第34話 米雷撃隊の死闘
ミッドウェイの戦いを征したのは実のところ、天候と人為的ミスだったといえるかもしれない。
天候は両軍に対して公平だったし、機械的故障もある意味で両軍に公平であった。人知の及ぶ範囲といえば、その先にある些細なことだけだったといえまいか。そしてそうした些細なことを誇る驕慢ゆえに、人はわが身やわが国を亡ぼすのかもしれない。
真っ先に米空母群を発見できる索敵線を飛んでいた「筑摩」1号機は雲に遮られ、それを見落としている。そして敵を発見した「利根」4号機は計測機器の調整に難があり、敵空母群とはまだ距離があるという――実際に米空母群があった位置から100Kmずれた位置を――報告をしていたのである。この“まだ”も南雲司令部の決断を左右したことに違いない。
かといって米軍だけに運が向いていたわけでもない。
空中集合しながら日本艦隊を目指した第16任務部隊の攻撃隊だったが、厚い雲にはばまれ日本艦隊を視認したとき、部隊は連携を欠く状態に陥っていたのだ。
はじめに海上に白く尾を引く航跡を見つけたのは「ホーネット」の雷撃隊14機だった。
「ちくしょう、戦闘機隊はどこだ?」
ジョン・ウォルドロンは周囲を顧みながら悪態をついた。
「少佐、戦闘機隊だけじゃありません。爆撃隊も見当たりません。いま少し上空待機しますか?」
ジョンの眼は燃料計を睨んでいた。
「そうもいってられんだろう。帰投がおぼつかなくなる。俺たちだけでやろう」
「イエス、サー!」
彼らが高度を下げるのと時を同じくして、「赤城」「加賀」から直掩機8機が発艦していった。日本側の迎撃機はこれで26機となった。
狙った空母に集中しすぎたのか、ウォルドロン隊は上空から錐のように撃ちこまれた弾丸を回避できず、瞬時に2機、3機が火球になって海面に叩きつけられた。
「回避、回避だ!」
そう叫んで死にもの狂いになってはみるものの、重い魚雷を抱いたまま激しく機動できるわけがない。かといって魚雷を捨てるわけにもいかない。後部機銃手が撃ちだす2挺の7.7ミリの銃火だけが頼りだ。
「ちくしょう、振りきれない!」
「この野郎、ちょこまか動きやがって!」
無線が悪罵で埋まりだしたが、しだいにその声は減ってゆく。
なんとか魚雷を投下した機もあったが、全機が零戦の餌食となった。
ウォルドロンを含む29名が戦死。不時着したジョージ・ゲイのみが生還したのである。
一方雷撃隊とはぐれた戦闘機隊と爆撃隊は日本艦隊を発見できず、戦闘機全機と爆撃機3機が不時着水して機体を失い、爆撃機20機が「ホーネット」に帰還したのだった。
つづいて上空に現れたのは「エンタープライズ」の雷撃隊14機だった。
「ホーネットの戦闘機隊は護衛してくれる気はないのか?」
ユージン・リンゼー少佐もまた悪態をついた。
「混線が酷くて話がつかないんです。もう少し待てませんか?」
彼らの近くには「ホーネット」の戦闘機隊10機がいたのだ。
「いいや無理だ。ガス欠で海に突っ込むか、それとも攻撃かだ」
「仕方ありません、はじめてください」
10機が「加賀」に、4機が「赤城」に向かって突撃を開始した。
日の出から入れ替わり立ち代わり直掩してきた零戦隊にも疲れがみえはじめたが、まだまだ衰えを知らなかった。敵機の後方に付くと、機首から7ミリ7機銃を撃ちだす。1機撃墜――。そのまま超低空で神技のような曲技でまた敵機の背後につく。今度は両翼にある20ミリ機関砲が火を吐いた。炸裂弾が当たったのか、敵機は木っ端微塵になって砕け散った。
だが敵の後部銃座も激しく応射してくる。白煙を引いて戦場離脱をはかる零戦もあった。
「あと少し、あと少しだ……」
米軍パイロットの願いはつぎつぎに徹甲弾に挫かれていく。
「もう待てない! 投下するぞ!」
遠い距離から当たる可能性の乏しい魚雷が放たれる。だがその戦果を確認できずに男たちは絶命した。
「ようし、これなら当たるぞ!」
確信をもって投下索が引かれた。だが魚雷は海面をもんどり打って跳ね回ったあと、あらぬ方向へ舵をきっていく。忸怩たる無念を抱えたまま、その男たちも敵弾を浴びて血潮を噴出させながら死んでいった。
数本の雷跡が「赤城」と「加賀」に向かって走っていったが、命中しなかった。
「エンタープライズ」隊もまたリンゼーを含む29名が戦死したのである。
つづいて第三波――。
今度はランス・マッセイ少佐率いる「ヨークタウン」の雷撃隊12機が戦場に飛来した。
いまだ立ちのぼる煤煙を睨み、マッセイはまだ攻撃を受けていないであろう「飛龍」への挟撃を命じた。6機ずつ左右に別れた攻撃隊の上空には、ジョン・サッチ少佐率いる戦闘機隊6機がいた。
空中集合しながら進撃した第16任務部隊、「エンタープライズ」と「ホーネット」の隊がバラバラになったのに対して、発進ししだい逐次日本艦隊へ向かえと指示された「ヨークタウン」隊は、比較的統制がとれていたのは何故なのだろうか。運や天候などいろいろ考察することはできる。だが大きな要因と思われるのは「ヨークタウン」隊には珊瑚海での実戦経験者――戦闘機隊と爆撃隊がそうだった――がいたためかもしれない。しかしこの雷撃隊はそうではなかった。
そして1時間にわたる迎撃戦をつづけていた零戦隊も、さすがに疲れが見えはじめていたのである。
「飛龍」司令塔の見張り員が叫んだ。
「敵雷撃機6機、左30度、水平線の上、こっちに向かってくる!」
「敵雷撃機6機、右40度、高角10度、本艦に向かってくる!」
すでに上空では飛行機雲を引きながら、零戦とF4Fが巴戦を繰り広げている。どうやら今度は対空射撃で危機を脱しなければならないと、兵員たちは固唾を飲んでいた。
「高角砲撃ち方、はじめー!」
耳の奥で金属がぶつかりあうような轟音と爆風がつぎつぎに起こる。敵機のまわりに黒々とした爆煙があがる。
「対空機銃、撃ち方はじめー!」
艦上は怒鳴らなければ互いの声さえ聞き取れない騒音に包まれた。
空中戦から抜け出した零戦が駆けつけてくる。
敵機が1機、また1機と撃ち落とされてゆく。
それでも雷撃機は機体を左右に滑らせながら、海面上を這うように猛進してくる。
もはや味方撃ちも致し方ないと思ったのか、傍らにいる駆逐艦も轟然と機銃の火箭を撃ちかけている。
右から迫る2機が火だるまになった。左からくる敵機がまた1機海面に突入した。
彼我の距離が1,000メートルを切ったとき、魚雷を投下した水飛沫があがった。
1つ、2つ、3つ……左右から「飛龍」に雷跡がひたひたと迫ってくる。
「面舵いっぱーい!!」
山口の怒号だった。
「取り舵いっぱーい!!」
加来もまた叫んでいた――。
誰より冷静だったのは舵を握っていた長航海長だった。
彼は黙したまま、その真ん中を突っ切って見せたのだ。
これには山口も舌を巻いたのか、
「長くん、ご苦労様」
と少佐の肩を叩いて賛辞を表したのだった。
こうして「ヨークタウン」雷撃隊の攻撃も潰えたのである。マッセイ少佐を含む21名が海に散ったのである。
しかしこうした悲劇とも犠牲ともいえる米雷撃隊員79名の憤死が、奇跡的な瞬間をつくりあげたといえる。これが犠牲を求める戦争の歯車の実態なのである。
時に日本時間〇七一九、海も空も静かな佇まいを見せ、わが零戦隊は迎撃のために海面近くに舞い降りていた。
だが魔の瞬間はすぐそこに迫っていたのである。