古典落語「天狗裁き」をループ物と解釈した際の攻略法
本エッセイ内では古典落語「天狗裁き」の主人公名を八五郎としていますが、主人公の名前は演じられる噺家さんによって変わる事が御座います。
また、夫婦喧嘩を仲裁したのが友人ではなくて単なる隣人であるバージョンも御座います。
こうした細部のバージョン違いも、落語の奥深さですね。
眠っている時に見る夢というのは、実に不思議な物ですね。
冷静に考えれば荒唐無稽な内容なのに、見ている最中は辻褄があっているように感じられるのですから。
しかも、眠っている間は現実感を伴う強烈な体験として知覚していたにも関わらず、目が覚めたらケロッと忘れてしまっている事も日常茶飯事なので、なかなか一筋縄ではいきません。
夢を忘れる理由につきましては、「起床後のモーニングルーティンに忙殺されていくうちに、記憶が曖昧になっていくから。」とか、「夢の中で綺麗サッパリとケリがついて、持ち越さなかったから。」等、色々と挙げられますね。
本エッセイで取り上げる古典落語「天狗裁き」は、そうして忘れた夢を思い出す事が重要なテーマとなってくる噺です。
長屋の住人である主人公の八五郎は、表情を千変万化させながら眠っていた所を妻に起こされ、「どんな夢を見ていたの?」と問い質されます。
何も覚えていない八五郎は、「夢なんか見ていない」と答えますが、妻は夫の答えを信じず、押し問答の末に夫婦喧嘩になってしまいます。
八五郎の友人が仲裁に入った御蔭で事なきを得ますが、夫婦喧嘩のキッカケを聞くや、今度は件の友人が八五郎の夢に興味を抱いてしまう始末。
妻の時と同様に「夢なんか見ていない」と答える八五郎ですが、やはり妻と同様に納得せず、しつこく問い質してきます。
そうして喧嘩になった八五郎と友人を、今度は長屋の大家さんが嗜めますが、「女房や友達には言えなくても、大家の私には打ち明けられるだろう。」という具合に、彼もまた八五郎の夢をしつこく詮索します。
あくまで「夢なんか見ていない」と言い張る八五郎の態度に腹が立った大家さんは、八五郎への立ち退き要求という強硬手段に打って出ました。
やがて二人の争いの舞台は奉行所に移り、理不尽極まりない立ち退きを要求した大家さんは御奉行様のお叱りを受ける事に。
晴れて勝訴となった八五郎ですが、争議の原因を知った御奉行様が、今度は八五郎の夢を詮索する始末。
やはり「夢なんか見ていない」と言い張る八五郎は、御奉行様の怒りを買って木に吊るされてしまいます。
そんな八五郎を救ったのは、鞍馬山の大天狗でした。
あまりの馬鹿馬鹿しい成り行きを見るに見かね、八五郎をかっさらって来たんですな。
ところが救い主である大天狗もまた、八五郎の夢を聞きたがるんですよ。
どうやら、大家さんや御奉行様に問い詰められても答えなかった八五郎の頑なな姿勢が、余計に注意を引いてしまったんですな。
こうして大天狗に迫られた八五郎は、奥さんに揺り起こされて目を覚まします。
しかし、その激しい魘されようを心配した奥さんに、「随分と魘されていたけど、どんな夢を見たんだい?」と聞かれてしまうのでした…
演じる噺家さんによって差異はありますが、これが「天狗裁き」の粗筋です。
サゲの部分に注目して頂きますと、夢から覚める冒頭の状態にまた戻っているんですね。
この一周してまた最初の状態に戻るタイプの噺は「まわり落ち」と呼ばれておりまして、「天狗裁き」以外では「真田小僧」や「持参金」等が有名ですね。
身に覚えのない夢の内容を周囲の人間から執拗に詮索される異常な状況に、終わりの分からない無限ループ。
八五郎にしてみれば、まるで悪夢のような恐ろしい状況ですね。
この悪夢めいた狂気の世界から八五郎が抜け出すには、どうすれば良かったのでしょうか。
互いに一歩も譲らずに強情を張り合えば、衝突するのは世の必定。
どちらか一方が妥協すれば、そこで丸く収まるんですね。
つまり、奥さんや大家さんといった周囲の人が「たかが夢の話じゃないか。」と詮索を止めるか、八五郎自身が何か適当な夢物語を一席ぶてば良かったんです。
とはいえ、心理学者のアルフレッド・アドラーの教えにもありましたように、自分の考えや主張は変えられても、他人の主義主張は変えられません。
実際問題、八五郎の周囲の人は、頑として詮索を止めなかった訳ですからね。
従って、この場合は後者の選択肢を取り、八五郎が妥協するのが現実的な解決方法ですね。
八五郎としては、「覚えてもいない夢の内容を出鱈目に語ったら、江戸っ子の面汚しになっちまう。」と言いたくなるかも知れませんね。
しかしながら、ここは人情噺「三方一両損」で名裁きを見せた大岡越前守のように、器の大きい所を見せて丸く収めて頂きたい所です。
それでも八五郎に溜飲を下げて貰うとしたら、「見てもいない夢の内容を皆に詮索されて、とにかく困り果てる夢だった。」とでも答えたら良いでしょう。
要するに、「天狗裁き」の粗筋その物ですね。
もしかしたら「天狗裁き」の噺は、無限ループから脱出した世界線の八五郎が、教訓も含めて語っているのかも知れません。
奥さんや友達と揉めようとも、大家さんや御奉行様、果ては天狗に力ずくで問い質されようとも、頑として「夢なんか見ていない」と言い張る八五郎。
その一本気な頑なさは、如何にも江戸っ子という感じがしますね。
そんな八五郎ですが、適当な作り話を夢として語る事だって出来るんですよ。
当意即妙な知恵者としての八五郎の姿は、「天狗裁き」の原案となった古典落語「羽団扇」で確認出来ます。
本来「天狗裁き」は、「羽団扇」という長い噺の前半部分を独立させる形で成立した噺だったんですね。
この「羽団扇」ですが、途中までは「天狗裁き」と殆ど同じ粗筋です。
強いて違いを挙げるなら、季節が正月と明言されていて、七福神のお宝を枕の下に敷いて眠っている点ですかね。
覚えていない夢の内容を巡って周囲の人と揉めた挙げ句、天狗に連れ去られてしまう所までは大体同じなんですが、天狗に凄まれた所で目を覚ます「天狗裁き」と違い、「羽団扇」では更なるドラマチックな展開が待っています。
このまま強情を張れば厄介な事になると気付いた八五郎は、天狗を騙して窮地を脱すべく一計を案じます。
「自分が見たのは両国の花火の夢だ。花火の見事さを情感豊かに語る為に、扇子かハリセンを使いたい。」
このような口車で天狗から羽団扇を奪い取った八五郎は、自由きままな空の旅と洒落込み、洋上で宝船を用いた船上新年会に興じる七福神と出会います。
彼らの興じる新年会に飛び入り参加した八五郎は、弁天様の御酌してくれるお酒でほろ酔い気分。
やがて奥さんに起こされ、八五郎は先程まで見ていた楽しい吉夢の内容を順序立てて説明するのでした…
こういう具合に、ほのぼのと明るい「羽団扇」は、幸せムード全開の正月噺となっております。
一方、派生作品である「天狗裁き」は、冒頭と後半の正月要素をオミットする事で、春夏秋冬いつでも高座にかけられる汎用性を獲得し、回り落ちにする事で「強情を張り続けた結果の無限ループ」という教訓的側面を得るに至ったのですね。
そして「天狗裁き」の教訓的側面は、原案である「羽団扇」と比較する事でより一層に顕著になってきます。
最後まで持論を曲げなかった「天狗裁き」では天狗の拷問に苦しめられました八五郎でしたが、持論を曲げる柔軟さを見せた「羽団扇」では、窮地を脱しただけではなく、七福神の新年会への飛び入り参加を果たし、オマケに無限ループさえも断ち切っています。
こうして「天狗裁き」と「羽団扇」を比較致しますと、「無闇に強情を張らず、なるべく早めに態度を軟化させた方が良い結果に繋がる。」という教訓が見えてきますね。
また、「天狗裁き」を無限ループの噺と仮定するなら、その原案である「羽団扇」は、「無限ループのフラグを早々に折った、ハッピーエンドに分岐したルート」とも解釈出来るでしょうね。
ハッピーエンドに終わった「羽団扇」とは違い、天狗相手にも強情を貫き続けた「天狗裁き」の八五郎は、奥さんに起こされるというスタート地点からやり直す羽目に陥ってしまいました。
このまま永遠に無限ループし続けるのか、ループから脱出出来るのか。
或いは、御奉行様や天狗の手にかかって落命するバッドエンドで終わるのか…
そのルート分岐は、八五郎自身の選択如何にかかっているのです。
こうして考察していきますと、古典落語の「天狗裁き」は、無限ループ脱出物としても解釈出来そうですね。
そしてループの脱出の可否は、「夢なんか見ていない」という主観的な正しさにこだわるか、当意即妙に適当な夢の話を語るかという、八五郎の選択肢がフラグになってくるのです。
本エッセイをここまでお読み下さいました皆様は、「ここまで面倒臭い状況に巻き込まれているのに、どうして八五郎は『夢なんか見ていない』と強情に言い張り続けるんだろう?『羽団扇』みたいに適当な夢の話を語れば、それで周りの人は納得するのに。」と疑問に感じられたかも知れません。
実際、「天狗裁き」を聞いた寄席のお客さん達の多くも、同様の感想を抱くそうです。
しかしながら、「強情を張らずに適当な夢の話をしろ。」という八五郎へのツッコミこそ、「天狗裁き」の教訓的側面なのですね。
寄席のお客さん達は、「天狗裁き」の八五郎に「強情張らず、適当な話をして丸く収めろ。」とツッコミを入れる事で、「無闇に強情を張るのではなく、時として妥協する事も大切である」と知らず知らずのうちに学んでいったのだと思います。
−強情を張っても相手の意見は変わらないので、自分の行動を柔軟に変えてみよう。
アドラー心理学にも通じる人間関係の教訓が、この「天狗裁き」には読み取れるのですね。
こうした現代の人間関係にも応用出来る普遍的な教訓性が盛り込まれている点も、古典落語が今日まで脈々と受け継がれてきた要因の一つと言えそうです。
※ こちらの素敵なFAは、黒森 冬炎様より頂きました。