第1話:あなたの影に
「だから、ね……いっしょにいようよ、あたしたち」
暗闇に、二人の少女がいた。
一人はうずくまり、もう一人は立っていて。片方は手を差し伸べ、もう片方はその手をじっと見つめている。きっとまだお互いをよく知らないのだろう。うずくまる少女はまだ、その手を取ってよいものか迷っている。
(……この子もわたしをおいていくかもしれない。わたしをだますかもしれない。わたしを……ころすかもしれない)
けれど他に頼れる大人もいない。他にすがれる手もなくて。一人でここから歩き出すには、弱すぎて。どうしようもなく、ただその手を見つめている。
「あたしが、あなたの影になるから。あなたが、あたしの光になってよ」
大人びた言葉の中に、うずくまる少女は隠れたかすかな恐怖を感じとる。自分と同じ、心細さ。暗闇に怯える心。
(この子にも、わたしの手が必要なんだ)
そう気付いた瞬間に。彼女はすっと手を伸ばしていた。差し伸べられた手をぎゅっと握って。引かれるままに立ち上がって。それから、倒れ込むように抱き合って。
「二人ならもう、大丈夫だよ」
そんな風につぶやいたのがどちらの少女だったのか。二人自身にもわからなかった。
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「……ん。久しぶりに、あの夢かぁ……」
むくりと布団から半身を起こして。沙羅はそうつぶやいた。
遠い昔の記憶。決して忘れはしないけれど、ずっと抱えてもいられないから、首を横に振って振り払う。
(なんだろ……香苗ちゃんに会いたいのかな。最近お互い忙しいし……)
てきぱきと布団をたたみ、身支度をしながら考える。
香苗は、沙羅の幼なじみだ。いや、そんな言葉ではなかなか表せない。命の恩人であり、家族のようなものでもあり、同僚でもあり、同じ高校の生徒でもある。
(お仕事、渉外とかお金のこととか任せっきりだもんね。香苗ちゃんは苦じゃないっていうけど、学校の勉強とかちゃんとしてるか心配だな……)
朝用のジャージに着替えて、歯を磨いて。シリアル中心の軽い朝食をぱくつきながら、ぐるぐると考える。
何年も前、沙羅と香苗は同時期に親を亡くした。二人の親はある特殊な仕事をしていて……二人は幼い身で、その仕事を引き継がなければならなかった。
(支え合おうって決めたんだから、わたしが寄りかかってちゃダメなんだよね。香苗ちゃん、いつも無理するし。それにいちおう、わたしが団長なんだし……)
短い食休みの後、別室で朝のトレーニングを始める。
腹筋、腕立て、スクワット。それから短めの木刀を握って、素振りと型の確認。特製のランニングマシンでちょっと走る。水分補給して、もう1セット。
夏服だと腕の太さが目立つのであまり筋肉はつけたくないのだが、仕事のために最低限は保たなければならない。
(インナーの性能がもっとよくなって、自分の筋肉なんていらないようになればいいのに……まぁ街の平和と世界の安定を思えば、見映えなんて気にしてちゃいけないんだけど)
リビングに戻って、汗だくのまま床に倒れ込む。
まだ、朝6時。
(いつも時間が余るのに、どうしてこんな早く起きちゃうんだろう。もう少し寝てればよかった。香苗ちゃんに電話してみようかな。起きてるだろうけど、そんなに暇じゃないかな……)
寝そべったまま、ソファの上に置いたスマートフォンに手を伸ばしかけて、止める。手を引っ込めかけた時、タイミングよく着信音が鳴った。
指先でぴっとスマホを弾いて、空中に飛ばす。見事な弧を描いて、スマートフォンは沙羅の胸の上に落ちた。狙い通り、鈍ってはいない。表示された名前は、『結城香苗』。名前だけで思わず顔がほころぶ。
「おはようございます、香苗ちゃん」
『おはよ、やっぱ起きてたかー。筋トレ中?』
「今終わったとこです。香苗ちゃんも?」
『あたしはちょっとやってからサボってネット見てた。中古の機甲冑がオークション出ててさ。でも、値段見たらやっぱうちじゃ買えないなーって』
「気苦労おかけします。機甲冑はまぁ、しばらくは今の一騎でいいんじゃないですか。資格持ってるのわたしだけですし、あれが必要な大物の話は特になさそうですし」
『そうだねー。でもせっかくメンバー揃ったんだし、いつかは四騎並べてででーんってしてみたいよね。あんた好きでしょ、そういうの』
「う……まぁ、憧れですけど。今は現実を見て、足元を固めていきましょう。みんなの基本装備と、医療器具も整えて……」
いつのまにか仕事の話ばかりしていることに気づいて、沙羅はふっと言葉を切る。自分も香苗も、そんな話のために電話したかったわけではないはずだ。
『ね! 今日いっしょに学校行かない?』
香苗もそれに気づいたのか沙羅の話を聞かなかったように流して、からっと明るい声で切り出す。
「いいですね。あ、走ります?」
『やだよもー、体育会系みたいなこと言って。もっと遊んで過ごそーよ。女子高生だよ、あたしら』
「でも朝から遊ぶ場所なんて開いてないですよ、香苗ちゃん」
『まぁねー。じゃあ、散歩するだけでいいんじゃない。二人で、ね?』
沙羅は不意に、胸がこそばゆいような気持ちになる。香苗と二人。彼女がそばにいると、不思議に安心できる。どこにいても、どんなときでも。
ずっと昔、彼女は自分の影になってくれると言った。その言葉通り、必要なときには必ずそばにいて、沙羅の望みを叶えてくれる。まるでおとぎ話の騎士みたいに……本当はそうではないのに。
「わかりました。じゃあ、いつもの場所で。シャワーしていくので、二十分後でどうです?」
『おっけー。じゃあそろそろ布団から起きる』
「……まだ布団の中だったんですか、香苗ちゃん」
『あはは。iPadめっちゃ便利なんだよー寝ながらネットできて。沙羅も買いなよー。経費で落とすよ』
「結構ですよ、わたしはパソコンとか苦手だし。ちゃんと時間通り来てくださいね」
『わかってるってば。じゃねー』
通話が切れて、沙羅はふーっと長く息を吐く。
(耳があったかい……香苗ちゃんの声のおかげかな。なんちゃって)
なんとなく一人で照れ笑いをしてから、沙羅は軽業師のように跳ね起きて、バスルームへと駆けていった。