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馬糞が飛んでくるので結婚できません  作者: わたがし うまい
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聖母様への祈り

 リックにまた会う約束をしなかったことを残念に思っていたがどうしようもない。

 家庭教師に刺繍を教わりチクチクとハンカチを縫っている。

 こんなこと覚えたって私は結婚できないのに、と思った。

 私は呪いが解明する唯一の可能性だったリックの呪いが解けていなかったことで意気消沈していた。


 コンコンとノックの音がする。


 「はい」


 私が答えるとドアが開いて何とリックが入ってきた。


 「リック…?」


 驚いてそう呟いたが私は慌ててリチャード様と言い直した。


 「スー…会いに来た。」


 リックがそう言ってはにかむように笑った。

 リックにソファに座ってもらう。


 刺繍の先生は今日はそのまま帰るとのことだった。

 私の部屋に大人になったリックがいることで私は何とも不思議な気持ちになった。


 「ちょっと変わったな。」


 リックが私の部屋を見渡しながら嬉しそうに言った。

 私の部屋はすっかり茶色になっている。

 私は可愛くない部屋が恥ずかしくなった。


 「今日はどうしたの?」


 「今日は婚約の話をしに来た。」


 「…誰に?」


 私はリックが婚約するのかと胸がズキンと傷んだ。


 「…スーに。」


 真剣な目で言われてびっくりした。


 「スーが好きだ。結婚しよう。」


 リックは緊張しているようでまた赤くなっている。

 その顔を見て、本気で言ってくれているんだと思った。


 リックが私を好きになってくれた。

 本当に嬉しかった。


 私は胸がどきどきしてリックとの結婚生活を想像した。

 そして、無理だと思った。


 「…私じゃリックのお嫁さんにはなれないよ。」


 言って自分で泣きたくなった。

 私を妻にすればリックの評判が落ちてしまう。


 私はリックと一緒にパーティに出て自分に馬糞が飛んでくるのを想像した。

 リックの服が弾け飛ぶのはリックの精神力で何とかなるかもしれない。

 リックの隣で精神を保つのは私には無理そうだった。


 「…嫌なのか?」


 「嫌とかじゃなくて、私には無理だよ!」


 「…」


 リックは口を閉ざした。


 「…何で?」


 「貴族の生活なんて (馬糞が飛んでくる) 私にはできない!」


 貴族は社交が生活の基本だ。

 爵位を持った男爵家に嫁げば他の貴族との社交界にも参加することになる。

 リックと結婚できたらどんなに素敵だろうかとも思うが馬糞が飛んでくるまま社交の場になんて出られるはずがない。

 私はデビュタントもできない。一生社交界に出ないまま死ぬのだ。

 そんな人生にリックを巻き込めない。


 「…」


 リックは黙ってしまった。

 しばらくしてリックが立ち上がった。


 「…また来る。」


 私が顔を上げない間にリックは出て行った。

 自然と涙が溢れてきた。

 私は何でこうなのだろう。

 何で馬糞なんて飛んでくるんだろう。

 辛くて何もする気が起きなかった。



 この日からリックとは二度と会えないのだろうと思ったのだがリックは定期的に会いに来てくれた。

 私の部屋で話したり子どもの頃ふたりで遊んだ場所に行ったりした。


 リックは結婚の話はもうしなかった。

 私たちはただ子どもの頃の自分たちを懐かしんでいた。


 「ここでコケたよな。」


 リックがいたずらに笑った。


 「…一緒に川に入ってくれたよね。」


 リックはククっと笑った。


 「あの時も馬糞被ったよな」


 私たちが子ども時代に最後に会った日だ。

 私が馬糞の上で思いっきり転んで泣いていたらリックが川に入ってくれた。

 そのまま私たちは川遊びをした。


 私は優しい思い出に懐かしくなったが同時に泣きたくなった。


 (私は何でリックと結婚できないの?)


 ぼんやりした視界の端で大きい聖母像が見えた。

 白くて目に青い宝石の入った聖母像である。


 この聖母像は聖母の奇跡で恋を叶えてくれると女の子たちの間で有名だった。

 女の子たちが時々祈りに来ている。アンが兄と婚約する前も一緒に祈りに来た。


 私は心の中でこっそり聖母様に祈った。


 (リックと結婚させてください。)


 何となく聖母様が笑ったような気がした。

 私はとても期待してしまった。

 今ならもう馬糞は飛んでこないんじゃないか、と。


 「リック」


 私が呼ぶとリックが振り返った。

 明るい茶色の髪がさらっと流れて光る。

 私はリックの手を取った。


 「スーどうかし…」


 馬糞が飛んできてない!


 そう喜んだ瞬間、リックの服がパンっと粉々に弾けた。

 そして私の背中にもバンッバンッとふたつ馬糞がぶつかった。


 「…」


 「…」


 手を繋いだまま時間が止まっている。



 私たちは仕方なく家に戻った。

 リックには兄のシャツを渡した。

 私の部屋で佇むふたりの間に沈黙が流れている。


 私は期待した自分が恥ずかしくなった。

 そして泣きたくなった。これからも馬糞は飛んでくる。

 先ほど馬糞が当たった背中が痛かった。


 誰が何のために私にこんな呪いを掛けたのだろう。何の恨みがあるの?

 そのまま涙がこぼれ落ちそうだった。


 「スー…」


 リックが私の名前を呼んだが顔は上げられなかった。


 「スー気にするな。

  子どもの頃みたいに手繋ぎたかったんだろ?」


 リックは私が落ち込んだ理由を先ほど手を触ったことだと思っているようだ。


 「…ごめんね。」


 「いいよ。」


 リックは兄のシャツを着てソファに座った。

 私は馬糞ドレスを着替えていなかったがそのままソファに座った。


 「…」


 お互い何を話していいか分からない。

 私はリックの顔を一度も見ていない。

 沈黙が続きこっそりリックの顔を見るとリックは伏し目がちにぼんやりしていた。

 やっぱりかっこいい…と私は思った。

 そして泣きたくなった。


 「リック、もう来ないで。」


 悲しかった。この人と結婚できないことが悲しかった。

 リックを好きになったら私はもう生きていけない。

 馬糞を浴び続けて生きていくことが出来なくなる。

 私は俯いてぎゅっとドレスのスカートを握った。

 背中から馬糞の臭いが漂ってくるようだった。


 「迷惑なの。」


 自分の口から出た冷たい言葉に心臓が軋んだ。

 私が俯いたままでいるとリックはそのまま何も言わず部屋を出て行った。

 私はまた泣き出した。


 「うっ…ひくっ…」


 出て行ったばかりのリックに聞こえないように声を押し殺して泣いた。

 リックを好きになった私を自分でただ労った。

 この思い出だけで生きていこうと思った。

 馬糞を浴び続けても今ならまだ生きていける。

 私は馬糞ドレスのスカートで涙をぐいっと拭った。

 私はもう前向きに生きていこうと決めた。


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