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理事長の息子は権威を笠に着て練り歩く  作者: 大魔王ダリア
第一章 「想いの灰は見つからない」
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本日の天気と臼間高校を理事長の息子が語る

自販機でほうじ茶を買って外を眺めながらしばらく過ごした。廊下の突き当りには狭い休憩スペースと半円状の窓があり、晴れた日は明るい。晩春というのか、初夏というのか。気温は低いがお天道様はひたすらに笑顔だ。ここ最近は雲が出る日が少ない。青天に浮かんだ満面の理不尽な笑顔が、もう一週間近く翳ったためしがない。


くそったれ。勝手に、他人事に、誰も届かない空の上から俺を見下してんじゃねぇ。


周りの奴らは俺を凶暴で野蛮な危ないやつとして語る。否定はしない、だって思考は確かに野蛮だ。行動も、思考につられて荒くなるし実際に傷を負わせた人間も多い。そのことに特別心を痛める感性も持ち合わせていない。そりゃ、あぶねー奴だ。


だが、それ以上に俺は卑屈なのだろう。これは自信をもって言える。俺は、卑屈だ。


離れたところから、ここなら安全だと思い込んで石を投げてくる奴には容赦なく接近して殴り倒したくなる。


だが、それも叶わぬ程離れすぎた場所に輝きがあるとき、俺はそれを直視できない。目をそらす。今も暖かでやわらかい光の暴力を受けながら、光源を見ることなく樹木や鉄塔の影ばかり見ている。


理事長の息子なんて肩書を使ってできることなんて、囀る女どもを黙らせたり、ありもしない権力に群がってくる馬鹿どもを手懐けることぐらいだ。だが、それすらなければ俺は間違いなく引きこもっていただろう。太陽なんて、見たくねぇよ。張りぼての、粉飾されたみせかけの肩書があるからこそ、虚勢(むね)を張って晴れた空の下を練り歩けるんだ。


ふと、雑賀柳一と工藤篠芽が頭に浮かぶ。奴らの恋愛感情なんてどうでもいいが、ああやって互いに思いやり、語り合う相手がいるのなら、太陽の下を歩くのも気にならないだろう。だって、天を仰いだり、地を這う虫けらを見なくてもいい。横を見れば、もしくは向かい合えば、そこに癒しがある。つーか、雑賀を慕う人間は他にもいるし、むかつく。あいつとは、いくら話しかけられても親しくはするまい。


むかつくギャルがいて、むかつくリア充がいて、むかつく教師がいて、むかつく不良がいて、むかつく理事長の息子がいる。まさに、学園だ。


臼間高校。神奈川の地方都市である味原にある私立高校だ。当然、それなりの特色があって、それなりの偏差値を誇り、頭脳明晰な秀才がいて、救いようのないバカがいて、部活に青春をかけるやつがいて、何にもやる気のない怠け者がいる。


他校と比べると、入学希望者が多い。十年前に、制服のデザインを一新したからだ。地元出身の有名デザイナーの波多野柑橘に頼み込んだら、破格の依頼料で請け負ってくれたらしい。ただし、卒業生に絶対に転売・他人への譲渡をさせないことを条件として。芸術家としてのプライドうんたらかんたらで、皆さんも正しい矜持を持ちなさいみたいな話を、入学式で毎年される。彼の矜持はよくわからんし馬鹿にする気も尊敬する気もないが、新制服のデザインは嫌いじゃない。構成色は小豆色、浅葱鼠色、淡苔色と地味で野暮ったい和色だが、言いようのなく洒脱な魅力がある。昨今の和装ブームもあり、入学希望者が殺到した。服装なんてすぐに廃れると思っていたが、入学者が増えるとそれだけ経済的にも名声的にも豊かになり、今でも地方人気校としてわが校は立場を保っている。


と、親父が言っていた。どーでもいい。新制服は良いと思うが、これのせいであんな糞ギャルや半端者が寄ってきたかと思うと腹が立つ。

春も酣、ブレザーを脱いでいる生徒がほとんどだが、いまだ着用している者もいる。俺に悉く突っかかってくる生徒会長なんかが筆頭だ。

ブレザーの左胸には校章が刺繍されている。薊の花と棘を配ったデザインで、これは高校設立当初から変わっていないらしい。

これも親父談だが、初代理事長の厩橋半蔵というじーさまが、とある歴史上の人物を崇拝していたという。

その人物とは、江戸幕府二十六代江戸南町奉行・根岸鎮衛だ。

根岸といえば、刺青奉行だ。遠山景元が「桜吹雪の金四郎」なら根岸鎮衛は「薊の明王」だ。その背には刺々しくも凛然とした薊が厳めしい面をした烏枢沙摩明王の周りに乱れ咲いている絵柄だそうで、江戸期の中でも名奉行として名高い。俺ですら、大岡忠相、遠山景元、そして根岸の三人くらいは聞いたことがある。親父によるとその頃の北町奉行は鬼坊主清吉を捕縛した小田切直年、火附盗賊改長官に長谷川宣以とそうそうたる顔触れがそろった時代だそうだ。小田切は知らんが、長谷川平蔵なら知っている。かっけえし。そんな根岸の彫り物から拝借して校章を薊に、高校名を「うすさま」をもじって臼間にしたのが厩橋理事長とのことだ。もう鬼籍に入っているが、親父は厩橋理事長に理事会に参画したときに言われた言葉がある。


”現世の不浄を排する烏枢沙摩明王、そして棘花である薊。これらに何の意を込めているかは各々が解釈すればよい。ただし、それを考えるべきは生徒ではなく教職員だ。初鹿野先生。あなたには、考え続けてもらえると期待している”


「唯光。厩橋理事長は、仰ったよ。教職は決して聖職ではない。教鞭をとる人間に求められるのは、神聖さではなく汚物を汚いと認識できる心持だ。汚いと解っているのであれば、泥水を啜ることも咎めはしない、とな」


幼かった俺は、幼く軽蔑した。親父がかなり汚い人間だということは幼少時から気付いていた。

機嫌がいい日に外食に連れていかれるとき、その支払いに使われたのは賄賂であった。

中学生になると、社会学習と称した学習会が始まった。教わるのは経営学や親父流の帝王学、そして隠蔽のコツだ。筋がいいと褒められた。そのとき、俺も汚い人間として生きているんだと自覚できた。今までのような慢性的な苦しさからは解放されたが、時折どうしようもなく気持ち悪くなることがある。今のように。


俺には、太陽の下を大手を振って歩く権利はねぇな。


「ちっ・・・。まぁ、歩けなくても、歩かなくちゃなんねぇよな。・・・・・・そろそろ戻るか」


独りごちる。次の授業は、化学か。雑賀と工藤が、爆発しねぇかなぁ。あのギャル共を巻き込んで。

このなんちゃって不良君がどれだけこじらせているかが伝わったでしょうか。こんな半端者の独白を聞いていたら吐き気を催す?我もだ。


次回は会長さまに登場いただきます。こんな気持ち悪いキャラじゃないので、構えないでください。

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