小さな騎士(ナイト)
「ほら、テオドール様、兄君さまたちの邪魔でございますよ。さ、マリーナとこちらへ」
テオドールが伸ばされた手に怯えたように後ずさる。その様子に瑠凪は眉を顰めた。
逃げるテオドールに苛立ったように、マリーナはテオドールの小さな手を掴むと強引に引っ張る。
「ダメ…!」
まずい腕の角度に瑠凪が思わずベッドから降りようとするのと、テオドールが火のついたように泣き始めるのがほぼ同時だった。
「わあぁんー、いたいよー!」
やっぱり…!
肩を止める手を振り払うとテオドールのもとに駆け寄る。膝立ちして、繋いでいた左手に触れる。と、
「いたい…」
と涙がぽろぽろ落ちて来た。
「痛い方のお手々、上にこんな風にあげられるかな?」
挙手する様に手を挙げてみせる。テオドールは真似をしようとしてふるふると首を振った。
「いた…できな…」
やっぱ肘内障か。これ、我が家の末っ子くんがよくやったんだよね。
でも、整復するのは久し振り過ぎて…確かこうやって肘を掴んで…と。
あ、成功。こくって嵌った音がした。
ぱっと表情が輝く。
「スゴイ! もう痛くない! ルナは『癒しの手』が使えるんだね!!」
…へ?!
『癒しの手』…って、回復魔法的な感じ?!
ノンノン、単なる知識ですー!!
とんでもない結論が出そうなことに気付いて慌てて首を振った。
「違いますよ、テオドール様。わたくしには弟が5人おりましたので、こんな事はよくあったのですよ。治し方も心得ております」
ふわりと微笑みかける。
鋭い視線に顔を上げると、マリーナと名乗った侍女が睨み付けていた。
気持ちは分かるんだけど…。
「あの、マリーナさん」
思い切って声をかける。しかし、冷ややかな視線が注がれただけで何も返答が無い。
まぁ、訳のわからん女相手だ、しょうがないか。
「これは癖になりますので、手を繋がれる際は気を付けて差し上げて下さいませね」
言うべきことだけは取りあえず言っておいて。
…ただ、本音を言えば先程のテオドール様の態度が気にかかる。
ベビーシッターが虐待するパターン、多いんだよね…。
「落ち着いたか、テオドール。なら、マリーナと出て行け」
フォルクハルトがそう一喝すると、テオドールは、瑠凪にしがみ付いた。きっと兄を睨み付ける。
「やだ! フォルクにいさまはルナをいじめる!! ぼくがルナをまもるんだ!」
か、可愛すぎる…!!
何て愛くるしい騎士なの…!!
瑠凪はテオドールを抱きしめると相好を崩した。
多分、金髪に緑玉の瞳の御仁がフォルクハルト様、白銀の髪と藍色の瞳の御仁が、ご兄弟のヴィンフリート様ね。
もう1人、わからない方がいるけど…。
まぁ、それは追々だろう。
フォルクハルトは頭を抱えた。
もともと、この幼い弟は得体の知れない生き物感があって苦手だったのだ。
13の時に母を亡くし、6年ほど独り身を通した父が4年ほど前に再婚した。
別にそれはどうでも良く、相手の女性も義理の母にあたる訳だが遇する気にもなれず、家に近付かずにいた。
しかし、子どもが生まれた…と聞いてはさすがに顔を出さない訳にはいかず、義母の腕の中の幼子を何とも言えない気持ちで眺めたのを覚えている。
それが自分に逆らって、得体の知れない女を庇っている。
月日の経つのは早い…。
愚にもつかない感想を抱き、こめかみを抑えた。
ヴィンフリートがおかしそうに口元を綻ばせるのを見てキロリと睨む。
硬直した状況を見兼ねたのかライナルトが声を上げた。
「心配は無用ですよ、テオドール様。私がフォルクハルト様を見張っておりますので。こちらの姫君を虐めさせたりはしないとお約束しましょう」
「ほんと? ライナルト。兄さまたちからちゃんとルナをまもってくれる?」
「姫様の御名は『ルナ』様と仰るのですね。畏まりました、このライナルト、必ず姫をお守りするとテオドール様に誓いましょう。ですのでテオドール様はお部屋にお戻り下さいませ。マリーナ、頼みましたよ」
テオドールはおずおずとマリーナに手を差し出した。マリーナはその手を取ろうとして少し躊躇い、テオドールを抱き上げる。
その様子に瑠凪は少しホッとして出ていく2人を見送った。
2人が出て行った瞬間、急降下する室温。
フォルクハルトは苛烈に、ヴィンフリートは冷ややかに。
異なる風情で見下ろされ、瑠凪は言葉が出なくなってしまう。
俯いてしまった彼女と、凍り付いた空気を和めるべく、ライナルトはワゴンを引き寄せると流れるような手捌きで紅茶を淹れた。
「取りあえず喉を潤しながら、ゆっくり話し合いと参りませんか」
瑠凪はライナルトの手からティーカップを受け取ると、立ち上る芳香に口元を綻ばせた。一口含む。
癖で頰を2度叩いてしまい、照れ笑いしながら
「美味しいです」
と呟いた。
「ルナ姫は紅茶はお好きですかな?」
ライナルトの問いに、
「ええ、好きです。でも、香りや水色や味などで産地を見抜くようなところまでは行ってませんけれど」
そう微笑って応えて、慌てて首を振る。
「あ、あの、私、『姫』なんて呼んで頂ける立場ではありません。ごくごく普通の一般人です」
そう言うと、3人は顔を見合わせた。
「それなら、これ、何かな? 説明してもらえる?」
ヴィンフリートの冷ややかな眼差しと共に、結婚式の引き出物たちが目の前に広げられたー。




