おさんぽ、おさんぽ
ふうっと目が醒めた。
開いた目に写る天井が、王都邸で充てがわれている自室である事に気付いて、少し考える。
…リーンハルトの凄絶なまでの色香を思い出してしまい、思わず固まった。
長い睫毛に縁取られた淡い藤色の瞳。
重なった唇の熱さまでもが思い出され、羞恥に耐えかねて枕に顔を埋める。
(あのひとは先生でっ、あくまでも治療で)
言い聞かせながら、自分の姿を確認する。
シンプルな夜着に着替えているところを見ると、コリンナ辺りが着替えさせてくれたのだろう。
あの時、熱が引いたのは分かった。
その後、まるで貧血でも起こしたかのように、力が抜けたのも覚えている。
…しかしその後、今に至るまでの記憶は皆無。
(ヴィーが連れて来てくれた…のよね?)
取りあえず礼と詫びを言わなければ。
それに、あの後どうなったのか、私はこれからどうすれば良いのかも。
部屋から出ようと扉を開けて絶句した。
扉の前に何故かテオドールが丸まっている。
「て、…テオ?」
慌てて揺り動かすととろんと目を開けた。
瑠凪と目が合うと、途端に目が輝き出す。
「あ、姉上、やっと起きた! 兄上に起こしちゃダメって言われたからここで待ってたの! お昼食べよ! ご飯食べたらお出掛けだよ!」
そう言われて、そう言えば街にお出かけする約束をしていたなと思い出す。
「そうだったわ、約束していたわね。遅くなってごめんなさいね。コリンナを呼んできてくれる?」
「うん!!」
キラキラお目々ですっ飛んでいくテオドールに苦笑しているとやがてコリンナがやって来た。
「昨夜は世話を掛けてごめんなさいね。意識の無い大人を着替えさせるのは大変だったでしょう?」
「いえいえ、姫様のお世話が私の役目ですから。侍女冥利に尽きますよ」
大仰な言葉に、互いにくすくす微笑いながら食事用の簡素なドレスに着替える。
「本日は街へお出掛けになるのでございますね。合わせてお召し物は用意しておきます」
「宜しくね。…あ、ヴィーは居るかしら?」
「ヴィンフリート様は既に出かけていらっしゃいます。姫様に伝言がございます。『明日の午後にまた城へ行くので予定は入れないように』と」
「分かったわ」
食堂へ行くと、前でテオドールが待っていた。
…これ、食事ちゃんとさせとかないと後でいろいろ面倒になるパターンだ、気を付けないと。
自分自身の空腹にも気付く。
そういえば、昼食後はトラブル続きで、簡単にサンドイッチを食べただけだった。
幸いな事に、身体はすっきりしている。
多分、昨日会った人たちは皆心配してくれているだろうとは思うのだが、復活を知らせる術は無い。
ヴィンフリートの帰宅待ちになるだろうし、コリンナの口ぶりから察するに、明日、リーンハルトと会う事になっているのだろう。その時に説明出来るはずだ。
そう割り切って食事する。
…何だかいろいろな事が昨日は有り過ぎて、随分と久し振りに食事を摂る気すらしてしまう。
隣のテオドールの気がそぞろになっているのに気付いて、軽く手を叩いて嗜める。
猛然と食事を始める幼子が愛らしく、微笑んで見つめてしまう。
食事が終わって、テオドールを王都邸で付けられた担当侍女のリリーに預けると自室に戻る。
コリンナの見繕ったワンピースは優しい鶸色、テオドールの瞳の色。
髪は教えて夜会巻きにしてもらい、以前に誂えておいたシンプルなシルバーのコームで留める。
あまり派手にならず、かと言って埋没もしない、貴族女性のお忍び…とはっきり分かる体裁である。
王都には騎士団も在中しているので、かえってはっきりしている方が守ってもらいやすいのだそうだ。なので、ヴィンフリートが置いて行ったというリートミュラー家の紋の入った懐中時計を持っている。有事の際は見せれば便宜を図ってくれるとのこと。
支度を整えて玄関に降りると、テオドールは既に支度を整えて、見覚えのない若い男と待っていた。
彼がヴィンフリートが決めた今日の護衛だろうか。
…一応主家の令嬢として私から声をかけなきゃいけないんだよね。
「あなたが今日、わたくし達の護衛を務めてくれるのですね」
「はっ。ヴィンフリート様よりお2人をお守りする任務を賜りましたヨハンと申します」
「ヨハンですね。今日は宜しくお願いしますわ。わたくしはルナイリスです。ルナと呼んでくれて結構よ」
「ぼくはテオドールです!」
すらりと背の高い、どちらかといえば優男。
イメージ的には護衛というより執事に近い感じだが、ヴィンフリートが非力な自分たちに付けるくらいなのだから、かなり腕は立つのだろう。
「わたくし達は王都を歩くのは初めてなのです。手数をかけますが宜しくお願いしますね」
「…勿体ないお言葉」
丁寧に礼をされ、面映さを感じる。
「さて、どちらへ参られますか?」
「…わたくしは特にここ!というのは有りませんわ。雑貨とかアクセサリーのお店など少し覗いてみたいとは思っておりますけど、そぞろ歩きの最中に見付けられればと」
「ぼくもあねうえとおさんぽしたいだけ…」
主体性ゼロの2人にヨハンの顔が引きつる。
「取りあえず歩いてみませんこと? 惹かれる場所に入れば良いと思いますけど」
瑠凪の提案にヨハンは少し考え、
「…では、まず大通りを歩いてみましょうか」
大通りにはそれなりの人出があった。
さすがに日本の東京の歩行者天国ほどではないにしても、多くの人が行き交っている。
大通りの向こうには王宮と思しき建物が見える。左に曲がった先に見えるのは…、
「…市場?」
「はい。各領地で取れたり作ったものを売っております。ご覧になりますか?」
「ええ、きっと勉強になるわ」
見たことも無いものが豊富にあった。
…虹色の魚なんて、絵本でしか知らない。
しかもかなりなサイズ感である。
「きれいなおさかなー!!」
テオドールの目もまん丸になっている。
「深い海の底の方にいてなかなか上がっては来ないんで。かなり珍しいもので味も極上ですし、鱗も加工してアクセサリーにするんですよ」
「おいしいの?! ぼく、たべてみたい!」
目を輝かせるテオドールに、ヨハンは瑠凪を窺う。
「如何しましょう?」
「…買っても迷惑にはならないのかしら?」
「ラードゥガはヴィンフリート様の好物ですよ。厨房も喜んで夕食を変更するでしょう」
「一度帰った方が良いかしら?」
「邸まで配達してくれますよ」
「あら、それなら是非お願いしましょう」
話がまとまり、ヨハンが交渉してくれる。
お金はどうするのかと思っていたが、ヨハンがリートミュラーの紋を見せて話していたのであとで問うと、この紋には謂わばクレジットカードの役割もあるらしい。
「誰かが盗んで使う…という事はないの?」
「はい、登録した人間でないと紋は浮かびません。ですので紋の無いものは持っているだけで重罪となります。…試しにお持ち下さい」
手渡されたので受け取ると、浮かんでいた紋章がすうっと消えた。ヨハンの手に戻すと浮かび上がって来る。
…スゴい。所謂『魔道具』ってやつかな。
リートミュラー家のアンテナショップ(瑠凪命名)にも立ち寄ってみる。
店主はヨハンと顔見知りなよう。
無論、私たち俄か姉弟も丁寧に挨拶。
店内には、農耕や牧畜が産業…と聞いていたとおり、野菜や肉などが並んでいる。
オリーブオイルがあるのを見て目を瞬かせた。
手にとって眺めているとヨハンと話していた店主が飛んで来る。
「こちらはフォルクハルト様が始めた事業なんですよ」
聞くと、リートミュラーの領地では元々、オリーブオイルは個々の家庭で作っていたものだったそうだ。
庭に木を植え、手作業で搾る…という、瑠凪からしたら何と贅沢な!と言ってしまう生活だ。
それを事業として大々的に出来ないかと考えて、何軒かの家に協力を依頼し、試しに販売を始めたばかりだとのこと。
(エクストラバージンオイルね)
せっかくだから日本にいたときの知識を使おう。
そう思って数本買い求める。
退屈そうなテオドールに突かれて、帰ろうとした時、店の隅に置かれていた鉢植えに目が留まった。
「あら、これ…」
「ああ、リンゲンですね」
…ここではリンゲンって呼ぶのか。
多分これ、カレンデュラ。
欲しいな、この花。…さすがに売り物でも無い鉢植え毟る訳にもいかないので、店主に尋ねる。
「すみません、この花が欲しいのですけど、どこかで売っていますか?」
「リンゲンなら通りの向こうのカントで売ってますよ。香辛料ならそこで大概揃います」
「香辛料扱いなんですね。有難う、行ってみますね」
ヨハンに頼み案内してもらう。
…あれ、カント? 哲学者?
………違う、リーンハルト様!
ヨハンから侯爵家だと聞いて血の気が引く。
マジか…。
その店を覗くと、日本の有名スーパー並みの品揃えがあった。
胡椒も数種類あるし、あ、クミンやターメリックもある! カレーが作れそう♪
必要なスパイスを買い込む。
勿論、カレンデュラやローズマリーなんかも。
機嫌の良い瑠凪とは対照的に、退屈しているテオドール。
「のどかわいた…」
ぐずり出したテオドールに慌てて会計を済ませる。
「そうだ、この辺りでお勧めのカフェなどありませんか?」
教えてもらって店を出る。
少し時間も遅いので、テオドールにも簡単に食べさせておいた方が良いだろう。
教えてもらったところは、大通りに戻って、もう少し先へ行ったところにあった。
可愛らしいカフェで、同席のヨハンが若干浮いている。
申し訳なく思いながら、ケーキとローズヒップティーのセットを頼む。テオドールにはパンケーキと葡萄のジュースのセットを、手持ち無沙汰なヨハンにはケークサレと紅茶のセットをチョイスしてみた。
…ヨハンはケークサレを知らなかったらしく有り難がってくれた。
ローズヒップティーの鮮やかさに目を惹かれたテオドールが飲んでみたがったり、味見してその酸味に半べそをかいたり…なんて事も。
お茶の後はのんびり帰ろうとてくてく歩く。
途中で可愛いアクセショップを見つけて喜んで立ち寄って、コームなど、幾つか髪飾りを買う。…簪みたいなのは無いのかしら?
あればシニヨンでぐさっと刺しちゃえばまとめやすいんだけどな。
店員の女の子に聞いてみたけど、そんなの初めて聞いたと言われ。
日本なら箸の一言で済むけど、箸の無い世界で説明に悩み、ペンみたいなの…と言ってみたら、こんな感じですか?と彼女のものだというペンを持ってきてくれた。
日本でいうところのガラスペンみたいな感じ。先をインクに浸して書くのだとか。
インクを流してもらい、それをスティック代わりに試しに髪をまとめてみると、目を輝かせて食い付かれた。
材料も長さもお任せで幾つか作ってもらうことにする。簪のように端に飾りを垂らすデザインも伝授して。
テオドールはと見れば、船を漕ぎかけているので慌てて話を切り上げ、リートミュラー邸に、出来たら連絡をもらうことにした。
うとうとしているテオドールを抱き上げる。
ヨハンにすべて荷を持たせてしまったがやむを得ないだろう。
「…ルナイリス様、おみ足がお辛いのでは?」
ヨハンに恐る恐るといった風情で尋ねられ、瑠凪は苦笑した。
多分、いろいろ盛り上がっている時には気が逸れていたのだろう。
久々にヒールで長距離。店を出た瞬間から歩くのが辛い。
「市場を出た先に、乗合馬車の停留所がございます。そちらまでお歩きになれますか?」
聞けば、市場の中は馬車は許可制だそうだ。
とはいえ輸送のもの以外で許可が下りる事はほぼ無いが、荷を運んだ馬車が、帰りに店の人間を乗せて帰ったりするのは認められているとのこと。
「大丈夫ですわ。…頑張ります」
熟睡モードのテオドールを揺すり上げる。
…懐かしいな、3歳児の重み。
その時。
脇に1台の馬車が止まった。
控え目に入った紋章だけでは当たり前だが瑠凪には分からない。
しかし、ヨハンの顔が引きつっている。
馬車の扉が開こうとしているのに気付いて、瑠凪は警戒するようにヨハンの陰に隠れた。
「…あ、驚かせた? 俺だよ」
「あら、アレクシス様?」
何と。
乗っていたのはヴィンフリートと同室のアレクシスだった。
慌ててヨハンに説明するも、引きつった様相は変わらずで。…どうしたのかな。
「良かったら乗って行く? 邸まで送るよ」
「宜しいんですの?」
「どうぞ。…子ども抱いてはキツいでしょう」
気遣いを有り難く思い、3人で乗り込む。
ヨハンとアレクシスが並んで座る形になるのだが、あまりに居心地悪気なヨハンが少し気になる。
「すっかり治まったみたいだね」
「はい、お騒がせ致しました。…あの後リーンハルト様に診て頂いて、鎮めても頂いたのですが、気付いたら自室でしたの。ヴィーに迷惑かけたみたいで」
くすりと微笑う。アレクシスも軽く微笑んだ。
「今日は店絡みの用があって、ヴィーには会ってないから気になってたんだよ。こんなところで会えて良かった。…ああ、そうだ、お買い上げ、有難うございます」
茶目っ気たっぷりに頭を下げられて驚く。
先刻のアクセのお店はアレクシス様のご実家とのこと。店員のお嬢さんはすぐ上のお兄様の娘さんだそう。
貴族の令嬢が店員って…と驚いたが、意外と出会いの場にもなるのだそうだ。
ただ、さすがに家格などが婚姻において絡んでくる長男長女辺りは出してもらえないとか。
…そんなことを聞いてしまうと、私もやってみたい!とは言えない。
出会いの場とかヤバ過ぎる。
などと話が弾んでいると、それに比例するかのようにヨハンの顔色がどんどん蒼褪めてゆく。
体調を気遣う言葉をかけようとした瞬間だった。
派手な音がしてアレクシスの平手がヨハンの背にめり込む。
な、何?! ナニゴト???
「主につまらん気を遣わさせるなんざ、護衛失格だ」
「それは横暴ですわ、アレクシス様。人であれば気分が優れない事のひとつやふたつ」
「いえ、仰られるとおりです。…実は恥ずかしながら些か馬車酔いする質でして」
「…あら」
思わず謝ろうとして口を噤む。
多分、それは言ってはいけないこと。
それでも気の毒に思ったのでテオドールを横に座らせ、ヨハンの手を取る。あたふたしているが気にしない事にして、手首にある酔い止めのツボを押す。暫くそうしてから、
「少しは治まった?」
と尋ねるとこくこくと頷いた。
しかし、窓の外へ向けられた耳が何だか赤いし、アレクシス様は隣でにやにやしているし、何なのかしら。
「着いたよ」
アレクシス様に言われて見ると、見覚えのある門。ヨハンが手を貸して下ろしてくれる。
気配に気付いたアルベルトが出て来て、アレクシス様に挨拶している。
そうこうしていたらヴィーまで出て来た。
アレクシス様に丁寧に挨拶をしている。
…何で? ルームメイトなのに。
そう疑問に思ったが、馬車の中での家格云々の話をふと思い出す。
ーそういえば、アレクシス様の家名って?
あとで聞いてみよう。
リリーにテオドールを預けるとアレクシス様に御辞儀をする。
「今日はお気遣い有り難うございました」
「いやいやこちらこそ。ロジーも感謝してたよ。…じゃ、またね」
馬車を見送り部屋へ戻ると、カレンデュラとローズマリーをそれぞれオリーブオイルに漬ける。
…夕食に出て来たラードゥガのムニエルは、ローズマリーとタイムがよく合って、とても美味しかった。




