その後ー瓶覗の章
ヴィンフリートはパスカル及びリーンハルトを連れて、自室へと向かう。
逸る気を抑えながら深呼吸1つしてノヴを回し。
「具合はどうですか?」
目に入ったのは、椅子に腰を下ろして談笑する2人の姿。
机の上には皿やグラスなどが載っている。
「ヴィー、遅いっ!」
何故かこちらへすっ飛んで来たアレクシスに拳固をかまされ。
目を白黒させていると、リーンハルトが笑いを堪えている様が視界を過ぎる。
「だいぶ楽にはなったけど、まだ、1人で歩くのは覚束ない感じ。アレクシス様がいろいろと気を配って下さったの。あなたからもお礼を言っておいてね」
瑠凪の浮かべる笑みにはいつもの気丈さがなく、儚さばかりが目立つ。
その傍らへ歩み寄ると、額に触れた。
まだ熱が残っている。
さてどうしたものか。この部屋は休むにはあまり良くないので出来れば帰りたいのだが、触れれば壊れそうな様な彼女をどうして良いのか分からなくなる。
「…ところで、ヴィー。もう1人の方はどなた…?」
些かぎこちない問いかけに、パスカルとヴィンフリートは顔を見合わせる。
…瑠凪が『聖女』と呼ばれて怯えたのは、単に日本の転生もののお約束で、聖女と勇者と魔王退治をセットになって連想してしまっただけのことなのだが、さすがに瑠凪を異世界人だと知るヴィンフリートとてそんなお約束なぞは知る訳がなく。
何故か躊躇う2人に溜息を吐きながら、リーンハルトは進み出た。
「挨拶が遅れました非礼はどうかご容赦を、リートミュラー伯爵令嬢。私は彼らの上司になります、リーンハルト・フォン・カントと申します。貴女の訓練を依頼されまして、顔合わせとしてこちらへ参りました」
瑠凪としてはどこから突っ込んで良いのか分からない自己紹介に、首を傾げながらヴィンフリートに目をやる。
「先程、姉上の能力は珍しいもの…とお話ししましたよね。魔術の使い方は師弟関係を結んで師から教わる訳なのですが、姉上のそれは珍しさと力の強さの点で、私や団長の手に余る…との判断が下りまして」
ヴィンフリートの説明をリーンハルトが横取りし、
「故に私に白羽の矢が立った訳でして。…取りあえず、お手を拝借出来ますか、リートミュラー伯爵令嬢。体内に熱のこもった状態はお辛いでしょう」
歩を進めて足元に跪く。すっと伸べられた手に、瑠凪は躊躇いながらも己が手を重ねた。
指先に、掌に口付けされ、羞恥に肩を揺らす。
その上に、更にリーンハルトの手が重ねられ、大きな手に包み込まれる形になる。
頭を垂れた状態でリーンハルトの表情は見えず、ただ、さらりと流れた藤色の髪が足をくすぐり。
後ろから3人はやきもきしながら見つめていた。
幾ら魔術師ばかりで騎士に比べれば細身であるとはいえ、曲がりなりにも2人部屋に5人が詰め込まれている状態は流石にキツいものがある。
かといって、この状態で出て行ける訳もなく、早く終わるようひたすら祈る。
リーンハルトの頭が起きた為、やっと終わったのかと思ったが、次に取られた行動に3人は驚愕した。
リーンハルトが瑠凪の手をそのまま己が胸に当てたからである。
瑠凪を見るとあまりのことに顔が真っ赤になっている。
リーンハルトの鼓動が掌を伝って感じられる状況に、手を振り解きたくなるが、上げられないままの頭にそれが躊躇われる。
助けを求めて3人に目を遣るが、3人とも驚愕の色を浮かべたまま微動だにしない。
リーンハルトも内心で驚愕していた。
暴走した事後の熱を冷ますのはさほど難しい事ではない…筈なのだが、全く以って魔力が通らないのだ。
こもる熱と同系の魔力を強めに流して貫通させるか、対極の魔力で覆って中和させるかどちらかなのだが、どの系統を通しても跳ね返され、どれで覆っても熱が滲み出てくる。
…取りあえず、ここでは無理だ。
リーンハルトは諦めると令嬢の手をそっと離した。
手を離した瞬間、脇からすっと出て来て、令嬢を囲い込むように抱き竦めたヴィンフリートが固まる。
…過保護過ぎる奴だと苦笑いが浮かぶ。
「…何故」
茫然とした眼差しがこちらに向けられる。
「聞きたいのは俺の方だ。ファビアンめ、『面白いものが見られる』の一語で、何も詳しい説明をしやがらん。パスカルの手を診ただけでは原因が掴めん。…お前たちに心当たりは」
つい、いつも通り、やらかした部下を叱り付ける感覚で冷ややかな言をぶつけると、躊躇いがちな声がかかる。
「『手を診た』…と仰られましたが、どういうことなのですか?」
令嬢の気遣わし気な眼差しに、ヴィンフリートとパスカルがあたふたしている理由が察せられて、あまりの過保護さに呆れ返る。
魔術師団トップの地位に在る自分の力すら跳ね返す内在魔力。
何も知らせぬままになど出来る訳がない。
「…リートミュラー伯爵令嬢、立ち上がれましょうか?」
相手の問いを無視する形で反対に問いかける。
きょとんと首を傾げたが、言われるままに立ち上がろうとして身体が傾いだ。
咄嗟に傍に付いていたヴィンフリートが支える。その肩に縋り付くように顔を伏せていたがややあって、
「少しふらつきはしますが、多分大丈夫ですわ。…ここでは話せない事なのでしょうか、どちらへ参れば宜しゅうございますか?」
やや蒼ざめた唇が紡ぐ言葉はリーンハルトを満足させるものだった。
「少し距離はありますが、私の自室へ。ヴィンフリート、お前も案内して一緒に来い。パスカルは帰れ。アレクシス、…悪かったな」
部下たちに指示し、足早に歩き始める。
自室に先に戻り、第三者には見せられない書類などをバタバタと片付ける。
ヴィンフリートもその辺りが分かっていたのだろう、比較的ゆっくりと姉と共に現れた。
「ルナイリス嬢…でしたね、こちらへ」
腰を下ろすよう案内すると、2人は並んで腰を下ろした。まだ辛いのだろう、ヴィンフリートの方にもたれかかるように頭を預けている。
「で、何があった。説明しろ、ヴィンフリート。たかだか繋ぐ程度でパスカルが為損じる事も、ここまで異様な暴走をする事もあるまい」
「『聖女の手』でした」
「…んだと?!」
リーンハルトは衝撃のあまりヴィンフリートの胸倉を掴み上げた。
隣でルナイリス嬢が狼狽ているが構う事なく隣室へヴィンフリートを引きずり込む。
「詳しく説明しろ、どういう事だ!」
「どうもこうもありません。水晶玉で試したところ、姉上の能力が『聖女の手』だということが判明しました。自分たちがかなり焦ったからだと思うのですが姉も怯えてしまっていたので、総帥をお呼びすることが躊躇われたのです。師団長が取りあえず繋げてみる…との事でやってみたのですが、途中で暴走しまして。何とか自分の魔力も混ぜて緩めながら最後まで抜かせたのですが、恐らく、力を抜きざまに軽い暴発を起こしたものかと」
深い藍の瞳が冷ややかに注がれるのに、
「つまらん気を回したせいで、返って彼女を苦しめる。その頭はただの飾りか」
その脳天に拳骨をひとつ沈めておいて、頭を抱えるヴィンフリートを放り投げて令嬢の元へ戻る。
聖女の手、という事は恐らく翠の暴走だろうが…今までに無い現象にリーンハルトは頭を抱えた。
「あ、あのっ。申し訳ありません、わたくしがあまり持ち上げられることが怖くて…」
焦ったように言い募るルナイリス嬢に微笑む。
「貴女の責任ではありませんよ、ルナイリス嬢。暴走の怖さも暴発の危険も理解している筈の2人が、貴女を説得しようともせずに無い力を振り絞った結果です。1番苦しむのは貴女なのだがそんな事が分かっていない」
2人とも懲罰ものだという真実は、泣き出されそうなので伝えずにおくことにして。
「本来、私の魔力であれば、先程のあれだけで熱を抑える事が出来る筈なのですが、どうあっても熱が引かない。少し気掛かりな事もありますので、水晶玉を持って来ます。お手数ですが、再度翳して頂けますか?」
「はい、その程度お安い御用ですわ」
くすりと微笑む令嬢を残し。
…緑のポーションを飲みながらひと月も寝ていればこの熱も治まる。
本来なら最悪その手でいける筈だが、どうもおかしい。
…『聖女の手』とひと口に言ってもランクがある。彼女の場合、かなりランクが高い可能性が有るが、それだと上級ポーションを3ヶ月以上飲み続ける必要があるし、その間は殆ど動けないような状況になってしまう。
…想像した可能性に頭痛すら覚えながら足早に歩く。
手を合わせただけでは足りないのであれば、もっと広い面積の肌を合わせるか、粘膜を合わせる事が必要になってくる。
子ども相手でもあまり宜しくないと思えるのに、妙齢の女性と、とは。
「鰥の身に何と酷な」
思わず独りごちながら水晶玉を空間収納の中に放り込んだ。
部屋へ戻ると、令嬢の目の前に水晶玉をポンと置く。
「さて、と。手を翳して頂けますか?」
瑠凪はこくりと頷いて、怖々と手を翳す。
その手の下からふわりと巻き起こってくる色々。
鮮やかな翠と橙が美しく絡み合う。
赤と藍と水色が、まるで寄り添うかのように。
…リーンハルトは絶句以外何も出来なかった。
諦観以上の何物でも無い。
コレを自分を呼ばずに処理しようとした愚か者には相応の罰が必要だろう。
リーンハルトは目の前のルナイリスに目をやった。
僅かに潤んだ目元と上気した頰。
醸し出される清艶な色香の破壊力に打ちのめされながらも、さすがにこのまま放ってはおけず、覚悟を決める。




