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柘榴と二本の電波塔  作者: これ
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【第6話】 Hanbaku to Safe Place



 午後六時。サイン会も終わり、関さんとも別れて、マンションに戻った。前を歩く木立さんは上機嫌で鼻歌を歌っていて、その鼻歌を聞くと、胃液が渦をなして回っていくのが感じられた。ふと見上げると、マンションの向こうで、夕日が雲を薄紅に染めている。エントランスホールの大理石の上で、木立さんのかかとのすり減ったスニーカーが、軽やかに跳ねていた。エレベーターを待っている時間、乗っている時間がとても長く感じる。決意が研ぎ澄まされたり鈍ったり、いったりきたりを繰り返していた。


 部屋に入る。開けっ放しのカーテンの向こうに、周囲よりも二回りも三回りも高い白銀の電波塔が見える。もう一つはカーテンに隠されてしまって、見ることができない。木立さんは鍵を机の引き出しにしまうと、息を一つ吐いて、ソファに座った。


「リョウ、今日の飯何?」


「今日は、何も作りたくないです」


「まあ、そういう気分のときもあるよな。俺が弁当屋にでも行ってなんか、買ってきてやるよ。今からメニュー調べるから、何がいいか言ってくれ」


「木立さん、少しいいですか。お話ししたいことがあります」


「何だよ、話って。今日のサイン会は、いつも通り上手くいっただろ。あ、ひょっとすると印税のことか?言っとくけど俺は、七対三から譲るつもりはないからな。むしろ、俺がもっと貰ってもいいと思っているくらいだ。でも、お前も〝三澤諒〟の一員だから、少しは分けないとな」


「印税は木立さんが一〇でいいですよ」


「は?」




「お前、自分が何言ってるか、分かってんのか」


 俺から切り出した話に、木立さんが鋭く反応する。敵を見つけた雄蜂のような容赦のない目で、こちらを睨みつけている。だが、屈するわけにはいかない。ここで負けてしまったら、未来は固く閉ざされてしまう。手を伸ばしても、届かないところに行ってしまう。


「分かってますよ。でも、このままだと、どん詰まりでしょう」


「何がどん詰まりだよ。お前が表に出て、俺が裏で書く。それで、今まで上手くいってたじゃねぇか。なのに急に『一人で書きたい』なんて言い出して。寝ぼけたこと言うなよ」


「作家〝三澤諒〟じゃなくて、人間・三澤諒がどん詰まりだって、言ってるんですよ。いつもいつも、広告塔として利用されて。心にもない笑顔を振りまいて。もう嫌なんですよ。自分を偽るのが。俺は木立さんのパンダじゃないんです」


「はぁ?『僕が表に出て顔になるので、僕の代わりに小説を書いてください』って言ってきたのは、お前じゃねぇか。大体、お前は才能ないんだよ。いつも新人賞に送っては、ボツになりやがって。一度だって、佳作にすら選ばれたことないだろ。お前には小説、向いてないんだよ。お前には今の広告塔がお似合いなんだよ」


「今日のサイン会で、女の人が言ったんですよ。『今の私があるのは三澤先生のおかげなんです。どうかこれからも、三澤先生にしか書けない物語を、書き続けてください』って。彼女を助けたのは、俺じゃなくて、木立さんの物語です。きっと他にも、多くの人が木立さんの小説に、元気を貰ったことでしょう。でも、その人たちは俺じゃなくて、俺の背後の木立さんを見てるんですよ。俺は誰からも、見られてないんです。そう気づいたときに思いましたよ。『俺、何やってるんだろう』って。このままでいいのかって。俺だって、俺にしか書けない物語が書きたいんです」


「本当に自分にそれができると思ってんのか?」


「できますよ。笹ばっかり食べてるパンダじゃないですし」


「そうか。じゃあお前にも分かるようにはっきり言ってやるよ。俺にしか書けない物語が書きたいだ?そんなもん、あるわけねぇんだよ。凡人のお前に考えつくことなんて、もう他の誰か、お前よりも才能のある誰かがとっくに考えついて、やってんだよ。二番煎じしかできないくせに、一丁前にほざきやがって。だから新人賞も落ち続けたんだろ。目、覚ませよ。今の状態が俺たちにとってのベストなんだよ」


「怖いんですか?」


「ああ?」


「〝木立巧実〟として書いた小説が、人に読まれないのが怖いんですか?今とは違う、知名度ゼロからのスタートですもんね。きっと大して売れないでしょう。今の木立さんは、俺というアイコンに、寄りかかってるだけの、昼行灯ですもんね」


 次の瞬間、木立さんがソファからおもむろに立ち上がり、俺の胸ぐらを掴んだ。振りかぶった拳が、右頬に打ち付けられる。痛さは顎骨を通じて、瞬時に脳に伝わった。突然の殴打に思わずよろけて、膝をついてしまう。頬を抑えながら、反発の眼差しで見上げると、木立さんの目は憤怒が迸っていて、視線が皮膚を刺す。そして、がなった。


「ふざけんのもいい加減にしろよ!お前に何が分かんだよ!毎日毎日、脳ミソを限界まで振り絞って書く辛さが!アイデアが出なくて、のたうち回った夜の苦しみが!匿名の批判に晒され続ける理不尽が!俺はな、傘になってお前を、雨から守ってやってんだよ!守られてるくせに、偉そうなこと言うんじゃねぇよ!昼行灯はお前だろうが!」


「そんなもの、自己正当化の虚言じゃないですか!言い訳は止めてくださいよ。自信があるなら、恐れることはないはずです。木立さんだって、自分で書けばいいじゃないですか!自分の名前で、好きなように書いたらいいじゃないですか!」


 力を込めて思いの丈を吐き出すと、反動で部屋は静かになった。隅の空気清浄機だけが、申し訳なさそうに音を立てる。食いかかってくると思ったが、木立さんのトーンは意外と冷静なものだった。


「分かったよ。俺は、自分の名前で書く。コンビはここで解散だ。だけどお前はどうする?いや、お前だけじゃない。これまでの〝三澤諒〟の作品はどうすんだよ」


「それは『今まで木立さんが書いていました』って公表しますよ。そして、これからは三澤諒自身が書きますって。それだけですよ」


「それだけって軽く言うけどな、残された作品はどうなると思う。今まで別の人が書いてたんだって幻滅されて、手に取ってもらえないか、売られるか。捨てられることだって、考えられんだぞ。被害を受けるのは、何の罪もない作品たちだ。お前はそれに耐えられんのかよ」


「それは、今まで騙し続けてきたことに対する罰でしょう。甘んじて受け入れますよ」


「お前は書いてないから、そんなことが言えんだよ!自分の作品が読んでもらえないどころか、軽蔑されて、唾棄されるのは作家にとって、最大の苦痛だからな。俺は受け入れられねぇよ」


「それは木立さんが頑張って、良い小説を書いて、認められればいい話じゃないですか。自分の不安を、作品に転嫁しないでくださいよ」


 それまで怒っていた木立さんが急に落ち着いた。右手で鼻筋を拭い、吐き捨てる。


「もういい。お前出てけ。ここを出ていって、二度と俺の前に顔を見せるな。その代わり、ここから先は大変だぞ。お前が今ここに住めているのだって俺のおかげだし、追い出されたお前は四畳半の、かびた部屋から再スタートだ。想像よりも、ずっと辛い日々が待ってるぞ。耐えられなくなって、泣きついてきても、俺は構いやしねぇからな」


 足が動かない。こんな部屋今すぐ出ていきたいのに、足が言うことを聞かない。いや、言うことを聞かないのは、もう一人の現実的な自分か。安泰な現状を捨ててまで、勝負を挑む価値はないと忠告する理性。


「ほらさっさと行けよ。全部、覚悟の上で言ったんだよな。それとも今更怖くなりました、か?まぁ土下座して、今言ったことを全て撤回すれば、許してやらねぇこともねぇけど」


 うるせぇ。黙れ。


「どうすんだよ」


 散弾銃が、脳内で唸りを上げた。火花が血管を流れて、全身に広がっていく。腰の横で拳を握り締めて、一歩を踏み出す。ドアが開くより前に自分の手で開けて出て行って、振り向くことはしなかった。エレベーターのボタンを何度も押す。


 壊れてしまうかのように。壊れてしまわないように。





 マンションを出て、近くのコンビニで、缶ビールを買った。普段手にすることがないので、一番安いものを選んだ。アスファルトを歩きながら、蓋を開けて、少しずつ体に入れる。燃える心を諫めるはずが、かえってガソリンのような効果を生んでしまったらしい。


 黒い言葉が、間欠泉のように溢れ返る。いてもたってもいられなくなり、気づいたら橋の上で叫んでいた。川の流れを裂くような声にならない叫びに、道行く人という人が振り返る。視線は冷たかったが、それでも叫び続ける。膝を折って体を丸めて、どこに向かうとも知れず、空気を揺らし続ける。


 空では、夜が口を開けて待っていて、厚い雲が星々の光を、無表情で遮っていた。



(続く)

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