謎は解けないまま
出迎えた執事ライナルトや侍女たちの騒めきは緑玉のひと睨みで黙らせると、腕の中のテオドールを世話係のマリーナに押しつけ、階段を上る。
ヴィンフリートはライナルトに部屋に3人分の紅茶を持ってくるよう言い付けている。
「ヴィー、お前の部屋で本当にいいのか?」
振り返りざまヴィンフリートに問うと、ヴィンフリートはふと微笑った。
「フォルクは嫌だろ? 女を部屋に入れるーましてや得体の知れないのをなんて。僕は気にしないから。…あ、扉を開けてくれる?」
扉を開け、律儀に脇へ退くフォルクハルトに礼を言うと、ヴィンフリートは腕の中の女性をベッドにぽんと放り込んだ。衝撃で乱れた裾を直してやり、傍らの椅子に腰を下ろす。目の前の椅子に腰を下ろしたフォルクハルトが呟いた。
「…で、どうする?」
「取りあえず目を覚ますのを待とう」
ライナルトが銀のワゴンを押してくるとベッドの上の女性に鋭い眼差しを光らせた。
「で、お二方。こちらの姫君は何処の家の方でしょう。見慣れぬ衣装から察しますに、他国の姫かとは存じますが」
「ライナルトでも出自の見当が付かないか?」
「はい。ですが、この衣装も良い生地が使われておりますし、染めも仕立ても良質なものかと。肌も美しいですし、それなりの家の姫君かと愚考致します。何かそのようなお話は王宮では聞いておられないのでしょうか」
2人は顔を見合わせると首を振った。
「大体、他国の姫が何でうちの敷地に不法侵入してるんだ」
頭を抱えてフォルクハルトが呟く。
「不法侵入…でございますか」
「ああ。門の兵士たちは姿を見ていないと言うし、この衣装では木登りなんぞ不可能だしな」
「さようでございますね」
「…うわぁ、実はライナルトに期待してたんだよ…。頼みの綱にも見当つかないか…」
ヴィンフリートは頭の後ろで手を組むと椅子の背に倒れ込んだ。
「お役に立てず申し訳ございません」
ライナルトが優雅に一礼すると、ふと目を紙袋に移す。
「その中に何か手掛かりになりそうなものはありませんでしょうか?」
「女性の持ち物を勝手に検めるのは気が進まないけど仕方ないか」
薄い冊子をまず引っ張り出す。ぺらぺらとめくってみて。
「なんだろう…見たこともない字だ。全く読めない。男女の精巧すぎる絵姿と、なんだ、これは…人の名前か…??」
「こっちの瓶も…解らん、読めん。中身が何かも分からん」
「こちらの箱は随分と持ち重りが致しますね…。本が入っているように思えます」
「こっちの箱は何だか甘い香りがする。開けてみるね…。何だろう、菓子かな? さすがに口にするのはまずいね」
紙袋には身元に繋がるようなものは入っておらず、もう一つの淡い水色のバッグをひっくり返してみる。
まず出て来たのは、長方形の、少し厚みのある不思議なもの。革らしきもので包まれている。
続いて見つけた財布と思しきものには、見たことも無いものが入っている。
恐らく金なのだろうが、額の多寡は全く見当が付かない。他には長方形の固いカードのようなもの。表には読めない刻印があり、裏には黒い線がある。
「…あれ? これはこの女性かな?」
ヴィンフリートが見つけたのはまた異なるカードのようなもの。半面にある精巧な絵姿は、確かに横たわる女のもので。
「…謎が増えた」
悪戯っぽく両手を上げたヴィンフリートに、フォルクハルトは眉を寄せる。
「…結局のところ、本人に聞くしかない訳か」
フォルクハルトは溜め息を吐きながら横たわる女に視線をやる。椅子から立ち上がると女の元へ歩み寄り、
「おい、いい加減起きろ」
と、白い頬をぺちぺちと叩いた。
「ん…」
微かに喉が鳴り、瞼が震える。
ゆっくりと瞼が開き、濃い紅茶色の瞳が露わになる。辺りを見回し、冷ややかに見下ろす緑玉に気付いたのか、ばね仕掛けの人形よろしく跳ね起きた。腕の中を眺め、3人に目を留める。部屋の中を一通り見渡してから、おずおずと問い掛けた。
「ここはどこなのでしょうか? それにあの幼子は…?」
「ここは僕の部屋だよ。あの子は僕らの弟だ。世話係の侍女に預けてあるよ」
ヴィンフリートが最低限の情報を相手に渡す。
「…ということは、…ここは伯爵様のお屋敷なのですね…」
女の唇から漏れた言葉に、フォルクハルトが豹変した。
2人が止める間も無く腰の剣を抜き放つと、女の喉元に突きつける。
「何者だ! 名乗れ!!」
完全に殺気に呑まれたらしく、女の紅い唇は、はくはくと動くのみ。
ヴィンフリートはフォルクハルトの傍に歩み寄ると、腕を軽く叩いた。
「獅子の裂帛の気合いの前で小うさぎが何を話せると思うんだ。気を鎮めろ」
不満を隠さず、しかし、双子の弟の言は認めざるを得ず、渋々といった風で剣は収めた。が、殺気はそのままに目の前の女を睨む。
執事ライナルトが不器用な主を宥めようと口を開きかけたその時、
「ルナー!!」
元気いっぱいな声が響き、扉が開いてテオドールが顔を出した。
が、満ちる殺気に怯えたのか身体を強張らせ、その円やかな頬に涙が伝う。
ルナと呼ばれた女が動こうとするのをフォルクハルトは肩を押さえて止めた。
「ルナというのはお前の名か?」
女はこくりと頷き、唇を開こうとした。
そこへ、マリーナの声が割って入る。
「申し訳ございません、フォルクハルト様、ヴィンフリート様!」
部屋に飛び込んで来て勢いよく頭を下げるマリーナに、双子は揃って冷ややかな眼差しを向けた。
ルナと呼ばれた女が、自分たちを交互に見て軽く頷くのを見て、ヴィンフリートは軽く舌打ちする。
ー余計なことを。