その後ー白の章
堪らない喉の渇きを覚えて目を開けた。
見覚えの無い部屋のベッド。
起き上がって部屋を見回す。
8畳ほどの広さで、机が2つ、タンスも2つ、自分が寝ていたのは2段ベッドの下で。
2人部屋なのだろう。簡素というか質素というか、物の見事に何も無い。
ベッドから下りてみたものの、身体のあまりの怠さに絨毯にへたり込んだ。節々も痛い。まるでインフルにでも感染ったかのよう。微熱程度で済んでいるようなのでインフルでは無いのは解るが。
ヴィンフリートは、パスカルは、何処へ行ったのだろう。
言われた通りに、何とか熱を移し終えた事だけは覚えているが、その後気を失ったので状況が分からない。
喉の渇きもいよいよ耐え難い。
部屋を出て誰かを探して聞いてみたくも思うが、動ける状態で無いのもまた事実で。
ぼんやりとした頭で思考をゆるゆる巡らせていると。
ノヴががちゃりと回った。
「あれ? 今日戻らねーんじゃなかったの?」
不思議そうに呟きながら部屋に入って来た男に瑠凪は絶句した。
ナニ、コノ色気のカタマリ。
シャワーでも浴びて来たのか上半身裸で。
短く切られた淡い紅の髪の水滴を手のタオルで拭いながら、濃色の瞳がこちらを見つめる。
同室者に対する口調が、目の前にいる見知らぬ女に対し、がらりと切り替わる。
「うっわー、今時のおじょーさんって何てダイタンなんだか。いきなり部屋へ忍んでくるなんて、ま、俺は大歓迎だけどね」
跪かれ頤に指がかかる。
押し除けたくても身体が動かず、釈明したくてもからからの唇は動かない。
目を閉じるのも、まるで期待しているようでしたくない。
故に、近づいて来る唇をただ見つめているしか出来なかった。
「ん?」
重なる寸前に唇は止まった。
もう一方の手が頬から首筋、鎖骨辺りをくすぐるように撫でてゆく。
その指に、重なりかけた唇に、紛う方なき熱を感じて。
(暴走か?)
黄昏の迫る時刻。
団長に来客があるとの噂。
同室者の存在。
幾つかの情報をまとめ上げそう結論した。
目の前の濃い紅茶色の瞳が、驚きに見開かれている。
そのまま戯れに口付けても良かったが、氷漬けは真っ平御免なので、その華奢な体躯を抱き上げるに留めて。
ベッドの下段に横たえると驚いたような眼差しでこちらを見てくる。
「そんだけ熱がこもってるって事は、派手に暴走させたんだろ。まだ身体が辛い筈だから休んでた方が良い。…ヴィーの関係者か?」
問うとこくりと頷いた。
何か言いたそうに紅い唇がはくはくと動く。
清婉な色香にくらりと来るが、氷漬け、氷漬けとひたすら唱えて気持ちを落ち着ける。
「ちょっと待ってな」
ふと思いついて席を外す。
食堂に行くと、早めの夕食を摂っている同胞たちを見ながら、厨房に声をかけ、冷たい水の入ったポットとグラスを借りる。戻りながら少し氷を足してやり。
部屋に戻るとヴィンフリートはまだ帰っていなかった。
「ほら」
水を注いでグラスを差し出すと、本当に一息で飲み干した。足してやったそれも一息で飲み干す。
ー3杯目はさすがにゆっくりだった。
白い喉が上下する様が仄暗い部屋に浮かび、何とも悩ましい。
ひたすらに何かの修行であるが如くに、氷漬け、氷漬けと唱える。
「あ、有難うございます。お陰様でやっと人心地付きました…」
ふわりと浮かぶ笑みは可憐な白薔薇。
ヴィンフリートの関係者でなければ、とっくの昔に寝所に引き込み美味しく頂いていたろう。
「申し遅れました。わたくし、ヴィンフリートの姉でルナイリスと申します。宜しくお願い致します」
その言葉に、これが噂の令嬢かと、嬉しくなる。アンハイサー侯爵家の夜会に彗星のように現れた美女の噂は当然知っており、今度のファーベルグ家が魔術師団のメンバーを労う為に開く夜会にもヴィンフリートのパートナーとして出て来るらしいとの噂も勿論聞き及んでいる。
「俺は、アレクシス。皆はアレクって呼ぷ。ヴィンフリートとは寮の同室。あ、ちなみにこの部屋は王宮にある魔術師団の寮ね。…にしてもヴィーの奴、遅いなぁ。早い奴夕食食べ始めてんだけど。ルナイリス…嬢だっけ、お腹空いたでしょ?」
「ゆ、夕食?!」
驚いて部屋を見回すも窓は無い為外の様子は分からず時間の見当も付かない。
「俺ちょっと出て来るね、鍵はかけていくよ。ヴィーは鍵持ってるから大丈夫」
手をひらひら振ると鍵をかけた。ちなみに鍵とは登録された魔力。
ー余談であるが、寮室の鍵の登録者は部屋の所有者両名とその保証人、及び有事の際に開けられるよう、国王と、文官であれば宰相、武官であれば元帥である。
再度食堂に顔を出すと、昼の余りと思しきサンドイッチを幾つか取る。
彼女の好みは分からないが、余ったなら自分がおやつ代わりに食べても良いだろう。
サラダとアイスティーももらうと、プレートに載せた。
あまりに不釣り合いな盤上に周りが騒めくのも構わず、食堂を出て行く。
改めて部屋に戻ると一応ノックしてノヴをがちゃりと回す。向こうに動きがあったのを確認してからドアを開ける。
トレイの中をちらりと見せてからヴィーの机に置く。
「動ける?」
屈み込んで手を差し出すと、少し躊躇ったように手が重ねられた。まだ、ほんのりと違和感のある熱を持っている。
その手を掴み、ベッドから引っ張り出す。
ぐらつく身体を支えながら椅子に座らせた。
儚い眼差しに吸い寄せられながらも、半ば呪文のように、氷漬け、氷漬け、と唱える。
「ここの食堂から持って来た。味は悪くないから少し食べた方が良いよ。…あ、でも、もし、吐きそうなら無理はしないで」
「お気遣い感謝致します、アレクシス様」
「堅苦しいのはキライ。ホント気にしないで」
「お気に障られるかもしれませんが、これでも一応、未婚の貴族令嬢、見知らぬ殿方と親しくするのはどうにも苦手なのです」
恥ずかしそうに俯くその横顔が本当にゾクゾクする。
「そっか、じゃ見てたら食べにくいか」
自分の椅子を少し遠くに離す。
ゆっくりとサンドイッチが紅い唇に消えてゆく。咀嚼して喉が動くその様は、護りたい儚さと色香を漂わせる。
(ヴィー、早く帰って来いよ、ったく、何のゴーモンだよ、こりゃぁ)
短い髪をがしがしとかきむしった。
「ご馳走様でした。…本当に何から何まで有難うございました、アレクシス様」
優雅に頭を下げられて、身体の奥の埋み火が燻されるように感じる。
「で、さ」
椅子をくるりと動かすと彼女の前に移動する。
「何があったの?」
周りが口を揃えて『喰えない』と評する笑顔を浮かべ、彼女に向き直った。
彼女は唇を噛んで俯く。
「すみません、これだけご面倒おかけしておきながらで恐縮なのですが、どこまでお話しして良いか分かりませんの。ですから、弟が戻りましたら彼にお聞き頂けますか?」
その答えに目を瞠る。
儚いだけでは伝え切れない、凛とした気高さすら漂わせる彼女を、アレクシスは真剣に欲しいと思ったー。




