短編・「これから」が輝くように、「今」を明るく。
彼女は、ふにゃり、と笑う。
どんな時にというわけではないが、彼女の笑顔を擬音語で表すとするならば「ふにゃり」がいちばん合っていると思う。楽しそうに、悲しそうに、淋しそうに、嬉しそうに、安心したように、照れたように、泣くのをこらえるように、ふにゃりと頬を(というより顔を)綻ばせる。
君の笑顔で、今君が何を考えているのか分かるよ。そう告げると、そうなの?それってなんか恥ずかしいね、でも私の事をわかってくれるのが君だから嬉しい感じもするな、なんて言ってまたふにゃりと笑うのだ。
彼女は僕に対して怒ったりしなかった。僕の前で大粒の涙をながして泣くこともなかった。どんな時でも、ただいつものように笑うのだ。
僕は、彼女の笑った顔しか僕の中にないことを、ある時ふとした瞬間知ってしまった。僕にとってそれはひどく淋しいものだった。でも彼女が幸せそうに笑うとこっちまで幸せな気分になってしまうものだから、彼女といる時だけは、僕の中の「淋しさ」という、ぽこんとできた穴の存在を意識することはなかった。
穴を埋めたいとは思わなかった。側で彼女がふにゃりと笑いかけてくれるだけで、穴の存在は僕の意識から簡単にそれていったから。途中から彼女は魔法使いなのではないかと本気で思ったりもしたが、彼女に言ったらきっとそんなわけないじゃない、と笑うことが安易に想像できたので(馬鹿だと思われそうだからというのもあるし、そのことで彼女に馬鹿にされるのは癪だから)言わなかった。
ある日、彼女は泣いていた。
僕に見つからないようにだろうか。
いつもならまだ仕事をしているであろう時間に、早上がりすることを彼女に伝えずに、ちょっとしたプレゼントを持って。驚くかな?プレゼント、喜んでくれるだろうか。浮き足立ちつつもそろりと帰宅し、彼女の姿を探して彼女のための小さな部屋を覗いた。
パッと見た時、彼女はいなかった。いや、見つけられなかった。よくよく探すと、ベッドの側、隅っこに小さくなっていた。普段から小さくてかわいいと感じていたが、それ以上にちっちゃくなって、しっかり見ないとわからないくらい小さく震えていて、しっかり耳をすませないとわからないくらい小さく嗚咽をもらしていた。
え、と声にならない息がこぼれた。
僕は動揺していた。何か声をかけるべきか、静かに泣き止むのを待つべきなのか、さっぱりわからずただ部屋の入口に立ちつくしているしかなかった。まさに木偶の坊状態だ。
どれほどの時間そうしていただろうか。ふと、彼女は何かを感じ取ったようにゆっくりとふりかえって僕を見た。そして、淋しそうに、
「 お あ え い 」
“おかえり”
ふにゃり、と笑って見せた。
僕は彼女を抱き締めることしかできなかった。
僕の心に空いた穴を彼女が塞げなかったように、いつの間にかできた「不安」という、これまたぽこんと彼女の心に空いた穴を、僕は塞ぐことができていなかったのだ。……彼女の表情から彼女のすべてを理解してあげられていたとかいうのは、単なる思い込みにすぎなかったのだ。
ごめん、ごめん、気付けなくて。
彼女に聞こえるはずないことは何年も前から知っていたのに、僕は同じ言葉を繰り返す。彼女に僕の声は届かないはずなのに、彼女は何度も首を横にふり僕を抱き締め返した。
こんなので悪いけど、と小さな赤い薔薇のついた、至ってシンプルなデザインのネックレスを彼女にかけてあげる。こんな形で渡すことになるなんて思ってなかった。でも。
彼女は笑って、ありがとう、と言った。彼女の笑顔は――今までみたいな、ふにゃり、ではなく、本当に心の底から嬉しいのが伝わってくるような笑い方で――ぱあぁっ、と輝いていた。僕はこれまでにないくらい幸せだった。
僕らの心に空いた穴は、まだ完全には塞がっていないけれど。
それでも、僕らは満たされていた。