽くされていた。
だが、全員ではない。2人知った顔がいた。1人は悪友のタイヨウ。そしてもう1人、僕の知っている顔がいた。
僕はその子から目が離せなかった。まるで杭でも刺されたかのように、ずっと彼女を見ていた。
彼女も僕の姿を認める。そして、笑った。
その笑顔を僕は知っている。あの日、入学式で見た笑顔と同じ。だが、あの時は泣きそうな笑顔だった。今は違う。とても朗らかに笑っている。
僕は知らず知らずのうちに、彼女の方へと向かって歩いていた。そして、いつものあの距離まで僕と彼女は近づいた。
彼女は笑い、言った。
「おはよう、カケル」
「お、おはよう星見さん」
いつもの挨拶。いつも廊下ですれ違った時に交わした挨拶だった。
「席、黒板に書いてるよ」
だが、今日は違う。今日からは違う。
「そ、そうなんだ。どこだろ」
黒板を見やり、自分の名前と星見さんの名前を探す。まずは窓側の前から見て、そしてすぐに2人の名前を見つけた。
「私の後ろなんだけどね?」
窓際の一番後ろとその一個前。そこに僕らの名前があった。
「今日からよろしく、カケル」
その日から、僕らは挨拶の続きを重ねるようになった。