その後ー藍の章
「…!!」
気を失った瑠凪を抱き寄せながら、パスカルの左手を見てヴィンフリートは言葉を失った。
紅く焼け爛れた掌。
「だ、団長…」
青くなって隣の部屋にある筈のポーションを取りに行こうとしたが、パスカルに止められる。
「待て。まず、ルナイリス嬢を診るのが先だ」
「ですが!」
「この手はまだ治せん。…これ以上無い明白な証拠だ。少なくとも陛下にはお見せせねばならん。…取りあえず暴発しなくて良かったとしか言えんな」
「…申し訳ありません」
「何故お前が謝る? あれだけの力、繋げるは力不足かと思いながらやったのは俺の責任だ。本来であれば総帥閣下をお呼びすべきだった。だが、それでは必要以上にルナイリス嬢を怯えさせたであろうからな。『聖女』と呼ばれたことに既に怯えていた。怯えさせてはまた更に調整が難しくなったろう」
「そ、そう…ですね」
部屋の隅のソファに瑠凪を横たえる。
真っ先に繊手を確認し、血で汚れた手を丁寧に拭う。彼女の手に火傷がないことに安堵しながら、細い首筋、肩、手首へと掌を滑らせていく。両手を確認し、鎖骨辺りからほんの少し胸元に手を差し入れる。
柔らかな肌が異質の熱を持っていることを確かめた。
「派手な傷は無さそうで良かった。かなり強い暴走だったから、後に自身でもよく確かめてもらうよう伝えてくれ。さすがにこれ以上は脱がせんからな。…お前の部屋で休ませてやれ」
「はい、では置いて来ます」
「…陛下に至急謁見を願い出ねばな」
パスカルはそう呟くと空間にさらさらと魔法陣を描いた。小鳥がちちちと鳴きながらどこかへ飛んでいく。
その様を見ながら、ヴィンフリートは王宮内にある寮の自室へと向かった。
ドレスのままでは辛いかとは思っても、さすがに脱がせる訳にもいかず、内心詫びながらベッドに横たえる。
もう一度冷やしたハンカチで手や顔を拭ってやってから、出ていこうとして。
ふと左手が空に浮き、魔法陣を認める。
そこから鷲が現れた。ヴィンフリートは離れた本邸にいる兄に此度の騒動を知らせるべく術式に伝言を預ける。
一度外を回って術式を飛ばしてからパスカルの元へ戻った。
パスカルの元に丁度術が戻って来たところで。
「陛下と宰相閣下が、すぐにお会い下さるそうだ。行くぞ、ヴィンフリート」
「…はっ」
パスカルに案内されるままに、宰相の執務室へと辿り着く。
「師団長パスカル・フォン・ヴァイラント、及び第三連隊長ヴィンフリート・フォン・リートミュラー両名、参上致しました」
「入れ」
本来宰相の座る椅子に国王トリスタンが座り、その脇のソファに宰相ルントシュテット公爵ファビアンが控えている。
「いきなり余を呼び付けるとは、一体何事だ」
「無礼は承知の上で、ご覧頂きたいものがございます」
「…何だ」
「これを」
パスカルは己が左手を広げてみせた。
紅く焼け爛れた掌に、さしもの2人が目を瞠る。
「どうした、パスカル、その手は?!」
「『聖女の手』が現れました」
「…んだと!」
驚いてトリスタンが立ち上がる。
ファビアンは年の功でか落ち着いてはいるものの、面白そうな笑みを浮かべている。
「私も“翠”を繋いだ経験は無く、無謀と知りつつお恥ずかしい話、好奇心には勝てませんでした。彼の手も借りて何とか暴発は抑え込めましたが、その代わりこの体たらくで」
「で、その相手とは」
トリスタンが身を乗り出して問う。パスカルの代わりにファビアンが答えた。
「そこにヴィンフリートがいるということは、噂になっているお前の姉か」
「…まさか、宰相のところにまで届いていますとは…お耳汚しでございました」
ヴィンフリートは苦笑いを浮かべると騎士の礼を取る。
「ヴィンフリートの姉…とはリートミュラー家の息女か? どういうことだ?」
トリスタンが眉をしかめる。
「父母が知り合う前に、父と縁のあった平民の女性との間に出来た娘だそうです。姉曰く、侯爵家の令嬢との縁組の噂を聞いて手紙1枚で逃げ出した…と話していたそうです。子どもが出来ているなどとは思ってもいなかったそうで、今更頼れないと女手一つで姉を育て上げたのだと」
「なるほど…と言いたいが、それは事実か? その女性と他の男との間の子ではないのか?」
「…それは…分かりません。見つけて来たのはライナルトでしたから」
ヴィンフリートは穏やかに微笑むと口を噤む。
ー思わず適当に語ってしまった。後で姉上と話を合わせねば。
「正直なところ、聖女の手を持つのであれば、どうでも良いことかと。伯爵令嬢の立場が有れば“使い途”も広がりましょう」
くくくっと黒い微笑を浮かべながらのファビアンの台詞に、ヴィンフリートだけではなくパスカルまでもが彼を睨み付ける。
その瞳を歯牙にも掛けず、ファビアンは自国内の高位貴族の子息を思い浮かべた。
やはり、『婚約者』候補の筆頭は、ファーベルク公爵家の3男、アレクシスだろうか。
ヴィンフリートも『候補』としては優秀だが、さすがに異母姉ではそうも行くまい。
我が子が売約済みなことを至極残念に思う。
「それで、能力の程は?」
「水晶玉は後日ご確認頂ければと思いますが、私見を申し上げれば、私が過分な地位を頂いて10年、あれ程美しくはっきりとした色を見たのは初めてです。尚、他にも炎と水と氷の併用も可能。こちらは自衛程度のレベルでしょうが併用に苦労されることはないでしょう。色がはっきりとしておりました。正確な能力は暴走しましたのではっきりとは分かりません。ですが、暴発させることなく収め切りましたので、かなりの潜在能力はあるかと」
「それは素晴らしい。今から見られるか?」
「…今日はお止めになられた方が宜しいかと」
目を輝かせる国王を宰相が窘める。
師団長の手が焼け爛れる程の暴走だ、本人にもかなりの影響が出ている筈。
…そう言外に窘められて、トリスタンは苦笑を浮かべた。ーそんな事は分かっている。
「それでーお前たちはどうしたい?」
トリスタンは2人をじっと見据えた。
「ルナイリス嬢には早めにしっかりとした訓練を付けた方が良いと思います。魔力の使い方を分かってはおられないでしょうから、有事に感情で発生させてしまえば、とんでもないことになります」
「私からもご厚情をお願い申し上げます。姉上は穏やかで優しい女性なのです。…たとえば自分や幼い弟が襲われた際に魔力を奮ってしまう可能性がありますが、そのようなことになれば、たとえ傷付いたのが襲って来た相手であっても、姉上は苦しむでしょう。ですから、どうか…」
「そ、そういえば、とんでもないことも言っていましたので、恐らく自身が持つ力の程度も、正しく理解してはおられないでしょう。その辺りの訓練も必要かと」
「『とんでもないこと』?」
「はい。『お料理スキル』…と」
「そういえば、何かを凍らせて遊ぼうとしている感じでしたね…」
思い出したヴィンフリートの笑みが引きつる。
ーその台詞にファビアンが爆笑した。
大笑する宰相という世にも珍しい構図が出来上がり、2人だけでなく国王までもが固まる。
「話を戻すが」
笑い止んだファビアンが口調を整える。
「パスカルよ。翠を繋いだ経験が無く、その能力の強さも想定出来ていたのであれば、何故リーンハルトを呼ばなかった。お前程の男が、たかだか自分の好奇心で見誤る訳もあるまい」
パスカルはやはりそう来たかと溜め息を吐いた。
カント侯爵リーンハルト。魔術師団総帥。
彼を呼んでいれば、恐らく今ここにルナイリス嬢を連れてくる事が出来ていたであろうから。
「申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
と、トリスタンが
「ちょっと待て。そんな事よりもパスカルの手当ての方が先だろう。余としては聖女を呼んでみたいが」
…さすがは国王。さり気なく無茶を言う。
ヴィンフリートは内心で辛辣な呟きを零した。
あんな手を姉上の視界に入れられるものか。
自分の責任だと泣きじゃくるのは目に見えている。
「いえ、ポーションは持っておりますので」
パスカルは懐から淡い青緑のポーションを取り出してみせた。
「青緑か」
トリスタンは驚いた様に目を瞠る。
だが、鬼畜な宰相閣下はパスカルの手を止めた。
「暫し待て。リーンハルトを呼んでいる。治すのは彼奴にその手を見せてからだ。それ程までの力量を持つ娘、訓練出来るのは彼奴くらいだろう。…今は平時だ。特に軍を動かす予定も無い。部下の訓練も全て師団長に押し付けている給料泥棒にはぴったりの仕事だ」
宰相の暴言が正しい事を身を以って知る2人は苦笑いするしかない。
「パスカル、ヴィンフリート。何故横暴な評価から上司を庇わない?」
気配に振り向く前に頭の上に手が載せられる。
「お久し振りでございます、総帥閣下」
横暴どころか真実極まりない評価である事を知るパスカルは短い言葉で真実を明らかにする。
「全く可愛げがないな。もう少し上役に対する敬意というものを持ったらどうだ?」
「尊敬申し上げておりますよ、総帥閣下。ですので、お手を煩わすに忍びず背伸びをしました結果が『コレ』です」
パスカルは爛れた手をひらひらさせる。
「ー何があった」
リーンハルトは真顔になるとパスカルの手を取った。その手を矯めつ眇めつしながら恐ろしい事を宣う。
「残存魔力に覚えが無いな…。一体誰が暴発した?」
「暴発ではありません、暴走です。当人が何とか抑え切り、私に手渡したのですがその際に」
「何だと?! …それにしても随分と清冽な魔力だ…女か…ああ、それでヴィンフリートまでもがここにいるのか、噂になっているお前の姉か。出席予定は無かったが、ファーベルク公爵家の夜会に参加するのもありかも知れんな」
…どこまで広がっているのかとヴィンフリートは内心で呆れた。
国の中枢を占めるはずのメンバーに、何故そんな益体も無い話が届くのやら。
爛れた手を優しい温もりが包み込む。
はっとしてパスカルが己が手を見ると、元通りになっている。
「相変わらず出鱈目な奴だな」
ファビアンが皮肉気に眉を上げる。リーンハルトは涼し気な眼差しでそれを無視すると、ヴィンフリートに向き直った。
「で、件の姫君は何処だ?」
「…あ、…取りあえず私の寮の部屋で休ませていますが…」
「寮の部屋で…って、お前、同室のアレクシスに話はしてあるのか?」
「…いえ…って、え?! もうそんな時間ですか?!」
国王と宰相の前であることも忘れて、ヴィンフリートは焦って立ち上がる。
女性に手の早いアレクシスが、あの状態のルナイリスを放っておく訳がないのだから。
「取りあえず落ち着け。もし、億が一暴走に気付かず下らん手を出しているようなら、魔術師団は馘だな」
にやにや嗤うリーンハルトを、首根っこを引っ掴んで引きずっていこうかと思っていると、さり気なく苦労人なパスカルに、宥めるように肩を叩かれた。




