馬糞の呪い
よく気をつけていたが町歩きの途中、前からやってきた大柄の男性と肩が少し触れてしまった。
(まずい! 馬糞が飛んでくる!)
そう考えた瞬間、柔らかいものに足を取られ地面が滑った。
靴にべったり馬糞がついていた。
(こっちだったか…)
私は靴の馬糞を地面でぬぐった。
私、スーザン・グリーンは男性に触れると馬糞が飛んでくる呪いにかかっている。
幼い頃に突然呪われた。
誰に呪われたのかも分からない。
(年頃の女の子に馬糞はひどすぎる…)
馬糞には慣れているが私は今年デビュタントを控える16歳の乙女。
私の家は貴族ではないが貴族階級に近い存在だ。
土地を持っていてそれで暮らしているので爵位のない貴族という立場だろう。
庶民とは違うが庶民の中で暮らしている。
この地方で爵位を持つ貴族はウィリアムズ男爵家しかない。
私も本来なら裕福層のデビュタントに参加し社交界デビューするはずだった。
デビュタントは実際は貴族の社交界デビューのことである。
貴族階級への憧れからここでも社交界デビューはそう呼ばれている。
私はこの馬糞のせいでデビュタントには参加できない。
呪いに将来を奪われているようで悲しかった。
呪いを恨む気持ちになると同時に幼い頃よく一緒に遊んでいたウィリアムズ家の男の子のことを思い出した。
(リックも呪いに苦しんでいるかな…)
馬糞が飛んでくるようになった日、最初はただの偶然だと思っていた。
リックと遊んでいて手を繋いだ瞬間、私の顔に馬糞が飛んできて、リックの身にも別の悲劇が引き起こされていた。
それが続いたとき、私たちは「呪い」だと思った。
リックは呪いの解明をするため王都の親戚の元に引き取られたそうだ。
リックには婚約者がいたがこの呪いで破談になったと聞いた。
お互い7歳で呪いにかかったので9年会えていない。
連絡も取れないがリックは私の心の支えだった。
彼の子どもながら切れ長の目と明るい茶色の髪を思い出す。
(呪いが解けてたら私のも解いてほしい…)
考え事をしているとまた男性にぶつかり馬糞が飛んできた。
*****
「スーザン、あなたデビュタントはどうするの?」
私は親友のアンと遊んでいた。
アンは髪がサラサラのストレート、切れ長の目の女の子だ。
彼女も爵位のない貴族で兄の婚約者でもある。
「無理だよ。会場を馬糞だらけにできないもん。」
「…そうよね。」
アンが残念そうにつぶやく。
できれば私も白い服を着てデビュタントに参加したかった。
この地方では事情がなければ大体みんな16歳でデビュタントを行なった。
私は馬糞ができるだけ目立たないように茶色の服しか着れないのだ。
「今年、ウィリアムズ家のご子息が戻るらしいの。」
「リックが?!」
「私たちのデビュタントに参加するらしいわ。」
私はびっくりした。
リックも呪いにかかっているはずだからだ。
(呪いが解けたのかもしれない…!)
私は大いに期待した。
家で家族団欒の夕飯。
我が家は父・母・兄・双子の妹・私の6人家族だ。
この家は兄が継ぐが私は結婚してこの家を出ることができるのだろうか。
「リックが戻ってくるって本当?!」
「こら。もうリックで呼ぶのはやめなさい。」
母が私を叱った。
リチャード・ウィリアムズ。男爵家の一人息子だ。
幼い頃は仲が良かったがもう人前で愛称で呼んではいけないのだろう。
「リチャード様は呪いが解けたのかな?」
私はワクワクして聞くが両親は知らないらしい。
ちなみに家の中で万に一つもぶつかったりしないよう私は父と兄から遠い席に座っている。
私と父との間に双子の妹たちが並んで座っている。
「「リチャード様って誰?」」
まだ7歳の妹たちは不思議そうに首を傾げる。
「私のお友達よ。」
「9年会ってないのに友達なのか?」
兄が首をかしげる。
「好きで会えなかったんじゃないもん…」
「あ、悪かった。」
兄が気まずそうに謝ってきた。
「今年のデビュタントに参加できるってことは多分呪いが解けたんだろうな。」
父が言った。
「貴族が参加するなら今年は華やかだろうな。」
「リチャード様の呪いもひどかったものね…。」
母が悲しそうに呟いた。
「「お姉ちゃんはデビュタント参加しないの?」」
妹たちが無邪気に聞いてくる。
私は胸がズキンと傷んだ。
母をちらっと見る。
「…させてあげたいけど無理よ。」
「うん。分かってる。」
馬糞とは9年の付き合いなのだ。
私のわがままでみんなのデビュタントを無下にできない。
そんな私を見て母は悲しそうだった。
「もしリチャード様の呪いが解けていたら秘密を聞きましょう。」
「とりあえず戻られたら会えるか聞いてやる。
会う機会がないと無理だが…」
父と母が私を励ますように言った。
「うん、大丈夫!」
それでリックの話はお終いになる。
リックはどのように呪いを解いたのだろう。
リックは女性に触れると、上半身の服がパンっと粉々に弾ける呪いにかかっていた。
デビュタントに参加できるということは絶対に解けている。
(デビュタント前に呪いが解けたらいいな)
私は子どもの頃に一緒に遊んでいたリックの笑顔を思い出し、服が弾けた時の衝撃の顔を思い出した。
7歳だったが普段見ることのない男の子の上半身も思い出してちょっとどきどきした。