第29話 第一次攻撃隊発進
時計の針は日の出前40分を指していた。
水平線は隠微な蜜柑色に染まりはじめていたが、第一機動部隊の頭上には濃紺の星空があった。
総員配置についている「赤城」はすでに完全に目覚めており、艦橋にはまだ微熱のある源田航空参謀の姿も見られた。
甲板上には暁闇をついて動く人影があり、左舷ぎりぎりにそそり立つ司令塔の前後にある発着艦指揮所ではその蠢動が旺盛だった。前部指揮所には病後の淵田中佐も姿を見せていた。
後部指揮所から眺めやれば、すでに試運転を終えてプロペラをとめている第一次攻撃隊が昂然とその機影を浮かびあがらせている。
「索敵機はもう出たのか?」
挨拶もそこそこに問いかけたのは淵田だった。
「第一次攻撃隊と一緒に出ます」
「一段索敵だな。敵の空母部隊が近くにいるなら、危なくはないか?」
「大丈夫ですよ」
即答したのは村田少佐だった。彼はつづけて、
「第二次攻撃隊は艦船攻撃装備で待機です。それに艦爆隊は江草、雷撃隊は自分、制空隊は板谷の弟子たちが控えてますから」
といった。
江草隆繁はインド洋作戦中、山口に泣いて連合艦隊司令部の不実を訴えた男である。また村田重治と板谷茂と共に真珠湾作戦では指揮を執った男でもある。
板谷はこの朝、制空隊を率いて出撃することになっていたので、村田は弟子たちといったのである。
「なるほど。――ところで索敵線は?」
淵田の不安が消えたわけではなかった。それゆえ自分の目で確認しておきたいと思い、さらに質問をつづけたのである。
すぐにそれに応えて布留川大尉が図を示して説明しだした。
「索敵線は七本です。この線を中心に開度約140度です。南から順に赤城機、加賀機、利根から2機、筑摩から2機、そして万が一に備えて榛名からほぼ真北に1機です。榛名の機は九五式ですので進出距離は150海里。ほかは全て300海里まで進出です」
一段索敵では不安だ。日の出前に一段を出し、黎明とともに二段目を出す。今さら二段索敵をやらなければといってみても仕方のないことなど淵田は百も承知のうえだった。しかし自信に満ちた村田の言葉や、簡潔明瞭な布留川の説明を聞いても、彼は不安を拭いきれずにいた。
「飛龍」の艦橋にあった山口にしても同じだった。
突然インド洋作戦でのコロンボ空襲と、ツリンコマリ空襲のときの光景が脳裏に蘇ってくるのだ。
どちらもわが方は第一次攻撃隊を発進させていた。そこへ敵機群が現れた。直掩の零戦が迎撃のために襲いかかってゆく。だが空中戦と共に彼らの高度は下がり、上空はがら空きだった。そこに現れた爆撃機――。幸いわが方に被害はなかったが、あわや! と肝を潰したあの海での出来事が蘇ってくるのだ。
山口は不安を吹き飛ばそうと飛行甲板に目をむけた。
「第一次攻撃隊の総指揮はうちの友永くんだね。制空隊もうちの板谷くんだったね?」
「はいそうです」
「そうか」
第二航空戦隊の責任は重い。山口はそう思いながら「赤城」が波を蹴っているほうを見やった。
九七式艦上攻撃機が索敵のために飛び立ってゆく。
「加賀」に目をやると、蒼い排気炎が明け染めぬ群青を背景に、光芒を描いてゆくのが見えた。
「榛名」からは九五式水上偵察機が、「利根」「筑摩」のカタパルトからは零式水上偵察機が火薬式カートリッジの発火音を響かせながら飛び立っていった。だがその後がつづかない。2分、3分がいやに長く感じらる。
そのとき「筑摩」からまた一機が射出される音が海面を叩いた。だが「利根」は悠遊と海を走っているばかりだ。
「何をしているんだ」
「問い合わせてみますか?」
「……いや、いま少し待とう」
これはいかん。じりじりしていた山口がそう思ったとき、「利根」からようやく水偵が発射された。
すでに攻撃隊の各機もエンジンを始動しはじめている。「利根」4号機は予定より30分遅れの発進だったのである。
時をほぼ同じくして、米軍もミッドウェイ基地と「ヨークタウン」から続々と索敵機を放っていた。その数は優に30機を超えていたと思われる。
またその朝も霧に咽んでいた北太平洋上では、第二機動部隊がダッチハーバーへと15機の攻撃隊を発艦させたのである。
「赤城」は艦首を風に立てて澎湃とした白波を海面に沸きあがらせていた。飛行甲板の前部から風向を読むために噴き出している蒸気が紫紺に染まっている。拡声器から命令が発された。
「全機整備!」
飛行甲板にある照明が一斉にともされ、各機の両翼に赤と青の光が漲ってゆく。
機首の7.7ミリ機銃に1400発、両翼の20ミリ機関砲に120発の弾丸を詰めこみ、胴体下には330リットルの燃料を満載した増槽を懸下する、零式艦上戦闘機の車輪止めが整備員によって外される。全力運転しているエンジンが轟轟と咆哮している。
「発艦、はじめー!」
白旗が振り下ろされる。
敬礼する操縦士。帽振る整備員たち。鬨の声には人々の思いが込められていた。
翼の日の丸に曙光を浴びながら零戦が発艦してゆく。蒼白い排気炎をたなびきながら。
つづいて2名が乗りこんだ九九式艦上爆撃機が250キロ爆弾を吊下して発艦してゆく。
「飛龍」からはこのとき桑原も甲板を蹴って舞いあがっていた。
その後に、3名の搭乗員が人機一体になった九七式艦上攻撃機が、800キロの陸用爆弾を抱えて発艦してゆく。
中檜飛長はこのとき「飛龍」の甲板を蹴っていた。
空中集合を終えた零戦36機、九九艦爆36機、九七艦攻36機、108機の堂々とした大編隊は第一機動部隊の頭上を航過して南東の方角に消えていったのである。
攻撃隊総指揮官は友永丈一大尉。この日の天候は曇り。雲量8、雲高は500mから1,000mであった。




