優しい宴と稚(いとけな)い騎士
「リートミュラー伯爵フォルクハルト様、並びにリートミュラー伯爵令嬢ルナイリス様、ご到着!」
アンハイサー侯爵家執事の声に会場が騒ついた。
リートミュラー伯爵令嬢?
聞き捨てならない言葉に、参加者たちの目が一斉に入り口のドアに向く。
ドアが開いて入ってきたのは。
フォルクハルトにエスコートされた1人の女性。
すらりとした細い肢体を白に近い淡い水色のマーメイドラインのドレスに包み、ラトレセイスでは珍しい艶やかな黒髪を、高く不思議なスタイルにまとめ上げた麗人。
ワンショルダーの肩には濃い菫色の精緻な刺繍が施され、ヒールも濃い菫色。
はっきりとバルシュミーデ侯爵家の庇護を明らかにしている衣装だけでなく、イヤリングとネックレスは、エスコートするフォルクハルトの瞳の色に合わせたエメラルドで、髪飾りも、ヴィンフリートの髪の色に合わせたプラチナの台にエメラルドの石が飾り付けられている。
溺愛の2文字が散らつく姿に参加者は息を呑んだ。
フォルクハルトは真っ直ぐ、主催者であるアンハイサー侯爵ラファエルの元に向かう。
「ご無沙汰しております、アンハイサー侯爵」
「ほぅ、そちらが話に聞くそなたの異母姉君か」
「はい、我が姉、ルナイリスです」
フォルクハルトの手を離れ、女性がカーテシーをする。その凛とした御辞儀にまた周りが騒めく。
「お初にお目もじ致します、アンハイサー侯爵。ルナイリスと申します。以後、見知り起き下さいまし」
緊張故か僅かに震える声と、フォルクハルトの腕に添えられている細い指に力が込められ、ジャケットに皺が寄っているのがまた、庇護欲をそそる。
「これはお美しい。夜会の楽しみがまた1つ増えましたな」
ラファエルは口元を綻ばせてそう微笑む。
「有難く存じます、ではまた」
フォルクハルトは簡潔に挨拶を終わらせ、後から来たバルシュミーデ侯爵夫妻に場を譲る。
「どうした、ルナ」
細い指が腕に食い込み、実は結構痛いのだが、それをおくびにも出さず、フォルクハルトは傍らのルナに尋ねた。
「視線が痛いです…」
「まぁ、仕方ないな。存在しなかった人間が突然出て来るんだ。興味を引くのは避けられない。諦めろ」
「しかもこれだけの美人とくれば、あっという間に広まるだろうね、どうしよう、フォルク」
いつの間に来ていたのか、ヴィンフリートが肩を竦めてみせた。
「虫避け、ルドガーに頼む?」
「そうだな…。俺たちではその役には立たないからな。構わないか、ルドガー」
「僕はそのつもりだけど。ファーストダンスは当然エスコートして来たフォルクとだろ。そのあと、どうするか…だね、僕とヴィーで踊るか、どちらかを止めて父に頼むかどちらが得策かな?」
「僕が降りるよ。ここでならルドガーと伯父上がパートナーになってくれた方が箔が着くし、強力だ。その代わり、今度、ファーベルグ家に招待されてるからルナを借りたい」
「ファーベルグ家? 魔術師団絡みか?」
「そ」
「危険な気がする、大丈夫か?」
「予めファーベルグ公爵夫人に根回しはしておくつもり」
「あ、あの…肝心の当事者たるわたくしの意見は…」
「「「聞かない」」」
「う…。あのですね…虫避けとか必要ないと思うのですけど…」
「ほら、戯言言ってる」
「戯言じゃないですよ、単に誂えてもらったドレスと、ラウラとエラの努力の賜物であってですね」
3人は顔を見合わせて溜め息を吐くと、ルドガーが皮肉っぽく呟いた。
「じゃ、そこの燭台にそのドレス着せてみる?」
「だったらラウラとエラを呼ばないと」
「「「ルナイリス」」」
埒があかないと思ったルドガーが、瑠凪の唇に指で触れて言葉を塞ぐ。
じゃれ合う4人を見た周りが騒めく。
バルシュミーデ侯爵夫妻は呆れて4人に近付いた。
「何をじゃれ合っているのかな」
「囲い込みが過ぎてよ。やり過ぎると爛れた関係を疑われかねないわ。そろそろダンスが始まるから、フォルクとルナはいってらっしゃい」
楽団が準備に入ったのを見たフォルクハルトは広間の中央に向けて歩き出す。
瑠凪に裾を引っ張られて振り返った。
「何だ?」
「あ、あの、先ほどフランツィスカ様が仰った『爛れた関係』って何ですか?」
「男3人に美女1人、どう考えたって普通じゃない。しかも皆親戚。周りは修羅場を大いに期待するって事」
「???」
意味が分からず首を捻る瑠凪を、フォルクハルトは何とも言えない思いで見つめた。
先に来たアレシュ卿の言葉を思い出す。
「何ものにも染まっていない娘だ。おかしなのに引っかからないように気を付けられた方がよろしかろう」
確かにこんな当たり前のことも汲み取れない、邪心や害意などに全く以って疎い。
優しい物言いに簡単に騙されそうな。
取りあえず後で、ヴィーたちと応相談だ。
そう思いながら、流れて来た音楽に合わせてルナイリスの手を取る。
最初らしく優雅なワルツ。
ワルツなら足を踏まれる心配はないので安心して踊れる。
…まぁ、末のルーベルトのデビューの為の夜会な訳なので、そんなに難しい音楽は流さない筈だが。
最初の練習の頃は本当に表情も固かったが、大分踊ることにも慣れて来たのか、所作も表情も柔らかくなった。
無事にファーストダンスを踊り終え、続いてルドガーと交替する。
次に流れ出したのはメヌエットで。
主催であるラファエルはずっとルナイリスの様子を見つめていた。
ファーストダンスは少し緊張していたようで動きは固かったが、続いてのメヌエットはデビューとは思えないほど優雅で、だが、漆黒の花弁が舞っていた…ように思えたのは多分気のせいであろう。
続いて、ルーベルトのデビューに合わせて作曲を依頼したパッサカリアを流す。
これは流石に殆どの貴族が不慣れであった分、バルシュミーデ侯爵リュディガーの巧みさが目立ち、恐らく踊ったことなどないはずのルナイリス嬢までも見事にリードしていたのにはラファエルも舌を巻いた。
「ねえ、あなた」
近付いて来た妻ユリアーナにラファエルは目をやった。
「どうだ、様子は」
「上々よ。ルーベルトも教えた通り社交が出来ているわ。ルナイリス嬢も来てくれているから注目が分散して丁度良かったわね」
三曲踊り終えて壁際に移動する。
いろんな人から挨拶されて少し疲れて。
一応名前を覚えて、領地の様子なんかを挨拶に含めると、ころっと態度が変わるのだ。
そうこうしていると、ワインのワゴンが運ばれて来た。
「今日はルーベルトのデビューということで、バルシュミーデ侯爵家が祝いのワインを差し入れてくれた。何でも今年収穫したばかりの葡萄で作ったワインだそうだ」
アンハイサー侯爵がグラスを掲げながらそう言ったので、騒めきが落ちた。
…まぁ、当然であろう。
普通は半年から1年は寝かされるものなのだ。
「今年仕込んだワインの質を見定めるのに良い方法かもしれないと思いましてね。もし、こちらが皆様の口に合うようでしたら今年のワインには期待頂けると思いますよ」
バルシュミーデ侯爵の説明に納得したようなそうでもないような何とも言えない空気が満ちる。
…ホントにボジョレーヌーボー試したんだ。
あ、ここはボジョレーではないからバルシュミーデヌーボー? トカイヌーボー?
何か言葉が混ざって変な感じ。
つまらない事を考えながらワインを含む。
濃厚な味わいを堪能していると、周りがさざめいているのが聞こえる。
概ね好評のようで何より。
フランツィスカが瑠凪のところにやって来た。
「フォルク、ちょっとルナを借りるわね」
そう言われて連れて行かれた先は。
「初めましてね、リートミュラー伯爵令嬢」
アンハイサー侯爵夫人ユリアーナの元だった。
「はい。アンハイサー侯爵夫人。お会い出来て光栄に存じます」
「堅苦しい挨拶は要らないわ。ユリィと呼んで頂戴」
「有難うございます、ユリィ様。わたくしの事はルナとお呼び下さいませ」
「堅苦しいのは要らないと言っているのに。…まぁ仕方ないのかしら、元々の性格のようですものね」
軽く肩を竦めるユリアーナは、とても子供がいるように見えない。
3人の子持ちで長女はシュレーゲル辺境伯の嫡男に嫁ぎ、既に子どもが2人いる(つまりお祖母ちゃま!)との事。跡取りの長男はキーデルレン公爵の三女と婚約中。学校を卒業後結婚する予定だそうで。
学校か…。私の不安は実はただ一つだったりする。
ここ、乙女ゲームの世界じゃないよね?!
…だって、身近な3人見てるだけでも立派に攻略対象になりそうなんだもん。
やった事ないけど、そういうのは読むのは好きだったから。
転生者に絡まれるとか嫌過ぎる。
「ねぇ、ユリィ」
「何でしょう、義姉さま」
「クリームヒルト様と連絡は取れる?」
「え?」
「妾だとアマーリエ様には連絡出来るのだけれど、クリームヒルト様には伝手がないのよ。我が家でお茶会でも…と思っているの。…ルナを交えて…ね」
「ご予定はいつ頃?」
「そうね…お2人の予定次第だけれど、ひと月くらいの間でお聞きしておいてもらえないかしら。もう少し早くても構わないと」
「分かりましたわ。早速明日にでもお手紙を届けます」
「頼むわね、ユリィ」
「あ、あの、そのお二方は…」
「ああ、アマーリエ様はルントシュテット公爵夫人、クリームヒルト様はファーベルグ公爵夫人よ」
…!?
という事は、四家の奥様方が一同に会する訳ですね?!
そこに私が混じるって一体…。
そういえば、ヴィンフリートがファーベルグ家で夜会がどうのと言っていた…と説明すると、その旨もユリィ様が尋ねてくれることになり。
あとでヴィーにも説明しておこう。
「母上」
そう言ってとことこ来たのは本日めでたくデビューのルーベルト様。
12歳…見えないわ。しっかりしてる。
末っ子の双子は基本甘えん坊の節があったから仕方ないけど、1番上の弟が…って考えても無駄か。私とは年子だし、自分が中学入ったときのことなんてさして覚えてる訳無いし。
「お願いがあります」
「なぁに? ルー」
とっても優しい笑顔のユリアーナ様。
そうそう、末っ子にはどーしても甘くなりますよね。
「ラストダンスをルナイリス嬢と踊りたいのです」
…へ? 私??
瑠凪は思わず目を瞬かせた。
正直、12なら我が子でも全くおかしくない。
あまり気にする事はないのかもしれないが、いろいろと…果たしてどうなのか。
正しい言動が分からず、瑠凪は2人の夫人を見遣った。2人とも微笑ましそうに見ているので、特に問題はないのだろうか。
「主催は父上ですからね、まず父上に、仕来たり上大丈夫なのかを聞いていらっしゃい」
ユリアーナはそう言うと、息子の背をポンと押した。
たたたっと走っていくのが可愛い。
「可愛らしいお子ですね」
ふふっと微笑む瑠凪に、ユリアーナは少しほっとした。
普通なら、母親の自分にではなく本人に許可を取るべきもの。
親を引っ張り出そうとする事は、親の権威を使って無理強いする…と解釈される可能性もあったのである。
それでもあえて父親に許可を取らせたのは、夫の目算を壊してしまう可能性を考えた為。
今後の事を考えたときに、デビューのラストダンスを踊った…と言う縁が、どう繋がるか検討も付かなかった為である。
暫くして戻って来たルーベルトは、彼女に手を差し出した。
「リートミュラー伯爵令嬢、どうか僕と踊って頂けませんか」
教えられた通りのやり方を一生懸命やっている、その様がはっきり分かる少年に、瑠凪は口元を綻ばせた。
差し出される小さな手に己が手を重ねる。
「はい、喜んで。ルーベルト様」
そのまま部屋の中央へ行くと、最初とは違うワルツが流れ出す。
まだまだ互いにぎこちない身で、危うく相手の足を踏みかけた事が双方とも2度ほどあり。
何とか無事に終えられた事にほっとしている様子の瑠凪の左手を、ルーベルトがついと引く。
そのまま、膝を折るともう片方の手も添え、瑠凪の手の甲を自分の額に当てた。
かなり古い仕草で、今はあまり行われないが、武に在るアンハイサー家の人間であるが故に知る仕草。
姫を護る、騎士の忠誠の証。
相応しい対応を読めず焦って顔を上げると、アンハイサー侯爵と目が合った。
微笑んで頷かれる。
これ、確か、正式に受けるのは、姫の側が、付けている装飾品を何か渡す…だったはず。
でも、これ、正式に受けて良いものか…。
子どものお遊びで済んでくれれば良いけど、これでこの子を縛ることになったり、リートミュラー家やバルシュミーデ家にとって不都合が生じたりすると困るよね…。
リュディガー様を見ても、特に表情は変わっていない。…というより、あの2人! 明らかにお手並み拝見♪感があるっ!!
正式に受ける、ではなく、でも、この子の意図を汲んで傷つけないようにするにはどうすれば…。
持ち物を渡す。
でも、装飾品ほど重くないもの。
少し考えて。
ポケットからハンカチを取り出すと、恭しく頭を垂れる少年の胸ポケットに差し込んだ。
驚いたように見上げて来る少年に微笑みを浮かべながらその手に頰を押し当てる。
「有難う、可愛い騎士さん」
静まり返った部屋に、柔らかな声が響く。
誰かが手を叩き、あっという間に屋敷は温かな拍手で満ちた。




