涙の理由(わけ)
「『此処が何処か分からない』と仰られましたね」
ライナルトに問われ、瑠凪は頷いた。
「はい。気付いたら此処におりました。取りあえず歩いてみようと小さな丘を登ったら、大樹の根元におられたテオドール様とお会いしたのです。その後はーお二方もご存知のとおりです」
「テオドール様はそこで何を?」
ライナルトの問いは至極当然のものだったが、瑠凪は返答に困って唇を噛む。
ー正直なところ、あの子の痛みを理解出来ると思えなくてー
「『お昼寝』と仰っていましたが…」
反応を見ようとそう言ってみると、案の定2人の兄たちは呆れたような顔をした。
「全く何を考えているんだかな」
その呟きは瑠凪の想いに火を付けた。
きっと顔を上げ、2人に冷たい眼差しを向ける。
手取り足取り説明してやらねばこの朴念仁どもには、幼子の涙、汲み取れまいー。
「テオドール様は今、お幾つでしょう?」
突然の問いに2人は顔を見合わせる。
「3歳…だっけ。こないだ誕生日来たよな」
「先週くらいでしたっけ」
「では、お二方はお幾つでいらっしゃいますの?」
「「は?!」」
睨む2人を涼やかに無視してライナルトが答える。
「テオドール様とは20違いますね。正直、親子でもおかしくないのですよ。ただ、お二人とテオドール様とはお母君が違います」
「おい、ライナルト!」
声を荒らげるフォルクハルトを無視して考える。
なるほど。腹違い、しかも20も年上となれば、接点など皆無だろう。労わるという神経を持ち合わせているタイプにも見えないし。
「つかぬ事を伺いますが、テオドール様のお母上は…?」
思い切って尋ねた瑠凪に、ライナルトは目を伏せた。それだけで理解出来た。
「非礼を承知で今一つお尋ねします。…いつ…?」
「間もなく1年になりますか」
その答えに心が冷えるのを感じた。
頑是ない子が、まだ甘えたい盛りの子が、意味も分からず母親を奪われるのだ。
足りない手で、それでも必死でフォローしていた末の双子たちですら母親を求めて泣いていたのに。どうしようもないのに、手を振り払われて、泣かれて。
哭きたくなるような絶望に駆られた日々がフラッシュバックして、瑠凪は思わず着物の合わせを握りしめた。
堪え切れない涙が頬を伝う。
ー突然泣き出した女に、どうすれば良いか分からなくなった。
『涙は女の武器』と言い放ち、それは封ずるとすら口にした筈なのに、その舌の根も乾かぬ内に涙を零し始めた。
理解不能なイキモノその弍(ちなみにその壱はテオドールである)に、フォルクハルトは眉間を揉んだ。…ライナルトに任せて逃げ出したい。
ヴィンフリートも然りである。少なくとも兄よりは女性慣れしてはいるものの、このような状況ではどうしようもない。
2人は顔を見合わせーかぶりを振った。
途方に暮れる2人に、ライナルトは微笑ましいものを覚える。
「ルナ姫、紅茶のお代わりなど如何でしょう?」
ライナルトはそう声をかけると、ティーカップを差し出した。
瑠凪ははっとしたようにカップを見つめ、顔を上げて途惑う2人を見る。
「…お騒がせ致しました」
小さく謝辞を述べると、立ち上がって淡い水色のバッグの元へ行き、中身がぶちまけられているのを見て軽く肩を竦めた。
中に残っていたハンカチを取り出して涙を拭い、転がっていた財布やスマホを仕舞い直す。
バッグを片手に戻って来ると、
「取り乱して申し訳ありません」
と頭を下げると、何故かまた絨毯に座ってしまう。
「曲がりなりにも女性を床に座らせておくのは礼儀知らずだね。あちらのテーブルへどうぞ」
ヴィンフリートは慌ててテーブルを指し示すと椅子を引いて瑠凪を手招きした。
おずおずと腰を下ろしたのを見て、2人も向かいの席に着く。