第14話
公園の街灯に虫が集っていた。
羽虫が大量に飛んでおり、一つの大きな生き物のように見える。昔見た国語の教科書に似たような物語があった気がする。
僕はそんなことを公園のベンチに座りながらボヤっと考え、タバコに火を付けた。妙に喉にひり付く痛みがある。多分、神崎に怒鳴ったからだ。
いつもなら、あんな大きな声を出すことはない。
だから痛むし、虚しい。
彼の切ない泣き顔が思い出される。
あんなフウに怒鳴って馬鹿みたいだ。彼に怒鳴って、彼にあいつらを殴ってほしかったのか?神崎は優しく朗らかな人間だ。
そんな人間を怒鳴って、自分の思う通りに動かそうなど傲慢で愚かだ。
僕は罪悪感からため息をついた。
「はぁ………僕は馬鹿ものだ」
それは誰に話しかけたわけでもない。ただ口をついて出たものであった。
だから、返事があるとは思わなかった。
「そうでもないですよ………あなたの所為でこちらも仕事が減りました」
それは聞き覚えのある声であった。どこかで聞いたことのある雑音。
声というには何かが足りない。感情のない機械音。そうこの声は忘れもしない事故の時に聞いた声。
僕は声の方に振り向こうとした。しかし、その声が制止する。
「やめたほうがいいですよ。私の姿は人間が見ると発狂するみたいですし。ああ。一度見せたことがありますがね、それはそれは大層驚いて、目が飛び出んばかりにかっ開いて、穴という穴から体液を溢れさせて気絶しました。なんだったか。ああそう。化け物だと。そう言っていました」
ぞろぞろ。ぞろぞろと耳穴から蟻が何百匹も這い出るような音が続く。
「そうか………ならやめておこう」
「賢明な判断ですね」
「お前は前の奴とは違うのか?」
「前とは?」
「いや、なんでもない」
こいつはやはり事故の時のあいつではないようだ。妙におしゃべりなのも前の奴とは違う。最後の夏前に会いに来ると言っていた気がするが。
「まぁいい。それで、なんのようだ?」
僕は話すのも嫌になってくるが、こいつと同じ場所にいるというだけでえも言われない恐怖が襲ってくる。
肌がひりついて粟立ち、息がしづらい。
「ああ。そうそう。別に貴方に用があったわけではなかったんですよ。しかし、こう匂う人間がいては話しかけたくなってもしょうがないでしょう?」
「匂う?」
「ええ。印を打たれているからですね」
「訳が分からない」
「まぁ独り言みたいなものですし」
そいつは飄々としており、口調もいけ好かない。しかし怒りよりもなによりも恐怖が全てを支配する。
奴の声の出所が真後ろからだと気が付いた時には心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥り早くどっか行ってくれと祈りながら、話を早く切り上げようと試みる。
「で、何のようだ?」
「ああ。そうでした。わけあってここに来たのですが、仕事が減ったのでついでに話しかけただけです」
「仕事?」
「ええ。二人連れていく予定だったのですが、その二人に先が出来たので、連れていくのはまた今度ですね」
「二人?」
「そうです。藤原 緑。神崎 翔。お知り合いでしょう?」
一瞬、息が止まったような気がした。聞き間違いではない。
「………どういう意味だ?」
勘の悪い僕でも分かる。こいつの連れていくという表現はそのまま死を意味することくらい。しかし、何故、そこであの二人の名前が出てくるのか分からない。
「あいつらは死ぬのか?」
僕は震える声でそいつに聞く。
「いえ、その予定だったのですが、まだ死にませんよ?」
「予定?」
「はい。まぁこれもあまり人間に話すことも憚られるのですが、貴方ならいいでしょう。どうせすぐに連れていきますし」
その言葉に嫌気が差して、早く話せと促す。
「そうですね。まず、藤原 緑は屋上から飛び降りて自殺します。これは簡単。実母の死や中学生時代のいじめから人間不信に陥ってしまった彼女はこれ以上生きることを望んでいなかったのでしょう。屋上から飛び降りて即死です。こうべチャッと」
その擬音は頭上から聞こえてきた。かと思えば横から、後ろから声がする。映画館の立体音響みたいだ。気味が悪く、吐き気がする。
「………」
僕は一度唾を飲み込むとヤツの話を反芻する。そして不思議と合点がいった。
彼女が何故、屋上にたどり着いたのかも、僕にタバコを求めたり、自暴自棄になっていたかも。
そう思うと急に彼女に会いたくなった。しかし、今、足は動かず、手先さえまともに動かせない。
「さて、次に神崎 翔ですか?彼も簡単です。いじめの所為で精神を病み、明日には死んでいる予定でした」
「………明日?」
「ええ。いじめられ続けて、精神的に病んで、そのまま首を吊って終わり。あっけない人生でしたね」
「………でもそれは無くなったんだろ?そんな結果にはならないんだろ?」
「ええ。そうなんです。何やら二人とも急にそれらから道を逸れたようで。神崎 翔はあと一歩だったのですが、今日のでなくなりました」
「今日の?」
「さぁ。知りませんが、今日何かがあったのでしょう」
分かるような分からない話を延々と宣うそいつは先ほどから一切、声がぶれない。感情がないのか、何を話していても一定の音量に、一定の音程。雑音が奇しくも言葉として聞こえてしまっているような感じだ。
「そうか………なら良かった」
僕はやっとの思いでそれだけを言った。
死神か悪魔か知らないが、そういったやつらがもしいるなら妖気が横溢する部屋に血の匂い漂わせて不敵に笑っているという印象があった。
しかし、こいつは無味無臭というか、なんの雰囲気もなく、ただそこにいて、こちらを観察している。なんの違和感なく、ただ声にもならない奇々怪々な音を鳴らしてそこにいる。
気味が悪く、肌が粟立つ。こんなものを卑近にし、今まで生きてきたのかと思うと背筋も凍る恐怖を覚える。
「では、また仕事にいくとします」
そう言うと、そいつは姿を消した。僕はそいつが消える際に、少し視界を移動し、奴が帰ったか確認しようとした。
その時、形容しがたい物体の先端が目に入った。手の指の第一関節から違う形の指でも生えているのか、それともあれは 足なのか。分からないが、その先端は奇妙な動きを見せて、みな別の方向に逃れようと藻掻いているようにも見えた。
僕はそれを見て、やはり時間を置いて、公園を後にした。
その日。僕はレンタルショップに寄ることはなかった。
話が思ったよりも長くなってしまいました。
15話で終われなくなりました。