ふたりのダンス
その年の夏の終わり。
リックとはあれから一度も会っていない。
今日はデビュタントの日だ。
兄はいそいそと朝からアンの家に向かっていた。
ニヤニヤ顔と浮かれた背中にイラッとした。
でもアンは喜んで笑うんだろうな、と私はそう思った。
私は何もできない。
心配してくれた両親が観劇に行くかと誘ってくれたが私は断った。
騒がしい妹たちは両親に遊びに連れて行ってもらい私は一人で部屋にいた。
ベッドでぼーっとしていたがデビュタントの時間が近づいてくるとどうしても落ち着かなくなる。
「…いいなー」
つい声が漏れて枕をぎゅっと抱きしめた。
私もリックと踊りたかった。
想像したらリックの服がパンっと弾けて笑ってしまった。
そのあと私の白いドレスに馬糞が飛んできて私は顔を歪めた。
暗い気持ちになりかけたので立ち上がる。
クローゼットの白いドレスを確認する。
茶色のドレスの中で白いドレスだけが輝いている。
手に取るとベッドに広げた。
裾だけに入れようと思っていた青色の刺繍はいつの間にか全体に広がっていた。
リックの瞳を思い出す。
キラキラした髪を思い出す。
この部屋で私に結婚しようと言ってくれたリックが甦った。
かっこよかったな。
思い出しても私はもう泣かずにいられた。
迷ったが私はドレスに袖を通した。
サイズがぴったりで嬉しくてそのままくるくる回った。
部屋でスキップをしたが机で足を打って我に返る。
「…痛い」
私はなんだが面白くなって一人で笑い始めた。
外はもう暗い。
私は思い切ってこれを着て外に出ようと思った。
メイドたちももういないがそーっと扉をあけて母のヒールを履いて外に出た。
ちょっと大きいヒールは気をつけないと脱げそうになったがそのまま川辺に向かった。
暗い夜。満点の星空と月明かりだけが輝いていた。
いつもの場所から川に降りる。
川が月明かりでキラキラ輝いている。
私はパッと嬉しい気持ちになった。ちょっとだけ一人で踊った。
だがサラサラと川の音しかしない静かな夜だと気づきふいに切なくなった。
私は座って川をじっと見つめていた。
リックと遊んだ子どもの頃のことを思い出した。
言葉は思い出せないが今でも鮮明に絵が浮かぶようだった。
私は真っ白なドレスを着ている。
そのまま川辺に座っていたのでまずいと思った。
お尻をパタパタと叩いていると誰かが歩いてきた。
それがリックだとすぐに気がついた。
薄い茶色の髪が月明かりで輝いていたからだ。
「…リック?」
私は驚きすぎて声に出せたか分からなかった。
「スー踊ろう」
真っ白なタキシードを着たリックがこちらに歩いてくる。
瞳に光が射しキラキラ輝いていた。
綺麗だった。
(あ、これ幻だ)
そう思ってリックの伸ばされた手を取ろうとしたがリックに手のひらを向けられた。
「待って、まだ触るな!」
リックが慌てて上の服を脱ぎ出す。
(幻のくせにすごい)
私はじっとリックの上半身を見つめていた。
骨ばって筋肉質な体にどきどきした。
そのままリックが自分の上着を私にかけた。
「踊ろう!」
そう言って手を取られた瞬間、リックの身体はパンっとならなかったが私には馬糞が飛んで来た。
リックがかけてくれたタキシードにふたつの馬糞跡がついているのを見て
(え、これ幻じゃないの?)
と思った。
上半身裸のリックに手を取られ私たちは踊り始めた。
定期的に馬糞が飛んでくるんじゃないかと思ったが踊っているときは飛んでこなかった。
月明かりの川辺で私たちは手を合わせてステップを踏んだ。
タキシードが肩から滑り落ちた。
ターンを決めて手を離そうとしたがリックは手を離さなかった。
私はただキラキラしたリックを見つめていた。
リックの顔が真っ赤だ。
私も顔が熱くなった。
「リック好きだよ。」
そう言うとリックはさらに顔を真っ赤にして私を見つめていた。
「思い出をありがとう。」
リックの瞳が揺れた。白い上半身が月明かりで輝いている。
「スー!」
リックは私を抱き寄せた。
私は慌ててリックの身体を押した。
「ダメだよ!」
私がそう言うとリックの身体は止まる。
「ちゃんと結婚する相手にしないと…」
私は馬糞跡付きのリックのタキシードを拾った。
リックはデビュタントを抜けてきたのだろうか。
「スーがそれを言うのか」
リックの声が低くなっていて驚いた。
リックを見たら顔が怒っていた。私は戸惑う。
「結婚しない人を抱きしめたりしたらダメだよ」
当たり前のルールを告げるとリックが怒った。
「俺はスーと結婚したい!」
「っ!無理だよ!
リックはちゃんとした人と結婚して!」
リックの顔は泣きそうだった。
「それでスーは別の男のものになるのか。」
「私は…」
結婚なんてできるはずない!
そう言い切る前にリックが私を睨んだ。
「他の奴がいいのか。」
「リック!」
「俺以外を選ぶなら殺してやる。」
言われた言葉に心臓がゾワっとした。
リックが私を殺す。
「殺されたいの?」
(未来がない私にはそれがいいのかもしれない。)
私は殺してくれるなら殺されたいと思った。
この先リックが他の誰かと結ばれるのを見なくていい。
怒っているリックの顔をじっと見つめた。
「…そうかも。」
そう呟くとリックがもう一度私の手を掴み引いて歩いた。
馬糞が飛んで来たがそれは丁度よく手に持ったタキシードにバンッバンッと当たった。
その勢いでタキシードを手離した。
子どもの時代に私たちが遊んだ橋の下でリックは私を押し倒した。
私の上に跨ったリックを見て首を絞められるのかなと思った。
それが一番良いと思って目を閉じる。
手を絡められ目を開いた。
リックの顔が近くて驚いたら、そのまま噛み付くようにキスをされた。
心臓が跳ねるように高鳴った。
「い、や!」
離れようとしたが逃れることができない。
「俺のものにする」
リックがつぶやくように言った。
リックが泣きそうだった。
私の身体の力が抜けるとリックがもう一度キスをした。
大人のキスだった。
私は死ぬ前の思い出だ、と思った。
それならきっとこれからできるリックの結婚相手も許してくれるだろう。
初めてだったけど私もリックに大人のキスをした。
「はっ」
リックが離れた時、私は息を吸いすぎて少し詰まった。
歪んだ視界でリックを見上げると、リックは真っ赤になって手の甲で口を隠していた。
「…っ最悪だ」
リックは私の胸に頭を寄せた。
リックはもう私を殺さないようだ。
真っ赤な顔を見て私も真っ赤になった。
それから私たちは少し離れてちょっと泣いた。