第2話:アイスクリームとボヤ騒ぎ
――柿山紗羅、十七歳。護法騎士団、東京支部第二十五分隊・波濤騎士団の団長。
護法騎士団とは。平和な街の影の下、密かにうごめく異能の者ども……すなわち「魔術師」を狩るために組織された武装集団である。彼らは現代の水準から数歩先んじた科学技術を駆使し、あらゆる手段をもって魔術師たちを封じ、捕らえ、または殺す。
「はぁーっ、何の因果でこんな商売に手を染めちゃったんだかね。親も、あたしたちも」
学校指定の革鞄を後ろ手にぶらぶら揺らしながら、結城香苗はため息をついた。彼女は波濤騎士団の実質的なナンバー2、慣例上「黒の騎士」と呼ばれる肩書きを持っている。
「因果って……香苗ちゃん、ときどき言葉づかいが昔っぽいですよね」
「えっ、マジ? 時代劇ばっか見過ぎかな……父親がやたらと必殺仕事人のDVD集めててさぁ。形見にするならもっといい武器とか、せめてお金貯めといてくれりゃよかったのに」
「あんまり言うとバチが当たりますよ、結構楽しく見てたじゃないですか。それにわたし、そういう香苗ちゃんの変な言葉けっこう好きです」
「やっぱ変なんじゃん! ま、いいけどー」
からっと笑って、香苗は少し足を早めて沙羅の少し前に出る。香苗は、いつも沙羅の隣か少し後ろを歩くのが癖だ。だから前に出てくるときは、だいたい顔を見られたくない時なのだ。
今はきっと照れているのだろうと察して、沙羅は話をほかに向ける。
「でもぴったりの言葉かもしれませんね、『因果』って。運命みたいな意味ですよね?」
「親の因果が子に報いってやつ? あ、またババくさいこと言っちゃった……まぁ、ただの言葉のあやだよ。別に仕事イコール運命ってわけじゃないし、足洗おうと思えば洗えるんだしさ。重く考えすぎだって、あんたは」
香苗はいつの間にかまた沙羅の隣に来ていて、彼女の頭をぽんと軽く叩いた。
彼女たち護法騎士団は、常に秘密裡に活動しなければならない。その存在も、目的も、何一つとして民間人に知られてはならないのだ。それゆえにこの仕事は、一部の例外を除いて、親から子へ血とともに受け継がれてきた。
沙羅たちの両親も、そうやって騎士になった。彼らが死んだ時、沙羅と香苗は幼くして人生の選択を迫られた。騎士団との関わりを永久に断つか、あるいは自ら騎士となるか。彼女たちはそれが血塗られた道であると知りながら、後者を選んだ。
「重い、ですかね……」
「そーそ。親の無念とか正義のためとかさ。もっと遊ぶ金ほしさとかでいいじゃん、あたしみたいに」
「……香苗ちゃん、そんな理由でやってたんですか」
口を尖らせ、遊びのように言い返しながら。沙羅は内心少し、不安がよぎる。
(あんなこと言ってるけど。もしかして、本当はわたしのため、じゃないよね……香苗ちゃん)
それは最近、ずっと気にしていたことだった。一応「団長」として責任のある沙羅と違って、香苗はいつでも抜けようと思えば抜けられる立場だ。彼女自身がよく言うように、高校生ならばやりたいことは他にもっとたくさんあるはず。
最初に騎士団を続けようと自分から誘った負い目があるのか。それとも、いつまでも頼りない沙羅を支えなければという義務感があるのか。香苗はいつも自分より沙羅の望みを優先しているように見えた。
経理や裏方仕事を手伝うくらいなら、素直にありがたいと思える。だが前線で戦うことは、話の次元が違う。たとえ家族同然の香苗であっても、自分のために命をかけさせるわけにはいかない。
「あ、駄菓子屋もう開いてる! ちょっと買ってこ」
「買い食い、校則違反ですよ。あと、体に悪いです」
「いーじゃん、いーじゃん。早起きの役得だよ。沙羅も、いつも健康マニアみたいな生活してるんだから、たまに体に悪いことしてバランス取りなよ。それが世界の秩序を守る騎士ってもんでしょ」
「また、適当なこと言って……」
「おばちゃーん! ラムネ置いてるー? なきゃアイスでいいや」
朗らかに声をかけながら、店の奥に駆けていく香苗。その背中を見ながら、沙羅はくすっと笑う。
(色々話さなきゃいけないこと、あるはずなんだけど……一緒にいると、なんだか今のままでいいのかもって気がしちゃうな)
やがて、香苗は二本のアイスクリームを片手の指で器用に支えながら戻ってきた。
「ほら、沙羅のぶん。チョコのほうでいいっしょ?」
「あ、はい……ありがとうございます。お金、いくらです?」
「十円」
「嘘つき。百円でいいですよね」
沙羅は当たり前のように、取り出した百円玉を香苗に向かって素早くひゅっと投げる。どれだけ早く投げても、彼女がそれを受け止められると知っているからだ。
異能の敵に相対するため、騎士たちの身体能力は常人よりも総じて高く練り上げられている。腕力については服の下に身につけたインナー・スーツの補助筋肉の力を借りることになるが、瞬発力や観察力、そして武器を扱う技量については、厳しい訓練のたまものだ。
「ほんとは五十円なんだけど……まあ、半分もらっとこ。おごるつもりが儲かっちった」
「じゃあ、それが香苗ちゃんの今年のボーナスということで」
「安っ!」
軽口に笑いあいながら、歩き出す二人。沙羅が少しずつ棒付きのアイスクリームを食べる間に、香苗はぱくぱくと早くも半分近く食べつくしている。
お腹壊さないといいな、などと心配しつつも、隣に並べる時間を楽しむ沙羅。学校ではクラスも離れているし、万が一敵に素性が割れた時のためにお互い「幼馴染だけど今は疎遠」ということになっているので、登校した後は夜までほとんど顔を合わせられないのだ。
「……ところで香苗ちゃん、わたしたちどこに向かってるんです? どんどん学校から離れちゃってますよ。時間はまだ余裕ありますけど」
「んー、実は……ちょっと、行きたいとこあって」
その歯切れの悪い言い方で、付き合いの長い沙羅は香苗の目的にすぐ気がついた。
「もしかして、お仕事ですか?」
沙羅の言葉にトゲを感じたのか、香苗は申し訳なさそうに苦笑いする。
「やー……最初はホントに散歩するだけのつもりだったんだよー。でも、さっきちらっとチェッカー見たらちょうど近くで反応あってさ。せっかくだからって……ごめん、なんか水差しちゃって」
「べつにわたし、怒ってないですよ。何か起きているなら、早めに対処するのはいいことです」
「ありがと。んじゃ、行こーぜ!」
早くも食べ終えたアイスの棒を適確なコントロールでゴミ箱へ投げ捨てて、沙羅の手を取る香苗。引かれるままに走り出しながら、沙羅は浮かべた笑顔の裏で小さな自己嫌悪に浸っていた。
(本当はちょっと不機嫌になってるな、わたし。たまには仕事抜きで、普通に香苗ちゃんと歩きたかったかもって……不純だなぁ)
***
「……ここですか? 誰もいませんね」
二人が着いたのは、町外れの小さな工場跡だった。沙羅には馴染みのない場所だが、土地の所有者が夜逃げしたとかで宙ぶらりんになって、ホームレスの溜まり場になっているという噂は聞いたことがある。
「昨夜ボヤ騒ぎがあって、宿なしのおじさま方は警察に追い払われたんだってさ。多分、そのボヤが魔術師の仕業なんじゃないかなーって思うわけ」
「ボヤ……熱力系ですか。このあたりでタグ付きの熱力術士の登録はないですね。わたしもちょっとチェッカーで見てみます」
スマホを取り出して、アイコンのない場所を何度か不規則なリズムでタップする沙羅。すると、画面に今まで存在しなかったレーダーのようなアイコンが現れる。
「チェッカー」とは、騎士専用のスマホにのみインストールされた秘匿アプリだ。周囲の空間から因果律の歪みを感知し、大雑把にだが魔術の痕跡を探り出すことができる。香苗いわく「くっそダサい」その地味な呼び名は、街中で名前を出しても不自然に思われないようにとの配慮らしい。
「……たしかに、痕跡がありますね。地面の焦げたところ……かすかですけど」
「ありゃ、思ったよりショボっ。これなら魔術使うよりチャッカマンで火つけた方がまだ強そうじゃん。手柄としては弱いなー」
香苗はかがみこんで、地面についた焦げ跡をじっと見る。煙草を踏み消したような、小さな痕跡。しかしチェッカーの反応があるということは、そこになんらかの魔術が介在したということだ。
「手柄が全てじゃありませんよ、香苗ちゃん! 野放しの魔術師がいるなら、一刻も早く護法騎士団の管理下に置かないと」
「わかってるよー、言ってみただけだって」
「力の弱さと不用意さから考えるに、おそらくこの方はまだ魔術を見出して間もないはず……放っておけば周りの誰か、あるいはご本人が大怪我をしかねません」
「ホント真面目だな、あんた……まぁ、小さなことからコツコツとやってくか。んじゃ、ちょっと上から見てくる」
「お願いします。周りはわたしが見張ってますね」
二人がうなづき合った次の瞬間。ふっ、と香苗の姿が消えた。
沙羅は左右に目を走らせて人がいないのを確かめながら、ちらっと上を見て香苗の様子を見る。香苗は姿を消した一瞬に素早く空中に跳び上がり、工場の元事務所らしき施設の屋根まで登っていた。
香苗はスマホ片手にきょろきょろと見回した後、さらに跳んで大きな柱にひゅっと張り付く。その姿はまるで忍者だ。
「……どうです?」
背後にふわりと着地する小さな足音を聞き、先んじて声をかける沙羅。香苗は体についた土埃をささっと払いながら、うーんと唸る。
「チェッカーの反応は変化なし。他に火の跡もなし……」
「ボヤ騒ぎというからには、騒ぎになったはずですよね。焦げ跡は小さいですけど、火勢は意外と大きかったのかもしれません。目撃者に話を聞ければいいんですけど、周りに誰かいましたか?」
「んー、ホームレスっぽいおっさんは数人ウロウロしてたかな。でも、女子高生が聞き込みするの不自然じゃない? ミドリに頼んで――」
突然、香苗はふっと言葉を切った。
(香苗ちゃん……?)
何事かと顔を向けた途端、沙羅の視界がふっとブレた。
同時に、肩に走る衝撃。香苗が、沙羅の体を突き飛ばしたのだ。彼女がそんなことをする理由はひとつだけ――沙羅を守るため。
(攻撃が来る? どこから?)
空中でとっさに体勢を整えながら、攻撃を見極めようと瞬時に目を走らせる。
だが探すまでもなく、目の前が赤く染まった。――火だ。細く弱々しいが、たった今まで沙羅が立っていた場所に小さな火柱が立っていた。
「足止めを!」
ザッと両足を開いて衝撃を殺し、着地しながら声をかける。先に攻撃に気づいた香苗なら、すでに攻撃の出どころ――すなわち魔術師の居場所が見えているはず。
その期待通り、香苗は素早く胸元から抜き出した細身のナイフを敷地の外に向けてまっすぐ投げつけた。弾丸のような直線軌道を描いて飛ぶ、刃のきらめき。だが、無人の道路を越えて飛んだナイフは、電信柱のコンクリートに浅く刺さったのみだった。
「逃した。ちょっと待ってて」
「どこ行くんですか、香苗ちゃん」
「追う」
「いけません! まだ手の内がわからない以上、わたしたち二人だけでは危険です。ミドリちゃんと北斗ちゃんにも連絡しましょう。この件を正式にうちで扱えるよう、本部にも申請しないと」
「でも、あんたが襲われたのに……!」
淡々とした沙羅の反応に、香苗はもどかしげに声を荒げる。その手にはすでにもう一本のナイフが握られ、今すぐにでも駆け出せるように体のバネを溜めている。
「騎士たるもの私情で動いてはなりません。これは団長命令です」
「……わかったよ、沙羅。あんたが『白』だ」
沙羅が厳しい言葉で制すると、香苗も仕方なく構えを解いて力を抜いた。「白」とは――すなわち、団長であり騎士団の頭脳である「白の騎士」を指す符丁だ。
他の騎士たちは「白」が出すあらゆる命令を即座に遂行し、異論を唱えてはならない。それは集団でありながら一つの個として機敏に動くための基礎であり、本来倒しえぬ異能の存在を倒すため、最適化された不文律である。私生活でどれだけ近しい友人だろうと、その法を踏みこえることはできない。
「ごめんなさい。でも……気持ちは嬉しかったです。助けてくれてありがとう、香苗ちゃん」
「いーよ、それが仕事だし」
まだ拗ねた様子で唇を尖らせながら、香苗は自分のスマホをのぞく。チェッカーのサブ機能を使って、周囲の変化をスキャンしているのだ。
「……発火地点以外は温度に変化なし。放出じゃなく定点発火だね。めんどいなー」
「不意打ちに気をつけないとですね。でも、連携のしどころですよ。我ら波濤騎士団、ついに四人揃っての初仕事なんですから!」
鼻息を荒くする沙羅を見て、不機嫌だった香苗もふっと笑う。彼らは騎士であり、上司と部下でありながら、それでもやはり幼馴染で親友なのだった。
「なんか楽しそうじゃん、死にかけたくせに。しっかし、初仕事がボヤ騒ぎの犯人探しかぁ……やっぱショボいなー」
「もう、香苗ちゃんまたショボいとか言う! これ以上の被害を防ごうって話ですよっ。さぁ、まずは学校に行きましょう、学生として!」
沙羅は頰をふくらませつつ、前に立って歩き出す。香苗もその後ろについていく。
「はいはい。そんじゃ申請はあたしがやっとくから、二人に声かけといて」
「承知です。放課後はミドリちゃんちに集合ですね。北斗ちゃんに場所教えないと……」
「……木戸北斗か。彼女、本当に使い物になると思う? 素人でしょ?」
「一般からのスカウト自体は全くないわけじゃありませんし……彼女の身体能力ならすぐに適応できると思います」
「身体能力はともかく、ちゃんと秘密守れるのかねー。ちょっとでも口外したら隔離病棟行きとか、一生監視付きだとか言って脅した方がいいんじゃないの。半分ぐらいホントだし」
「きっと大丈夫、彼女は信用できますよ。わたしの勘です」
「勘、ってあんたね……めちゃくちゃ大事な決断だってわかってんのー?」
自信ありげな沙羅をからかう香苗。
沙羅は立ち止まって、くるりと振り返り、香苗の目をまっすぐに見返す。
「もちろんですよ。最初に香苗ちゃんを信じたのも、同じわたしの勘ですから」
沙羅の答えに不意を突かれて、香苗はきょとんと目をしばたく。その曇りのない信頼が、香苗の目には少し眩しくて。香苗はすぐに目をそらしてしまう。
「……あっそ」
「ええ。だから、きっと今度も当たります」
眩しい笑顔を浮かべる沙羅に肩をすくめながら。静かに足を早めて、沙羅より前に歩み出る香苗。
そして、小声でぽつりとつぶやく。
「……あたしが本当にアタリだったか、まだわかんないと思うけど」
「? 香苗ちゃん、何か言いました?」
「なーんでもなーい。んじゃ、そろそろ学校だから別れよ。また放課後」
「はい……行ってらっしゃい」
「いってきまーす」
足早に(とはいえ騎士としてはのんびりと)歩き去っていく香苗の背中を見送って、沙羅はふぅとため息をつく。
香苗がいつも自分に優しいのは確かだ。けれど、その優しさのおかげで、ときどき香苗の本心が見えなくなる。機嫌が悪い時も、疲れている時も、沙羅の前ではこともなげに笑っていようとするから。
(香苗ちゃん……本当はさっきのこと、怒ってたのかな。四人じゃなくて、二人で魔術師を捕まえたかったのかも……)
かすかな後悔と不安を抱きつつ、沙羅は時間とともに増えはじめた同じ制服の生徒たちに混じって学校へと歩き出す。とっくに食べ終えたアイスクリームの棒には、アタリともなんとも書かれてはいなかった。