第二話 星の娘(アステル・フィーリア)
「パルシェ―!いるなら返事しなさいよー!」
甲高い声が玄関から繰り返し僕の名前を呼んでいる。
このトーンは・・・顔を見なくても分かる。丘のふもと、近くに住んでいる幼馴染のアテナ・トールエンだ。
「はいはい。ったく、いつも声が大きいんだよ、うちはそんなに大きくないんだから庭まで聞こえるっての」
「念には念を入れて、ってやつよ!いいじゃない、声が大きいのは元気な証拠なんだから!」
全くその通り。アテナはいつも快活な少女で、病に伏しているところなど到底見た事が無い。
パルシェが玄関の方に赴くと、パルシェより少し背の小さいアテナが体をぴょこぴょこと揺らして立っていた。
ショート・ボブに揃えた栗色の髪が西日と相まって美しく輝く。比較的端正な顔立ちなのもあって、絵になる立ち姿であった。
アテナがこうやってパルシェ達の家を訪問するのはたいていパルシェに用がある時だった。
最近太っただとか、料理がおいしくできないとか、くだらない事を相談する時もあれば
両親が喧嘩した、どうやって収めよう・・・なんてプチ深刻な話をしにくることもあり、
要はパルシェは体の良いカウンセラー役を求められる事が大多数だったのだ。
「その返事も何回目なんだか。まぁ、別にイヤってわけじゃないけどさ」
「あら、いつになく素直じゃない。いい心がけよ」
玄関で相対した二人はやや軽薄な台詞を交わしたあと、アテナは急に真剣な顔になって口を開いた。
「・・・あのね、今日は大事な話があってきたの」
「・・・?珍しいな、アテナがそんな気にしい顔になるなんて。いつもは"あたしの話をとにかく聞いてよ"っていうエゴの塊みたいな表情なのに」
「ひどいわね、・・・いつも相談に乗ってもらってすごくうれしいし、あたしがくだらないことばっかり言ってるのはわかってる。けど、今回ばっかりはホントなの」
「ん・・・、どうしたんだ本当に?何があった?」
本当にアテナのトーンがどんどん落ちていき、顔は俯くばかりなので、パルシェはつい心配になってその顔をのぞき込もうとする。
と、その時であった。
「!?」
「うわっ!!」
ごちんっ!
パルシェの方に顔を勢いよく向けようとしたアテナの頭頂部と、パルシェの顎が衝突し、鈍い音が鳴り響く。
「「いった~~~~ッ」」
二人そろって涙目だ。
「おい!気をつけろよ意外とちゃいちいんだから!」
「なによ!そんな言い方ないじゃない!わざとじゃないんだから!」
少し喧嘩じみたやり取りになるが、お互い機嫌を悪くしてもしょうがない。悪気はないのだから。
流石に15歳にもなって大人になりつつある彼らであり、痛みと一時的な怒りを鎮めてから会話を再開する。
「・・・で、一体何なんだよ、話って。」
「うん、実はね・・・・わたし、他の人には言えない秘密ができたの」
「なにを見た?村はずれのギル爺の着替えとかか?それとも親の浮気現場?」
「バカ言ってんじゃないの!うちの両親だってまだまだお熱いのよ!」
何言ってんだこいつ。
「・・・・あのね、変な力に目覚めたみたい」
「・・・・どういうことだ?」
思わず僕は聞き返す。
「私もよくわからないのよ。真っ白な世界に1人だけ、みたいな変な夢を見て、それから覚めたら何故だかその自覚と、
くじに当たったとか、林檎が雷に当たって美味しく焼けちゃうくらいの幸運に恵まれたっていう実感だけは残ってる、っていうか。」
よくわかんないよ、その例え。くじと言えばリンドヴルムの富くじだけど、あれが当たるなんて国に1人いるかいないかの低確率だと言われている。そんな幸運なのか?
「とにかく。見せてあげる!ちょっと来て!」
アテナが胸を張って言うもんだから、僕は言われるがままアテナについて外に出たのだった。
アテナは僕が今日立っていた家の前の大岩の辺りまで小走りで向かうと、不敵な笑みを浮かべてこちらを振り向く。
金色に輝く夕日が西の空を赤く染め終わりそろそろ紺碧の外套を纏おうかという頃合いに、
その笑みはまるでこれから本領を発揮する夜の眷属みたいに良く映えて、パルシェは少し心寒い思いになる。
パルシェのその思いはつゆ知らないまま、アテナは自分の胸に手を当てて息を吸い込み、その名を呼んだ。
「"汝の在るべき形を成し、顕現せよ" 『星の娘』 ッ! 」
アテナが呼び、パルシェが聞いたその言葉は、未知の存在とそれを呼び出す詠唱を指しているように聞こえた。
次の瞬間、アテナが真っ青な光に包まれる。
目を焼くような強さの閃光にパルシェは視界を奪われてしまいそうになり、慌てて腕で顔を覆った。
「・・・・ッッ!アテナッ!」
光なのに圧力を感じるほどの"轟光"に包まれたアテナの姿を見失ってしまって焦るパルシェ。
しかし、そんなパルシェとは裏腹に至って冷静なアテナの声が聞こえてくる。
「何焦ってんの、パルシェったら慌てん坊なんだから。私はここ」
その声の出どころは正面ではなく、上から、パルシェのおでこの方から聞こえてくるのだった。
声に驚くパルシェが目線を上げると、そこにはちょうど空中に一点倒立の形で浮かび、パルシェと点対称の形で佇むアテナがいた。
いや、正確に言うと、空に向かって 逆さまに立っていた 。
ショート・ボブの髪の毛は地面に向かって垂れ下がりはせず、むしろ上の方向にむかってさらさらと揺れているように見える。
「なッ!?」
「ね、びっくりしたでしょ?」
逆さまのアテナはそのままバックステップに似た動きを繰り出し、
空中でくるりと一回転すると、先ほど青い光に包まれていた位置にふわりと降り立つ。
驚くほど静かな着地と共に、青い光の粒子がアテナの足元に広がった。
光の出元を見やると、元々アテナが履いていた靴とは全く違うものがつま先から足首の上あたりまでを支配していた。
元々堅い布で出来ていたそれは、ほとんど金属に似た光沢をもつ物に変質しており、その材質で出来た薔薇の茎とよく似た茨の蔓が
全体に巻き付いている。踵と爪先の部分は鋭く尖ってある程度の長さになっており、少しの薄さの物体なら貫ける刺突力を有していることが目に見えて分かった。
「これ・・・どうかしら?」
「どうかしらって・・・その、何から言えばいいのか」
パルシェは本当に言葉に詰まっていた。
見たことがない類の不思議な現象。決して手品や騙し絵の類では無いと思える存在を間近にして、上手く言葉が出ない。
聞き覚えの無い文字の羅列とそれを暗誦するアテナの姿が、視覚と聴覚の両方から先ほどの事態が現実であることを教えてくれる。
パルシェはふと、子供の頃を思い出す。
小さいころに英雄の物語をよく聞いていた。老若男女、様々なタイプの英雄譚は心踊るものが多く、母親にいつもせかんでいたものだった。
その数々の英雄譚の中で、いつも決まって英雄達は、特殊な言葉を口にしていた。その言葉達の意味は今でも判明していないが、戦いの前には皆一様に、それにとても慣れ親しんだ者の名を呼ぶように口にしていたと言う。
アテナの詠唱とも呼べるような言葉の羅列は、そんな英雄たちの口上ととてもよく一致していた。
僕は英雄の誕生に立ち会ったのか?いや、でもアテナはそこまで闘いが好きじゃないし…英雄譚なんて残るのかな…
パルシェは混乱と羨望の入り混じった そんな目線をアテナに向ける。
やはり年頃の男としては英雄に憧れるものだ。ましてや冒険者を目指すパルシェは好奇心も強い。この未知だらけの存在に、強く惹かれ始めていた。薄青の燐光を放ち、見たことの無い材質で出来ているそれは、パルシェの興味を強く惹きつけ、心を鷲掴みにしたのだった。