出会いIIー違和感
貧血の立ちくらみに似たくらりとした感じを覚えて、傍らの“何か”に捕まる。
怖々と目を開けると、見覚えのない場所にいた。ふと隣を見て、自分がフォルクハルトの腕にしがみ付いている事に気づき、ぱっと腕を離し、「すみません!」と叫ぶ。
「転移は初めてだろう? 少し酔ったか?」
「酔った…のでしょうか? 少しくらくらします」
足元が心許ない。何とも言えずふらふらする。
フォルクハルトは何も言わず、瑠凪の腰に手をかけた。逞しい腕で細い体躯を支える。
息を整えていると、足下に第三者の影が落ちた。慌てて顔を上げると、若い男が立っている。年の頃はフォルクハルトくらいだろうか。豪奢な金髪に、濃い菫色の瞳が品定めするかのようにじっとこちらを見据えている。
「久し振りだね、フォルク。そちらが手紙にあったルナイリス嬢かな?」
「ああ、すまない。侯爵夫人には面倒をかける」
「は、初めまして。ルナイリス・フォン・リートミュラーと申します」
「初めまして、リートミュラー伯爵令嬢。私はルドガー・フォン・バルシュミーデ。母が君の来訪を楽しみにしていてね。こちらの都合で急かせて申し訳なかった」
「いえ、わたくしの方こそ、ご面倒をおかけして申し訳ございません。平民上がりで貴族の礼儀も社交のあしらい方も何一つ存じませんの。どうぞ、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます」
ふわりと笑んで頭を下げる女性にルドガーは、お辞儀から教えねばならないとは母も前途多難だと思いながら、2人を先導して門をくぐる。
お屋敷もあちこち触るの壊したら如何しようって怖かったけど、こちらもまた、一段と高級感の漂うお邸で…。
案内されるままに開けたドアの向こうに、1組の夫婦が立っている。
優しく微笑う美丈夫と、艶やかに微笑む妖艶な美女の取り合わせ。
「ご無沙汰をしております、バルシュミーデ侯爵」
「確かに無沙汰だね、若きリートミュラー伯爵。どうだい、領地の方は、順調かい?」
「そうですね、それなりに。ですが、幾つか伯父上に伺いたいこともありまして。この後時間を少し頂戴出来ませんか?」
「構わないよ、後で書斎に来なさい。それで、そちらが手紙にあったメルヒオール殿のご息女…だね。実に清楚な風情のお嬢さんじゃないか。ルドガーにどうだろう」
ちらりと流し目をくれられ、瑠凪はブンブンと首を振る。ルドガーは呆れたような表情で額を押さえた。
「は、初めまして、ルナイリスと申します。この度は突然の不躾な頼みをお聞きいれ下さり、感謝致します」
ぺこりと頭を下げると、おやと言いた気にバルシュミーデ侯爵の眉が上がった。
「なるほど、カーテシーから必要という訳か。本当に最初からだね。フラン、腕が鳴るね」
カーテシー…。言葉は聞いたことあるし、どういうものか調べてもみたけど…。綺麗なやり方とかわからないかも。
「わたくしはフランツィスカよ、宜しくね、ルナイリス」
隣の妖艶な美女がにっこりと笑う。
「宜しくお願い致します、バルシュミーデ侯爵夫人」
「フランと呼んで下さる? 貴女のこともルナと呼ぶわ」
「はい、フラン様」
フランツィスカは軽く眉を上げるとふっと口元を綻ばせた。
「では、早速始めましょうか。…フォルクハルト、ルナは確かに侯爵家で預かったわ。暫く様子を見て、どのくらいかかるかは後日連絡を入れるから宜しくね。今日はどうするの? リュディに教わったら帰る? それとも泊まる?」
「それはこちらで相談するよ、フラン」
夫の言葉に彼女は頷き、傍らの瑠凪の手を引くと歩き出す。
階段を上がると幾つか角を曲がり、1つの部屋に行き着いた。フランツィスカは扉を開くと瑠凪を招き入れた。
「ここに滞在中はこの部屋を使って頂戴。それから」
フランツィスカが徐に手を叩く。と1人の侍女が顔を出す。
「お呼びでございますか、奥様」
「ラウラを呼んで頂戴。紅茶を持って来させて」
「かしこまりました」
ややあってノックの音がした。
「お呼びでしょうか、奥様」
「入りなさい。…このラウラを邸にいる間は貴女に付けます。ラウラ、彼女はルナイリス。メルヒオール殿のご息女よ」
「メルヒオール様のご息女…。ということはフォルクハルト様の妹姫にあらせられますか?」
「…姉姫だそうよ」
色のない眼差しを向けられ、身の置き所のない思いを味わう。
今は亡き妹の夫に隠し子がいたと言われれば、身内として心穏やかではいられるまい。
嘘が切なくて俯く。
2人の息子であるルドガーは私のことを『リートミュラー伯爵令嬢』と呼んでくれたがこの夫婦は『メルヒオール殿のご息女』と呼ぶ。
そのニュアンスの差が心を刺して。
「ラウラ、紅茶を淹れたら出て行って良いわ」
フランツィスカの言葉に、ラウラは手早く紅茶とお茶請けのクッキーをテーブルに整え、一礼して出て行く。
「どうぞ、遠慮なく召し上がれ」
「あ、有難うございます…」
彼女が席に着くのに続いて腰を下ろす。
紅茶のカップを手に取ると、
「違うわ、こう持つの」
フランツィスカは自分のカップをゆっくりと持って見せた。瑠凪は一度カップをソーサーに戻すと、真似をして持ってみる。
手付きは一応様になっているのだが、フランツィスカの雰囲気とは何かが違う。何というか…優雅さが足りない気がする。
「指の力のバランスが悪いのね。力を入れないで、さり気なく持たないと美しくないわ。…まぁそれは意識せずにそう持てるようになってからね」
そう分析しながら、フランツィスカはクッキーを口に入れる。その手付きを真似て瑠凪もクッキーを口に入れる。
さり気なく、力を入れずに、優雅に。
手付きだけ真似るのでは多分足りない、姿勢も表情も大切な筈、全てを夫人に倣わなければ。
自分に言い聞かせながらするお茶の、味など当然分ろう訳もなく。
紅茶と闘う瑠凪を見ながら、フランツィスカは考え込んでいた。
違和感の塊であったライナルトからの手紙。
バルシュミーデ侯爵家では、娘クレメンティーネの結婚の際、当然ながらきちんとメルヒオールの身辺調査もしたのだ。恋人の存在など欠片も無かった。侯爵家の調査を掻い潜れる平民がいるとは思えないし、メルヒオール自身も、恋人の存在を巧みに隠してでも格上の相手と結婚して…という野心あふれるタイプでは無かった。
謹厳実直に服を着せたらメルヒオールになるのではと冗談交じりに夫リュディガーが笑ったのを思い出す。
しかも、こんな闇夜を切り取ったような黒髪はここ、ラトレセイス王国では見ない色だ。
義弟の周りにいたのなら目立つ筈。
フォルクハルトかヴィンフリートが平民の女性に惚れ込み、妻にしたいので…という事ならばまだ解るが、異母姉などということにしてしまえば婚姻など叶うはずもなくなる。
所作にも、貴族らしさこそないもののそれなりに品はある。言葉も綺麗だ。
言うなれば、裕福な商家の令嬢…といったところか。
ーさて、どうすべきか。
『正確な』素性を尋ねることは当然だが、いつどのように尋ねるかはフランツィスカに一任されている。
会ってからの言動から推察するに、異性慣れはしていないらしい。身内であるはずのフォルクハルトに向ける表情より初対面のフランツィスカに向ける表情の方が柔らかい事からも裏付けられる。
…ということは。
心を定めてフランツィスカは喉を潤した。
ラウラを呼ぶと、冷たいハーブティーとワイングラスを持って来させる。
「ラウラ、それをワインだと思って、妾たちに給仕して頂戴」
「かしこまりました」
ラウラはハーブティーをワイングラスに注ぐと銀のトレイに載せた。少し離れた場所から歩み寄り優雅にトレイを差し出す。
フランツィスカが一方を手に取り、ひと口含むのを見て、ラウラは瑠凪にトレイを差し出した。瑠凪も見真似でグラスを取り上げるとひと口含む。
「そうね、グラスの脚に指を絡めて、唇は触れるか触れないかで。口に含んで転がすイメージで頂くのよ」
「は、はい」
瑠凪はもう一度テーブルにグラスを置くと、言われたように持ち直してみた。力を入れるのははしたないのだろうが、こんな所謂フルートグラスなど縁が無いので、落としそうで怖い。
ラウラが出ていくのを見て、フランツィスカは居住まいを正す。
何となく変わった空気に、瑠凪が身動ぎする。
「ルナイリス、貴女に聞きたいことがあるの。ー貴女は『誰』なの?」
予想だにしなかった問いに、瑠凪の紅茶色の瞳が大きく見開かれた。




